本日、1限に2学期の始業式を行いました。
生徒が、続々と体育館に集まってきて、全校生徒が久しぶりに一堂に会しました。
夏休み中に授与された、たくさんの表彰状を伝達しました。
生徒のようすを見ると、真っ黒に日焼けした子も多く、その中にいると中学生の活気とエネルギーが、自分の体内にしみこんでいくのがわかります。
そして、自分自身がグングンと元気になっていくことを自覚します。
エネルギーが充填されます。
このことを実感して、いつも思うのですが、学校の先生は子どもから元気をもらっているのです。
やはり、生徒が多くいる学校はいいものです。
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2学期始業式校長講話(2017年8月28日)
2学期に入りました。
夏休み中に、平和作文を書いてくれたことと思います。夏休みの間に、戦争や平和についてのニュースが流れました。
みなさんも感じたかもしれませんが、なかなか世界平和への道は、平坦ではありません。
ミサイルを撃つことについて、牽制しあったり、脅迫めいた言葉が国と国の間で交わされたりしました。
インドの国民の指導者ガンジーは言いました。
「弱い人は『許す』ということができない。『許す』ことができるのは、強い人の証しである」
よく、「アイツだけは許せない」と、息巻いている人がいます。でもそういう人に限って、「アイツ」だけでなく、「ソイツ」も「コイツ」も全部「許せない」と思っています。
要するに、「アイツだけは許せない」といっている時点で、「私って人を許す心の余裕がない」と、周りに言っているようなものなのです。
ガンジーは、かつて植民地だったインドをイギリスから独立させた人です。大国イギリスに対して、ガンジーが使った武器が、この「許す」という行為でした。
いつの世も、戦争や紛争は「戦争を仕掛ける側」と「戦争を受ける側」がいてはじめて成り立ちます。ガンジーは、圧倒的に強い相手に対して、「無抵抗」を武器にすることで、対等の立場に立ったのです。暴力による抵抗はせずに、許す。しかし服従も迎合もしない。
このようなやり方で、インドはイギリスから独立を果たしました。
私たちのふだんの生活でも、「許す」という行為は大きな力になります。
私の教え子は、小さい頃からずっと両親が嫌いで、許せずにいました。
先日、同窓会があり、もう38歳になったその子に久しぶりに会いました。
「どうしている?」と聞いてみると、その卒業生は言いました。
あるとき「私はあなたを許します。私が自由になるためです」という言葉と出会って、私は「許さないことで損をしていたのは自分だったんだ」と気がつきました。
「こう思うと、両親への心のわだかまりがスーッと消えていき、とても楽になった。」といっていました。
このように、「許す」という行為は、心を和ましてくれる働きもあります。
もし、みなさんのなかに、あの子だけは許せないと思っている人がいるなら、「許す」ということをやってみてください。
それが、自分を見失わず、自分が楽になる方法であると、私は思います。
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一人ひとりの生徒にとって、意義のある学校生活を過ごしてくれることを願っています。