箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

誇り高き関西弁

2024年06月30日 05時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ

阪神タイガースの岡田監督が、試合後、記者団に「もうええわ」と言っていました。

この「ええわ」という大阪弁には、二つの意味があり、関西人はそれを使い分けます。

サヨナラ負けをしたときには、「今日はええわ」は「取材は勘弁してほしい」という否定的、拒否的なニュアンスをもちます。


ところが、相手チームのピッチャーをみて、「あのピッチャー、今日はええわ」といえば「調子がいいなあ」という意味になります。


その場合は、肯定的、承認的なニュアンスになるのです。


違う言語圏の人たちには、聞いただけでは理解しにくいと思われます。


この「ええわ」を聞いた関西人は、どんな状況、文脈で発せられたか、ついている言葉(「もう」)が何かで、どちらの意味かを瞬時に判断するのです。

 

この方言を使うことに関して、相手が理解しにくいと感じられる場合には、遠慮がちになる人が多いのです。


ところが、関西人(大阪人)の場合は、相手が東京から来た人に対しても、自信をもって堂々と使う傾向があるのです。



 



教職のやりがいを感じた人

2024年06月29日 05時36分00秒 | 教育・子育てあれこれ
少し前までは、一旦就職すると、定年まで勤めあげるのが普通でした。

転職を繰り返す人は、いい印象を持たれなかった時代でした。
しかし、いまは転職や副業が当たり前になっています。

いまの若い人は、就活で職についても、一生勤めようとは思っていない人がほとんどです。

教員採用試験に合格して学校の教員になった人にも、転職を考える人がいる時代です。

しかし、その一方で初任者として1年の終わりを迎え、大きなやりがいやモチベーションを感じる人もいます。

今年度4月から教師になった人が、3月になり、1年を振り返った気持ちを、以下のように綴っていました。


私が感じた教員のやりがいは、子どもたちと共に過ごす時間が長く、色々な面から子どもたちの生活に関われることです。

子どもたちは平日、朝8時〜4時ごろまで、1日の約3分の1を学校で過ごします。その中で、友達と協力したりケンカしたり、できなかったことができるようになったり、新しい提案をしたり…とたくさんのことを経験していきます。


「あ、今日は友だちに勇気を出して話しかけているな」とか、「あ、数週間前に算数で学んだことを国語で応用しているな」とか、1年間の中で成長の瞬間をたくさん見ることができました。


日々はとても地道ですが、その先に子どもたちとの信頼関係があり、信頼関係があるからこそ、伝えられること、子どもたちのためにできることがたくさんあると感じました。人の成長に関わることができる、と心の底から感じられることがやりがいです。



このように教職のやりがいを感じて1年を終える人もいます。


次世代の職人を育てるには

2024年06月28日 08時07分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私の校長在任中に中学2年生の職場体験学習について、学級担任から相談を受けました。

クラスの女子生徒が、どうしても左官の仕事を体験したいと言います。
そのような事業所や職場は知らないのでなんとかなりませんか。

そのような学級担任からの相談でした。

左官の仕事を体験したいという生徒は珍しいですし、女子生徒のたっての希望でしたので、わたしはなんとか体験が実現するよう腐心しました。

自分が学級担任をしていたときの生徒の保護者が建築業をされていたのを思い出し、頼み込むとOKの返事をもらうことができまさした。

職場体験の日にわたしも、体験先を訪問して左官体験の様子を見にいきました。

付いてくれている指導の左官が驚くほど、その女子生徒は壁塗りに集中していました。

「はじめてにしては、とてもうまいです。女の子の丁寧で細やかな手つきは、男の私とはちがう味が出せると驚いているのです。
お引き受けしてよかったです。」

そのような評価の声をいただきました。


さて、左官職人は全盛期には全国で30万人ほどいたそうですが、現在では6万人ほどに減ったと言われています。

安いビニール製壁材が普及してきて、左官の仕事が減ってきています。


また、伝統的に「技術は見て覚えろ」式の育成方法に若い人がついてられないことも大きいのです。


そして、平均年齢60歳以上となる高齢化がますます進むという悪循環に陥っているのです。



男性の左官職人の育成も急務ですが、性職人の育成も広げていくべきです。


壁を一気に塗りあげる体力は必要ですが、女性職人が現場に出ると、デザイン性や織細さ、綿密さなどが発揮され、立派な壁がてきあがるのです。


最近では数は多くないですが、造園業や出版業、製造業などの異業界から転職を希望する女性がやってきています。


自分の仕事が形になって残るという魅力がありますし、画一的な工業製品があふれる中で、ひとつひとつがオリジナルな左官の仕事には、人々を引きつける魅力があるのです。


左官職人の若手が育たないのは本人の責任とはいえないでしょう。


やる気と意欲があり、見習工になっても、1年ほどは材料の運搬や片付けといった下働きが多いのです。


鏝(こて)を持つ機会がほとんどなく、技術の習得も先輩職人の仕事ぶりを観察するのが主で、たまに先輩職人の手があいた時に、少しだけ鰻を握らせてもらうということが多いのです。


そのような職人の育て方は、今の若い世代には通用しません。


若手職人を育てるために、見習いのうちからどんどん壁を塗る経験を積むことで、次世代の左官職人が育っていきます。






自然体がいちばん

2024年06月27日 05時21分00秒 | 教育・子育てあれこれ
ありのままの自分を認めることは、なかなか難しいことが多いようです。

明石家さんまさんは言っています。

「落ち込む人は、自分を過大評価しているからや」

「あのとき、ああ言えばよかった」とクヨクヨ思うヤツは、「ほんとうの自分はうまく言える」という思い込みがあるのです。

でも、その思い込みや「前提」を取り除き、うまく言えない自分をありのままに認め、受け入れることのできる人は、聞き手の心情にヒットする言葉を話せる人だということです。

自然体がいちばんです。

けっしてあきらめない

2024年06月26日 06時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ
「ディア・ファミリー」の映画を観ました。

「けっしてあきらめない」がテーマになっていました。

さて時代が変わっても、中学校での学習が人生の中で大切であることに変わりはありません。

中学校で学び続けることは大人になっての知識の基礎になります。


人は一生学ぶものです。その基礎をつくるのが中学時代です。


「無知の知」という言葉がありますが、学べば学ぶほど、自分は知らないことが多いと知ることになります。


だからまずは学習に集中するのです。


「こんな学習に意味はない」としてしまうのではなく、今の時期にがんばって取り組むと、のちのちになってその意味がわかってくるのです。


ただし、今はSNSを通した人間関係は複雑でたいへんになってきています。


ことSNSの人間関係については、「これ以上踏み込んだらダメ」というリスク管理が自分でできる必要があります。


人の一生は長く、答えがすぐ出ない問題に遭遇します。


中学を卒業して、やがて社会に出れば、世界の広さに驚きます。


けっしてあきらめないことの大切さは、映画「ディア・ファミリー」のテーマと重なります。


働きやすい企業=やめない企業ではない

2024年06月25日 07時03分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人材サービス会社が若手社員らに、働き方についてアンケート調査しました。


今の職場を働きやすい企業と答えた人の4割以上が、居心地は良いがスキルアップが難しい企業だとも感じているそうです。


もちろん長時間労働や残業を強いられるとか休暇がとりにくいという、いわゆるブラック企業にノーというのはもちろん、いま若い人が勤務先に求めているのは、働きやすさだけではないのです。


自分を高めたい、スキルアップしたいという欲求をもつ人も多いのです。


さらに、スキルアップが難しいと思う会社に勤めている人のうち4割ぐらいの人がこのあと1年以内に転職しようと考えている、既に転職活動をしていると答えています。


つまり、働きやすさやワーク・ライフ・バランスが維持しやすいだけでは若い人を組織にとどめるには不十分だということです。


若手は楽な仕事を求めているということではない、自らを高めたいと望むことに、企業側は留意する必要があるのです。




命の大切さを伝えるために

2024年06月24日 07時09分00秒 | 教育・子育てあれこれ

2001年6月8日、大阪教育大学付属池田小学校で、いわゆる「不審者」が校内に入り込み、包丁で児童たちを次々と襲いました。

8人の児童が死亡、教員2人を含む15人が傷をおいました。

それから23年たった今、大阪教育大学では、6月10日に、教員を目指す大学生に事件を語り継ぐ講義を開きました。

学生にとっては、学校安全への認識や重要性を深める大切な機会になります。

私が校長を務めている時、初任者の女性教員が着任してきました。

その教員と話している中で、「なぜ教員を目指すことになったのですか」と私は問いました。

その教員は答えました。

「私は小学生の頃、附属池田小学校に通っていましたが、児童殺傷事件に出くわしました。目の前で友だちが死んでいくのを経験しました。とても大きなショックを受けました。」

「だから、私は、子どもたちに命の大切さを伝えるために教師になったのです。それが私の教員志望の原点です。」

私はその教員に、筆舌に尽くし難い自分の大切なことを話してくれたことへのお礼を言いました。

さらに、その思いをいまの中学生にも伝え、学校の安全づくりに尽力してくれるように、お願いしました。





沖縄・伊江島で79年前に起きたこと

2024年06月23日 05時40分00秒 | 教育・子育てあれこれ

本日6月23日は「沖縄慰霊の日」です。沖縄戦での組織的戦闘が終わった日です。

第二次世界大戦が終わってから、来年で80年になります。


じつは現在、沖縄では日本政府による有事に備えた軍備の増強が進み、避難計画も練られています。



第二次世界大戦の終期の沖縄は本土を防衛する「防波堤」とされました。


アメリカとの地上戦で住民9万4000人が巻き込まれ約20万人が犠牲になりました。



9年前、わたしは沖縄修学旅行の引率で、伊江島を民泊で訪れました。


約80年前、日本軍が来たこの島で何が起きたのでしょうか。


6月23日、この日にちなみふりかえります。




1945年4月1日、米軍は沖縄本島中部に上陸し、南北に分かれて進攻しました。


伊江島にも4月16日に上陸し、6日間にわたる地上戦となりました。


島では、女子救護班にいた10代の女性や乳児を背負った母親までもが「斬り込み」と呼ばれる捨て身の突撃をし、無惨にも命を落としました。


壕やガマでは、「投降するとアメリカ軍に殺される」と日本軍から刷り込まれていた避難住民が手投げ弾を爆発させるなどして集団自決したと言われています。


伊江島での戦争は「沖縄戦の縮図」と言われ、島に残っていた住民約4000人のうち、約150

0人が死亡したと言われています。


そして、いま日本は再び沖縄での軍備増強を進めています。


伊江島をはじめとした沖縄の犠牲者の上に、戦後の日本の繁栄があるのです。


沖縄慰霊の日には、亡くなった人たちのことを思い、平和を願う日にしたいのです







思春期の中学生にいいたいこと

2024年06月22日 05時51分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは、中学生にしばしば伝えていた言葉があります。

「中学生は悩むのが仕事です」

友だちや先生の複雑な思いを抱え、孤独を感じる10代の中学生は少なくありません。

思春期の特徴とも言えます。

友だちの前ではよく笑い、表面上は明るく振る舞っているけれど、内心は悩み続けている中学生・高校生は、けっして少なくありません。


他者からどう思われてもいるかを常に気にしています。


だから、感情を解き放つ体験をしてほしいのです。何かが得意な子はいろいろチャレンジしてみて楽しむといいです。


そして、自分だけがつらいと思っていたけど、じつは思春期が苦しいのはみんな同じなのです。


そのことに気がついたとき、思春期の悩みから抜け出していけます。


そのような中学生・高校生に伝えたいことは、人は生きてるだけで価値があるということです。


何かができるから価値があるのではなく、今、そこにいることが尊いのです。


自分だけが苦しいと感じていても、実は周りの人も同じような気持ちを抱えている。


怒涛のような思春期を過ごすことは、人の成長を考えたとき、大きな意味があります。










慕われる先生とは

2024年06月21日 07時13分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校の教師には、いろいろな人がいます。

なかでも、児童生徒から慕われる先生はさまざまな条件があります。

経験上思うのは、

人格が温かい。

深い教養をもつ知性。

授業は学力をつけることはもちろん、ウィットに富む。

子どもの成長を心から願う人。

教育実践と豊かな経験に基づく学校教育への自負心。

教育者としての揺るがぬ信念。

児童生徒とともに楽しむことのできる人

・・・・・・・

教師になりたいという人が減っていると言われますが、なりたい人はそのような人であってほしいと願います。

双方向の人間関係

2024年06月20日 06時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人間関係として理想的な人と人のつきあい方は、自分がしんどいとき相手にたより、相手がしんどいとき、話を聞けるという相互の関係にあることではないかと思うのです。

人に頼ることのできる人は、とかく相手をたよりにしますが、相手が頼ってきたときには鈍感であることも多いものです。

そんな場合は、一方向の関係になります。

また頼るのが苦手な人は、自分でしんどいことをまる抱えしてしまいがちです。

これは、方向性をもっておらず、強いていえば自分にすべてが向けられることになります。

人間関係は植物のようなものです。

水や肥料を与えないと育っていきません。

平素から連絡をとりあい、お互いに安心しあえる間柄を保つことです。







画一化する世界

2024年06月19日 11時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ
現在という時代は、情報発信ならびに情報受信のしくみが飛躍的に発展しました。

そのため、経済、医療をはじめ、あらゆる分野で、世界の画一化が進んできているのです。

事実、インターネットで検索する用語を選ぶと、同じ説明や主張、考え方がズラリと並びます。

その情報に接すると、読む人の考えは「そうなのだ」と固定化され、画一的な見方になっていきます。

確かにそういう考えもあるが、別のこういう考え方もあるというとらえかたができなくなるのです。

そうなると、意図的に情報操作をする人や組織が現れます。

世界の大きなIT企業は、人びとの不安を煽り、ビジネスにして、もうけを出します。

たとえば、病気の不安にはサプリ、教育の不安には学習塾や学習アプリ、老後の不安のためには保険などです。

それが、どの国もあまり差異がなく、行き渡るのが画一化です。

画一化の進行は、多様性の喪失です。

与えられた情報だけにたよれば、考えることがなくなり、社会の危機です。



情緒豊かな街 大阪

2024年06月18日 08時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私はずっと大阪府に住んでいて思うことがあります。

それは大阪(市)ほど、情緒豊かで魅力溢れる大都市はないということです。

大阪は、ふるくは江戸時代の頃から川、川にかかる橋、堀が多いという「八百八橋(はっぴゃくやばし)」と言われた水都です。

北から南には御堂筋が伸びています。

「キタ」と言われる梅田界隈には、古くから32階建ての梅田グラビル、グランフロントの新しいビル群、空中庭園、さらには北新地。

御堂筋沿いに南にくだっていくと心斎橋界隈が広がり「ミナミ」が開けてきます。
アメリカ村、さらには道頓堀、なんばに着きます。

なんばを過ぎて、さらに南へくだると、ビリケンさんのいる通天閣、天王寺、あべのハルカス。

途中で、「大阪が好きですか?」とインタビューのマイクをキュウリに持ち替えてさし向けると・・・

「ああ、好きやで。 ハー? キュウリやないか—」と答えるボケとツッコミのノリのよさ。

ヒョウ柄の服を着て(?)、出没する大阪のおばちゃん。

これほど、情緒豊かな街はありません。

わたしは、大阪をこよなく愛しています。



それって行政がするべきことですか?

2024年06月17日 05時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ


東京都が都庁舎の壁面に夜間に映像を投影するプロジェクションマッピングを行っていると聞きます。


わたしは、「それって、行政がすることですか?」と感じます。


どこかの民間のアミューズメントパークや企業がやるならいいでしょう。


東京都がそれをできるのは、豊富な財政があるからです。


それも、今の時代、東京一極集中が進み、一方では地方では過疎化が進んでいます。



「消滅可能性自治体リスト」が公表されているほどです。


多くの自治体に財政的余裕などありません。


東京都だからこそ、プロジェクトマッピングのような派手なアートの演出ができるのです。


でも、東京にも野宿生活者はいますし、食べるのにも事欠く貧困の人びとはいます。


行政は庶民がどの人も最低限度の生活を送れるように保障することに税金や歳入を投入することが、本来やるべきことです。


アートに興じるようなとりくみは、行政にはなじみません。


 


困難をあえて引き受ける

2024年06月16日 05時26分00秒 | 教育・子育てあれこれ
子どもの頃、新しい長靴を買ってもらうと、雨の降る日が楽しみで、待っていました。

そして、ついに雨が降った日の朝は、いつもと違い、意気揚々と傘をさして、長靴をはいて小学校に向かいました。

今でこそ、アスファルト舗装の道ですが、当時は未舗装の道がけっこうありました。

車が通ると気をつけていないと、タイヤが水たまりの水を跳ねて、歩行者には水がかかります。

小さい頃、母といっしょに歩いていると、ダンプのタイヤが大きな水たまりに入り、ものすごい勢いで水を跳ねました。


そして、その道にはいくつかのくぼみがあり、雨水が溜まっていました。


私も母も全身が泥水でビショ濡れになりました。

そんなこともあるのですが、やっと雨が降っている朝、わたしは嬉々として、わざわざ水たまりを選び、新しい長靴でジャブジャブと歩いていました。

そんなことを懐かしく思い出します。

生きて行く上で、私たちは何度も困難なことに出会います。

困難はできれば避けたいものです。

しかし、人生の困難も敢えて引き受けて歩いていければ、人生は楽しいものになるのではないか。

子どもの頃の「新しい長靴」からそう思うのです。