箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

すぐ先に光が射している

2019年07月31日 18時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
島崎藤村の小説の名作に、『夜明け前』があります。
 
この小説の書き出しは、有名な「木曽路はすべて山の中にある」という一文です。
 
当時、木曽路は日本でも有数の宿場町でした。
 
しかし、黒船の来航を契機として、時代は徐々に変化していきます。
 
幕末から明治時代の混とんとした混乱を、主人公の半蔵をめぐる人間群像として描き出した作品が『夜明け前』です。
 
この小説の結末は、夜が明ける前の闇のままで終わります。
 
しかし、じつは、夜明け前がいちばん暗く、深い闇に包まれます。
 
やってもやっても、光が見えないとき、もう夜が明けないのかと思ってしまいます。
 
でも、その先には、希望の光が控えていることに気がつきたいのです。
 
中学生の努力の先にも、光が射しているのかもしれないのです。
 
あきらめないことを、『夜明け前』は伝えているのかもしれません。
 
 
 
 
 
 

知識は荷物とならない

2019年07月30日 08時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
 
 
中学に入学したばかりの生徒たちが、ときどき発したり、つぶやいたりする言葉があります。 
 
「先生、中学になると、こんな詳しく学習するのですか?」 
 
そうなのです。小学校のときより、身につける知識は圧倒的に増えるのが、中学校の授業です。 
 
生徒によっては、そのことで関心をもち、意欲を高めるもあります。
 
 しかし知識の多さやその複雑さにとまどいを感じる生徒もいます。 
 
私はそんな生徒に言ったことがあります。   
 
知識は荷物になりません
 
 私自身は中学を卒業して、40年以上たちますが、中学のときの授業のシーン、誰かが言ったことまで、要所要所で今でもはっきりと覚えています。 
 
中学の国語で習った『トロッコ』の良平の気持ちに、自分の経験を重ねて、考えたこと。 
 
神通川のカドミウム汚染によるイタイイタイ病の公害の問題に心痛めたこと。
 
理科の第二分野で、動物を哺乳類、は虫類、両生類、鳥類、魚類にわけ、その特徴を学習して、自分の周りでみかけた動物が、整理された知識として自分のものになったこと。
 
鮮やかに、生き生きと思い出すことができます。 
 
そのころ学習したことは、自分のなかにしっかりと残っています。 
 
この「知識は荷物にならない」という言葉は、いまでもつねに私を前へ前へと揺り動かし続けているのです。 
 
あらためて、中学校での学習の大切さを思うのです。 

選んだ道を正解にしていく

2019年07月29日 07時36分00秒 | 教育・子育てあれこれ




「人には誰しも決断しなきゃいけない時がくる。それが正解とかそうじゃないとかそんなのわからない。しかし選んだ道を正解にするしかないんだ。」

これは、もとAKB48の高橋みなみが、以前にネット上で言っていたものです。



中学生にしても、決断して選択しなければならないときが、いくつかあります。

たとえば、部活を途中でやめて学習するか、最後まで続けるか。

習いごとの外部チームのサッカーの試合が、修学旅行の日程と重なって、どちらにするかを決めなければならない。

きわめつけは、高校進学です。A校にするかB校にするか、どちらかに決めなければならない。



大人にもあります。

夫が転勤しなければならなくなった。一家で引っ越すか、単身赴任にするか。

あの家を買うか、買わないでおくか。


もちろん、決めるときには、情報やタイミングなどをよく考えなければなりません。

しかし、中学生であっても、大人であっても、こちらを選べばこうなってしまう。あちらを選べばああなるかもしれないと迷うことがあります。

迷って、動揺し、なかなかきめれないとき、冒頭の言葉をよりどころにしたいですし、中学生にもしてほしいと思います。

自分の選択を、正しいものに変えていけるのは自分だけなのです。





頭はクールに、心は熱く 

2019年07月28日 07時53分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
 
教職に就く者は、生徒のことを親身になって考えることができる温かさをもつという資質が必要とされます。 
 
この温かさは、同時に熱いハートでもあります。
 
とくに中学生は悩むことが多く、くじけそうになった時、教師が熱くかかわることで支えられます。
 
どんなことがあっても、あなたを見捨てたりしないよ。最後の最後まで応援するから。 
 
これは、燃えたハートでないとできないことです。
 
ただ、かといって、カッカと燃えて熱いだけでは、判断を誤ることもあります。 
 
したがって、頭の中は冷静でいる必要があります。
 
 目下、教員採用試験の真っただ中ですが、教職を志す者は、「心は熱く、頭はクールに」行動できる人が、教員の資質として必要になります。 

積極性を伸ばすには

2019年07月27日 08時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
わが子にどんな人になってほしいか。
 
 このように問われると、「自分なりの幸せな人生を送ってほしい」と答える親御さんが多いと思います。
 
そのとき、多くの人は、自分の人生が曲がりなりにも充実しているので、意識には現れてきませんが、自分と同じであってほしいという、潜在的な願いがあるようです。
 
このことから、親は無意識のうちに子どもを自分の思い描く「未来予想図」にあてはめることになっていると考えることもできます。
 
ただし、未来といっても、20年後、30年後の世界がどうなっているかいうのは、誰にも予想がつきません。
 
事実、これほどまでケータイやスマホが、私たちの生活に浸透して、情報があふれていたり、その弊害も起こるということを誰が30年前に予想したでしょうか。
 
私も、自分でプログを書いていますが、30年前にはこれほど毎日更新することになるとは予想もしていませんでした。
 
ということで、お子さんの2030年のことを考えたとき、何でもひと通りできる人になるより、何か一つのことに秀でていることを磨き上げる方がいいのでないかとも思います。
 
 
私がいちばんいいと思うのは、子どもが熱中するものに、徹底的につきあうことです。
 
これにより、子どもの意欲は高まり、得意や強みが伸びます。

それとともに、子どもの積極性が伸び、やってみようかなという気持ちになれます。
このとき、ポイントになるのは「わたしにもできそう」という見込みや見通しをもてることです。
 
大人は、子どもにチャレンジさせたいとき、難しいことでも、とにかく経験することが大切だとして、させようとする場合があります。
 
しかし、できそうと思えることにとりくませ、そこから派生してこれもやってみよう、あれもやってみようと、自分から踏み出すようにした方が、子どもの積極性は伸びるように思います。
 
この積極性をもつ人が、2030年後の社会で活躍するのかもしれないと考えます。

つきあっていく悲しみ

2019年07月26日 12時28分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
 
 
東北地震、阪神大震災からだいぶ時間が経過して、当時子どもだった人が、大人になったり、中学生や高校生になっている子もいます。
 
 
自然災害や大規模な事故、先日の京都アニメーションの火事で、親しい人を失ったこと、または学校生活や友達関係での大きな挫折など、深く傷つくような悲しいことが起きたとき、よく人は「悲しみを乗り越えて」と言います。
 
 
しかし、心がつぶれてしまうような悲しみは乗り越えていくことなどできないと、私は思います。
 
 
そんなに人間は強くないのです。
 
 
私は、「悲しみとつきあっていく」ことしかできないと思うのです。
 
 
大きな悲しみに出会ったとき、人は打ちひしがれ、何もできなくなります。茫然としてしまいます。
 
 
しかし、絶望の淵に立ちつくしていた人が、その悲しみをひきすりながらも、また歩き出すようになれる。
 
忘れることなんてできないけど、その悲しみとつきあいながら、つらいなかにありながらも、歯をくいしばって先を見れるようになることしかできない。
 
でも、そのエネルギーは「生きること」に確実に向かい出しているのです。
 
今までも、わたしはブログで何回かこの歌詞を取り上げていますが・・・。
 
それほどこの歌詞はメッセージ性をもっているので。
 
 
「この変わり果てた 大地の空白に 言葉を失って立ちつくしていた。何から先に手をつければいい 絶望の中に光を探す・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
記憶の傷口はかさぶたになって 痛みの中にやさしさを生むんだ
それでもわたしは 一歩歩き出す 人と人が求めあっている
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日という日が そう つらい一日でも、できることを はじめようか。」
 
(秋元康作詞 「風は吹いている」より)
 
 
 
 
 
 
 

緑をバックに授業ができる学校

2019年07月25日 07時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 四条畷市にアイアイランドという研修施設があります。 
 
私は以前に、人権教育の研修で何度か宿泊したことがあります。 
 
この研修室はすばらしく、研修したり、学習したりするには、絶好のロケーションなのです。 
 
というのは、研修で講師の先生の話を聴いていると、大きなガラス張りの向こうには、豊かな自然の風景が見えるからです。 
 
緑色の樹木が見えます。「緑」という色を見ていると、なんとなく心が落ち着きます。 
 
そして、研修の意欲も高まり、気持ちよく過ごすことができます。 

「緑」の環境の中での研修は、田舎で育った私には申し分ないものです。    
 
 
さて、箕面市の小中学校にも教室から日常的に緑を見ながら学習できる学校があります。 
 
教卓の後ろにはホワイトボードがありますが、それ以外は全面がガラス張りです。

ブラインドがついていますが、開ければ落ち着いた景観の山々が展望できます。 
 
生徒たちは、ずっと緑を眺めながら授業を受けることができます。 
 
つまり、教師は、緑をバックにして授業ができるのです。 
 
その学校は、施設一体型小中一貫校「とどろみの森学園」です。 
 
とくに中学生の中でも、8年生と9年生の教室は、教師のバックには箕面山脈の山々が広がっています。 
 
わたしは、国語の先生の授業で、俳句を教えているところを参観しました。
 
豊かな緑の自然をバックにしながら、俳句の授業ができる利点を、その先生に指摘しました。 
 
心を和ませながら、授業を受けることができるのは、生徒たちは自覚しているかどうかはともかく、好都合な環境です。
 
 
 
 

 雲は流れる

2019年07月24日 07時47分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
 
 梅雨明けが近いように思われます。
 
 空を見ていると、雲が流れていきます。 
 
ものごとは、常に流れています。 
 
だからといって、なんでも流れに身を任せてはいけない。 
 
ときには異を唱えることも必要になります。
 
ここを踏み外すと、子どもにとって負の影響が出るときはこだわるべきです。 
 
たとえば、子どものためにならないことなら、新しい施策や事業の導入に対しても意見を述べるべきと思い、校長を務めてきました。 
 
でも、どうでもいいことにはこだわらない。そのときは流れに任せることも必要です。 
 
夏休み中。公式試合や大会のときに緊張してプレッシャーを感じる中学生の場合、ふっと空を見上げるのもいいでしょう。
 
気持ちを切り替えることができます。
 
空を見ると、いつものように雲は流れています。
 
 流れのままに、つまり、ふだんやってきた練習のようにプレイすれば大丈夫です。 
 
空は、いろいろなことを教えてくれます。(参照:2019715日のブログ)

何もしなければ、失敗もしない

2019年07月23日 07時21分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
夏休みは、部活をする子にとってみれば、公式試合や大会があり、頑張りどころです。
 
なかでも中学3年生にとってみれば、中学校最後の試合や大会になる生徒もいます。
 
大会で結果を出せないこともあります。
 
3年間部活をしていて、負けて終わるのは残念でしょう。
 
とにかく、大人は3年間頑張ってきた生徒に、何かねぎらう言葉をかけなければなりません。
 
その子その子によって、ふさわしい言葉は異なるでしょう。
 
しかし、どの子にも通じる言葉もあります。
 
たとえば・・・
「試合や大会、コンクールでは、みんなが勝つことをねらいます。もし、勝つことを成功、負けることを失敗だとすればということで伝えます。
 
今日試合に負けました。でも、覚えておいてほしい。何もしない人は、失敗もしません。
 
3年間、がんばって部活に励んだことが、みなさん一人ひとりにとって価値のあることだと思います。よくがんばりました。」
 
機会があれば、使ってみてください。
 
 
 

善意で生徒に接する

2019年07月22日 07時51分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
 
この1学期は、8校の中学校をまわり、いろいろと感じたことがありました。
 
校長をしているときは、職員室にずっといるわけではなかったのですが、教育専門員になってからは、授業参観の時間以外は、たいてい職員室にいます。
 
それでも、三中のときは職員室の様子はだいたい把握していました。
 
ただ、別の学校の職員室にいると、さまざまな先生がいることをあらためて感じます。
 
 
 
ある中学校でのことです。
 
2年生の男子生徒が、職員室の先生を訪ねてきました。
 
「失礼します。◯◯先生はおられますか? クラブのことで用事があります」と入り口で言いました。
 
すると、入り口近くにいた別の先生が、「その前にするべきことがあるやろ」と言い、続けて「シャツを入れて! 用事はそれからやろ!」。
 
こんな高圧的な態度で生徒に応対する様子が聞こえてきました。
 
昔は、こんな言葉をよく聞きました。保護者のみなさんも中学生の頃に言われた思い出があるかもしれません。
 
しかし、いまの中学校はちがいます。
 
私は、こんな先生の態度はなかなか許容できないのです。
 
服装を正すのなら、用事が終わってからでも言えます。
 
 
 
ものごとは、善意で考えるのと、悪意で考えるのとでは、たどり着くところが変わってきます。
 
生徒は用事があって来ているのです。
 
生徒と教師の人間関係について、わたしは経験から、思うのは、用事がある生徒にはふつうに対応すればいいのです。
 
その先生の授業は、授業者がたくさん話し続けて、説明して、知識を伝えるもので、生徒の活動はあまり多くないものでした。
 
その先生はわたしの指導対象の先生でしたので、生徒と教師の関係について話しておきました。
 
生徒と教師の信頼関係は、まずは生徒のニーズに応えることから始まります。
 
 
 
 

「道徳の時間」のねらい

2019年07月21日 17時50分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
 
 
中学校では、今年の4月から道徳の授業が教科として始まっています。 
 
教科ですから、生徒の学習の結果が「評価」となって表されます。 
 
ただし、道徳性というものは、生徒の心のようすや変化・成長をはかるので、他教科のように1~5という、数字での評定にはなじまない面があります。
 
そこで、文章の表記で表すことになっています。 
 
ところで、道徳性とは広くとらえると、その生徒の徳性であり、大人になれば人徳という言葉がよく使われます。 
 
人徳について『源平盛衰記』には、次の言葉が書かれています。 
 
徳を以て人に勝つものは栄え、力を以て人に勝つものは亡ぶ。 
 
源氏と平氏の隆盛に、この原則が如実にあらわれたことを通して、この教訓が示されています。 
 
 
卒業生が、卒業式の最後で「〇〇先生、3年間ありがとうございました」と感謝の言葉を述べて、式場を退場していきました。
 
私は担任に、「きっと担任の恩を感じた、感謝の言葉だったのです。担任の人徳があればこそだね」と言いました。 
 
人は、何かを言われたり、指示されたりするときに、力や強制を感じるときには反発します。
 
しかし人徳でもってかかわりをもとうとしている人には共感します。 
 
「道徳の時間」は、生徒に対して、人徳でもって行動できる人になってほしいという願いが込められています。

練習の大切さ

2019年07月21日 10時47分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
夏休みに入り、中学では部活動の大会がめじろ押しです。
 
3年生にとっては、引退までの最後の大会を控えています。
 
部活動にかかわっては、こんな教えがあります。 
 
 
練習は試合のように 試合は練習のように 
 
練習通りにやれば、試合(大会、発表会、コンクール)でうまくいきます。
 
でも、練習をいい加減にすると、試合(大会、発表会、コンクール)ではうまくいきません。 
 
中学生が部活動で、練習に力を入れるのはこのためです。 
 
暑い中で流した汗の分だけ、試合や大会で、練習の成果を発揮できるのです。 
 
ということは、いかに練習が大切かということです。 
 
このことは、教員をはじめ、保護者、地域の人、市民のみなさんも共感される真実でしょう。 
 
ただ最近では・・・
生徒も活動したい、
学校の先生も活動させたい、
保護者のかたも練習してほしいと願っているのですが、箕面市の場合、熱中症の「確実な」予防と練習を両立する必要があります。
 
「暑さの数字28」という基準があり、こえると屋外での活動・運動ができなくなり、多くの人が苦慮する夏の季節になっています。

授業は先生と生徒のコラボレーション

2019年07月20日 08時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
 
 
私は、「教育専門員」として、各中学校を回り授業を参観して、先生を指導するこの1学期を通して、感じたことがいろいろありました。 
 
そのうちの一つが、中学生の授業中での元気よさです。 
 
中学生になると、あまり授業中に手を挙げて、発表したり発言したりしない生徒が多くなる。
 
 そのような印象をお持ちのかたも多いと思います。 
 
失敗するのがイヤだから、チャレンジしない。手を挙げて間違うくらいなら最初から手を挙げない方がマシ。 
 
こんな中学生の心理はわからなくもありません。 
 
しかし、私が参観したある中学校の若い先生の授業はちがっていました。 
 
中学3年生の英語の授業でしたが、先生の質問に対して、まっすぐ上に手を挙げる子がたくさんいる授業でした。
 
なかには、まちがえることもありました。でも、まちがえても、その子たちは恥ずかしがったりしない態度で、また次も手を挙げていました。 
 
私は感心しました。 それと同時に思い出した言葉がありました。 
 
それは「失敗とは転ぶことではなく、そのまま起き上がらないことだ です。
 
この言葉は、カナダの女優でサイレント映画時代に活躍したメアリー・ピックフォード(1979年没)が言ったものです。 
 
ところで、水を差すようですが、生徒たちが手を挙げるのには、なにかからくりがあるのでないかと思う人もいるでしょう。 
 
じつは、たしかに、手を挙げて発表した子には、その場で先生はシールを配ります。 生徒たちはシールをもらうと、台紙に大事そうに貼っていました。
 
このシールは、いつもはALTが配っているのですが、この日は休みでその英語の先生が配っていました。
 
なんだ、シールが欲しくて手を挙げるのか。
 
こう感じる人もいるでしょう。でも、3年生にもなると、中学生はシール欲しさを動機にできるほど幼くはありません。 
 
ただ、私はそのあと、もう一つ気づいたことがありました。 
 
その授業の最後には、先生がプリントを生徒に一人30枚ぐらい配ろうとしました。 
 
そのとき、「先生、手伝おうか?」と言って、前に数名の生徒が出てきて配り始めたのでした。 
 
そこで、私は納得しました。
 
生徒たちは先生のことが好きなのです。だから、手を挙げて答えるのです。 
 
英語を得意としない少人数授業の「基礎コース」のクラスでしたが、生徒たちは大きな声で英文を一生懸命リーディングしていました。 
 
先生のことが好きな生徒たちは、学習の意欲が高くなりますし、かりに失敗して転んでも起き上がってきます。 
 
授業は教師と生徒が協働でつくるコラボレーションなのです。 このことを、あらためて感じた授業でした。

みんなが初めて 

2019年07月19日 06時38分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 今日、箕面市立学校では1学期終業式を迎えます。
 
例年、この終業式は体育館で行い、外では夏の明るくて強い陽射しが照りつけることが多いのですが、今年はあいにくの天候です。
 
でも、子どもたちは夏休みを控え、ワクワクした気持ちになっています。
 
そのような子どもには、1学期いろいろあったでしょうが、よく今日の日を迎えることができました。
 
とくに中学1年生の生徒たちを見ると、4月入学の頃と比べて、「おとなっぽくなりましたね。中学生らしくなりました」と、言います。
 
これから、夏休みを迎え、2学期を迎える頃には、さらに中学生らしくなります。
 
 
さて、そんな中学生には、ふつう高校受験があります。
どの生徒にとっても、越えなければならない人生の一つのハードルのようなものです。 
 
箕面市立中学校のような公立中学校に通っている生徒の多くは、中学受験などを体験せず、地域の小学校から地域の中学校に進学した子どもたちです。 
 
この点で、高校受験は人生で初めての「入試」となります。 初めてのことなので、未経験なことに対しては、生徒は不安を抱きますし、心細くなったりもします。 
 
受験だけでなく、いまの生徒たちは、一般的に言って、未経験なことには自信をもちにくく、チャレンジすることに腰が引けてしまいます。 
 
 
 
以前に、私が3年学級担任をしていた時、公立高校の入試に受験しに行くか、行かないかで心配な生徒がいました。 
 
入試当日に、私は家に行き、その生徒を保護者と一緒に送り出したこともありました。 
 
この生徒は、平素の学校生活も遅刻が多い子で、格別の配慮が必要でしたので、当日に家庭訪問までしたのですが、どの生徒にとっても、緊張や不安感は大きくなるものです。
 
 そんなとき、生徒に伝えたい言葉は、「みんな初めての人生をやっている」ということです。
 
その意味は、「不安なのはあなただけではないよ。みんなはじめてなんだから、不安をもったり、緊張するのも当然だよ」という言外のメッセージを含んでいます。 
 これで、「あっ、そうか」と肩の力が抜け、前向きな気持ちになる子どももいると思います。
 
親御さんも、機会があれば使ってみてください。  
 
それでは、お子さんにとって、健康で実り多い夏休みとなることを願っています。

教員採用試験の面接

2019年07月18日 09時53分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
 
 
ちょうどいま、教員採用試験が始まっています。
 
教職を志す学生は、一般企業への就職を希望する他の学生が会社訪問をして、すでに内々定をもらっているのを眺めながら、今回の試験に挑戦します。
 
また、一度は企業に勤めたが、どうしても教職に就きたいという転職希望で受験する人もいます。
 
さらに、現在、「講師」として、学校の教員として勤務している人も、「教諭」になることを志願して採用試験を受験します。
 
地区や都道府県にもよりますが、一次試験で筆頭試験や面接、二次試験で中学校なら専門教科の試験、実技試験などや面接が予定されています。
 
 
 
さて、面接はグループ面接や個人面接があり、面接重視であることは、どこの教員採用試験でも言えることです。
 
合格者は来年4月から、いきなり「先生」として、ベテランの教員と同じように教壇に立ち、多様な子どもたちと向き合い、授業を受けもちます。
 
なかには、学級担任を任される場合もあり、子どもの指導はもちろん、保護者との応接をします。
 
このような状況ですので面接では、「即戦力」となれるか、または困難な教育課題にも屈することなく、粘り強く向き合える人がどうかという視点で、面接官は選考します。
 
そして何よりも、温かく子どもを包み込み、子どもの成長を支えることができる情熱のある人かどうか、その人の資質と伸びる可能性を見極めようとします。
 
このような事情ですので、面接が重視されるのです。
 
 
 
私が思う面接の心得、中でも学生さんに求めたいのは、「自分が使いこなせる言葉で伝えなさい」ということです。
 
学校の現場を想像して、専門用語を使ったり、セオリーを話しても、経験が伴わないぶん、説得力に欠ける場合が多いのです。
 
それよりも、自分は知らないことも多いけれど、同僚教職員に助けてもらい、協力しあって、チーム学校の一員として子どもの成長に寄与したい。
 
このように、素直な等身大の自分をわかってもらおうと願い、面接に臨んでほしいと思います。
 
端的に言えば、背伸びをしないということです。
 
 
 
学生さんは、転職組や少し現場を知っている講師の教員がもっていない「初々しさ」をもっています。
 
じつは、その初々しさや若さに子どもたちが惹かれ、良好な人間関係を築いている教諭がいるのです。
 
生徒たちは、自分たちのことを大事にしてくれて、どの生徒にも分け隔てなく接してくれる先生なら、ベテランであろうがビギナーであろうが、心を寄せていきます。
 
生徒たちは、ただ若いだけでダメな先生とみなすようなヤワな子どもではありません。
 
ちゃんと先生をみることができます。