中学生では、男子は、1位「エンジニア・プログラマー」、2位「会社員」、3位「公務員」です。
女子は、1位「先生」、2位「看護師」、3位「パティシエ」となっています。
1位に先生が入っているのは、教員志願者が減っている今日、教育関係者としては、個人的にうれしく思います。
ところで、女子の10位には、「ウェブデザイナー」が入るなど、男女とも情報処理関連の職業が目立っています。
今の時代の中学生だと思います。
文部科学省はプログラミング教育を2020年度に小学校で必修化しました。
中学校でも充実が図られています。
また、国はGIGAスクール構想で、小中学生に1人1台のデジタル端末の配備を進めてきました。
エンジニアやプログラマーが人気を集める理由は学校でパソコンに触れる機会が増えたからと思われます。
また、プログラミングを学べるウェブ動画や教室も普及し、関心が高まっているのでしょう。
昭和時代のように、国全体が成長して元気があった頃なら、必要以上に厳しい規律の中でも跳ね返りや個性を伸ばす余地がありました。
でも、いまはそんな時代ではありません。
しかし、取り違えた人は根性論を引きずって、組織や団体を運営し、今でもそれを他者に強いろうとすることがあります。
そうなると、規律を守ること自体が目的化してしまうことにもなります。
どんな組織でも前時代的なやり方を続けているとすぐれた人材が集まらなくなり、衰退していきます。
伝統に甘んじず、今の時代や世界の標準に合わせていかないと生き残れないのです。
長時間使用していた子どもたちが途中で使用時間を短くしたところ、翌年から学力は向上した。
では、タブレットの学習アプリを使って長い時間家庭学習する子の学力はどうなるのかという疑問がわきます。
これもやはり、タブレットの使用時間が長くなると、学力が伸び悩む傾向が見られたのでした。
国が進めるGIGAスクール構想により、全国の小中学生には1人1台のデジタル端末が配られています。
子どもたちの興味・関心を引き出すためにICT(情報通信技術)の利用は効果的かもしれません。
しかし、脳科学の観点ではデメリットもあると言えます。
家庭へのタブレットの持ち帰りはさせないようにした方がいいのだと思われます。
親は家族のだんらん中にスマホ・タブレットを使わず、子どもとの会話を大切にしたいです。
子どもにスマホ・タブレットを渡してしまえば、そこで会話が止まってしまうのです。
やはり、人同志の交流が大切で、それが学力向上にもつながるのです。
富山県の神通川上流からカドミウムが流され、その水を飲んだり、魚を食べた人がイタイイタイ病で苦しむというストーリーでした。
環境省の前身の環境庁は1971年、高度経済成長のなかで生み出した公害病、とりわけ水俣病の救済に国が取り組むという意思表示として発足した歴史があります。
だから水俣病は環境省のいわばスタートラインとも言えるものです。
環境省の役人は公害病からの救済に全力をあげるという国家公務員のスピリットは忘れ去られてしまったかのように思えてなりません。
それに、マイクを切ったという事実を事件としてすぐにメディアが取り上げなかったのも、報道側の感覚が錆びついています。
この後、マイクを切ったことへ批判の声が高まり、環境省は1週間後に水俣を再び訪れ、大臣らが謝罪したのでした。
その時点になってやっと事の重大性に気がついたメディアは、よってたかって報道しました。
公害病は50年たった今も終わっていません。
公害病に苦しむ人がいる限り、国の対策は続くのです。
2月上旬にクラウドファンディングで修復費用などを募ったところ、約2週間で目標額の1000万円に達したそうです。
最終的には1800万円を超える資金が集まりました。
地元農家らでつくる団体「白米千枚田愛耕会」の人たちは、作業をしながら日常を過ごす喜びを感じておられます。
先のことはまだ見通せないながらも、まずは今年植えた田んぽでおいしいお米を作る希望の光をたよりに奮闘中です。
外見を気にかけること、それ自体はよくないことではないでしょう。
他者を見て美しいと思うことや、自分自身が美しさを追求することは自由です。
しかし、その価値観を他人に押しつけることに問題があるのです。
何を美しいと見いだすか、また美しさを求めないことも個人の自由であるのです。
そういったさまざまな価値観を認め合う人間関係が、誰にとってもここちよいはずです。
誰しも無意識に人の外観を評価してしまうことがあるでしょうが、その無意識のなかにある外見至上主義に目を向け、それとはちがう価値観を受け入れる人であり、社会でありたいと思います。
「小さい時、楽しそうだからみんな野球を始めたと思う。その原点じゃないけど、そういうところを分かってほしいなと。ランニングの時もそうだし、投内連係とかゴロ捕球している時もそう。とにかく楽しくやるのが野球だと思うので」
この談話を聞いて、5月19日のブログ「楽しく思えることが続ける秘訣」に通じる点がありました。
昨年の4月にこども家庭庁が発足しました。
でも、貧困対策というよりは出生率を上げる少子化対策に重点が置かれています。
コロナ禍と物価高騰が加わり、取り残され続ける子どもは絶望の淵にいて、将来に希望をもちにくいのです。
子どもの貧困対策法が施行された2014年から今年で10年になります。
これが、世界有数の「豊かな国・日本」の実態です。
貧困に陥る世帯には、「努力が足りないからでしょう」という世間のまなざしにさらされやすいのです。
しかし、そうではなく、貧困問題は社会のしくみが生み出している問題です。
貧困世帯の子どもが、楽しく学校に通えるようサポートを充実させていかなければなりません。