中学校では、班ノートや「生活ノート」を行っている学年やクラスがあります。
中学生にとって、自分の言葉で様々なことがらについて、自分の感想や意見を書くこと(綴る)ことは、とても大切です。
頭の中で考えていることは、それを文字にして表現することで、その考えがはっきりとしてきます。
「そうか、わたしはこのことを考えていたのだ」とあらためて気がつくこともあります。
また、意識していなかったことでも、書くことではっきりと意識できるようになることもあります。
書くことを続けるうちに、思考が深まって、厚みが増してくるのです。
ノートは最初はきまりきったことしか書いていませんが、続けるうちに毎日のできごとから、自分がこう思ったという感想や自分の考えを書くように変わってきます。
それを読んだクラスメートがまた、別の考えを書いたり、加えたりすることで、書いてもらった生徒はさらに自分の思考を深めていくことができます。
わたしは、中学生と接する醍醐味は、自分に関するものごとを、自分にひきつけて考え、どうするべきかという結論や決定を導き出す過程にあると考えています。
私が中学3年生を担任していた時、ある男子生徒がいました。その子は勉強はそれほど得意ではなかったのですが、2月の私立高校の入試で「ぜったいにA高校を受けたい」と言っていました。
その子のその時点での学力では専願にしたとしても合格ラインには届かない状況でした。
不合格になるのが十分に予測できたので、別の私立高校を受験するようにすすめました。
しかし、彼の意志は固く、ぜったいに受けたいという考えは変わりそうにもありませんでした。
わたしは、そこまで強く思っているのなら受けてみるかと考え「がんばりなさい」と伝えました。
でも、もしだめだった場合、公立高校をどうするかどうするかを考えなさい」と添えました。
はたして、やはり彼は不合格でした。
合否発表の後、「残念だったね。次の公立はどうする。いままで一生けん命にがんばってきた。ここで進路を決めるんだ。自分が行くところだから、自分で決めるんだ。どこにする」と問いました。
彼は「○○高校にする」でした。わたしも合格するだけの学力はあるとみての問いかけだったのです。
でも「あとがない」という状況で、あと約1か月、どれだけモチベーションを高く保ち、本人が頑張れるかという正念場でした。
「それでは、おうちの人に話して、相談して、受験校を記入しておいで。そして、本気を出してがんばるんだ」と伝え、帰宅させました。
それから、彼は以前にもまして一生懸命に学習を重ね、もちまえの強固な態度でがんばり、その高校に合格しました。
いまふりかえって、もし私立入試で希望する高校を受けていなかったら、そのあとの彼のがんばりはなかっただろうと思います。
不合格という事実を突きつけられたから、気持ちを切り替えて、次のことを考えることができたのです。
中学生にとって、高校受験は多くの場合、初めて決める自分の進路です。もしかすれば失敗することもあるでしょう。
でも、自分を見つめ、深く自分のことを考え、自分で決めたことをやり通すことが、先の人生での大きな力になり、責任をもって生きていくことに繋がるのだと思います。
江戸時代中期の中根東里が次の言葉を残しています。
「出る月を待つべし、散る花を追うことなかれ」
花とは桜と解釈できます。
散りゆく花を悲しんでも仕方ありません。それよりも、これから出てくるきれいな月を鑑賞しょう。
こんな意味だと思います。
人の温かさが伝わってくるようです。
出てくる太陽の光を待つのではなく、月を待つというのがエネルギッシュではない、穏やかなやさしさに包まれます。
「月」は「ツキ」(=幸運)に掛けているのかもしれません。
ギラギラした熱意でなく、自然の流れを待つというマイルドなメッセージを感じます。
人生を生きる心持ちとしてとてもステキだと思います。
生きる礎(礎)にしたいものです。
日本型雇用のいちばん大きな問題点は長時間労働です。他の先進国と比較してもダントツに長くなっています。
その日本型雇用は、おもな働き手が男性であるとジェンダー化して、長時間労働を当たり前にしてきました。
バブルがはじけた後、「多様な働き方を実現します」という名目で、雇用の規制緩和が進み、非正規労働者を増やしてきました。
今回の新型コロナウイルス感染症の流行で、雇用状況の悪化の影響を真っ先に受けているのは非正規従業員です。
そして、その非正規従業員のなかには、「就職氷河期世代」と言われるバブル崩壊のあと就職した人たちが含まれ、いま30歳後半から40歳代前半の年齢になっています。
一方、今年4月には同一労働同一賃金の制度がスタートしました。
それ以前には、日本の企業は、年功序列制度と終身雇用制で、労働者の質と自社への忠誠心を保ち、競争力を保ってきましたが、それは正規雇用者を対象としたものでした。
しかし、今やデジタル化といった産業構造の変化で、必要とされるスキルも変化してきました。
労働者の4割を占める非正規労働者の能力を生かすことが欠かせなくなっているのです。
また、流通業や介護、小売業など、テレワークがなじまない職種の場合、多くの労働者が感染するのでないかという心配にさらされながら奮闘しています。
私が教えた生徒たちは、今、働き盛りの年齢になっています。
働きやすく、安定した収入が得られる雇用、またスキルを活かして待遇改善を求めた転職がしやすいなど制度の改善が必要です。
私たちは往々にして、他者が完全であることを求めますが、自分自身の欠点を正そうとはしないものです。自分の欠点に気がついていないことさえあります。
学校では、ときどき先生が児童生徒に「こうするべきでしょう」「なぜそうしないのだ」と「指導」している場面があります。
「職員室に入るときは、何の用件か言いなさいと言っているだろう。黙っておらず言いなさい!(怒)」
生徒がそのようにできていない点を正そうとするのにやっきになり、言っているほうは、「これが子どものためだ」と思って、熱心に言っていることがうかがえます。
しかし、そんなとき、わたしはふと考えることがあります。
「では、あなたは同僚に必要な用件ちゃんと伝えていますか」と思うのです。
とくに、指導するのが仕事であり、教師としての使命だという思い込みの強い人は、自己反省が必要です。
「生徒にそれを言うなら、自分がやっていることをいうべきです。
他者に説諭したりアドバイスしたりすることが相手のこころに届くのは、その言葉に話す人の生き方や所作など、リアリティが反映されているからでしょう。
べつにこれは、教師と児童生徒の関係でなくても、親子関係、また一般社会の人間関係ても同様だと思います。
まず、自分自身をよく見つめ、できていることとできていないことを自分で認知しておくことが必要だと思います。
猛暑が続いています。多くの人が口を開けば「暑い」です。
こうなると、自分の身体が感じる感覚が働かないのです。
だから、一歩外に出ると暖気で身体が覆われ、紫外線がジリジリと照りつけ、思わず「暑い」と言う。
都会を離れ、田舎の自然の中で暮らす生活はどうだろうか。
たしかに暑い。
でも、花が揺れる
鳥が鳴く
風が吹く
月が照らす。(花鳥風月)
自然の中にいると、身体が自分で周りの気温に合わせ、調子を整えようと働きだす。
それで、自分にとっての「普通の」体調がわかるのだ。
自分の身体の感覚を大切にしたい。