箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

目立たない子が輝く

2020年05月31日 07時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ

クラスに30人から40人ほどの生徒がいれば、おとなしい子や目立たない子もいます。

 

教師はふつう、にぎやかな子や社交的な生徒に注意が向きます。

そのような生徒は、自分から人間関係を広げることに長けており、ユーモアがあり、周りを和ませることが多く、教師からの注目集めやすいのです。

 

ただし、ここで注意しておきたいのは、「目立たない子」というのは、どこに行っても目立たない人ではありません。

 

教師の子どもを見る視点が、元気でにぎやかな子、自主的に活動する子という点に注意力が向いているからであり、その教師のフィルターを通してみたときに「目立たない」というだけです。

 

つまり、目立たない子がいるのではなく、教師の子どもを見る目が一方に偏っているので、目立たない子をつくりだしているのです。

 

そのことを踏まえておいたうえで、目立たない子がクラスで輝くようにするにはどうすればいいかを考えます。

 

とかく、目立たない子は、教師や周りの子がなんの働きかけもしないと、「地味」とか「よく忘れられる」とか「存在感が薄い」と自分のことをとらえがちです。

 

これが高じてくると、自分への自信が揺らぎ出し、自分の価値を見失いがちになります。

 

このようにならないためにも、学級担任は意識してその子に話しかけます。

 

たとえば、プリントを配るときでも、手渡しで意識して「○○さん、はい」と言って渡す。「おはよう、○○さん」、「○○さんの掃除のあとは、いつもきれいになるね。ありがとう」のように、名前を呼ぶのです。

 

些細なことかもしれませんが、人間は名前を付けることで、命が吹き込まれるのです。だから、名前を付けることを「命名」と呼ぶのです。

 

その名前を呼ぶことで、教師とその生徒の間の距離はぐんと縮まります。

 

また、クラスでの生徒たちのものの見方は、教師やおとなの態度や価値観に影響されます。

 

教師が、アクティブでリーダー性のある生徒ばかりをクラスの中心に置くならば、そうでない子は価値のない子としてクラスメートがとらえる、目立たない子が輝くことはありません。

 

しかし、人間の価値はそのような活発さとかリーダー性だけできまるものではありません。

 

じっと人の話を聴く、忘れ物をしない、最後までものごとをやりとげる、人が好んでやらないことでもする、登校途中に立ち止まり道端の花に心を傾ける・・・。

 

このような例を取り上げ、学級担任、人にはさまざまなよさがあることをクラスの生徒に本音で話すことで、それらを価値づける必要があります。

 

それを続けていくと、クラスが多様な価値を受け入れる集団に成長していきます。

 

そのようなクラスでは、目立たない子もみんなと意見がちがっても言えるようになったります。

少しずつチャレンジすることができるようになります。

表情も明るくなってきたりするものです。

 

目立たない子の存在感を高めることは、学級担任がしなければならない責任です。


目立つ子ばかりにかかわっていては、なんのための学級担任でしょうか。どの子のことも理解して個と集団を伸ばしていくのが教師です。

 

ただし、経験の少ない教師に覚えておいてほしいのは、そのような教師の指導クラスづくりは、目立たない子を輝かせるかかわりです。

 

クラスが終わり、違う環境になって、スポットライトを当ててくれる人たちがいなくなると、また目立たない子に戻ってしまうかもしれません。

 

大切なことは、その子が自分から光を発して、自分から輝こうとするように変えていくことだと覚えていてほしいのです


目立たない子が自分の存在に価値を見つけ、自信をもち他者とかかわりあっていくことこそ、クラスづくりでめざすことです。

 

また、現在進行中のオンライン授業やリモートでの通話では、このような集団の成長を通じて、個々の子どもを成長させるのは難しいのです。


学校の教育活動や授業の存在意義ここにもあると、わたしは考えます。

 

 


すべての子どものことを含める

2020年05月30日 08時30分00秒 | 教育・子育てあれこれ

大阪府の緊急事態宣言解除を受け、箕面市では5月末まで休校中です

 

そのなかでも、中学3年生については、5月25日(月)から29日(金)まで、クラスを半分の二つのグループに分け、1グループ20人ほどで午前中の4時間授業2日に1回登校日を設けていました。


ただし、実技4教科(音楽・美術・保健体育・技術家庭)はこの期間、実技をしない内容の授業になりました。

 

なお、この期間中、小学校と中学1・2年生は1グループ9人以下での分散登校を週に2回オンラインホームルームを継続していました。

 

そして、6月1日(月)から12日(金)までは、すべての小中学校でクラスを半分の二つのグループにわけた分散登校で、1グループ20人ほどで午前中の4時間で2日に1回登校します。


この期間中、登校しない日は家でオンライン授業や学習課題にとりくむ家庭学習となります。

 

その後、予定では、6月15日(月)からは、全面的に学校を再開します。

1学級40人程度の通常授業を開始します。学校行事や部活動もこの日から行うようになります。

 

ただし、当面の間、新型コロナウイルス感染予防対策は、引き続きずっと行います。

 

また、箕面市では、今後新型コロナウイルスの第二波による臨時休校が起こりうることを考慮し、6月中旬からは、オンライン授業を本格的に開始できるよう、いま準備を進めています。

 

この予定でいくと、休校になってから通常の学校が再開するまで、約3か月半かかったことになります。

 

ほんとうに長い間の休校でした。この間に、保護者も「子どもが家にいる」という「日常」を経験されたことと思います。

 

親が安心して働くことができるのも、子どもが学校に行っていればこそです。

 

子どもは学校で学力を身につけ、人とのかかわりなどを学んで、人格を完成させ、将来、社会に参画する力を身につけます

 

新型コロナウイルスは、大切な人の命を奪うという恐怖を私たちに突きつけました。また、そのことによるあらゆる分野での休業要請に伴い、経済的に困窮する影響やダメージを私たちに与えました。

 

その一方で、子どもたちにとっての学校、大人にとっての学校の意義と役割を、あらためて、私たちが見直すように促すという、ある意味での「効用」をもっていたといえます。

 

ただし、私たちが言う子どもたち」という言葉の中に、たとえば外国籍の子や「外国につながる子」が入っているかを、問い直さなければなりません。


今回の新型コロナウイルス感染防止のための対策により、外国人児童生徒の保護者の職場が休業し、保護者や児童生徒の在留資格に影響が出ている場合もあります。

 

外国人児童生徒の場合、学校が休業になることで、生活習慣が不規則になっている心配があります。

また、家庭学習の課題が、その子の日本語能力に応じたものになっている必要があります。オンライン授業での教師の言葉が理解できない場合があります。

日本語を使ったコミュニケーションが十分でない保護者に、多言語での情報が十分にいきわたっているかというチェックも必要です。


なぜなら、「緊急事態」というとき、それを受けめる人として念頭に浮かぶのは、いわゆる日本国籍をもつ、大多数の、いわゆる「日本人」を思い、少数派は考慮外におかれることが多いからです。


公立の小中学校が行う教育は、いわゆる「公教育」であり、すべての児童生徒に等しく、同等の教育を行うことが原則です。

 

6月以降は、すべての子どもが学校に通うという「日常」が戻ってくるよう、願ってやみません。


学校生活のしかたを新しく

2020年05月29日 08時10分00秒 | 教育・子育てあれこれ
長く続いた新型コロナウイルス感染防止のための臨時休校でした。

自治体にもよりますが、6月中旬からは本格的に平常の登校が始まります。

全国の学校が長期にわたる休業になり、再開にあたり何を大事にしていけばいいかを見失いそうになります。

そんないま、各校は今までやってきたことを再度見つめ直し、自信をもち取り組んでいきたいところです

学校再開にあたって、感染防止は不可欠です。

たとえば、手洗いを徹底するにしても、どのタイミングでするか、子どもたちが集まらないためにどこでやるかなど、熟慮すべき点はたくさんあります。

なかでも、給食の再開にあたっては、この時間は感染を拡大させる危険度は高まり、教職員は神経を使います。

ただ、これまでも、給食のときのルールはありました。

そのルールをもとに子どもは行動してきて給食が成立していました。

だから、子どもはルールを理解したら、適切に行動できるのです。

感染防止用の新しいルールを確認するとき、子どもがちゃんと理解していることが必要です。

多いのは、教職員がルールを口頭で伝えるのみで、後の行動は子どもまかせになるのことです。

教職員からすれは、「伝えた」という事実があるのですが、子どもがルールの必要性を理解して、行動に移すことは別物です。

「聞いたけど、必要かどうかわからなかった」「聞いたけど、行動に移せない」ということは、子どもにとって、(大人にとっても、)よくありがちなことです。

子どもが、感染防止のための新しいルールがふに落ちるまで、意識化させたいところです。

子どもは、自分が納得したことは実行しようとします。

2009年に国内で鳥インフルエンザが流行したときも、今回よりもっと短かかったですが、数日間休校になりました。

外出しないように学校は生徒に言いました。そのとき、地域をまわっても、子どもたちの姿は皆無でした。

登校が始まり、わたしは生徒に尋ねました。

「みんな家にいたようだね。出歩きたかったと思うけど、なぜ家にいたの?」

「だって、外へ出たらダメだと思ったから」

このように、子どもは納得したことは、ルールを守ろうとするのだと、わたしは考えます。



また、学校とは学習により学力をつける場であるのはもちろん、人間関係を学習する場でもあります。

人と人が近距離になることを避けなけれはならないなかで、人間関係をどう学習するか、この点がいちばんの難しさではないでしょうか。

まず、教師と子どもの関係では、マスクをしているので、子どもにとって、教師の表情が見えにくくなります。

子どもは教師の表情から読みとることも多いものです。

そこで、これまで以上に教師は発声に気をつけます。声の高低を工夫する、はっきりと発声するなど、子どもが聞きやすい発話を実践します。

また、新しい先生になじみのない子もいるので、「わたしはこんな人です」と意識して、ユーモラスに自己を開く必要があります。

子ども同士の関係では、接触を避ける距離でやりとりやコミュニケーションをするように指導したいところです。

新型コロナ後の学校は、新しい対応が求められるようになります。

それを定式化する必要も出てくるでしょう。
新しい学校生活の過ごし方を始める一方で、従来行ってきたやり方のなかから有効な方法を探して継続することも大事だと考えます。





休校あけ 今、学校がやるべきこと

2020年05月28日 07時50分00秒 | 教育・子育てあれこれ
グローバル化の時代は、人・もの・金・情報が国境を超えて行き交うと言われてきました。

日本でも、製品の生産拠点を国内から国外に移す企業が増えました。

就労する人が海外から多くやってきたり、たくさんの観光客が日本にやってきて、観光業は活況を呈して、マネーが日本経済を潤していました。

移民受け入れ拒否という国も現れましたが、一般的に言えば、グローバル化の進展は日本の社会・経済の発展にプラスとして捉えられてきました。

しかし、新型コロナウイルスの感染症が国境を超え世界的に蔓延する状況は、人類にグローバル化のマイナス面を知らしめました。

グローバル化の光と影を知ったいま、人びとは、プラス面でもマイナス面でも、世界は「つながっている」ことを痛感しています。

日本政府は、今年2月27日に全国一斉の休校要請を出しました。

これにより、多くの学校が年度末の学校行事や試験を変更したり、中止したりしました。

学校教育のフィールドにとっては、この休校措置がとくに不運なタイミングになってしまった理由は、新年度の開始を直撃した点にあります。

新しく入学する子どもはいうまでもなく、進級した児童生徒も4月から新しい学年・クラスになります。教員の人事異動も重なりました。

学級担任との人間関係も、クラスの友だちとの人間関係もできていない時期に、この休校はダメージが大きすぎました。

加えて、この新型コロナウイルスの感染を収束させる鉄の掟は、人と人が物理的な距離を開けることで、これが地震や風水害の災害とは大きく異なる点でした。

この状況のもとで、これから学校関係者は子どもをどう育んでいけばいいのでしょうか。

まず、必要なのは、学習面は学力向上を目指すというよりは、学習面では「現状維持」でよしとする「あそび」というか余裕をもつことではないかというぐらいに、わたしは考えます。

「このピンチをチャンスに変える」という勢いで、一気に学校教育のICT化を進めるという方法もあるでしょう。それもいいことだと思います。

ただし、ICT化はあくまで教育の手段にしか過ぎないということも確かです。

教育の最大の目的は、教育基本法に定めるように、児童生徒の人格の完成です。その本質を忘れなければ、人格完成のための支援方法は多様にあります。

大阪の教育は、児童生徒を教育するとき、その子の家庭や地域での生活や暮らしという生活背景に目を向け、子ども理解を進め教育を実践してきたという、長い歴史があります。

子どもの家庭の状況はさまざまです。なかには、今回の新型コロナウイルスの蔓延で、収入がなくなったり、健康を損なった家族がいたりするかもしれません。

児童生徒はその生活をまるごと引きずって学校へやってくるのです。ひたすら人との出会いを求めて。

したがって、学校がもつ最大の資源は教職員団です。異なる個性をもつ教職員を生かして、すべての子どもを学校で受け入れ、児童生徒支援を展開していくのが、いまいちばん学校がやるべきことなのです。

不登校生徒へのかかわり

2020年05月26日 08時35分00秒 | 教育・子育てあれこれ

私が、教師になったころは、児童生徒が学校に登校しないことを「登校拒否」と呼んでいました。

 

ところが、社会での認識が進むにつれ、登校できない(しない)理由は子どもそれぞれにさまざまであり、共通しているのは「登校できない」という状態である。

たからその状態だけに焦点を当て、「不登校」という言葉が使われるようになったという経緯があります。

 

不登校の原因は、はっきりしていないことも多く、複雑に絡み合っている場合もあります。

 

私たちはふつう、結果には必ず理由や原因があるとして、原因究明に注力します。私たちは因果関係で物事を理解することに慣れているのです。

 

たしかに、いじめによる不登校の場合、いじめと学校に来れないという因果関係を明らかにする必要があることもあります。

 

また、親御さんの中にも、わが子の不登校の原因を見つけ、それを解決して登校できるようにしたいという意向を持たれている場合があります。

 

しかし、そのような場合でも、「原因の解決⇒登校できる」とだけ考えるのではなく、原因を抱えながら何ができれば登校できるのか、どんな力をつけると登校に向かえるのかというように、登校できないという状態をどう乗り越えていくかを探すことに重点を置いたほうがいいように思います。

 

「友だちが、自分のことを笑ったり、悪口を言う」という理由で学校に来ない生徒がいたとします。

 

周りのおとなが「笑った、笑われた」「悪口を言った、言われた」という事実を明らかにして、仲直りの謝罪をさせた。

 

それで、登校するようになったかといえば、登校日数という結果だけをみれば、よけいに来ることができなくなったという例もあります。

 

じっさい、「不登校の原因はなに?」と問われて、はっきりと明確に答えることのできな生徒も多いのです。

 

この例の場合、この生徒はウソをついたのではないのです。思い当たることが「笑われる、悪口」だったのであり、その他の複雑に絡み合う心のモヤモヤを表現できなかったのです。

 

上の例の場合は、ほかの原因に対応したり、その原因を抱えながらどのように学校生活に向けていくかという配慮がなく、アフターフォローというサポートがなく、その後も来れなくなったという状況であと考えることができます。

 

では、不登校生徒への支援をどうしていけばいいのか。


「これから何をしたい?」とか「どうなりたい?」と教師が問いかけても、先の未来のことや未来の目標を答えることができる子はまずいないでしょう。

その場で立ちすくんでいるのが不登校の生徒なのです。

 

❶そこで、第一に、安心できる居場所があること。それは学校でなく、家であってかまいません。安心できる居場所が確保され、エネルギーを充電していけば、学校でもがんばることができます。

 

❷次に、ずっと先のことは無理でも、なにか学校登校に向け、少しでもできることをいっしょに考えることです。


そのために、学校でのクラスの様子を伝えるとか、この学校行事にだけは出席してみようとか、学校だよりや学級通信を届けるとかして、つねにその子と学校をつないでおく必要があります。


子どもが多くの情報の中から、選んでくれればいいのです。

 

❸さらに、ネガティブな方向に向きがちな子どもの考えに変化をつけるため、なにか日常生活でこれはやってみようということを決めるのもいいでしょう。


犬を連れて散歩する、近所をジョギングする、お風呂の掃除をするなど、学校に関係ないことをやってみて、環境に対して働きかける経験を積むことで、自分の行動に自信を持たせていきます。

 

❹あと、教師にはできないこととして、中学生の近未来を描く大学生のボランティアに協力を求めることも効果的です。


少しだけ先の未来を子どもに描かせることができます。

 

「わたしもこうすれば、大学生になれんだ」という目当てもつことができます。



 

不登校生徒の支援は簡単ではないでしょうが、不登校の生徒は多くの生徒の課題を凝縮した姿でもあります。


「どの生徒も不登校になりえる」という認識をもちます。


不登校の課題に向き合うということは、すべての生徒に向き合うことになるのです。

 

教師にとっては、何のために教師になったか、生徒にどうかかわるかを問い直すことを求めているのが不登校の生徒です。


あと、今回の新型コロナウイルス感染防止のため、長期にわたる休校になりました。


ほかの多くの生徒は、学校に行きたくても行けないという思いを経験しました。


それは、多くの人にとっては「非日常」だったでしょうが、不登校の生徒にとっては、それは「日常」であるのです。


世間の人びとが、そういう見方で不登校の生徒の心情に想いを馳せてほしいと、わたしは望みます。


(本文の内容と写真は、無関係です。)


「学ぶ」とは

2020年05月25日 06時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ

授業をする学校の先生の中には、「教えなければ」という意識が強く、生徒にすべて教えようとする人がいます。

 

教師からの説明がどうしても多くなります。そうなると生徒は「聞く」ことが多くなり受け身の学習になりがちです。

 

でも、そもそも生徒の興味関心は長くは続くものではありません。教師の話術がいくら優れていても、聞くだけでは限界があります。

 

聞くだけでは生徒の集中力はだんだん下がっていき、教室内がざわざわしたりするか机の上にうつぶせになり、寝始めることになりがちです。

 

すぐれた教師は、あまり多くを教えません。生徒が「これはどういうこと?」と興味関心をもち、「もっと知りたい」「もっと学びたい」と思うと、それだけでその教師は、半分以上役割を果たしていると、私は思います。

 

生徒はどんなときに「学ぶ」のか


人は環境が新しくなると学ぶものです。


「え、そういうこともあるのか」とか「へえ、それは知らなかった」となると、目をカッと見開き、知識や情報がたくさん入ってきて、よく吸収します。

 

たとえば、国語で短歌を習い、「ひさかたの」はにかかる枕詞であり、枕詞というものを知った生徒が、枕詞を使い自分で短歌を創作する活動につながっていきます。

 

②人はやり方を教えてもらうことができ、それをいかす機会があるとき学ぶものです。


教わったことは試してみたくなります。教えてもらった知識や技能を活用できると、なお突っ込んで学ぼうとします。

 

数学で例題を解き「三角形の合同条件」を教わりました。それを使い証明の練習問題に取り組むなどはこれに当てはまります。

 

③人は挑戦するとき学びます。


挑戦するのは自分の意思で「よし、やってやる」という意欲に基づく行動です。

体育の大縄跳びで、連続20回跳べることを目標にするとき、どのようにすれば跳べるようになるかいろいろと工夫をするのは、挑戦しようとするからです。

 

ただし、挑戦は不安になったり、迷ったりするのがつきものです。まわりの支えが欠かせません。そのため、よき教師は、生徒に挑戦をすすめ、生徒と伴走するのです


現在、分散登校が始まっている自治体が多いですが、わたしはこの「学ぶ」という点でも、とくに中学1年生の通常授業が早く始まることを望みます。


文科省は3年生を優先としていますが、3年生は2年間の学びの積み重ねがあります。


学ぶことを知った生徒は、自分から学習できるのです。




オンライン授業のゆくえ

2020年05月24日 08時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ

学校でのオンライン授業やリモート会話が始まっています。

 

大阪府箕面市では、5月31日まで休校が続いていますが、分散登校が始まっています。


児童生徒は1週間に2日ほど、75分間だけ登校してきます。

 

この5月には、家庭学習課題をプリントで配付していますが家で学習したプリントを分散登校の際にもってくるようにしています。

 

その登校の一方でオンラインホームルームを試行的に行い、家庭にいる子どもたちと学級担任が交信して、健康観察や子どもとの会話、子どもどうしの会話を行っています。

 

ただ、家庭によってはタブレットやPCがない、ネット接続環境が整っていないケースもあります。

 

今後起こるかもしれない新型コロナウイルスの感染第二波も念頭に置かなければなりません。

 

そのために6月中旬からは学校が本格的に再開する予定ですが、オンラインホームルームに加えて、オンライン授業もなんらかの形で実施する予定です。

 

そのときには全家庭、全児童生徒が参加できるように、貸し出す機器やルーターの整備に、目下箕面市で準備に取り組んでいます。

 

一般的に若い先生は教職経験こそ少ないですが、ICTに長けている人も多くいます。ですから、オンラインを進める際には、大きな力を発揮してくれます。

 

ですから、とにかくやれるところからやってみて、校内や市内でノウハウを共有し、学校の裁量にゆだねる面も確保して、推進していくべきです。

 

オンライン授業は、家庭環境の差が学習機会の差とならないように、自治体はICT環境を整備していく必要があります。

 

ただし、オンライン授業は万能ではなく、対面式授業では子ども同士が考えや意見を交流し合ったり、教え合ったり、刺激しあったりして成長していくという大きな効用がありますが、オンライン授業でそれらのことを補うのは難しいのです。

 

一方、オンライン授業では、学習課題の提供が適切であれば、子ども一人ひとりに最適の学びを生み出すことができます。

 

したがって、今後は対面式授業を基本としながらも、ICTを活用した学習も上手に組み合わせていくことが、学校に求められると考えられます。

 

それが新型コロナウイルス流行後の授業の在り方になってくると考えます。

 


授業で人間関係を築く

2020年05月23日 08時35分00秒 | 教育・子育てあれこれ

生徒たちにとって、学校生活の時間のほとんどは授業です。そして、道徳とか学活の授業もありますが、多くは教科授業です。

 

教科の授業の中でこそ、生徒どうしのかかわりあいをのばしていくことができます。

 

もちろん、それぞれの教科には教科の目標があり、学びあいや人間関係をつくることが目的になっているのではありません。

 

中学校では昔は、知識伝達講義型の授業が多く、授業者が一方的に説明し、生徒同士の関わり合いがほとんどない授業もありました。

しかし学びあいを重視するいまの授業では、教科の目標実現のための授業で、生徒たちはクラスメートとかかわりあうことになります。

 

このような授業を毎日、毎時間くりかえしていくことで、生徒たちは相手のよさを感じ、人とのかかわり方を学習することになります。

 

たとえば、社会の授業で江戸時代の田沼意次の改革を学習するとき、この年貢だけに頼る財政を商品流通から利益をあげる改革がどんな影響を与えたかを考えるとき、おのおのが史料を使い、いろいろな考え方をします。

 

ある生徒は今後の経済発展のきっかけになったと評価します。また、別の生徒はわいろが起こり、百姓一揆につながり、幕藩体制が揺らぎだしたと考えます。

 

それらの意見をグループなどで、相手に伝え、自分の考えを深めていきます。

 

このような話し合い・学びあい活動のある授業で育った生徒たちの人間関係は、とても親密で、やわらかいものになります。

 

学級が始まったころのクラスの人間関係は、信頼関係にまで育っていないので、ぎくしゃくしています。友だちとうまくかかわれない生徒も多くいます。

 

でもそのうちに、かかわりあうことで学びが深まっていくことを徐々に知るようになります。

 

こうなると、生徒同士の仲間関係は、たんに自己主張するものから、相手の考えや意見も聞いてみようという、しっとりとした関係にかわっていくのです。

 

しっとりした関係とは、クラスメートの意見や考え・主張を否定せず、聴き合うので、安心感のある人間関係のことです。

 

体育祭や文化祭などの学校行事で仲間づくりをする面もありますが、一日の大半を占める教科授業の積み重ねで仲間関係は豊かになっていくのです。

 

その積み重ねとは、1時間1時間の小さな積み重ねから生まれてくるものです。でも、教師が意識して継続していくと、確実に厚くなってきます。

 

このような授業の営みは、世間一般にはあまり理解されていないことがあります。

学校関係者なら、仲間関係を紡ぎだすという授業の効用を知っています。


授業を行う教員の役割は、そのような毎日の積み重ねを、授業を通して築いていくことです。


 新型コロナウイルス対策のための休校措置で、オンライン授業が始まりました。やってみると、これでも授業ができるということで今後もなんらかの形で続いていくことが予測できます。

 

それは、授業のやり方の一つとして定着していけばいいですが、生徒同士が顔を突き合わせ、相手の様子を見ながら話し合うとか、その変化の様子を授業者が観察し、さらに学びを深める問いを出したりするのは、教室での対面授業でないとできないことです。


今回、文科省は学校再開にあたって、「感染リスクの高い教科活動」は行わないという基準を出しました。


その活動には長時間、近い距離で向き合うグループ活動、実験、観察、家庭科での実習、合唱、楽器演奏、密集した運動などが挙げられています。



これらの活動は、学校教育の目的からして、必要であり不可避なものであることを、教員なら知っています。


児童生徒は、これらの活動による学びを体の中に染み込ませていきます。


 テレワークでできる仕事も世の中にはあります。人の働き方で言えば、さまざまな形態はじっさいに可能であるでしょう。


でも、教育活動として行う授業は、リモートではできない動的な、ダイナミックな活動を含んでいるのであり、子どもたちの将来の社会参加力を育むという大きな意味があります。


休校がもたらす影響 こんなところにも

2020年05月22日 07時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ

『三国志』には「脾肉之嘆」(ひにくのたん)という言葉があります。

 

戦乱に明け暮れていたが、戦乱が収束して、平和な日常が続くようになった。すると馬に乗って周辺を走り回ることが少なくなり、太腿の内側の筋肉が落ちたことを嘆くという故事です。

 

新型コロナウイルス感染対策のため、中学生はもう3か月近く学校に平常登校せず家にいる日が続いています。その間部活もずっとありませんでした。

 

学校が休みの間、近くの公園や街中をランニングしたりする中学生の姿はときどき見かけますが、あまり多くはありません。

 

中学2・3年生にすれば、入学してから部活で身に付けた筋肉や体力はすっかり落ちてしまっています。

 

今回の大阪府の緊急事態宣言解除で、学校が本格的に再開して、部活が始まったとしても「思うようにが動かいない」という体験をするでしょう。

 

3年生はとくに運動部の場合、通常夏休み以降すぐに引退します。中体連(中学校体育連盟)主催の大会(全国大会につながる)も今年は開催できないでしょう。なぜなら地区大会もできないからです。

 

中学3年生にとって、今回の新型コロナウイルスの影響は、部活動にとっても大きな影響を与えます。

 

なかには、この夏の部活の大会で活躍した選手の何人かは、高校の部活から推薦を受けることもありますが、来年春の入学にはそれは期待できなくなります。

 

「たんに部活でないか」という声もあるでしょうが、進学に関わる結構大きな影響をコロナ禍はもたらすと思われます。


学校は毎日が「非日常」

2020年05月21日 08時05分00秒 | 教育・子育てあれこれ

新型コロナウイルス感染防止のための休校で、いま、学校や大学でオンライン授業が増えてきています。

セミナーやミーティングを離れたところからできるアプリやソフトを使い、教師が児童生徒、学生たちに授業をします。

授業や講義は、授業者から学習者への一対一の一方通行でなく、誰かの発表や発言を映像と音声の両方を通して、全員で共有もきます。

質問があれば、チャット機能を使い、学習者は授業者に個別にきくこともできます。

このようなオンライン授業は、学習者に知識を伝える講義型対面式の授業に替わる授業のやり方として、新型コロナウイルス収束後も残っていくかもしれません。

この点だけをみれば、児童生徒、学生が学校やキャンパスに通わなくても、学習できると考えられないこともありません。

そこで、オンライン授業とは違う学校の特質を考えてみます。

学校へ通うには、小学校の場合、集団登校で異年齢の子ども同士のかかわりあいがあります。

一人で登校するにしても、途中で近所の人に会い、あいさつをします。途中で友だちに会い、おしゃべりしながら学校へ向かうこともあります。

このとき、歩くという労力や電車等に乗る交通費と時間を費やします。

学校では、クラスメートとのおしゃべりが楽しみでもありますが、複数の人が集まる中で、対人関係でイヤな思いをすることもあります。

授業では、教師からの発問をもとに、さまざまな考えの答えを出し、他の友だちと対話をして、自分の考え、学びを深めることができます。

また、実験や実習をもとにした研究をする場合もあります。

学校行事で、クラスメートと力をあわせ、目標に向かい努力をすることを学びます。

部活動で、入賞をめざし、技能を高めたり、チームワークを築きあげます。

学校とは、これらのすべてを織り込んだ総合的な体験ができる空間です。

たんに、教師の講義や説明を聞いて学習するだけの場ではないのです。

日常の学校生活の中では、子どもにとっては一日一日が非日常であり、小さいけれども、大切な、小さな「冒険」ができるのが学校という場です。

オンライン授業でできることは、今後もやっていけばいいのです。

ただ、学校は、人間の根元的で動的な、かけがえのない営みの「発電所」であり、さまざまな思い出を、体にしるすのです。

だからこそ、1872年の学制以来、約150年にわたり、学校は存続しているのです。






人との出会いは不動の価値

2020年05月20日 08時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ

緊急事態宣言は多くの県で解除されました。大阪府も明日解除になる見通しです。

 緊急事態宣言発令中の間に、経済は止まりました。

それにより経営がたいへん困難になったケースが多数報道されています。

たいへんな思いをして過ごした人の困難さを思うと、ほんとうに「激震が走った3か月」だったと思います。

 

ただ、私は個人的には、ここ数年のインバウンド需要をあてにして規模を広げてきた業界の動向については、もし外国人や外国からの旅行者が何らかの理由で来なくなれば大きな打撃を受けるのではないかと危惧していました。

 

新型コロナウイルスは、今回、私たちの経済や社会を大きく揺さぶり、大きな変化をもたらしました。

 

五木寛之さんが、その著書『下山の思想』のなかで述べられていたことを紹介します。

日本は戦後ずっと経済成長を追い求めてきました。

しかし、がむしゃらに山を登る成長経済はいつまでも続くのではなく、もう時代は山を下りる時期にさしかかっている。

下山するといえば、マイナスのイメージをもつ人もいるかもしれないが、山を下りるというのは「成長」を求めるのでなく「成熟」の時代である。

 

山を下りるときには、がむしゃらに登山してきた時には気がつかなかった足元に咲く美しい高山植物を鑑賞する余裕が生まれる。ゆっくりと観ることもなかったはるかかなたに光り輝く海を眺めて感心する。

したがって、下山はけっしてマイナスでない。時代は成熟の時代に向かっている。


このような思想をバブルがはじけたあとの「失われた30年」と言われていたころ、9年ほど前に書かれていました。

五木寛之さんの言葉は、新型コロナウイルスが収束した後に、ますます色づいてくると、私は思います。

 

ともあれ、常に成長し続けよと拍車をかけられ成長を追い求めてきたが、感染防止のため、ふとみんなで足を止めてみた。

するとワーク・ライフ・バランスなんて無理と思っていたが、そうでもないことがわかりました

テレワークやリモート座談会などが一挙に進みました。

新型コロナウイルス収束後も、オンライン授業がもっと普及していくでしょう。ネット投票も実現していくかもしれません。

オンライン授業はネット環境や端末を整備することで、どの人も利用できる環境さえ整えば、どこに住んでいても公平に授業を受けるなど、住む地域による教育格差を是正するという新しい可能性を開いてくれます。

 

このように、今回私たちは「成長神話」の呪縛から逃れることを学んだのです

ほんとうに大きな経験と激変でしたが、一方で「これだけは譲れないということ」も明らかになりました。

それは、人と人が会うことです。学校教育のなかでは、児童生徒同士、教師と児童生徒が出会人間的なふれあいで人格を形成していきます。

 

演劇やライブ、コンサート、スポーツの試合などは、いま無観客でライブ配信を行っていますが、観客あってこそのイベントです。

 

以前に、鹿島アントラーズがサポーターの掲げた「JAPANESE ONLY」の横幕の制裁で無観客試合を行いました。

選手からは、「わたしたちは観客の声援に突き動かされて、ふだん試合をしているのがよくわかった」、「臨場感がないというか、力の入れようがないというか、サポーターの声援を受け、選手やチームに張り合いが出てくる」などの感想が出ました。

 

このように、新型コロナウイルスは、人と人が出会い、そこで織りなされる不動の価値があること明らかにしました。

 

新型コロナウイルスは、令和になり新しい時代に浮き立っている日本社会に、烈風のごとくダメージを及ぼし、ショベルカーのように社会を深く削りました

 

風がおさまり、ショベルカーが通り過ぎたころ、変わらない形で残る、残したいと思うものがあります。

それが、成熟の時代に、私たちの社会にとってほんとうに必要なものであり、人との出会いでしか得られない感動や価値は、学校教育や社会のなかにしっかりと残っていくものだと思います。


困難な子はすべての子の象徴

2020年05月19日 07時26分00秒 | 教育・子育てあれこれ


いま、ほとんどの人がマスクをしています。

私自身も付けています。

品薄で手に入りにくいマスクでしたが、徐々に出回るようになりました。

マスクをしていないと入れないお店や施設もあります。

電車の中で、マスクをしていなければ、「あの人、マスクしてないよね」と思われます。

新型コロナウイルス感染防止のためには、マスク着用は当然のことです。

でも、マスク着用で、わたしには一つだけ気になることがあります。

それは難聴という聴覚障害をもつ人のことです。

難聴の人のなかには、「口話法」を使い相手の話を理解する人がいます。

その人たちは、多くの場合、補聴器を併用して、相手の口の開け方で何を言っているかを読みとっています。

視覚支援学校では、以前は口話法を使うように難聴の生徒を指導していました。

現状では、難聴の人のコミュニケーションの手段は手話、口話法、両方などに分かれるのが実情です。

口話法は相手の口の開け方で話を読みますが、万能ではありません。

たとえば「タバコ」と「たまご」は口の開け方がまったく同じで、ときには誤解を生む場合もあります。

そういう点はたしかにあるのですが、口話法を使う難聴の人にとって、相手がマスクをしていると、口を覆っているので、何を言っているかがまったくわからなくなるのです。


わたしが教員として、教室で授業をしているとき、難聴の女子生徒がいました。

その子の教室での座席は、授業者の口型が見やすいようにできるだけ前のほうになるよう配慮しました。

そして、授業者は生徒に話すときに必ず生徒の方を向いて、ボソボソ言わず、できるだけ口の開け方をはっきりとさせました。

黒板に向かいながら話す、つまり、生徒に背中を向けて話すことは絶対にしないように心がけて実行しました。

すると、ある時のことです。

別のクラスで授業をしていました。そのクラスに難聴の生徒はいませんでした。

ある男子生徒が、授業のあとで近づいてきました。

「先生の授業はわかりやすいわ」

わたしは「ほう、なぜ」と尋ねました。

「だって、先生はかならずボクらの方を見て話してくれるもん」・・・。

この生徒の発言は、わたしに深いことを教えてくれました。

そうか、難聴の子にわかりやすい授業をすることは、すべての子にわかりやすい授業をすることになるのだとわたしは実感しました。

難聴の子に限らず、学力の不振な生徒は授業でなんらかの困難を感じています。

なにかの困難を感じながら学習にがんばっている子はほかにもたくさんいるのです。

だから、難聴の子の課題は、すべての生徒の課題を象徴しているのです。

難聴の子を大切にすることは、すべての生徒を大切にすることになるのです。

このことを、難聴の子は、わたしに気づかせ、学ばせてくれたのでした。

このような経験をしたので、いま、みんなが当然のようにマスクをして話すことに、わたしはあるとまどいを覚えるのです。

「緊急時だから仕方がないです」という考えもあるでしょう。

でも、マスクをして話すときに、それでは読みとれない人もいるということを意識しておいてほしいのです。

この意識があるのとないのとでは、実際の場面で対応が違ってくるのです。

もし、相手が難聴の人だと気がつけば、マスクをとって話すとか、筆談するとかの方法はあります。

「緊急時」には、多数派は勢いと流れにまかせ、少数派の困難をかえりみることなく、「マスクはつけて当然」という同調圧力を生み出して、困難を抱えている人を排除してしまいがちなのです。

こんなときでも、私たちは少数派の困難に対する痛覚をなくさないようにしたいと、自分も含めて思います。




感謝はつながりを生む

2020年05月18日 08時12分00秒 | 教育・子育てあれこれ

最近は、大きな病院の売店には大手のコンビニが入って営業しています。

 

いわゆるホスピタルコンビニで、多くの診察を受けに来た患者さんや病院内で医療に従事する人たちも、昼食を買ったりして利用します。

 

医療の現場はふだんでも心身ともにハードワークであるといわれています。

 

医師や看護師のなかには、おにぎりをさっと食べ、飲み物を素早く飲み、医療現場に戻る人も多いと、私は看護師をしている卒業生から聞いたことがあります。

 

平素でもそういう状態であるのに、今年はくわえて新型コロナウイルスへの対策が、医療関係者には求められます。


そんな人たちに、ホスピタルコンビニでは、利用者からの応援メッセージを集め店内に貼っているところがあります。

 

どんな仕事でも、いえることだと思いますが、お客さんや利用者から受ける感謝の気持ちは、その仕事をする人たちにとって、大きなモチベーションになります。

 

医療に従事している人へ思いを馳せたり、感染予防に日夜取り組む人へのねぎらいの気持ちをもつことが必要だと思います。

 

そのように、この新型コロナウイルスに対応している一つひとつの現場で奮闘している一人ひとりに感謝することが、「自分もがんばらなくては」という励みにもつながるのでないでしょうか。

 

多くの人が要請に従い、自粛するという国民性が日本の特徴とも伝えられますが、自粛して家にいると社会とのつながりが細くなった、切れてしまったと思いがちになります。

 

でも、誰かに感謝することは、少なくともその際に他者のことを思っているのであり、「わたしは一人ぼっち」という孤立感を持たずにすむのではないかと思います。


わたしは、「孤独は感じたらいい。でも、孤立はするな」と中学生に語ってきました。


孤独になると、自分自身のことを見つめることができます。


でも、孤立は人との関係が切れることです。


新型コロナウイルス対応の医療関係者は、感染が広がらないように自宅へ帰らず、ホテルに泊まる人もいると思います。


もし、この人たちの置かれた厳しい状況と使命感に思いを寄せる人がいれば、双方が孤立していないのです。



 


好かれる先生

2020年05月17日 08時06分00秒 | 教育・子育てあれこれ

児童生徒を指導する教師は、大きな影響を与えるものです。


教師の一言でやる気を出す子もいれば、一言で心を傷つける場合もあります。

 

一般的に、年齢が上がるにつれて、子どもは先生との関係よりも友達との関係を大切にする傾向はあります。


それでも、思春期の子どもに与える先生からの影響は、やはり大きいものです。

 

では、どのような教師が中学生から好かれるのでしょうか。


わたしが経験上考える「中学生から好かれる先生」とは、以下の通りです。

 

○ どの生徒に対しても、分け隔てなく公平である。
○ ユーモアがあり、生徒のことを親身になって考えてくれる。
○ 生徒の気持ちや立場を理解して、尊重してくれる。

 

つまり、豊かな人間性と専門的な指導力の両方を持っている人です。


一方で嫌われる先生とは


× 公平に生徒と接しない。えこひいきをする。

× すぐに怒るし、独断的にきめつける。

 

ということから、こうありたい先生とは、

生徒へ高い関心を寄せることができ思春期の生徒の簡単には言いあらわせない心の動きを察知でき、生徒の可能性を信じて成長を期待する人。

また、教師自身が情緒的に安定していること大切です

 

このような人物は、生徒を理解して信頼関係を築いていけます。


くわえて、とくに中学生は、学習指導に対して熱心な教師を欲するようになります。また、ときには人生の師としての教師を必要とします。


なお、先生という理想と現実のずれには敏感で、生徒はそれを批判しますが、さらに人間関係が深まると、弱さや悩みをもつ一人の人間として受け入れてくれるようになります。

 

小中学校の間に、一人でもこんな先生に出会えた子は幸せだと思います。


このたびの新型コロナウイルスの流行により、児童生徒と教員の距離が、ごく近い対面方式から「リモート」に移行しています。


でも、リモートではできない教育活動があることも、私たちはおさえておきたいのです。

 

 

 


長引く休校への対応

2020年05月16日 08時49分00秒 | 教育・子育てあれこれ

学校の休校が長引き、児童生徒の学習問題が懸念されます。

 

長い休校期間、いかにして子どもと学校のつながりを生み出すかがポイントとなります。

 

現状では、家庭でも利用できるICTが整備されている自治体は、わずか5%といわれています。

これから先のことも考慮すれば、ICTの環境整備は急務となります。

 

しかし、とりあえずは保護者のパソコンやタブレット、スマホを子どもが借りることも含めて、朝のホームルームをオンラインにより家庭と学校をつなぐだけでも意味があります。

 

オンラインのホームルームで、教員は子どもの様子を聞いたり、学習の状況を確かめたりすることができます。

 

その際、オンラインでつながれない子どもには、電話などで連絡する方法を組み合わせていく必要があります。

 

 

また、分散登校では、週に1~2日、1~2時間登校させて、学習課題を持ってこさせて、教師がチェックをするとか学習の相談にのることができます。

 

このような登校は、子どもにとっての学習のペースをつくるのに役立ちます。

 

 

この場合、教師は教えることが仕事ですが、子どもの学習を支える支援者の役割を持ちます。

 

「教師は支援者」という考え方は、新型コロナウイルスで休校になる前から言われていました。

 

今回のコロナ禍は、その教師観をより鮮明に学校関係者に突きつけることになりました。


 

 

なお、今回、休校により失われた授業時間を回復するために、夏休みを短縮する自治体もあるでしょう。


それはやむをえないことでしょうが、夏休みをゼロにするような厳しい対応策は避けるべきです。



今年の夏休みも暑さ指数を気にしなければならないでしょう。


炎天下の中子どもが登校するのは過酷で、学習の意欲も下がります。


子どもにとっての自由な時間を残しておくべきです。



また、保護者に子どもの学習について、あまり多くのことをお願いするのも避けるべきです。


学校教育は基本的に学校が責任をもつもので、保護者にはあくまで学校教育を後押ししてもらうものです。


 

さらに突然に9月新学期の案が出てきましたが、そうではなく、特例として今年度の学習指導要領の履修項目を減らす方向で検討すべきです。

 

あわせて入試の出題範囲も減らすとか、履修範囲に合わせて出題範囲を選べるような配慮をすればいいのです

 

どんな施策を実施するにしても、大人がよかれと思って打ち出す前に、「子どもにとってどうか」という視点が第一にくるべきです