えんぴつが一本 えんぴつが一本
ぼくのポケットに
えんぴつが一本 えんぴつが一本
ぼくのこころに
青い空を かくときも
まっかなゆうやけ かくときも
黒いあたまの とんがったえんぴつが
一本だけ
2000年を過ぎたころからしきりに「勝ち組」『負け組』という言葉を聞くようになりました。
様々な場面で、私たちは人と自分を比べます。
でも、人生は勝ち負けではないと、あらためて思うのです。
ベンツやBMW、果てはポルシェやフェラーリに乗って、1泊何十万というホテルに泊まれて幸せ。
そう思う人もいるでしょう。
でも、日本でいちばん朝食がおいしいと言われるホテルが神戸市にありますが、1泊朝食付きで、期間によっては8,000円程度で泊まることができます。
けっして豪華な部屋ではないですが、いつもきれいに掃除されています。
そこへ、わたしは妻と一緒に泊まり、本当においしい食事のひとときを過ごすと、それ以上求めるものはありません。
ものを食べて「おいしいなあ」と感じる心と体があるのに気づくとき、「ありがたいなあ」と感じるのです。
人それぞれのしあわせを感じる基準があればいいのではないでしょうか。
周りと比べてあれこれ気にするのでなく、自分が「これでいい」と思えることができれば、そんな心のもちようで過ごすことができれば、ほんとうにそれでいいのではないでしょうか。
東京ディズニーリゾートは今年で開業40周年です。
わたしが大学を卒業して間もなくしてから、東京ディズニーランドが開園しました。
開業当初は年間の入場者数を1000万人を目指していましたが、開園1年で達成しました。
その後、順調に入場者数は増え、2018年度には過去最高となる3255万人となりました。
新型コロナウイルス感染拡大で客数は一時減りましたが、今は堅調に訪問する人が増えています。
リピーターが多く、顧客満足度が高く、世界屈指の人気あるテーマパークになりました。
40周年にちなみ、わたしも今年の9月に、久しぶりにリピーターとしてランドとシーへ行きました。
気がついたのは、ホーキとちり取りをもった「カストーディアル」といわれるスタッフがいなくなったことでした。かといって、園内に落ちている場面には遭遇しませんでした。
時代とともにホスピタリティは変わっていくのだと思いました。
そのぶん、キャスト(スタッフ)からゲストに声かけをする場面がふえたかな、と自分も声をかけられて感じました。
いまは、キャストがマニュアル通りの動きをするのではないホスピタリティを追求しているようです。
どうすればお客さんに喜びや楽しさをもたせることができるか。その根本は、キャストがゲストの表情や反応を見ながら、一人ひとりがみずから考えて動いているのかなと感じました。
マニュアル通りでないところに新たな感動が生まれる。ディズニーは進化し続けていると感じた次第です。
わたしは中学生の社会の時間に、はじめて「核家族」という言葉を習いました。
父親と母親だけまたは父親と母親とその子ども(未婚)で構成されるのが核家族です。
1950年代からぼちぼち増えはじめ、日本の高度経済成長期に著しく広がりました。
その世帯では、家族としての意識が強く打ち出され、「○○家」としてどうあるべきかという価値観が家族内で幅をきかせていました。
ある意味で、個の意識が家族の価値観に埋没していました
ところが半世紀の間に、独居世帯が増え今にいたっています。
もう核家族も成立しにくくなってきています。
それとともに、家族のあり方が移り変わり、「個人化」(=privatization プライバタイゼーション)が進行してきて、個人の意識が強くなってきました。
家族をつくる成員の価値観もまちまちになってきています。
親が「せめて孫がほしい」と願っても、子ども世代が「子どもをもつとたいへんだから」と言う場合もあります。
この意識が家族という集団に埋没していた頃は、「そうだね、こどもを産むよ」となっていたのですが、そんな時代でもありません。
ただそうなると、人間というものは、かえって家族を求める反動も出てくるように思います。これもまた自然の流れかもしれません。
人間関係の煩わしさから離れてしまうと、人は不安になります。
人に受け入れてもらえる。人と共感しあえる積み重ねは安心や喜びをもたらします。
家族はいらないと思って生きてきたけど、老齢期を前にすると、やはり不安が襲ってくることもあるでしょう。
そこで、大切なのは社会へつながる「窓」を開けておくことでしょう。
困ったとき、苦しいときには地域や社会に「助けて」と声をあげることができるようにしておくことでしょう。
そして、それに応える「ケアする人」の基本的な姿勢は、ひとつのきまったカタチがあるのではなく、家族の姿の変化に寄り添っていくことでしょう。
個人が人間関係を絶やさずにいるためには、深い入り込みではない、社会や地域の活動へのかかわりを保つことです。
あの人といつもいっしょではないけれど、いざというときにはこの活動のつながりで助けたり、助けてくれる関係をたもっている。
このような人と人のつながりが、いま流の人間関係なのだと思います。
今年の夏が暑くて雨不足だったことは、統計からもはっきりしています。
6月から8月の平均気温は、1898年の気象庁の統計開始からもっとも暑かったのです。
当然、農作物にも影響が出ています。9月末での1等米は約6割の比率に落ち込みました。
昨年の比率はは7割5分ほどでした。
なかでも、新潟県産コシヒカリの1等米比率は1割ちょっとで、昨年の7割以上から大きく落ち込みました。
異常とも言える高温で、稲穂が十分に生育せず、米が十分に育ちませんでした。
さらに、水不足が追い打ちをかけました。
その結果、モミの中に十分米が育たないと、脱穀してもきれいな米粒が取り出せないとか、欠けた粒になる場合も出てきます。
私の家での畑でも、サツマイモを掘るとすると、まず土に水分がなくパサパサでカチカチの土が出てきて、いつもとちがうことを実感しました。
当然、掘り起こしたイモは昨年よりも小ぶりで、十分生育していないイモでした。。
それでもこの高温化の条件でも、稲の場合は高温耐性品種の米のできばえはよかったそうです。
将来の温暖化の傾向を考えると、高温耐性の米や野菜の品種栽培を試行していく必要を考えさせられた今年の夏でした。