子どもは親やおとなよりも年齢が下であるため、「未熟だから」とか「社会の経験がないから」とか「十分な考えができないから」などの理由で、保護されるべき対象となりがちです。
それは、ある程度しかたのないことですし、たしかに保護するべき合理性も認められるところです。
しかし、国連「子どもの権利条約」(児童の権利に関する条約)では、子どもはたんに保護されるべき対象ではなく、おとなと同様にひとりの人間として尊重されるべき存在であるとされています。
その点で、子どもは自分の考えや意見を表明し、グループで活動を行う権利をもっています。
子どもの権利については、不登校の児童生徒の増加、理屈に合わない「ブラック校則」、外国につながる子どもの学習・生活の問題、障害のある子どもの学びなど、教育課題は山積しています。
わたしたちおとなは、だれのために学校はあるのかを今一度考えなければなりません。
子どもたちにどんな人になってほしいのか。
子どもたちにどんな社会をつくる人になってほしいのか。
おとなは子どもが権利の主体であることを再認識し、子どもの自主的な活動を高めることはたいへん重要です。
保育士の配置基準は改善が求められます。
国が定める配置基準は、保育士一人が担当する子どもの数について、
0歳児が3人
1~2歳児が6人
3歳児が20人
4~5歳児が30人となっています。
この基準はもとは1948年に定められ、変わってきていますが、4~5歳児の30人というきまりは一度も変わらず、現在に至っています。
政府は「異次元の少子化対策」をこの3月末までにまとめようとしていますが、配置基準の引き下げも検討しています。
くわえて、課題として保育士の報酬面の待遇改善も求められます。
一人の保育士が担当する子どもの数が多く多忙であるうえに、給料が安いという問題点があり、離職する人が結構多くいます。
そして、自治体によってはなりたいと希望する人が多くはなく、人手不足はここでも起きています。
それゆえに、保育士の配置基準を引き下げる必要があるのはもちろんなのですが、たんに配置基準を引き下げるだけでは、保育士がたりなくなることも懸念されます。
もし保育士の人数がたりないと、認可が取り消される心配もあります。
したがって、保育士になりたいという人を増やす方策と配置基準の改善は、表裏一体で進めていかなければなりません。
いま、日本では不法に滞在している外国人が入管施設で長い間収容されるというケースが増えています。
そこで、日本政府は入管法を改正しました。
それは簡単にいえば、長期収容中の外国人は3ヶ月で強制的に母国に送り返すというものです。
国外退去を命じられた人が帰国せず入管施設に長く滞在するケースが問題になっています。
だから、法を改正しました。
しかし、母国に帰れば身に危険があったり、日本に家族がいる場合もあります。
そもそも、難民の可能性のある人は送り返してはならないという国際ルールがあります。
日本は世界の中でも、難民認定に積極的でない国です。
認定率は0.7%です。
国連人権委員会から難民認定を是正するよう勧告を受けています。
ほかにも国連から勧告や懸念を受けながらも、是正しない課題があります。
国際的にみて、日本は外国人に冷たい国です。
外国人がいたら犯罪が増える。治安が悪くなる。
だから来てほしくない。
こんな声が日本人の中にあるのは事実です。
しかし、それは客観的なデータに基づいているのでしょうか。
日本人の中でも凶悪犯罪は起きています。
外国人に対するきめつけが国の施策を下支えしています。
母国にいたら身の危険があるから、日本へ避難してきた外国人が多いのです。だから日本にいたいのです。日本で働きたいのです。
多くの場合はその理由だけです。
こんな例があります。国外退去を命じる入管管理局がその外国の子どもに会わせなさいとして学校に入ろうとしました。
しかし、その学校の校長は国際人権法でのきまりをもたに拒否しました。
その根拠は国際人権法が日本国憲法に次ぐ上位法となるからです。
法律上、教育公務員は退去のために通報するよりも、国際人権法で規定する子どもが教育を受ける権利を守るという職務を優先させることができるのです。
その点で、学校は強制退去に対して「聖域」を保つことができると解釈できます。
日本で100歳を超えた人は、1950年には全国でわずか97人しかいませんでした。
それからおよそ70年が経過した2022年では、なんと90526人にまで増えました。
この数字を見ると、長生きできる人がなんと増えたことでしょうか。およそ930倍です。
「人生100年時代」と言われ出しておよそ5年ほどになりますが、納得がいきます。
そして、100歳まで長生きする人ほど脳が老化しにくいそうです。
いくつになっても脳の老化が進まないのには秘訣があるそうですが、その一つに外見を若くするということがあります。
人はだれしも歳をとるほど見た目を気にしなくなります。つまり自分がまわりからどう見られるかに頓着しなくなります。
しかし、見た目は脳の老化と密接に関わっていることが、ハーバード大学の研究で明らかになっています。
服装や髪型、メイクなどで見た目を若くして1週間たらず過ごすだけで、姿勢や視力がよくなります。また手先の器用さが戻ってきます。さらに血管年齢も若くなることも報告されています。
始めるのは何歳からでも遅くはないと思います。やる気を引き起こすドーパミン(脳内ホルモン)を減らさず、元気な脳を保っていきたいものです。
わたしは小学生低学年の頃は、昆虫が大好きでした。
夏休みには毎朝早く起きて、というか早く目が覚めたのですが、虫かごを持っていそいそと出かけました。
家から谷をはさんで向かい側の山にクヌギの台木がありました。そこにクワガタやカブトムシ、カナブンなどが木から出る蜜に集まっているのです。
もう、夢中でした。「行く」・「行かない」という選択肢などありません。
行くのみでした。夢中になっていたのを思い出します。
中学の頃は釣りが好きで、時間があれば近くの池へ釣りへ行っていました。もっぱら池釣りで、ヘラブナ釣りに夢中になり、さまざまな釣り具を揃えていました。
ヘラブナ釣りの専門雑誌も読みました。それは高校の途中まで続きました。高校の友達と釣りにも何回か出かけました。
大学になると神戸の夜景を見るのが好きになりました。大学が神戸にあったので、また、運転免許も取ったので、就職してからもドライブで六甲山に登り、「100万ドルの夜景」を何度も見に行きました。
それから幾十年がたちました。
今の年齢になると、自分くらいの年齢の人はだいたいどのようなことをしているだろうか。
年齢に相応な趣味や活動をするべきかな。
こんな年齢からはじめてのバイクのツーリングなんてできないよね。将来は運転免許証を返納するだろうし。
わたしの年齢にまでなると、もう新しいことを学ぶなんて・・・。
このように道理ででものごとを考えがちになります。
つまり、大人になるにつれ人は理屈でものごとを考えるようになります。
でも、子どもは直感で好きなことに夢中になります。小さい頃のわたしのように。
考えてみれば、新しいことを始めるのに、年齢は関係ないのです。
一度しかない人生です。好きなことで頭の中をいっぱいにして、からだじゅうを動かして日々を暮らさないともったいないと思うのです。
送迎バスに子どもを置き去りにするとか、子どもをたたくという不適切な事案が起こっています。
置き去りに対しては、関係者がざっと見渡すのでなく、最後部までまわって直接目視で確かめるというような安全対策を徹底するように園で決めました。
ただ、保育や教育に関しては、保育園、幼稚園、こども園、学校ではどこで、いつ、何が起きるかはわからないものです。
ですから、いつも子どもの安全に配慮ができる園や学校の体制やしくみづくりが必要になります。
また、たたく・体罰などの不適切な保育・教育は、保育士・教師の個人の資質が問われます。
園・学校の保育・教育に暴力を介在させない方針が職員全体で共有されていれば、もし関係者の誰かが外れた行為をしたとしても、制止するはずです。
こと、保育園に関して言えば、保育士は多忙を極めます。それは人手不足に起因します。
保育士という仕事が「なりたい」とあこがれをもたれ、めざされる職業になりにくいのです。
弁護士や看護師、学校の教員より社会的な地位は低くとどまっています。
なりたいという人が少ない上に、離職率が高く、保育士の年齢は低年齢化する傾向にあります。
若い人がダメというのではもちろんないですが、不適切対応が起こったとき、スタッフ同士で話し合い、対応法を深く考える、補い合う職場環境づくりなどの余裕に欠けます。
そして、離職する人をとどめ、保育士が仕事を通して経験を積み重ねていく。
そのためには、保育士の待遇を改善することが是非とも必要だと思います。
「異次元の少子化対策」が打ち出されたときには、保育士の待遇改善にシフトするのかと期待しましたが、保護者に現金を支給することにのみフォーカスされているようです。
学校教育の経験を通して言いますが、幼児期の保育・教育はその子の一生の成長段階の土台となるもので、学校教育よりも重要と言っても過言ではないです。