箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

「はだいろ」は具合悪いけど・・・

2021年03月31日 07時50分00秒 | 教育・子育てあれこれ

2月22日のブログでは、ファミリーマートの「お母さん食堂」のネーミングが、ごはんを作るのは女性であるという決めつけにつながるということで、インターネット上で反対の署名活動が起きていることを述べました。

この活動に対して、当のファミリーマートの公式見解は次のようなものでした。

「(賛否両論どちらも)貴重な意見として受け止めており、今後さまざまな意見を聞きながら方向性を決定してまいりますが、現在では未定でございます。」(毎日新聞)というコメントを出しています。

ファミリーマートとしては、状況を見ながら判断するというようなゆっくりとした方針でした。

しかし、その一方で同じファミリーマートが、3月27日には、プライベートブランドの女性用下着に「はだいろ」と表示していた商品を自主回収しました。

ベージュという表示にかえ再度販売するそうです。

人種や個人ごとに肌の色はちがうのに、特定の色だけを肌色とするのは問題があるとして、自主的に回収するそうです。

あえてひらがな表記にすることで、幅広い世代にアピールするという戦略だったのを転換しました。

この表記については、社員や加盟店から不適切な表記だという意見が寄せられたそうです。

このように、問題のある表現を見て、人びとがその不適切性を指摘できることは、人間を大切にする感覚が鋭く、意識が高いことの裏返しであり、好ましいことです。

何年か前の日本では、問題にならなかったでしょう。

最近では、クレパスの色表記も、「肌色」を避け、「うすだいだい」と表す時代です。

ファミリーマートのこちらの動きは、スピーディーでした。

この両者を比較して、私が思うのは次のことです。

ファミリーマートの経営陣の本音が透けてみえてきます。

お母さん食堂というネーミングがクレームをつけられるのは言葉狩りだ。一方、はだいろは問題が大きい。

こんな認識のちがいがあるのでないかと、わたしは思います。

ジェンダーの問題と人種の問題に、本来軽重はないはずです。


学校教育で、児童生徒が人権学習をする意味は大きいとあらためて思います。

おかしいことをおかしいと指摘できるのは、それ相当の学習を積んでいくからこそ可能になるのです。










小説を読むのはかけがえのないこと

2021年03月30日 08時02分00秒 | 教育・子育てあれこれ
高校では、新学習指導要領が2022年度(来年の4月)から、「論理国語」の新しい授業が始まります。

これは実用的な文章を生徒が読み、論理的に読み取っていく読解力重視の授業になります。

この影響で、小説を軽視することにならないかという懸念が報道されています。

わたしも同感です。

思春期の子どもの思いは、理屈では語れないものです。

そんな思春期・青年期には、文学こそが生徒にとって実用的なのです。

たとえば、悩みや迷いの多い10代の子が、太宰治の小説を読むと・・・

残念なことに、小説を読んでも悩みや迷いに対する答えはないかもしれません。

「そういうことだたのか、わかった!」というようなスッキリとするような奇跡はないかもしれません。

でも本は、人生とは何かを語ることができる友になってくれるのです。

それが若い子が小説に触れて、読む意味なのです。

論理的に読解していく力も必要ですが、小説をおろそかにしてはなりません。

小説を読むのはかけがえのない営みです。

何に価値があるかを見直すきっかけに

2021年03月29日 08時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校では3月末で、2020年度を修了します。

新型コロナウイルスの感染防止のため、今年度には多くの学校で、学校行事の見直しややり方の変更をしてきました。

1990年代より、どこの学校も「地域に開かれた学校づくり」に取り組んできました。

しかし、このコロナ禍では、運動会や体育祭を動画配信にして、保護者や地域の人の参観を制限してきました。

おそらく、保護者のみなさんのなかには、いつもより子どもの様子がわかりにくい1年だったという感想をもたれている方が多いのではないでしょうか。

その点だけを見ると、開かれた学校はコロナ禍で閉鎖性が増したと見る向きもあります。

しかし、感染防止のため教職員というおとなが一方的に学校行事を制限して、ものごとを決めていったのかというと、そうではありません。

学校によっては、全国一斉休校が明けた6月から、子どもたちが新型コロナウイルスについて調べ、3密にならないようにしょう、手洗いをしっかりとしようという校内キャンペーンをした学校もありました。

子どもたちが、一方的な大人からの指示、指導に従うだけなら、受け身になってしまいます。

が、子ども発で教職員といっしょに感染防止に取り組むことで、能動性の芽が育つのです。

子どもたちと教職員が共に考えたことで、今まで以上の意味のある活動を楽しむことができます。

人と人の距離はあけても、心の距離は密にできることを教えてくれました。

新しい学校生活様式は慣れるまでは違和感がありますが、子どもたちにとって何が大切なのかを見直す機会になったのです。

今までふつうだと思っていまことが、なんらかのきっかけで当たり前ではなかったことに気がつくとき、真の価値はどこにあるのかを問い直すことができます。

感染症や自然災害は、ときには「ぃままで通り」の日常を覆してしまうことがあります。

だからこそ、おとなも子どもも多様な学びや育ちを求め、幸福を追求していくべきなのです。

4月からは、また多くの子どもたちが節目や門出を迎えます。

こうあるべきというカタチにとらわれることなく、柔軟に「いま」を感じて学校生活を送って欲しいと思います。


学校教育は健康第一

2021年03月28日 07時26分00秒 | 教育・子育てあれこれ

九州地方の公立高校には、「朝補習」(「朝課外)があるのが伝統です。

いわゆる「0時間目」というもので、正規の1限から6限までの授業に対して、課外授業として行われます。

「予備校に行かず、関西・関東圏の大学に合格できる」というのがウリになっています。

その朝補習の影響か、九州地方の10代の睡眠時間は短く、6時間未満の1位から5位まですべて九州の県になっています。

今の時代にあう制度でしょうか。生徒は眠い目をこすりながら登校します。

昼食の弁当をつくる親は、さらに早起きを強いられます。

「そうきまっているから」で、親も学校の厚意はありがたく思う一方で、何とかならないも
のかと感じている人もいるでしょう。

とかく夜型の生活になりがちな今の時代の生徒たちに、早朝の学習をさせるのが効果があるのか、科学的な知見に基づく必要がありそうです。

高校生の健康が第一だと思います。

中学生も部活の朝練についても一考の余地があります。

今はコロナ禍で朝練はあまりやっていませんが、その前までは朝練をやっている学校、部活はありました。

いまは、全国的に部活動改革を進めていくことになっています。

朝練の教育的効果も考えていくべきです。

王道を歩く

2021年03月27日 07時49分00秒 | 教育・子育てあれこれ
社会情勢が変化して、ICT教育など科学技術が発達しても、学校教育の本質は変わりません。

わたしが考えるのは、教職員は「教育の王道を行く」ということです。

それは、児童生徒や保護者、仕事や社会に対して誠実であることです。

また、フェアプレーで教育活動を展開するという意味です。

子どもは学校生活を楽しみたい、学習にがんばりたい、友だちをつくりたいと思い、願います。

保護者は子どもの成長を願う。それに寄与する教育を進めるのが学校教育の本分です。

教育とは、人とは人の人間的ふれあいによる営みです。

学校や教員の都合を優先させて信頼を失えば、教育活動は長続きしません。

子どもや保護者が学校を信頼してくれるから、学校が長続きするのです。

「誠実さ」をもって襟を正して、教育活動を続けていくという思いを、校長も教員も、すべての教職員が意識しているべきです。




かっこいい大人になる

2021年03月26日 07時34分00秒 | 教育・子育てあれこれ
中学生か高校生の期間に、生徒が「こんな大人になりたい」と思う大人に出会うことは、今の時代、とても大切だと思います。

現代は科学技術が発展して、社会情勢は混迷を極めます。

そんな時代にあっては、人は何を大切に生きるかという価値観が揺らいだり、変わりやすいのです。

このとき、生徒は自身の目標を見つけるのはますます難しくなります。

だから、「こんな大人になる」という軸があれば、将来を考えうえで迷いが少なくなります。 

学校の中で、もっとも身近な大人は、やはり先生です。

生徒にかっこいい大人の姿をみせることができる先生が、今求めらるのです。

とかく、大人が子どもに何を与えるか、どんな環境を整備して、どのように生育条件を準備するかという点が重視されます。

たとえばタブレット端末を一人1台にするというような教育条件改善の論議が聞かれます。

でも、学校教育でいちばん大事なことは、生徒が人としてどう生きるかを学ぶという点です。

その点で、「あんな大人になりたい」と思えるロールモデルとなる教師になってほしいと願います。それが、今の教師の最大の課題であると、わたしは考えます。

大人のどんな言動が、子どもに影響を与えるのか、大人の義務とは何なのかを、あらためて考える必要が私たちにあります。




被爆体験を「引き継ぐ」

2021年03月25日 08時42分00秒 | 教育・子育てあれこれ

私は中学生の長崎への修学旅行を引率したことがあります。

その修学旅行の前、1993年の夏にはじめて長崎へ下見に行きました。

そのとき、長崎原爆資料館を訪れ、原子爆弾がもたらした惨状を示す写真をみて、足が止まりしばらくじっとしていたのを思い出します。

爆心地公園に立ったときには、この真上から原子爆弾が投下されたことを思い、ここへ生徒を連れてくることを誓いました。

それ以来、中学生に平和を希求する願いと態度を育みたいと、強く思うようになりました。

長崎には、原爆のおそろしさと戦争の悲惨さを伝え、平和を願う社会を実現するため、被爆体験を証言して、中学生を前にして話す「語り部」がおられます。

大阪の中学校も、それを「被爆体験者からの聞きとり」として「ナガサキ修学旅行」のプログラムのメインに据え、平和学習を実践してきました。

しかし戦後70年以上が経過し、その語り部も高齢化が進み、亡くなる人も多く、戦争体験を語れる人が少なくなってきているのが現状です。

そこで、最近は「交流証言」に取り組む動きが出てきています。

高齢化した被爆体験者の話を次世代の人が語りつぐ長崎市の事業です。

証言は被爆者の話をたんに伝えればいいのではなく、1年以上研修期間をもち、発声指導や原爆についてのレクチャーを受けて、はじめて生徒たちの前に立ちます。

話を聴いた生徒たちは、「被爆した時の体験をリアルに感じとることができた」という感想をもちます。

いまの中学生は、授業でも電子黒板を使い動画をみる機会、YouTubeなどで気軽に動画を楽しむ機会をもっています。

動画をみる機会が日常的にある生徒たちですが、人が直接被爆体験を語ってくれることから伝わるリアル感は、動画とは違って中学生に浸み込んでいきます。

いずれは、日本で被爆者がいない時代がやって来ます。その時代を見据えて、被爆体験を話す「人」のバトンが続いていくことを切望します。

語ることができなかった人たちの無念さを代弁することで、少しでも平和を実現させる役に立つことができれば、という願いで「交流証言」は今後も続いていきます。

社会に貢献する企業

2021年03月24日 07時24分00秒 | エッセイ



今は、高度経済成長期のように、いい製品を作り、大量生産して利益を得るやり方で企業が存続できる時代ではありません。

常に顧客からのフィードバックを受け、顧客のため、世の中のためになる製品やサービスに改善していかないと続かないのです。

社会全体がこのようになっているので、企業はその使命を明確にした方針を持つべきであり、働く人はその使命に賛同して、仕事のなかでその方針を実現します。

その方針に共感できる人たちが集まった組織では、職場満足度が上がります。

ところが、会社の方針を理解しない組織では、お互いの考えにすれ違いが起こり、「何か違うんだ」という違和感を感じるなです。

企業なので、利益はあげなければならない。

でも、自社の利益だけを追い求め、顧客や社会の利益を求めない組織は成長が見込めない。

そんな時代です。



ほどほどの緊張感

2021年03月23日 18時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ

 わたしは通算で6年間、中学校の校長を経験しました。
 
何度も全校生徒や学年生徒、保護者、地域の人たちに、校長あいさつや講話、スピーチをしましました。
 
なかでも、卒業式や入学式での式辞は、何度話していても緊張感をもちます。
 
大勢の人が注目していて、生徒たちにとっては一生に一度の式でであり、失敗できないからです。
 
けっして発言してはいけない禁句もあり、緊張感は高まります。
 
緊張感はあまり強いと、話す側にとってのプレッシャーになり、思い通りの式辞にならないことがあります。
 
しかし、ほどほどの緊張感をもちながらリラックスした気分で話したほうがうまくいく場合が多いようです。
 
 
緊張感は、乗り越える経験を積むと、習慣というかクセになります。
 
どんなに緊張感がある場面に遭遇しても、自分の役割をしっかりと果たすことが大切です。
 
そのあとには乗り越えたという自信をもちます。また、達成感を得ることになります。

これからのキャンパスライフ

2021年03月23日 08時44分00秒 | 教育・子育てあれこれ
新型コロナウイルス感染防止のため、大学がおもにオンラインで授業を行い、1年がたちました。

大学にあまり行かない学生が多くなり、大学生活にはどんな影響があったのかを考えてみます。

例年、大学では春にサークルやクラブが新歓(新入生歓迎)のイベントを行い、新入生が入部・入会をします。

ところが、去年の春はそのようなイベントができず、どこのサークル・クラブでも、例年の新入部員の数より大きく減りました。

学生は家にいることが多くなり、キャンパスライフを楽しむことができず、「同じ学部やクラブの友だちがあまりできなかった」と昨年1年を振り返っています。

「大学生になれない大学生」だった1年というディメリットがあったようです。

一方で、授業、生活、就活、友達のありかたについて、自分に向き合い、自分をみつめる時間を多くもつことができたというメリットもあったようです。

家でアプリを使い、動画を多く見ていた人もいます。

大学に行かず、家にいる時間がもったいなくなり、秋頃からバイトをなんとか見つけ、人間関係を広げることができた学生もいました。

4月から新年度がはじまりますが、いまの新型コロナの感染状況をみれば、大学生が自由にキャンパスに入る状況の変化は望めないでしょう。

それに、今後はコロナ禍が収束しても、すべての授業が対面式に戻るのではなく、オンライン授業が一定程度は残っていくことになることが予想できます。

そのようなウィズコロナ、アフターコロナの時期に、どのように充実した大学生活を送っていくかを、それぞれの学生が考えなければならない。

このような時代になっていくと予想します。

美しさは内面から発するもの

2021年03月22日 07時59分00秒 | 教育・子育てあれこれ


東京オリンピックの開閉会式の企画演出の総合統括を務めるクリエーティブディレクターが、1年前に女性タレントの容姿を侮辱する内容を提案していたことが明らかになりました。

これをメディアが、いま大々的にとりあげています。


しかし、日本人がふだん何気なく使う言葉にも問題性が隠れていたと、わたしは考えます。

テレビ番組やSNSの書き込みには、「美女」、「国民的美少女」、「顔面偏差値が高い」、「きれいどころ」、「イケメン」など、人の容姿をとりあげ、身体的特徴で人を評価する表現がいっぱい使われています。

テレビでは、MCやコメンテーターが日常的にあまり違和感なくそのような言葉を使うのはよくあることで、受け取る側も同じように使います。

ですから、このように人の容姿をもとにした侮辱行為は、今までそれを許していた社会にも責任があるとわたしは思います。

もちろん、個人がある人物について「かわいい」「かっこいい」「きれいだ」と心の中で思うのは勝手です。

でも、それに優劣を付けて、あたかもこの社会における標準的な美しさであるかのように扱うことには、問題性があります。

今回のオリンピックでの件は、その社会の問題の延長上にあるととらえるべきです。


では、本当の人の美しさとはなんでしょうか。

ある病院で感じたことがあります。

一人の看護師に、わたしは美しさを感じたことがあります。

その人は、薄化粧で、瞳は輝き、歯は真っ白、透き通るような肌でしたが、そのキラキラと光る美しさは、外見ではなく、内面から醸し出しているものでした。

自分の容姿は後まわしにしても、病気やケガの人を救うため、一生懸命に生きている人なんだと、私は感じました。

人の心を動かす美しさとは、けっして外見ではありません。内面から放たれる光が、人の心を動かすのであると、わたしはあらためて思います。

今、コロナ禍で自分のことは後回しにしてでも、身を削って、私たちのために使命を果たそうとしている看護師がいます。

その本当の美しさを、心に刻みたいと思います。




個性と「ふつう」のせめぎ合い

2021年03月21日 08時10分00秒 | 教育・子育てあれこれ

         

今の子どもは「個性を大切にする」とか、「個性を伸ばす」という価値観のもとに育っています。


また、その保護者の世代も同様だったと思います。


世の中全体も個性的に生きるという方向性で動いています。


個性を大切にするという価値観は、必要です。


ただ、個性や個を生かせるようにするためには、集団の中での「ふつうの」行動規範や常識を身につけることも必要になります。


公立の学校は、基本的に、集団の中で他の子といっしょに生活する力をつけることを目標としています。


その点では、いわゆる「ふつうの子」を育てるという役割を、学校はもっていることになります。


ふつうの子と個性のある子という、相反するような要素を両立させるという、けっこう難しい課題をもっていますし、敏感な子はその矛盾を感じて学校生活を送っていると言えます。


卒業式で「合唱」ができた

2021年03月20日 08時31分00秒 | 教育・子育てあれこれ
中学校の卒業式では、思春期を過ごす生徒たちが3年間を振り返る機会になります。

揺れやすい、多感な3年間を過ごしてきたので、卒業の喜びは、生徒にとっても、教職員にとっても感慨深いものになります。

多くの中学校が、通常は「卒業の歌」として、卒業生の合唱を式次第の中に組み込みます。

そして、それは式の最後の方に入れます。

たとえば、このようにうたいます。

(青色の部分を長押しして、聴いてください。)


感極まって涙する生徒、教職員、保護者もいます。

しかし、去年と今年に関しては、新型コロナウイルス感染防止のため、卒業式で学年全体合唱はできない学校がほとんどです。

そんななか、今年3月18日、兵庫県西宮市の中学校では、「動画での合唱」(リモート合唱)を行いました。

生徒はマスクをとり、顔を見せて一人ずつうたう様子を事前に動画におさめました。

それを約250名分あわせてスクリーンに映し出しました。

歌唱も人数分重ね合わせ、ハーモニーをつけたリモート学年合唱として、式で流したのです。

曲は「旅立ちの日に」で、前奏ではスクリーンに校舎が映し出され、卒業生の顔が歌とともに順番に出てきます。

それを全員で鑑賞すると、感極まって目頭を押さえる生徒もいました。

制限のあるなかでも、合唱をしたいという思いを実現できた卒業式であり、工夫次第ではなんとかなるものです。 








端末整備は手段てあり、目的ではない

2021年03月19日 08時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ
昨年からの新型コロナウイルス感染拡大に伴い、全国の小中学校でオンライン授業、オンライン家庭学習の必要性が高まりました。

その際、児童生徒が使うパソコンやタブレットを学校が準備できていないという問題が取り上げられました。

公立の小中学校では、端末やインターネット環境を整備するのは自治体の役割です。

じつは、国からはその前から、その費用が予算化されていたので、整備することは可能だったのですが、自治体は他の費目にまわしていて、学校の端末、インターネット整備は後まわしにしていたのでした。

その後、コロナ禍でオンライン授業の緊急度が高まりました。

そこで、今年度、国の「GIGAスクール構想」の予算を使い急ピッチで、児童生徒一人1台の端末整備を各自治体が進めてきました。

そして、このたび今年3月末には、全国の自治体の97.6%に端末とインターネット環境の整備が実現する見込みとなりました。

メーカーにすれば、全国の小中学生といえばものすごい数になります。突然の需要増に嬉しい悲鳴をあげることになりました。

しかし、供給が追いつかず、一部の自治体では納期が2021年度1学期、または2学期にずれ込むこととなります。

とはいえ、おおむね一人1台の端末とインターネット環境は整いました。

しかし日本は、ICT教育は外国と比較して遅れが目立っています。

今の時代、ICT教育推進は学校教育のなかで、必要不可欠になっています。

ここで、学校教育関係者留意しておくことは、ハードの整備は手段であって目的ではないということです。

児童生徒の学びを豊かなものにすることが目的です。

デジタル教科書を始めとするデジタル教材を授業の中でどう活用して、教員が児童生徒の思考力・判断力・表現力等を高めていけるのか。

授業者のデジタル教材の活用力が問われることになってきます。

一般的には、教員の中でも、若い世代ほどデジタルを活用する抵抗感が低く、ベテラン世代ほど苦手とする傾向があります。

学校全体として、組織的に教員のICT活用力を高めていくマネジメントが校長に求められています。



不合格生徒に贈ることば

2021年03月18日 07時53分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今日は大阪府公立高校入試の合格発表の日です。

幸いにして合格できた生徒にとっては、4月からの新しい高校生活に胸を膨らませるでしょう。

長かった冬が終わり、街は桜の花で包まれ、楽しい気分で、4月までの毎日を過ごすことができるでしょう。

おめでとうございます。

でも、残念ながら不合格だった人は、気分が沈み、落ち込み、つらい気持ちで過ごす人もいるでしょう。

たとえば、箕面市近辺のある府立高校の倍率は1.27倍でした。320人の募集に対して、受験者は405人だったのです。

ということは、320名が合格して、85名は不合格だったということです。

「併願していた私立高校へいくからいいねん」とすぐに気持ちを切り替えることができるのならいいです。

でも、不合格で、もし泣きたい気持ちやつらい気持ちでいるなら、こんな言葉を贈りましょう。

「できない、どうしようと考えるより、できる、どうやろう」と考えるほうがぜったいいよ。

です。

この言葉は「約束のネバーランド」に出てくる主役のエマが言ったものです。

気持ちを切り替えて、「よし、こちらの学校では、わたしはこれができる。どうやろうか」と意欲を高めるほうが、ものごとは好転していきます。

こう考えて、地面に突っ伏していたところから這い上がったとき、あなたのいる場所は少しだけ高くなっているのです。

高校生活を謳歌してください。