若い人は経験が少ない分、職場では教えてもらう立場になります。 学校の職員室でも、経験の少ない教職員は先輩教員に教えてもらうことが多くあります。
このブログを読んでいるみなさんも、職場に若い人が入ってきたら働く人としての物足りなさ感じることがあるでしょう。
だから、若い人を軽く見がちになることが、職場の傾向として現れたり、先輩の人たちのなかに見られることがあります。
しかし、孔子は『論語』のなかで、「後世畏るべし(こうせいおそるべし)」という言葉を残しています。
後世とはこれから活躍する若い人のことであり、「若い人のなかには、優れた能力を持つ人がいる。だからそれらの人びとには畏敬の念をもつべきだ」という意味を表しています。
当然ながら、若い人のすべてが優れているというわけではありません。
しかし、若い人の力を軽く見るのではなく、「おお、やったね」とか「すごいな」というように、何事も評価して、伸ばしていくような声かけが必要です。
そうすることにより、何よりも本人が前向きな気持ちになれますし、職場の雰囲気も明るくなります。
一例をあげれば、PCを使った作品を若い人がつくると、音楽や映像を駆使してすばらしいものを仕上げたりします。
たとえば、職場の部下の結婚披露宴に呼ばれたとき、その先生のクラスの生徒によるお祝いメッセージを入れたビデオを流すことがあります。
みごとにソフトを使い、駆使して、感動的な映像に仕上がっています。
それは友人の若い先生がつくったもので、高いクオリティを備えており、披露宴のお客さんは、中学生らしい言葉に皆が微笑み、じっと楽しく見入ってくださいます。
こんな技をもつのも若い先生です。私にはまねのできない作品です。
PC以外でも、若い人が高い能力を発揮することが多々あります。
したがって、若い人にはいつもおおらかな気持ちでいることが大切です。
私は、いま若い先生の授業を見て、指導をしていますが、あまり細かい点まで「ここができていない」「あれがよくなかった」などと指摘はしません。
まず、自分の授業をふりかえってもらい、「できたところ」と「できなかったところ」などを言ってもらいます。
そして、相手に質問して「どうしていったらいいと思う?」と問います。
「次は、もっと生徒一人ひとりが考えたことを発表する時間を増やします」。
このように答えた若い人は、自分の授業を改善する方針を自分の言葉で表現しているのです。
考えているだけでなく、それを自分の言葉にして表せば、実行力につながっていきます。
私は、それを認め、受け入れたうえで、自分の教職経験を語り、その若い人の方針を理論づけします。
こんなプロセスを踏んで、若い教員が育つのではないかと考えています。