2月末になり、学年の終わりが近づいてきました。
今日の全校朝礼では、各クラブの部長が3年生にお礼のあいさつを一人ずつ述べました。
あいさつの言葉にはどれも、感謝の気持ちが込められていました。
今日の校長講話を紹介しておきます。
「お世話になったと感じる心を」
みなさんは、「仰げば尊し」という曲を知っていますか。「仰げば尊し わが師の恩 教えの庭にも はや幾とせ・・・」
これは、ずっと昔は卒業式の定番ソングでした。でも、最近では、ほとんど歌われなくなりました。
これには、いくつか理由があります。まず、教師の方が「われわれは、それほど尊敬されるような師ではない。どうせ私なんか」と自虐的に言う場合があります。保護者からは、「教師への尊敬を強要している曲だ。とんでもない」という声があがったこともあります。
この曲はもともと外国の曲でした。それに歌詞をつけたのが明治時代の人でした。「卒業しても教育を受けた恩を忘れるな」という気持ちを生徒たちに伝えたかったそうです。恩を英語になおすとduty(義務)とかbenefit(恩恵)とか、kindness(親切)になります。でも、日本人にとっての「恩」は、英語ではなかなかうまくは表せないようです。
簡単に言うと、「恩」とは「お世話になった人への感謝の気持ち」というものです。だから「わが師の恩」という場合、教師が生徒に対して教育をしたり、面倒を見るのは仕事です。それに対して、お世話になったと感じるか感じないかというのは、個々の生徒の感じ方の問題です。
そこで、私は1年生の終わり、2年生の終わり、3年生の終わりに、三中生のみなさんに対して伝えたい。先生にお世話になったと感じる心をもってほしいというのが今日の朝礼の話です。
新潟県に上村さんという人がいます。新潟県で現在、11個もの薬局を開いています。この人は高校卒業後、小村薬局という会社に入社しました。小村社長の家に住み込み、ごはんを食べさせてもらい、昼は会社の営業、夜は大学に通わせてもらいました。上村さんは小村社長が最も期待する若手社員でした。
ところが、入社してから8年目に、上村さんは会社を辞めてしまいました。小村薬局の方針が気にくわないという理由でした。そして自分の薬会社を立ち上げました。8年間で鍛えられた営業力で会社は急成長しました。
しかし、このように、自分が成功するにつれ、若い頃、仕事を一から教えてくれた小村社長のことが気になりだしてきました。彼は、小村社長を裏切ったからです。彼は、このことがずっと心の隅っこに引っかかっていました。
上村さんは、ある日一大決心をして、小村社長の自宅を訪ねました。玄関を開けたのは小村社長の妻でした。実は小村社長はもうなくなっていたのでした。出迎えた小村社長の妻は、「上村君・・・」と言ったきり、黙ってしまいました。
仏壇に通されました。小村社長の遺影、つまり亡くなった人の写真を見たとたん、上村さんの目には涙があふれ出しました。涙は止めどなく流れました。しばらくして落ち着いたとき、横には、小村社長の妻がいました。
彼女は言いました。「将来有望な社員が辞めてしまって、夫は、それはそれはずっと落ち込んでいました。でもね、今日訪ねてきてくれて、これまでのいろいろなわだかまりが、全部消えました」
このような実話を聞くと、私は思います。(以前もみなさんに言いましたが、)人間は4つの恩を感じるべきだということです。①生んでくれた恩 ②育ててくれた恩 ③教育してくれた恩 ④仕事を教えてくれた恩。人は節目になると、お世話になった人のことを思うのです。
上村さんのエピソードは、「仕事を教えてくれた恩」です。学年が終わりに近づいたという節目に、みなさんに今日考えてほしいのは、「教育してくれた恩」です。
みなさんには、三中の先生にお世話になったと感じる心をもってほしいと、私は思います。みなさんが恩に気がつかず過ぎてしまうと、つまずくことになるでしょう。これからの人生の荒波を乗り越えていけなくなると思うからです。
人は、自分が誰かに支えられてきたことに気がついてこそ、他の人を大事にできるのだと思います。
(書籍「すごい人」水谷もりひと著を、一部引用させてもらいました)