箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

先を争わない

2021年04月30日 07時44分00秒 | 教育・子育てあれこれ
我先にと、水は争って先に流れようとはしないものです。

他者を押しのけて、自分が先に行こうとすると、軋轢が起こり、周りと争うことになります。

流れる水は、いっしょに流れているわけであり、周りを押しのけているわけではないのです。

流れる水は先を争わず。

人の生き方もこうありたいものです。







増える外国人児童生徒

2021年04月29日 07時19分00秒 | 教育・子育てあれこれ


1990年に入管法が改正されました。
この改正で「定住者」という在留資格が設けられました。

その後押しがあり、日本で暮らす外国人は増加してきています。

2017年の在留外国人の数は、約250万人になり、日本の全人口の2%となりました。

ただし、外国人が日本各地の自治体にまんべんなく増えているかといえばそうではありません。

自治体による多い・少ないがあります。工業団地や大手の自動車工場、家電関連の製造業がある自治体に外国人は多く住みます。

このように外国人が増えたことで、特に教育の分野で顕著になった課題は外国籍をもつ児童生徒や外国につながる児童生徒の教育環境をどう整備するかということです。

たんに日本語が話せないということだけにとどまりません。

文化、宗教、生活習慣がちがうためとまどいが大きくなります。どう共生していくという視点は、日本人にも外国人にも求められます。

いまは、学校と行政、関係機関が連携し、多文化共生に取り組む必要があります。


外国籍児童生徒には日本語を習得させればそれでOKとはなりません。

社会で生活するのに必要な情報を多言語で出すことが必要です。

また、日本語を習得させるだけでなく、その生徒のルーツとなる母語を保障するという課題もあります。

たとえば日系ブラジル人でポルトガル語を話す生徒なら、ポルトガル語を使うことは、その子のアイデンティティにかかわるのです。

また、日本の高等学校や大学へわが子を進学させたいと希望する保護者が増えてきています。進路指導や進路支援を充実させなければなりません。

その願いを実現させようと取り組んでいる中で起こったのが、新型コロナウイルス感染症でした。

保護者が仕事を失ったり、収入が減ったりして、帰国するので退学を申し出るケースが出てきています。

特に、コロナ渦での失業や解雇は、「雇用弁」とした扱いを受ける外国人労働者にまっさきに現れやすいのです。

でも、教育でいえば外国人の児童生徒が増えることで、日本の児童生徒もこころ豊かに成長できます。

「ともに生きる」という価値を児童生徒に知らせ、行動につながるようにするのは、、学校教育の役割の一つです。


わたしは地元の大学に行く

2021年04月28日 07時41分00秒 | 教育・子育てあれこれ


2021年度入学生の大学入試は、「センター試験」から「共通テスト」に変わる制度変更と新型コロナウイルス感染拡大が重なり、いつもとちがう様相を呈しました。

受験生は、制度変更への不安と感染拡大を懸念して、「早く進学先をきめたい」という気持ちを高めました。

そのため、一般入試で国公立大学に合格できそうな学力をもつ受験生の多くが、年内に行われる入試で進学先をきめるというケースがありました。

年内に行われる入試は「総合選抜」(以前のAO入試)、「学校推薦型」(以前の推薦入試)ですが、とくに「学校推薦型」には希望者が集中しました。

今年の1月の「共通テスト」に志願した受験生は、昨年度までのセンター試験より2万人以上減少しました。

また、大学受験浪人になりたくないため、できるだけ現役で合格したいという志向が一般入試にも現れました。

国公立大学に関しては、全国から受験する東京大、京都大など志願者が減りました。

その一方で、東北大、名古屋大、九州大などは受験生が増えました。

つまり、コロナ渦でオンライン授業が継続するのではないかという不透明な大学生活を予想して、地元の大学を希望する傾向が強く出たようです。

私立大学に関しても、ほとんどの大学の志願者が減りました。総数で言うと15%程度減りました。

首都圏・関西圏の私立大(総合大学)の多くが、それぞれ1万人以上の志願者減となりました。(明治大、早稲田大、法政大、中央大、青山学院大、日本大、立命館大、近畿大、関西大、同志社大などで志願者が減少)

地方の受験生が大都市圏の大学を避け、地元志向を強めたのでしょう。

今年度もコロナの収束が見通せないでしょう。また、経済状況が悪化する中で、たくさんの大学を受験するのではなく、地元志向・安全志向が強まるでしょう。

なおかつ、18歳人口が減少する傾向が重なり、志願者が集まる大学と定員割れを起こす大学の二極化がさらに進行するのではないかと予想します。

こんなときには、大学側の入試に関する発想も大切になります。

たとえば、感染症対策を完全に行った上で、対面授業を約束する大学。
共通テストを利用して受験する場合は受験料を免除する。
一般入試の出願を試験日の前日まで受け付ける。

このように、受験生の目線にあわせた戦略を打つ大学など、ほかの大学とちがうアピールポイントが求められるのかもしれません。


教師のほうからはたらきかける

2021年04月27日 17時40分00秒 | 教育・子育てあれこれ
教育雑誌に以下の記事がのっていました。
紹介します。

「背中を押す教師のひと言」 

細谷レックスマーク賢治さんは、来日1年くらいで日本語が話せるようになりましたが、日本社会の常識とブラジル人の両親の常識の狭間でずっと苦しんできました。

賢治は小学生の日本人と仲良くなるにつれて、日本の常識に染まっていきました。日本の冗談をおもしろがり、Jポップを好きになり、日本のファッションに魅了されました。

だが、家に帰って親にそうしたことを話すと、きまっていやな顔をされました。

原因は親が日本にとけ込めていないことでした。彼らはブラジルの常識で生きているので、日本の冗談を聞いても「何がおもしろいのかわからない」と言うし、日本の歌が流れれば「消せ」と言いました。

賢治が日本に染まれば染まるほど、溝は大きくなっていきました。印象的なのは先輩・後輩の関係でした。

ある日、賢治が学校の先輩に敬語で話をしていたら、親が怪訝そうに言いました。

「おまえ、なんであんな日本人にペコぺコしているんだ。いったいなんのつもりなんだ?」
 
賢治は日本の慣習で先輩を敬っていました。だが、ブラジルには先輩・後輩の上下関係がないため、両親の目には息子が過剰なまでに他人にこびへつらっているように映ったのです。

賢治は当時をこう振り返ります。

「学校での常識と家での常識が違うっていうのは子どもにはきついんです。日本に寄れば親から文句を言われ、親に寄れば友だちから笑われます。何を基準にして生きていけばいいのかわかりませんでした。

僕は小学校高学年くらいから、そのギャップに苦しんで迷走しはじめました。両親のするハグやキスといった習慣を嫌ったり、家でわざと難しい日本語をしゃべってみたりした。

でも、小学校では僕はあくまでブラジル人として見なされ、からかわれることもある。自分がどっち側の人間なのかわからなくなりました」

そんな迷いのなかで、賢治はインターナショナルスクールへ通うことを選びました。外国人ばかりのなかで生きていったほうがいいのではないかと考えたのでした。

だが、そこでは別の壁にぶつかりました。ほとんどの外国人生徒が一流企業に勤めるエリートの子どもたちでした。賢治のような日系ブラジル人の出稼ぎ労働者は稀で、それが原因で嫌な思いをすることもありました。

日本の学校、ブラジル人家庭、インターナショナルスクール。いずれにも溶け込むことができず、高校1年から1年ほど不登校になりました。自分はこのままドロップアウトしていくのだろうと思いました。

幸運だったのは、高校2年の担任の先生が、賢治に歩み寄ってくれたことでした。その先生は言いました。

「きみの不安はわかる。僕が支えられるところは支えるから、信頼して学校に来てみないか。今を乗り越えれば、将来何だってできる。がんばっていこう」。

賢治は初めて自分を理解してくれる大人と出会ったことで心の支柱ができました。無理に何かに合わせるのではなく、揺らいでいる状態こそ自分のアイデンティティなのだと考えられるようになりました。

そして再びインターナショナルスクールに通いはじめ、高校卒業後はカナダに留学。そこで本格的に英語を学んで、ポルトガル語、日本語、英語を自在に操れるようになり、帰国してIT企業に就職しました。

〈月刊『教職研修』2021年4月号(教育開発研究所発行)の「ルポ 学校からこぼれ落ちた、外国人の子どもたち 第13回」(ノンフイクション作家 石井光太)より〉



このように、外国につながる子どものアイデンティティは、自分のルーツのある国と日本という国の間で、揺れ動き、悩みをかかえていることが多いのです。

教師が、どういうまなざしでその子たちを見ているかが問われるのです。教師の側から、その子たちに働きかけることが不可欠です。

とくに教職経験の少ない教師には、自分は多数派・マジョリティとしての特権を持っていることを自覚してほしい。

日本という「社会」が「外国人」をつくりだし、その子たちをどういう位置に置いているかを見つめてください。

学校で「みんなが」というとき、その中に少数派・マイノリティになる外国につながる子が含まれているかを考えてほしいのです。

テレワークの難しさ

2021年04月27日 07時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ
新型コロナウイルス感染拡大で、1回目の緊急事態宣言(2020年4月7日~5月21日)が出た際にテレワークが増加しました。

約25%から約55%にまで拡大しました。

しかし、その後は30%台にもどり、現在に至っています。

ただし、今回の4都道府県の緊急事態宣言により、すこしは増えるかもしれませんが、1回目ほどは増えないのではないでしょうか。

テレワークが拡大しないのは、職場のコミュニケーション不全のが起こるという問題がありますし、労務管理の難しさもあるようです。

オフィスに出勤した従業員に業務が偏りがちです。

また、家にいれば子育てのことや家事など、どうしても仕事を離れる空白の時間が生まれます。

実際の労働時間や状況を上司は把握することなく、人事評価が行われます。

上司に仕事をさぼっているのでないかと思われないかなど、細かいことですが不安はつきないようです。

労働者とすれば、労働時間をしっかりと把握して、その時間内の成果を評価してほしいと願うのでしょう。

また、同僚の姿が見えない、また仕事上必要な言葉のやりとりができない。このことで、自分がどのような役割を果たしているのかもわかりにくい。

学校教育の観点では、児童生徒はクラスメートのようすわからなかったり、コミュニケーションの機会がなければ、不安になります。

課題を抱えた子ほど、その傾向が強いのが昨年度の全国一斉休校のあと明らかになりました。

これは、おとなでも多かれ少なかれ同じなのでしょう。

つまりテレワークは、企業側としてみれば、従業員の管理があやふやになり、従業員側では正しく評価されるだろうか、自分の位置づけはどこにあるかなど不安が交錯する。

こういった状況で、思ったほどテレワークが広がらないのが実情のようです。

文章に没頭するのが国語の醍醐味

2021年04月26日 07時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ

国語の授業で教科書に出てきた文章(小説、詩、俳句・短歌など)に触れた生徒が、本のおもしろさに気がつくことがあります。

そこで、図書館に行き、本をかりて読みます。または、本屋さんで親に本を買ってもらう。このようなことが実際にあるのです。

国語の指導で大切なことは、学習者(生徒)が授業者(教師)のはたらきかけにより、文章に没頭する機会をもつことです。

生徒は教師の解説を聞き、教科書の文章をじっと読み込み、文章の理解を深めていきます。

このようにして、生徒が内面の世界を耕す時間が国語の授業の醍醐味ともいえるものです。

その意味で、来年度より高校の国語の教科書から小説が少なるのは、心もとない気がします。

また、いま「主体的で対話的な深い学びの学習」の推進が、どの教科の授業でも必要になっています。

しかし、教職経験の少ない国語科教師がカタチから入ると失敗します。
授業者が質問をして、生徒は机を合わせ班になり、自分の考えや意見を交流し、班ごとに発表するというカタチだけの授業に陥ることがあります。

これでは、本当に個々の生徒が深く考えることができたかというと、大いに疑問があります。

とくに、国語では顕著に表れますが、学習者の吸収力は、人の話をじっくりと聴く態度から生まれます。

そのようにして、個々の生徒がじっくりと考えたことを、他の生徒と交流することで、ちがった見方や視点に気がつき、吸収したり、自分の考えや意見を修正していく。

このような活動ができていれば、必ずしも班にしなくてもいいのです。となりどうしの二人1組で交流してもいいのです。

生徒が主体的に考え、他の生徒と対話して、学びが深まればいいのであり、方法はさまざまです。

子どもを見るたくさんのおとな

2021年04月25日 09時37分00秒 | 教育・子育てあれこれ


教師は、つねに「いま、わたしは子どもを見ることができているか」を自省しなければなりません。

子どもを見れていると思っても、じつは見えていない部分があるのでないかと問い続けなければなりません。

たとえば、最近遅刻が多くなった生徒がいるとします。

「遅刻しないで、間に合うように登校しなさい」と、教師は言う必要はあります。

しかし、その生徒はひとり親家庭で、最近母親の体調がよくなく、じつはその子が家事をかわりにしている。家庭状況を知ることで、見えてくることがあるのです。

子どもは家庭生活、地域での生活を背負って学校に来ているのです。

それを知った上で、『遅刻しないように」と言うのと、知らずに言うのでは言い方も変わるし、教師からの声かけの意味も変わります。

「家庭で、お母さんを助けるのは、たいへんだね。学校に遅れてくる様子を見ていて、わたしは心配しているんだ。応援しているよ』

このように、言葉にして伝えるにしても、教師の胸の中にとどめておくにしても、その子のことをちゃんと見ることができている、理解しているかどうかが、その教師に問われているのです。

また、「子どもを見る」には、多くの教師で見た方がいいのです。その点で、中学校の教科担任制は、生徒を理解するのによくできたしくみであると思います。

たくさんの教師が、生徒にかかわるので、学級担任が気づかないことでも、教科の授業で担当の教員が気づくこともあります。

また、学級担任が、教科担任に、その子についての現状や情報を伝え、共有することで、ほかの教員もその子のことを理解することができるのです。

そして、その生徒は、「わたしは多くの先生から見守られている」と感じることになります。

楽しく気軽な集まり

2021年04月24日 09時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ
「住み開き」が、静かなブームとなっています。

自宅の一部屋を他者に開放して、地域交流の場にしたり、私設の図書館にして、使ってもらう場のことです。

全国的に、いま広がりつつあります。

確固たる活動内容はきまっておらず、ゆるやかな人間関係の場になっています。

週末だけカフェを営業したり、趣味の教室を開いたりします。

大阪市に空堀商店街がありますが、路地裏の長屋に住んだ梅山晃佑さんが、遊びと学びの場として二畳ほどのスペースを開放しました。

そして、SNSで呼びかけ、会員登録をして、5人ほどの参加希望者がそろうと、「二畳大学」の開催です。

「楽しく、気軽に集まる」をコンセプトに、まじめなテーマからゆるいものまで、取り扱うテーマはさまざまです。

二畳大学では、集まった人が自分たちで好きに学部・学科をつくります。


「カレー学科」では、カレーの好きな人が集まり、食べ比べをしたり、ちがいを研究したりします。

ルールに縛られず、学びができるので、自分で考え、自分の言葉での学びができます。

学習は本来、自由にできる環境がそろって意欲が高まるのです。

今の時代、ゆるやかなネットワークが、つながるけど、縛られないという人間関係が好まれるようです。







学級担任としての自覚と覚悟

2021年04月23日 08時28分00秒 | 教育・子育てあれこれ


今の小中学校では、教員以外の専門的スタッフが配置され、児童生徒の健やかな成長に寄与する体制づくりが進んでいます。

たとえば、スクールカウンセラー(SC)やスクールソーシャルワーカー(SSW)学習支援員、教育相談員、通級指導員などが配置されています。

また、特別支援教育に関しても、校内の教員の中から特別支援教育コーディネーターを選任し、教員がSCや教育相談員と連携し、チームとした教育を進めています。

しかし、その一方で気になることがあります。

子どもにかかわる大人が増えることにより、学級担任の役割と意識が薄くなることです。

これはとくに教職経験の少ない若手教員に見受けられます。

たとえば、課題のある児童生徒に関して、専門的な観点からアセスメント(支援・指導の方向を定める「見立て」のこと)をするときに、保護者の了承を得て、発達検査を行う場合もあります。

そして、発達障害が明らかになったりすると、「そうか。この子は○○だから、できないんだ」と妙に納得するのです。

言葉は適切でないかもしれませんが、子どもに「ラベル張り」をして、安心してしまう例が散見されます。

アセスメントをするのは、その子にあった支援がどうあるべきかを検討し、多面的・効果的な支援を行うためにあるのです。
学級担任が思考停止してしまうためではないのです。

学級担任なら、その子の特性、能力をまるごと引き受けていくのです。クラスの子、誰ひとりとり残すことなく、信頼関係を築き、指導・支援にあたるのです。

通級指導員や専門スタッフに任せようとして、課題のある子を自分の視界から外していないか、いま一度ふりかえってほしいと思います。

そんな担任の姿勢をクラスの子どもたちはよく見ています。どの子のことも大切にする学級担任がいるから、子どもはクラスメートを、仲間として受け入れ、かかわりあうのです。

おとながチームとして子どもにかかわることは大切です。しかし、専門的スタッフをはじめ、その子にかかわる教職員を調整して、最終的な責任を引き受けるのは学級担任です。

それだけの役割を覚悟して、子どもの成長とともに成長する教員であってほしいのです。

年度当初に、そう思います。




合理的配慮を理解する学習

2021年04月22日 07時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ
繁盛しているラーメン屋さんがあります。

昼食時には、並んで待つ人が出ます。

店主が張り紙をしました。

「昼の混雑時には、車いすの人はお断りします」という文面が書かれていました。

あなたは、この張り紙について、どう思いますか。

①混雑時であっても、車いすの人がラーメンを食べることができるのが当たり前だ。

②車いすは場所をとるから、遠慮してほしいというのは当然だ。

③店主は、車いすの人をシャットアウトしているのではない。混雑時はご遠慮してほしいと言っているじゃない。

いろいろな意見があるでしょう。

しかし、法に照らして言うならば、①でなければなりません。

障害者差別解消法(2013年成立)が定める「合理的配慮」を、この店は守っていないことになるからです。

障害のある人もない人もお互いを認め合いながら共に生きるために、事業主は合理的配慮を行うことが、この法律に規定されています。

合理的配慮とは、障害のある人が障害のない人と平等に権利を保障され行使できるよう、一人ひとりの特徴や場面に応じて、困難を取り除くために行う個別の調整や変更のことです。

しかし、一般的にいって、いまの日本社会の人びとの意識は追いついていません。

2017年に、奄美空港でバニラエア航空の飛行機に乗ろうとした車いすの男性が、搭乗を拒否されました。

その男性は、腕を使いタラップをよじのぼりました。

この事件は大きな反響を呼び起こし、けっきょくバニラエア航空は男性に謝罪し、以降、階段昇降機の設備を整えました。

こんな例もあるのですが、世間からはバッシングの声が当事者に寄せられたといいます。

飛行機に乗るのなら、なぜ前もって相談しなかったの。

車いすの人は時間がかかるから、離陸時刻を遅らせたりするかもしれない。理不尽な要求だ。

このようにして、障害者が声を上げると世間からはバックラッシュともいえる反動が起きることが多いのです。

SNSでは、匿名で自由にコメントできるので、「炎上」にもなります。



さて、学校教育の中で、児童生徒が学習する際には、前述の事例を紹介して、社会で起きている問題について、正解ありきではなく、どう思うかを自由に話し合わせたらいいと思います。

児童生徒からさまざまな意見が出るでしょうが、言いっぱなしにしてはいけません。

教師が、「こういうことなので、みなさんもそのように思いなさい」と押し付けるのではありません。

合理的配慮という価値観を話し合いの中に組み込むことができるかが、指導者としての力量が試されます。

そして、困難を取り除くために個別の調整や変更が行われるのが当然だという、すべてのこどもが納得できる合意を形成するのです。

このような、話し合いによる納得解を導く学習を展開していく必要があります。

そんな学習を積んだ子は、実際に自分がその場面に出くわしたとき、適切な行動をとれるおとなになれると、わたしは考えます。



生徒に求めるなら

2021年04月21日 07時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ


生徒に学習しなさいというなら、教師は研修を積み、研究に勤しんでいるのか。

生徒に友だちを大切にしなさいと求めるなら、教師は人を大切にしているか。

生徒に自分で将来の進路を考えなさいと言うなら、教師は自分の生き方を見据えているのか。

生徒に胸を張って生きなさいと言うなら、教師は自分に誇りをもっているのか。

教師とは、書いて字の如く「教える師」です。

本来、自分ができていないことを、生徒に求めてはならないのだと思います。

また、自分が努力していないことを生徒に求めることはできないのです。
 
子どもの教育に従事する者は、自らの生き方を正さないと、自分の持っているものを与えることはできないのです。

授業でも、生活指導でも、教育への情熱をもち、自分の教育に責任を持つ人でないと、プロの教師ではありません。

また、とくに経験年数の少ない教師で、生徒とあまり歳が離れていない教師のクラスにありがちな、誰が先生かわからないような状況では、教育は成り立ちません。



看護師さんは、学校でも必要です

2021年04月20日 07時49分00秒 | 教育・子育てあれこれ
新型コロナウイルスの感染拡大で、看護業務にあたる看護師さんの尽力や苦労が注目されています。

今回のブログは、看護師のサポートを必要とする医療的ケアの児童生徒についての話題をとりあげます。

大阪府箕面市の場合、小中学校の支援学級には、学級数だけの支援学級担任(教員)が配置されています。

かつ、障害のある児童生徒の学校生活上の介助や学習サポートのための介助員(「支援教育介助員」)が市費で配置され、支援学級スタッフとして、支援学級担任と連携し、在籍児童生徒の支援にあたります。

なかでも、学校によっては、支援学級に医療的ケアが必要な児童生徒も在籍してます。

その子たちには看護師免許をもった介助員が配置され、医療的なケアにあたっています。今年度当初は、6校の小学校に12人の看護師が派遣されています。

わたしが以前教頭をしていた中学校には、小学校高学年の時、地域で交通事故に遭い、瀕死の重症を負い、その後一命を取り留め、入学してきた女子生徒がいました。

その生徒は、生命・生活維持のため、痰の吸引や経管栄養を注入する必要がある生徒でしたので、看護師免許を持つ介助員さんが行う介助をかたわらで見させてもらっていました。

余談ですが、あるとき通常学級の男子生徒が、片方の腕をガラスに突っ込み、大きく出血するという事故がありました。

養護教諭が不在時で、本務ではないのですが、たまたま居合わせたその看護師が、止血等の応急手当に当たりました。

さすがに、大量の出血にもひるむことなく、見事な手つきで、キビキビと対応されたことに深く感心したことを思い出します。

さて、医療的ケアに関しては、箕面市の場合、医療的ケアの必要な児童生徒の対応に当たる看護師の応募は多くなく、教育委員会は求人に苦心しているのが現状です。

このような現状があるので、箕面市の隣の大阪府豊中市では、今年の4月から医療的ケアを行う看護師を、市立豊中病院から安定的に小中学校に派遣する施策を始めました。

学校での看護業務は、病院勤務に比べ時間が短く、給与も少ないのが現状で、学校より病院で働くことを希望し、離職することが多いのが実情です。

そこで、この4月から豊中市では所属を病院の「地域医療連携室」に切り替え、教育委員会と併任できるようにしました。

これにより、通常は学校で勤務しますが、夏休みなどの長期休業中は病院で業務にあたることも検討しています。

給与は病院勤務の看護師と同じ水準にまで引き上げ、市が負担することになります。


全国的に、医療的ケアの必要な児童生徒のケアに当たる介助者は不足しています。なかなか看護師が集まりません。

そのため、保護者の付き添い登校を求める自治体も多くあるのが現状です。

そこで看護師免許を持つ人を確保するため、豊中市のように、病院の協力を得る自治体の取り組みがいくつかの地域で始まりつつあります。

インクルーシブ教育の理念に則り、医療的ケアの必要な児童生徒も、地域の学校に通えるための制度の充実拡大が望まれます。

ただ、制度が整えばそれでOKかといえばそうではありません。看護師を受け入れる学校の教職員側の意識向上も必要です。

看護師は子どもの健康状態をいちばんに考えます。教員は、どちらかといえば子どもの力をどう生かすかを重視する傾向があります。

そこで、意思の疎通がうまくいかない例も散見されます。

教員が、その相違点を理解する必要があるように思います。

学校では少数職種の教職員は少数派になり、学校で孤立しがちなのです。

看護師さんが孤立しないように、管理職をはじめ教員がサポートするしくみが必要です。

家族の介護・世話をする生徒

2021年04月19日 08時34分00秒 | 教育・子育てあれこれ


学齢期の子どもが家族の介護や世話をしている課題について全国調査の結果が出ました。

(いわゆるヤングケアラーですが、この言葉には現在のところ、法令上に認知されてはいません。)

それによると、公立中学校の2年生の5.7%、高校2年生では4.1%が、介護や世話をしていることがわかりました。

5.7%といえば、約17人に1人いることになります。4.1%は24人に1人いることになります。

その子たちは、家族が行政、地域から孤立しがちであり、だれにも相談せずにいることが多く学業や健康面での影響を受けていると危惧されます。

では、それらの生徒たちは誰を介護したり、世話をしたりしているのでしょうか。

中学生はきょうだいが61.8%、父母が23.5%、祖父母が14.7%です。

高校生はきょうだいが44.3%、父母が29.6%、祖父母が22.5%です。

1日につき、介護や世話に平均4時間を使っています。食事、入浴、トイレの解除、掃除、洗濯の家事、保育園の迎えなどをします。

これにより、学習時間がとれない、自分の時間がもてない、精神的に負担が大きいなど、子どもへの影響が出ています。

そして、介護や世話をしていることを周りのおとなに言わない傾向があります。

大人が担うような介護や世話を引き受け、家事や家族の世話、精神面のサポートを行う子どもには、相談窓口が活用でき、支援につながる行政や地域、大人のサポートが必要です。

制服を着たい生徒たち

2021年04月18日 07時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ
先日、テレビで朝の情報番組を見ていました。

その中で取り上げていたのは、学校の服装でした。

制服か私服か選択制かについて、番組のコメンテーターはおおむね、選択制の支持に傾いていました。

多様性を尊重して、それぞれの生徒や保護者が制服か私服を選択できる幅があることが望ましいという理由からでした。

ところが、生放送中に視聴者アンケートをした結果が出ると、出演者一同が意外そうでした。

制服支持が一番多く、次に選択制、最後に私服支持となったからでした。

でも、わたしはこの結果が順当だ思いました。

今の制服は、高校ではブレザーにスラックスかチェックをあしらったスカートが圧倒的に多く、ファッション性の高いものや、デザイナーがデザインした制服もあります。

生徒たちは気に入っています。

また、いまは制服をブレザーにしている中学校も増えています。男子の詰襟学生服もありますが、女子のセーラー服の学校も多く、この時期にしか着れない服なのです。

以上が、現場に身を置いていたわたしが考える生徒の実感です。

1970年代には、生徒会が学校に制服廃止、私服を認めさせる運動をした時期が、かつてはありました。

わたしの通った大阪府立の高校は、私服の着用を認めていた(標準服という制服のよくなものはありました)、当時にしては珍しい学校でした。

それでも、毎日私服を着ていた生徒は、ほとんどいませんでした。

コメンテーターが、番組の最初で、選択制が多いだろうと予想したのは、多様性を認める時代を意識してのことでしょうが、感覚が少々ズレていたようです。

今は、ファッショナブルな制服が多く、その学校の生徒であるというアイデンティティを示すものとしての役割を果たしています。

生徒たちは、「この制服を着ることができるのは、今の時期だけ」とわかっています。

だから、今の時代、制服支持が多くなるのです。



熊本市が目指す授業改善

2021年04月17日 09時47分00秒 | 教育・子育てあれこれ
熊本地震から5年が経ちました。

この地震は、さまざまなところに大きな被害をもたらしました。

学校教育の関係でいえば、授業ができず、児童生徒の学びが止まってしまうという影響がありました。

その頃、政令指定都市の中で、熊本市の学校のPC整備は大きく低迷していました。


そこで、熊本の復興を担う子どもたちの未来に予算をつけるという考えのもと、熊本市では令和2年度からの学習指導要領の実施に照準をあわせ、授業改善・ICT機器の整備に、ハード面・ソフト面での充実に注力してきたのでした。

そこに降ってわいたような、新型コロナウイルス感染危機による2ヶ月間の休校でさした。

しかし、熊本市では、平成30年度から順次小中学校にICT機器を整備して、令和2年3月には教員に一人1台、児童生徒には3クラスに1クラス分のタブレット端末が整備されていました。

その下地があり、熊本市は、全国の学校が長引く休校で学校再開の見通しが立たない中、いち早く4月15日よりオンライン授業をスタートさせることができたのでした。

また、タブレット端末はWiFi環境に関係なくインターネットに接続できる「セルラーモデル」を採用しました。

端末にかける利用制限も最小限にとどめ、児童生徒が家庭で積極的に学習に活用できるように配慮したのでした。

さらに、よく課題になる教員の操作不全に対応する支援を教育委員会とICT支援員が行いました。

いま熊本市は、ICTの整備は手段であり、目的ではない、目的は授業改善であり、子どもの学びの保障であるという方針で鋭意取り組む自治体です。