箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

高校授業料無償化の課題

2025年02月28日 07時22分00秒 | 教育・子育てあれこれ
いま高校の授業料無償化について施策案がどんどん進んでいます。


子どもが私立高校に通う世帯へ支援金を出すにあたっての保護者の所得制限が2026年度から撤廃されます。また、支給額の上限を45万円程度に引き上げます。公立高校の場合は、2025年度から所得制限がなくなるのです。


これにより、高校生のいる家庭の経済的負担はもちろを軽くなります。


今では高校進学率が100%近くになっているなかで、家庭の経済事情にかかわらず進学先を選べる環境を整備する施策が必要だというのは、むろんわかります。


しかし、わたしはこの施策には疑問をもたざるをえません。それは、私立の進学校が集中する首都圏をはじめとする都市部では公立高校離れが進む可能性があるからです。


大阪府は歴史的にも公立高校志向が強い地域性がありました。

そこに、ここ10年間ほど全国に先立って私立高校の授業料無償化を進めてきました。


その結果、2024年には府立全日制高校の約半数が定員割れとなりました。このまま私立高校を選択する生徒が増えたなら、私立高校の財政が潤い、教育環境をさらに整備が進みます。


そして、公立高校と私立高校の差がさらに広がることが懸念されるのです。


大阪府の場合、今でも公立高校と私立高校の設備上の差は歴然としています。


たとえば私立高校の教室の扉はスチール製が当たり前ですが、公立高校の場合は木製の合板のはりあわせが残存している場合もあります。

そのようなことは、現場の教育関係者しか知らない場合が多々あるのです。


また、タブレットの導入についても、潤沢な財政の私立高校ではいち早く高価なiPadを採用しましたが、財産上の制限がある公立高校では価格が低めのAndroid版のタブレットの導入が多かったのです。


教育環境整備上の差がある中で、授業料無償化を進めていけば、生徒や保護者は私立高校進学を希望しても不思議ではありません。


このままいけば、大阪府で残るのは、歴史のある名門の超進学校だけになってしまうのではないかと思います。


さらに、所得制限の撤廃によっていちばん恩恵を受けるのは高所得層の保護者です。


無償化で浮いた費用を学習塾に回すことが加速され、経済格差は広がり、貧困層の富裕層の学力格差は今以上に広がります。


つまり、公立高校と私立高校を同列に扱い、授業料無償化という「大なたを振る」ことに問題があるのです。


学校教育関係者を交えて、議論を進めていくことなく、分野違いの現場の実態を知らない政治家が、保護者向けにウケのいい施策を考案しているように、わたしには思えます。


すべての子どもには等しく教育を受ける権利があるのが公教育の大原則です。


家計の負担軽減ばかりに焦点が当たり、教育の抱える問題を直視せずして、本当に必要な事業施策は見つからないのです。












「きょういく」と「きょうよう」

2025年02月27日 09時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ



わたしは60歳で校長を定年退職をしましたが、その後も学校教育関係の仕事をして、今は教員志望の大学生に授業をしています。


教員採用試験に合格できるように、サポートをする役割です。


大学生は、おしなべて熱心に授業に臨んでくれます。


ただし、わたしはただ合格するための「教職教養」の知識学習をしたり、面接試験のテクニックを身につけてもらうだけを目的にはしていません。


合格すれば翌年は教諭として教壇に立つわけですから、採用試験のための知識が現場でどう反映されているか、つまり知識と現場での実践の間をつなぐように腐心しています。


その意図に応えて、熱心に学習してくれる大学生を相手にするのは、とてもモチベーションが上がります。




考えてみれば、人間は歳を重ねても好奇心を失わないことが必要なのだと思います。


ひとりでいるときも、他者と関わるときも、好奇心がないと何もやる気が起きなくなってしまいます。


たとえば定年退職したり、子育てが終了したりすると、人間はすることがなくて無気力になってしまう人もいるでしょう。


教員を定年退職した先輩の方から聞いたことがあります。


退職教員がずっと元気でいる秘訣は「きょういく」と「きょうよう」であると。



今日行くところがある。

今日用事がある。


うまく言い当てていると思います。



好奇心を失わない人の気持ちは若く、活力を保つことができるのだと思います。


かりにひとり暮らしになったとしても、ひとりの時間を充実あるものにできると思います。






習いごとの大切さ

2025年02月26日 04時50分00秒 | 教育・子育てあれこれ
子どもの頃の習いごとには、一定の意味があります。

それは、子どもの自己肯定感やレジリエンス(粘り強さ)などを高めます。また、将来の進路の選択肢を広げるなどの意味を見いだすことができます。

小学生がいる世帯の親を対象にした全国調査(2022年)では、世帯年収300万円未満の家庭の子どもの3人に1人が、この1年で学校外での習いごとの体験が「ゼロ」でした。

しかし、年収600万円以上の世帯の子どもと比べると、習い事をしない子どもは2.6倍にもなる多さです。




さらに、親自身に子どもの頃の体験の有無を聞くと、親がゼロでその子どももゼロだった割合は5割を超えています。


つまり親の所得の格差は世代間で連鎖するのです。


体験の格差は連鎖し固定化していく傾向があるのです。



習いごとをやってみたい子には、チャレンジできる補助やサポートの充実が望まれます。


ただ、体験に関心が高まるのはいいですが、その意味をとりちがえて、「そうなのか、うちの子にも体験をさせないと」と慌てる親もいるようです。


子どもの意思を尊重することがいちばんです


体験を押し付けてしまってはいけないのです。






就職活動でのハラスメントの根絶を

2025年02月24日 06時44分00秒 | 教育・子育てあれこれ

大学にとっては、研究活動の充実だけでなく、学生の就活へのサポートも大きな教育課題です。


そこで、大学教員等が委員となり構成している「就活ハラスメント検討会」は、就活環境の整備のための活動を行なっています。


その検討会の調査によると、2022年・2023年に実施した調査では、インターンシップを含む就活体験者のおよそ4割がハラスメント、ハラスメントにつながる言動を受けたと回答しています。


ハラスメントを受けた人のおよそ3割が就活意欲をなくした、自尊感情や自己肯定感などが下がる影響があったと感じていました。

病院に通院したという回答もありました。


実態は深刻です。セクハラ・パワハラが起こる就活はぜったいに許されません。


男女雇用機会均等法改正案が通常国会に提出されます。


この改正案では、就活の学生たちへのセクシュアルハラスメントを防ぐため、企業に対策を義務づけることも含めています。


ただし規制の対象になるのは、セクハラだけです。

パワハラは基準が難しいとして見送られています。


しかし、パワハラを受け、傷つく学生は決して少なくないのです。


パワハラも対象にするべきです。


企業の採用担当が、優越的な立場をつかい面接で人格を否定する、しつこく食事に誘うなどケースが該当します。


学生の人間としての尊厳を守り、あらゆるハラスメントを根絶するため、対策を講じなければなりません。





ボランティア元年の教訓を今にいかす

2025年02月23日 06時38分00秒 | 教育・子育てあれこれ

過去の災害には、未来へと警鐘を鳴らすできごとが含まれています。


被災者への対応も含めて、歴史を学び直し、現代に置き換えて考えることは重要です。


30年前、阪神大震災のとき、兵庫県のボランティアは1年間に延べ137万人で、そのほとんどは初心者でした。


それが1994年がボランティア元年と言われるゆえんです。


ポランティア元年は、制度化の発達によって当時の硬直化した社会・行政のしくみの「すきま」を行動することで埋めたり、縫い直したりし始めたのです。


阪神大震災の時は行政の管理、制約が緩かったため、柔軟な助けあいが各地でありました。


しかし近年、自然災害が頻発し、各被災地で活動をするボランティア数は減少傾向にあります。


阪神大震災の教訓が十分に検証され、リアルな形で地域住民や政治、行政に組み込まれてきたのかという課題が浮かびます。


被災者に対して、みんなで他者のいのちを考え、「自分ごと」として寄り添う姿勢がボランティアの基本です。



ボランティアが被災者の声をすくい上げて専門家へとつないでいくのです。


その過程で、その人のもっている潜在的な力がふっと出てくる。


誰かが「黙ってそばにいる」ことがどれほど大切なのかを考えさせられます。









頼る人はいる

2025年02月22日 06時24分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人があふれる交差点を、たくさんの人びとが通り過ぎていきます。

表面上はなんでもないようなふりをしている人の中には、せっぱ詰まって不安を感じていたり、心が折れそうな気持ちの人がいるかもしれません。

孤独を感じていても、何でもないふりをして、
雑踏の中に消えていく人がいます。

笑顔の陰には憂い顔があります。そのようなギリギリの状態にいる人は、じつは自分だったりすることもあります。

そのギリギリを打ち破るのに大事なことは、近くの人に心を開き、お互いのつらい心情を理解し、寄り添いあうことです。

社会は厳しいものではあります。けれども頼る人はいます。それを信じて人は歩み続けるのです。

ひとりになるための条件

2025年02月21日 06時06分00秒 | 教育・子育てあれこれ



人が生きていく上で、ひとりでいることと他者と交流することは、どちらも必要なものです。


そして、ひとりの時間を充実させるためには、ひとりでいないときの環境を整えることが重要です。


しかし、とかく日本の学校教育では、「みんなで」という言葉に代表されるように友だちは多いほどいいと教わりがちです。


「個」の確立が充実できる環境にはなっていない場合が多いのです。


そのようにして育ってきた人にとって、ひとりでいることはマイナスにとらえられるかもしれません。


だからこそ、社会で人間関係をつくる大切さだけでなく、ひとりでいることの大切さも、学校では教えるべきです。


地縁や血縁が強く、そこに参加しない選挑肢がなかった時代とは異なり、現代では選択の自由があります。


「この人とはこれ以上の深いつきあいはできない」とわかったら、その関係を断ち切ることもできます。


自分で心地よい関係を求めやすい時代だと言えるでしょう。


ただ、そのためには条件があります。


それは、自分自身の人間関係に対する考え方が確立されていることです。


自分の考えがしっかりしていないと、人間関係を選ぶ勇気や自信が持てません。


「この関係を切ってしまったら、自分は何もかも失うのではないか」


「ぼっちになってしまうのでは」


「あとでとんでもない目にあうんじゃないか」と、リスクばかりを考えてしまうからです。


大切なのは、ひとりの時間とそうでない時間のバランスをとるのです。


それをくり返すうちに、他人とのちょうどいい距離を見つけていけると思います。

















情報の洪水にどう対応するか

2025年02月20日 07時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人類は、インターネットによって、得たい情報をわずかな時間で大量に得られるようになりました。


情報が川を流れる大水のように押し寄せてきます。


しかし、この情報の洪水を使いこなせるほど人間は成熟していません。


だからむしろ、自分と同じ考えや意見ばかりが集まっている空間に無意識のうちに頼りたくなります。その方が安心できるからです。


ネットの「フィルター・バブル」は、その要望に応えてくれるように、見たいもの、読みたいものだけを提供してくれます。


そもそも、人間は見たいもの、信じたいものは積極的にに認識しようとします。


ただ、私たちが「見ている」と思い込んでいる光景は、じつは外部から受けた刺敵を脳内で再生したものです。


だから、その人にとって都合の悪い情報や怖いものが目の前にあると、脳が映像化を拒否して映さないことがよくあります。


つまり、人間は自分を肯定したり、正当化したり、興奮させたりする、「自分の都合」に即した刺激だけを強く受け取っているのです。



そこで、情報とのつきあいかたは、まず「自分の都合」を括弧で囲んでものごとを見たり、考察する習慣をつくることです。


「自分の都合」に基づいて集まる情報を前にして、ひと呼吸おき、物事がそこに至る文脈や経緯はなんだったのかを冷静に考えるのです。


つまり、事実に基づく論理が大切なのです。ウェブ上には、歴史の風雪に耐えた先人たちの知恵や思考、つまり論理もたくさん横たわっています。


ですが、今のSNSなどは、むしろ感情を増幅させるしかけになっています。

「とんでもない結果が待っていた」

「ありえない〇〇で」

「に涙が止まらない」

「に言葉を失う」などの扇情的な表現が並んで、「そうだ、許せない」「うーん、悲しい」という感情が高ぶるのです。


良識や見識をもって刺激的な情報に目を奪われるだけではなく、時々はあえて自分から

「ほんとうにそうだろうか?」

「それって、とんでもないことかなあ? よくあるのではないだろうか?」

「たしかに・・・、でも〜(Surely ・・・, but〜)」

と考えなおすことです。


または、言い換えはできないかと考えることです。たとえば「言葉を失う → 驚いた」となると、受ける印象も軽くなります。


いずれにしても、情報の洪水に個人としてはどう対応するかは、人として生きるうえで、必要不可欠になる時代に、私たちは置かれています。





不登校の子どもにとっての居場所

2025年02月19日 08時49分00秒 | 教育・子育てあれこれ


不登校の児童生徒の中には、なんとか学校には登校できても、大勢のクラスメイトがいる教室には入れない子がいます。


そのような児童生徒をサポートするため、小中学校では「別室登校・別室指導」の体制をとっている学校があります。



空き教室を活用して担当教員がつき、学習支援などを行います。


教員や支援員は、児童生徒が自分のペースで生活や学習ができるよう、スクールカウンセラーらと連携しながら支援に当たります。


1日中開室している場合もありますが、基本的には対象児童生徒の状況にあわせ、短時間だけ登校して帰宅する子もいます。


別室対応によって、それが不登校の子どもにとっての唯一の「居場所」ななっています。


別室指導は「校内教育支援センター」とも呼ばれています。


全国の公立小中学校での設置率は、約5割程度です。


不登校の子どもが2023年度に最多になり、30万人近くになる状況下、徐々に「居場所」の整備が進んでいます。


ただし、設置状況は地域によってぱらつきがあるのです。


さらに設置を促すため、予算化し整備や支援員配置の費用を補助する必要があります。


別室対応の生徒が、「リハビリ」を終えて、教室に戻れるようになったケースもあるので実現してほしいと思います。



在日外国人労働者のいま

2025年02月18日 05時13分00秒 | 教育・子育てあれこれ
労働者不足問題を抱える日本社会では、外国人労働者は、今や労働市場の中にしっかりと組み込まれています。

なかでも、大卒のいわゆる「ホワイトカラー」
の外国人労働者は社会的・経済的に労働者として重要な位置を占めています。


社会内でステップアップしていくことができる道が彼らに開かれています。


来日した直後には、文化、考え方の違いから、日本人と若干のトラブルは起こります。


しかし、それも日本での生活に慣れるにつれてなくなり、それ以上の対立にはならないことが多いのです。


そういった人たちが在日外国人労働者の今の主流です。


さて、移民問題を語る際、住んでいる日本人住民との交流があまりない点が問題視されがちです。


新しい住民が集団で増えた場合、その集団に関する情報が少ないことから不安を抱く人が一定出て、摩際が起きたりします。


そして、今後を見通すと特定技能2号の拡大や育成就労の制度が整い、日本では永住も可能になります。


特定技能2号は、家族帯同で無期限就労が可能です。また、育成就労は技能実習制度に代わるものです。


だから、日本永住も可能な、いわゆる「ブルーカラー」の外国人労働者の受け入れが本格的に始まるのです。


しかし、プルーカラーの人たちは収入や教育面で、これまで受け入れの主流であった大卒ホワイトカラーの人より不利な場合が多いのです。


そこで、自治体レべルでの共生政策が極めて重要になってきます。


その前提として、今の日本社会で日本人同士でもどれだけ交流があるかという見方も大切になります。


それが薄いところで、外国人労働者との交流はなかなか進まないでしょう。








ほかのもの.人への恩が未来を開く

2025年02月17日 07時47分00秒 | 教育・子育てあれこれ

1年の始めにおみくじを神社仏閣で引く人がいます。

運というものはたしかに存在し、実際、運のよい人悪い人はあると思われます。

では、運はどうすればつかむことができるのでしょうか。


運を大きく左右するのは縁ではないかと考えます。


縁の積み重ねが運を導くのでしょう。


それでは、その縁を増やすにはどうすればよいのでしょうき。


緑を深めるのは恩ではないでしょうか。


万事がご縁のおかげと、縁に恩を感じる人がいます。


そのことから、自分を誇るのではなく、他人の助けだと考える謙虚さが縁を深めているのではないでしょうか。


だとするならば、出会いと別れという人生が交錯する年度末の時期、人びとの運と縁と恩が未来を変えると言えます.


ほどほどに他人とつきあい生きていく

2025年02月16日 06時47分00秒 | 教育・子育てあれこれ


人が一生を生きていく上で、効果的な処世術などないと、わたしは思います。


そのとき、その場で人間関係を調整をしながら地道に毎日を続けてくしかないのです。


加えて、人生は人と関わることで変わってきます


だから、他人と関わりをもたず、自分一人だけしあわせを探す価値観も、いまは認められる風潮にありますが、他者との人間関係は折々で求められます。


しっくりとこない感情を他人と自分との間で転がしながら、相手と自分との関係を意識しながら、あいまいな日々を過ごしていくのです。



今の時代は誰もが自分のことをわかってほしい、認めてほしいという気持ちになりやすいのです。


人間の承認欲求は、対処が難しいものです。



努力しても夢がかなう人ばかりではありません。


でも、夢って必ずしも実現しなけれぼならないものではないのです。


「こうだったらいいのにね」とか「こうなれたとしたら」と夢を見ていっしょに笑い合うだけでも、本当は楽しいはずです。


おたがいの夢をぼんやりと話しながら、ほどほどに認め合う。


そのようにゆるやかに人生を送るのも、しあわせなことかもしれません。


振り子の揺れ幅は小さくなる

2025年02月15日 06時24分00秒 | 教育・子育てあれこれ

中学生はふつう友だちといっしょに行動することを望みます。

それは当然のことですが、思春期に入っているので、矛盾するようですが、友だちといっしょにいたがる反面、ひとりになりたいと思う時期なのです。

そのことは、人の発達段階から考えても自然なことです。

ひとりになり、

「自分はなぜ、この世の中に存在しているのか」


「自分はどんな大人になるんだろう」


そのように自分に問いかける子もいます。


自分と向き合うことで、自分の「殻」を破ることができるのです。

かといって、意識の矢印が「私」にばかり集中しているのは、好ましくありません。

このような相反するバランスの中で、揺れ動くのが思春期の特徴となります。

そして、その揺れをまわりのおとなは、揺れさせないように助けるのではなく、その子が自分で揺れを収束させていく過程が発達です。

では、おとなは何もしないかというとそうではなく、となりに寄り添うことがあってこそ、子ともは思春期の揺れを収束させていけるのです。

近くで気にかけてくれるおとなかいる。それをたよりして、振り子の揺れ幅は徐々に小さくなり、自我を確立していけるのです。

中学校の教師は、そのことをわかっていなければならないのです。









完全でないことに意味がある

2025年02月14日 06時43分00秒 | 教育・子育てあれこれ
イチロー選手が、このたびアメリカ野球殿堂入りを果たしました。

日米野球の話題は、最近では大谷翔平選手の話題がほとんどでしたので、イチロー選手が再度輝きを放ち、スマッシュ・ヒットのお知らせにうれしくなりました。

満票にならなかったことにこだわるメディアは、「意地悪な」質問を、ご本人にインタビューでぶつけていました。

そのときの、イチロー選手の返しがとてもよいと思い、これもスマッシュ・ヒットでした。


「不完全であるのはいいなって。生きていくうえで不完全だから、進もうとするわけで、そういうものを改めて考えさせられるというか。見つめ合える、向き合えるというのは良かったなと思います」
と語っていました。


さて今の時代は大人も子どもも、「自分のことを認めてほしい、わかってほしい」というヒリヒリとした気持ちでいる人が増えています。

「周りの人が認めてくれないから、やる気がでない」とつぶやく人がいます。

そのような声は、とくに若い世代から聞くことが多くあります。



それだけ、自己が未確立といってしまえばそれまでです。


しかし努力しても完璧な結果がでなかったり、評価されなかったりすることが多い、今の社会の厳しさでは、無理もないことだと思います。


ただし、私たちはそれでも努力することの大切さを思わなければなりません。


また、病気やけがをして思い通りのことができないという壁にぶつかったりしたとき、そのとき自分ができることに目を向け、諦めずに少しずつ不完全を埋めるように進むことが自分の力になります。


不完全はよくないようですが、完全でないつらさを知り、進むことは人を成長させていくものだと思います。


逆の見方をすれば、スラスラできてしまうことばかりしていればいつも完全な気分を味わえるのかもしれない。


でも、不完全であるということは困難なことにチャレンジを続けていることを意味しているのです。


ひとりで旅行

2025年02月13日 06時40分00秒 | 教育・子育てあれこれ
最近は、「おひとりさま」や「ひとり焼肉」とか「ひとり旅」をターゲットにした商売や商品も成り立つ時代です。

ここで、ひとり旅について考えてみます。

ひとり旅の最大の魅力は、すべてが自由なことです。


誰かといっしょだと、気を遣って自分の希望を抑えてしまう人も多いと思います。


たとえば旅行で他者といっしょに食事に行って相手が「オムライス」と言えば、ほかに食べたいものがあっても同じものを頼んだりすることがあります。


でも、ひとり旅なら、カツ丼を食べようがカレーライスを追加しようが自由です。


どのお店に入るかも、いつ食事をするかも自分で決められる。


時間を好きに使えるのもひとり旅の魅力です。



加えて「知らなかった自分を見つけることができる」という魅力もひとり旅の魅力です。


わたしは何が好きで、何が好きでないのか。


わたしはケンカっ早いけど、気前よく人に親切にできるところもある・・・•・・。


今まで気づいていなかった短所も長所も見えてきて、自分自身の輪郭がはっきりしてくると言えばいいでしょうか。


でも、旅ですっかり別人のようになるかといえばそんなことはないのです。


帰ってくれば、また気を遣う生活に戻るかもしれません。


それでも、前の自分とはちょっと違っている。いざとなればカツ丼大盛りだって頼める自分もいる。


そのような気づきを得ることができるのも、ひとり旅の魅力かもしれません。