箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

行動力のある人が親の場合

2019年11月30日 09時13分00秒 | 教育・子育てあれこれ







頭の回転が早く、さまざまアイデアが出てくる、柔軟で、臨機応変にものごとに対処できる人がいます。

目標に向かい努力をして、出すアイデアは創造的で、仕事がよくでき、職場でリーダーシップをとることもあります。

このような人が親になったとき、わが子へのありがちな影響を考えてみます。

そもそも、子どもはそんなに器用でないことが多く、ものごとを真っ直ぐにとらえます。

親の柔軟で臨機応変な態度は、思春期の子には基準が定まらないと映ることがあります。

また、その親はいろいろなアイデアが出るので、こうすればいいとか、こういうやり方もあるなど、次から次へとアドバイスを出し、子どもを圧倒するケースもあります。

何を最終的に求めているのかを子どもがわかるように、子どもの話をよく聴き、子どもがどうしたいのかという願いを知ります。

アドバイスは、子どもが求めてきたときに限ってするようにします。

また、わが子といえども、親と子は別個の人格であり、「わが子もベストでなければならない」と望むのでなく、「ベターでかまわない」と割り切ることが必要になります。



職場体験で学んだこと

2019年11月29日 08時45分00秒 | 教育・子育てあれこれ






箕面市の中学校では、2学期に職場体験を行っています。今時分はどこの学校も終了しています。

中学生は、職場体験を通してどんなことを学んでくるのでしょうか。

たんにどんな仕事であるかがわかった、というものでなく、もっと深いことを学んで帰ってくる生徒も多くいます。

下記の感想は、今年、箕面市立中学校の2年生が書いてくれました。人として生きる上で大切な体験を得ました。

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🔹 職場体験で、人が働く意味や働くことで得るものがわかった気がする。

店長さんの「人の仕事には意味がある。働く仕事一つひとつに理由がある」という言葉を聞いて、僕は働いて人の役に立ちたいなと思った。

職場体験で良い経験をすることができた。

🔹 ホテルは、表では完璧だけど、裏では汗をかきながら仕事をしていることがわかり、とてもすごいなと思いました。

やってみると想像以上にしんどくて、ものすごい体力が必要です。でもやっている方に訊いてみると、とても楽しいとおっしゃっていました。

この仕事に誇りを持っている方々に感動しました。

自分もやりたいことに向かって楽しくやっていきたいと思いました。自分が何かをして相手の方が喜んでもらえるような仕事をしていきたいです。
決して笑顔を忘れてはいけないことがわかりました。

🔹 いちばん難しいと思ったのは、歳の離れた大人の方と会話すること、質問することでした。

できるのかなと思っていたけど、先生方はいつも忙しく、なかなか話しかけるタイミングをつかむこともできませんでした。敬語もカタコトになってしまいました。 

幼稚園の先生方は、一人ひとりにしっかりとついて目を離さず、安全第一に動かれていて、常に他の先生方と情報を共有されているところがすごく良いと思いました。

これは学校生活と部活の中でしっかりと活かせることなので、次につなげたいと思いました。

🔹 今回、以前から興味があった動物の保護施設の現状や厳しさを知りたいと思い、この職場を選びました。

「殺処分ゼロ」という言葉を見聞きすることがあり、実際はどうなのかを知りたいと考えて行きました。

副会長の方からきいた話では、いろいろと法律が変わったり殺処分のカウントの仕方が変わったことで、一見ゼロにみえても、殺処分されている犬猫は依然としていることがわかりました。

この現実と、「ハッピーハウス」(能勢町 注:捨てられた犬や猫を預かり、訓練をして、里親を探してつなげるNPO)で過ごす犬猫を見て、このことを世の中に発信していきたいと思いました。

もっとこういう活動に協力しやすい世の中、雰囲気になればいいな、したいなと思いました。

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このように、中学生であっても、
「働く」ということで、社会とかかわることができる。
このことを学んで、学校に帰ってきます。


世話焼きの人が親になったとき

2019年11月28日 07時04分00秒 | 教育・子育てあれこれ







みなさんの周りに、こんな人はいませんか。

たとえば焼肉を食べに行くと、その人は同じテーブルについているメンバーのお皿に、焼肉を取り分けて入れてくれるのです。

みんなが楽しく食事ができるよう、空いているグラスがあれば、「飲み物は?」と聞いてくれます。

そんな人は、人とのつながりを大切にする人で、どうしたら人の役に立てるかを考えていることが多いものです、

その一方で、その人は他者に必要とされたいという思いが強いものです。

人のために何かをしたいという気持ちが強く、多くの場合、世話焼きであり、自分のことはおろそかになりがちです。

自分が十分に食べることができなくても、相手から「ありがとう」とさえ言ってくれたら、それで満足します。

こんなタイプの人が、中学生の親である場合を考えます。

わが子に対しても、助けることが好きであることが多く、手を出しすぎる傾向があるようです。

余計な口出しをして、子どもから「わかってるって」と言われます。

余計な手出しをして、「放っておいてくれ」となります。

思春期の子どもには、親と子の境目を明確にするべきで、親といえども子どもの心に踏み込まないようにしなければなりません。

ツラツラと話せない子どももいます。だからといって、親が言葉をかぶせず、時間はかかっても、子どもの話をよく聴くことで、子どもの自立を促していきたいのです。





伝えること

2019年11月27日 08時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ






先日、電車に乗ったいたときのことです。

高校生の男女が話してきました。

その言葉のやりとりは、かなりはやく、短文と短文のやりとりでした。

それでも、二人には通じ合っているようで
、私は少し驚いて聞いていました。

この会話だけでなく、スマホのラインでも、短文か単語のやりとりでの伝達が多くなっています。

そのぶん、誤解や思い違いをすることもあります。


人に云う(いう)と書いて、「伝える」となります。

ですから、自分の思いは、ちゃんと伝えたいのです。

人間関係は伝えることから始まります。

完璧でなくてもいい

2019年11月26日 07時06分00秒 | 教育・子育てあれこれ






中学生の保護者にもさまざまなタイプがあります。

その中でも、子どもに完全を求める親について、今回のブログで述べます。

完全を求める親とは、「べき親」です。

これができるべき。

こうやるべき。

ここまでやるべき。

こうすべき。

このように、「べき」で子どもに迫ると、子どもは窮屈に思い、ストレスを感じることにもなります。

10点でなくても、7点ぐらいでいいと考え、実際にものごとは10点満点が必要なことは、ふつうありません。

子どもの未熟さ、不完全さにおおらかに接しましょう。

また、子どもに完全を求める親御さんは、往々にして、問題点をストレートに指摘しがちです。

たしかに、正論、正しいことを言っているのですが、子どもは心に直球で突き刺さります。

そうなると、中学生は素直に親の言葉を受け取れません。

そして正しいことを言っているのに、子どもは言うことをきいてくれません。

今から、意見をしようとする前に、まずどう伝えようかを考え、親として、なぜそれが問題だと思うのか、どうしたらよくなるかという言い方をします。

その際、「あなたは(おまえは)・・・」という言い方でなく、「私は思うんだけど、・・・」のように、ズバリというのでなく、柔らかい雰囲気で伝えます。

すると、子どもはちがった反応をすることが多いものです。

でこぼこ道を歩く

2019年11月25日 07時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ







「でこぼこ道や曲がりくねった道

地図さえない それもまた人生」

という歌詞が『川の流れのように』の中に出てきます。


私が子どもの頃は、巷に未舗装の道は、まだかなりありました。

雨の日、母と一緒に未舗装の道を歩いている横をトラックが通り、水溜りに溜まった雨水を跳ね上げ、全身ずぶねれになった思い出があります。


人は、日頃から凸凹道を通らず、平坦な道ばかりを歩いていると、いざと凸凹道を歩くと、転んでしまいます。

凸凹道は、人生の中で、必ずやってきます。

今、中学生である人も、これから必ず試練に出くわします。

私たちは、凸凹道を越えて歩けるよう、ふだんから体も心も鍛錬して鍛えておくことが大事です。



飽きない人

2019年11月24日 13時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ








教師は、教育のプロであるべきです。

ただし、本当のプロというのは、わたしは自分に対して飽きない人だと思います。

人は、往々にして、自分に飽きます。

毎日、定時に学校へ出勤して、授業をやり、放課後には、授業の準備をしたり、会議があったり、部活をしたりする。

若い頃は、仕事を覚えるのに必死で、ほかのことを考えたりしないものです。

ところが、中学3年生の担任をして、卒業生を出すと、一応中学の教師としては、「一人前」と言われます。

そのようになると、だんだん仕事に慣れてマンネリになり、新鮮さをなくして飽きてくる教師がいます。

こう言えば、「いいえ、飽きるなんてとんでもない。だって、3年を送り出したとしても、次に別の子どもが入ってきます。子どもがかわるので、飽きないです」。

こんな反論をする教師がいます。

「ちがうよ。私が言っているのは、生徒に飽きるかどうかでなく、自分に飽きることを言ってるの」。

このことです。

たとえば、何回も授業を重ねると、ここはほどほどにしておくかなど、いろいろ考えるのです。

イチロー選手は、毎日同じカレーライスを食べ、球場に通っていたと聞きました。

このように、同じことを淡々とやり続けることがプロフェッショナルであるということなのだと思います。

中途半端な教師は、どこかでキョロキョロしていると思います。

ついているときでも、ついていないときでも、淡々とやっているうちに運も味方するときがきます。

平凡なことを毎日同じようにできる人は、非凡な人です。


何気ないときにこそ

2019年11月23日 08時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ











日常での何気ない会話にこそ、愛情が入っています。

家族なら

「行ってらっしゃい」

「お母さん、ただいま」

「気をつけてね」

「テスト、がんばっておいで」

学校なら

「元気ですか」

「おはようございます」

「けがはもう大丈夫?」

「きょうの授業は、よくがんばっていたね」

そんな何気ない声かけが、何よりも温かく、愛情に満ちています。

ふつうの言葉が、何よりも相手の心に届くことだってあるのです。

何気ない声かけや会話を大切にしたい。

完全を求める子には

2019年11月22日 12時54分00秒 | 教育・子育てあれこれ





中学校では、期末テストが近づいてきています。

子どものテスト学習への取り組み方はいろいろで、要領よく準備する子、適当にやり過ごす子もいる一方で、完全を求める子がいます。

今回は完全を求める子への大人の接し方について考えます。

テストで高い点数をとっていても満足できず、「これだけ点数をとっているのだから」と大人がなだめても、正確さや完全を求める本人の気持ちとはすれ違います。

そのような子の気待ちを削がないためには、自己基準を明確にさせて、思う存分細かい点までやらせるようにした方がいいようです。

また、こういう子は、責任感も強いものです。いったんきめたことは途中で投げ出したりはしないものです。

ただ、細かい点にまでこだわるので、時間がかかりすぎるという難点もあります。

そこで、始める前に、時間や期限を決めておくことが必要です。

期限内に終わるように、進み具合を大人が時々チェックします。

「このテスト範囲なら、この教科は4日間で復習できるよね」とテスト勉強を始める前に声かけをします。



さらに、こういう子は、学習以外でもすべてのことを一人で抱え込みがちです。

クラスの仕事をしなければならないなら、「友だちにも手伝ってもらったら?」と提案を基調とした対話をします。

「友だちに手伝ってもらいなさい」と言われると、決めつけだと本人は受け取りがちなので、自分一人でやりたいという意思を尊重します。

完全を求める子は、やることの正確さやクオリティが大事だと思っています。

それを否定するよりも、上記のことに配慮して、本人に思う存分させることが、やる気を保つことになります。


今がやるとき

2019年11月21日 07時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ








今この瞬間を大切に生きる  
それが自分への挑戦であり、
明日への道と続いていく。


人間は過去を変えることはできません。

自由にできるのは、目の前の「今」だけです。

その意味で、「やるときはやる」とか「自分はやればできるのだ」と言う人は「今、やらないこともある」とたかをくくっていることになります。

現実と向き合って、やることはすべてやる。
過去にとらわれることなくやる人にだけ、これから先の未来は開けてくるのです。

中学生も、学級目標に「やるときにはやるクラス」を据えている学級がありますが、やらない生徒がいることで、「やってくれない」と、ほかの生徒の気をもませているのです。

行事を前にして、クラスでこうしようと決めたことは、全力で協力しあい、やるべきです。

やらない人がいることで、他の生徒に「あの人たちにちゃんとやってほしいのに、協力してくれない」という不満をもたせていることに、気がつかなければならないのです。

間違いから目をそむけない

2019年11月20日 07時58分00秒 | 教育・子育てあれこれ








中学生は大人から見れば、未熟なところがあるのはもちろんです。失敗や間違いをします。

だから、間違えたときには「それは間違いです」と繰り返し、繰り返し教えるのです。

そらが、教師の役割の一つです。

こういった意味のことを、坂本金八先生が言っていました。

あれから、40年ほどが経ちましたが、今でもその言葉は、中学校教育で色あせることはありません。

失敗や過ちは、大人もします。

毎日、報道されるニュースでは、大人の間違ったおこないや発言がとりあげられています。

だれもが失敗をしたり、誤ったことをします。

そして、多くの人がその失敗や誤りから目を背けたくなります。

でも、目を背けてしまったら、また同じ過ちをするでしょう。

悔やんだり、辛い思いをするから、取り返しのつかないことをしてしまったという気持ちになるから、二度と同じことを繰り返さないのです。

こういったことを、フランスの思想家ラ・ロシュフコーが、言葉で戒めています。

「間違ったことをして、それに苦しむことのできない人ほど、何度も間違ったことをくりかえす。」

中学生に伝えたいのはもちろん、自身もこの言葉を胸に刻みたいと思います。





わかりやすく、ていねい

2019年11月19日 06時58分00秒 | 教育・子育てあれこれ







生徒が教師に求めることは、いろいろとあります。

その中でも、学校で過ごす大部分を占めるのが授業であるので、「わかりやすい授業をして、ていねいに教えてくれる先生」を求めるのは当然です。

とくに、いまの授業には、子どもが主体的に学習に向かい、クラスメートと対話をしながら、学びを深めていくことができる授業が必要となっています。

そのため、授業で1時間や単元ごとに「どんな知識や技能が身についたのか、またそれらを使い、どんなふうに考え、発表したり、表現したか」などを生徒が自覚することを大切にします。

このときに、生徒が「学んだ」と実感して、授業でかかわってくれた先生の大きさを思い、その授業の積み上げが先生への信頼感をつくります。

わかりやすく、ていねいに教えるためには、子どもの状況に応じて個別にかかわることが効果的です。

ところが、多くの場合、教師は、授業で一人で30人以上の生徒を教えています。

この個別指導と集団指導のおりあいをつけ、どの子も「今日はたくさん学んだ」と思える授業を行うことが、中学生が教師に求める今日的課題であると言えます。

孤独のすすめ

2019年11月18日 07時49分00秒 | 教育・子育てあれこれ







いまの中学生が一人になりたくない。「ぼっち」はイヤと思う気持ちは、よくわかります。

誰かとつながっていたい。

そんなにたくさんでなくてもいいから、気を許せる友だちといっしょにいたい。

現代は絆やつながりを求める人がたくさんいます。

しかし、そんな中学生に私はあえて、「孤独になる時間をもちなさい」と、機会があるごとに言ってきました。

そして、そのあとで、時と場合に、また生徒にあわせて、「ただし、孤立はよくないよ」と付け加えたこともあります。

私が「孤独になる時間をもちなさい」というのには、理由があります。

中学生は、自分を見つめることで、自らの変化と成長を自覚するからです。

過去をふりかえり、過去のできごとを意味づけることができるようになるのです。

あの頃、苦しかったけど、あの苦しさがあったから、私はちょっと強くなれたみたい。

自分を見つめるには、孤独にならないとできません。

気の合った友だちと、今さえ楽しければと、群れていたのでは、自分のことを深く考えたりはできない。

だから、孤独になる時間をもつのです。

また、わたしが孤独が大切と言うようになったのは、もと大阪大学学長の鷲田清一さんの講演を聴いてからでした。

苦しみや悲しみから少し離れて、自分自身をちょうど他人がみているように、客観的に見つめるようになります。

作家五木寛之さんの思想にも影響を受けました。

五木寛之さんは、孤独になることの大切さを「和して同ぜず」という言葉で表しています。

組織の中で同僚と話していて、自分は考えがちがうので交わらないという人は孤立が深まります。

私はフレンチは嫌いで、和食が好きだから話に入らないのではないのです。

組織の和を大切にしながらも、自分は突き詰めれば一人であるという自覚をもっていることが、「和して同ぜず」という意味だと、五木さんは解釈されています。

中学生も一人になる時間をもち、孤独になり、自分を見つめる時間をもってほしいと願っています。






心を真似る

2019年11月17日 12時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ







6月27日の記事で、「オリジナルは真似ることから」を書きました。

真似るは学ぶ、人のやっている真似をして、学ぶことから自分だけのやり方を見つけるということでした。

ただし、一言加えるならば、

「真似をするときには、その形ではなく、その心を真似するのがよい」

これは、江戸時代末期から、明治、大正、昭和初期まで生きた渋沢栄一の言葉です。

自己が成長するために、他の成功者のやり方を真似るのは大切です。

しかし、その人と自分は、生きている時代と、取り巻く環境も、性格も異なります。

必要なのは、この時代、この環境のもとで、自分が成功したり、その道をきわめるにはという核心の部分を学ぶことであるという意味でしょう。

東京ディズニーランド・ディズニーシーのおみやげ売り場では、東日本大地震が起きた時、ある店員さんが自分たちの判断で、お客さんに行った行動が「神対応」だったと言われました。

余震が続く中、キャストは店頭に並んでいたダッフィーやシェリーメイのぬいぐるみを防災頭巾代わりにゲストに配布しました。

これは、先人の真似をしたのではなく、地震のときには、商品をお客さんに差し出してもかまわないと言われていました。

「お客さんの安全を最優先する」という核心を学んでいたからこそ、できた対応だったのでしょう。


チームプレー

2019年11月16日 12時58分00秒 | 教育・子育てあれこれ






よく学校の学級目標に登場する言葉に、

「一人はみんなのために、みんなは一人のために」

があります。

英語では、
One for all,all for one.
となります。

しかし、こんな言葉もあります。

「一人はみんなのためにだが、みんなは一人のためではない」

です。

だれか特定の人を支えるのではなく、みんなでチーム全体を支えることで、勝利を引き寄せる。

つまり、目標に向かうための「チームプレー」に徹することの必要性を表した言葉です。