箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

深く学ぶ修学旅行

2023年04月30日 07時26分00秒 | 教育・子育てあれこれ
昔の修学旅行といえば、関東方面からは行き先は関西で京都・奈良がお決まりでした。

昭和時代の修学旅行はワンパターンで、団体でゾロゾロと何も考えずに行列をつくり、ただ名所旧跡を見るだけでした。

それはそれで楽しかったのかもしれませんが、今の修学旅行は変わってきています。

コロナ禍の影響や学習指導要領の改訂で、修学旅行の見直しが進んでいます。

何について学ぶか、どのように学ぶかという学習活動として、修学旅行の位置づけが変わってきているのです。

その観点で見直すと、関西は前例通りの旅行先ではなく、学びの宝庫であることに気がつきます。

1000年に及ぶ歴史、豊かな自然、企業も取り組むSDGsなど、関西6府県で未来につながる学びができます。

そんなに、学習ばかりの修学旅行にしなくてもいいのでは、という声があるかもしれません。

しかし、今の生徒たちは修学旅行での学習に大きな関心をもち、実行委員会を構成して、よく取り組みます。

実際、数年前に引率した修学旅行では、沖縄の基地問題について、生徒たちはしっかりと考え、ディスカッションプログラムに集中しました。

以前なら、ホテルでの夜はクラスで出し物をしたリクレーション的な時間を過ごしたものでした。

前例を踏襲する修学旅行を見直し、深い学びができる修学旅行に変えていくチャンスが今です。

工夫して学習する子は学力が伸びる

2023年04月29日 07時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ
子どもの学習について、親はふつう子どもが長く勉強をしているほど安心します。

自分の部屋でよく勉強していると、親は「長くやっているね」とうれしくなります。

ですから、一般的に学力と学習時間の長さは比例していて、平たく言えば、学校の成績は家庭学習の時間が長いほど伸びると思われています。

さて、民間の教育研究団体のベネッセは、教育について調査を行い、そこから得られる知見は信頼性の高いものと、わたしは評価しています。

そのベネッセが、小中高生を対象に行った2022年度の学習調査の結果が報道されました。

それによると、前の年度より学校の成績が伸びた子は、自分で学習の工夫をしていることがわかりました。

そらに、学習時間の長さと学校の成績には際立った相関関係をみつけることはできないということでした。

ですから、たんに時間をかければいいというものではなく、子ども自身が工夫を重ねて上手な学習法を身につけたほうが、成績は伸びるのです。

たとえば、わたしは中学生のとき大学生の人から、基礎的なことを学習したあとで、問題集に取り組むときのやり方を教わりました。

①解答は必ず別紙に書きなさい。
②一度で正解だったものはもうやらなくていい。
③正解できなかったものの問題番号に印を入れなさい。
④2回目にするときは、印のついている問題だけやる。
⑤それでも同じまちがいをすることも多い。
⑥間違った問題にさらに印をつけると2つ印がつく問題がある。
⑦3回目はそれだけをやる。
⑧まちがわなくなる。

言われた通りにやると、たしかに数学や理科の成績がかなり伸びました。

私は学級担任をしているとき、生徒や保護者から「勉強の仕方を教えてください」と言われたとき、自分の経験から工夫した学習法をアドバイスしました。

このやり方が今の時代に求められる学力観でみた時、ベストな方法であるというには疑問が残りますが、学習の工夫をするほど学力が伸びるのは、その通りだと思います。

第一に、学習方法の工夫をするということは学習意欲、やる気の表れです。

その方法で一定の効果が出てくると、また意欲が高まり、さらに工夫を重ねるという相乗効果が生まれます。

結果として、学校の成績が伸びるというしくみになるのだと思われます。

また、調査を通して次のこともわかったそうです。

学習理解度が高かったり、成績上位層に入る子どもは、
自分に合った学習法を試している。
計画を立てて学習している。
何がわかっていないかを確かめながら学習している。

こどもが自分なりにに工夫して学習することは、学力向上につながることがわかります。



損得勘定でははかれない

2023年04月28日 06時48分00秒 | 教育・子育てあれこれ
情報が氾濫する現代社会にあって、情報を整理して活用することが大切になります。

仕事や生活でたくさんの情報が必要な人は多いでしょう。

でも、仕事や生活は人生ではありません。

表面上は仕事や生活が充実しているように見えても、その内側にある人生が充実しているかは別物です。

人の人生は損得ではありません。コスパで計るものではないのです。


受容と発信は一体

2023年04月27日 09時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ

新型コロナウイルス感染症が下火になり、多くの外国人が来日しています。

日本の観光地に息づく日本古来の伝統的な文化に関心を寄せる外国人は多く、関西なら京都は多くの外国人で賑わっています。

それ以外にも、外国人の間では、日本のアニメや漫画に人気があります。

いわゆるポップカルチャーが親しまれるのです。

その理由の一つは、それらのカルチャーが、おそらく友だち・家族の意味を問いかけるテーマ性や自然との共生に対して、よい印象を与えるからではないでしょうか。

それらは人間にとって、絶対的・普遍的な問いであるからでしょう。

日本は諸外国の中でみると、比較的安全に暮らすことができる法治国家であり、言論の自由が守られた国です。

ところが、一方では少子高齢化社会が進行する世界の「先進国」でもあります。

この課題はいずれ他の外国も直面することになります。

ここで、伝統文化やポップカルチャーだけでなく、新しいライフスタイルや人の生き方を提案できれば、日本の魅力や信頼を高くしていけるのです。

そのとき、「日本ではこうです」ではなく、相手の国の事情を考え、相手を受け入れてこそ、自国のよさを打ち出すことができます。

受容と発信は一体的なものです。

倍速で失うもの

2023年04月26日 07時46分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校教育の中で、児童生徒の感受性を高めることはとても大切だと、わたしは考えています。

わたしはよく感性という言葉を使いますが、感受性とほぼ同意と考えています。


以前にもブログでふれましたが、いまの若い人を中心に、ビデオや映画を倍速で観る人が増えています。

「短い時間で、どういう内容だったかわかりますよ。」

いかにもコスパを重視する世代だと言えます。

「セリフだって、倍速では早口になるけど、聞き取れます。」

.「ストーリーさえわかれば問題ないです」と言います。

ほんとうに問題はないのでしょうか。

わたしは、そうは思いません。

倍速再生をよしとする人は、感情の大切さを考慮していないのです。

感情は、それをはたらかせる時間が長いほど、ものをどう感じるか、感じとる力、つまり感受性を鋭くするのです。

映画を観るとき、出演者が無言で醸し出す心の微妙な機微を感じとることができます。

監督が一つの場面に入れ込んだ意図が理解できます。

それらは観る人に感受性があるからキャッチできるのです。

しかし、倍速再生は、感情が起きにくく、ゆえに感受性の高まりも期待できません。

あまりにも、もったいないのが倍速再生だと思います。

他の人と比べない

2023年04月25日 07時09分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校教育には、児童生徒に対する教育評価があります。
 
評価にはいろいろあり、奥の深いものなのですが、評価といえば「成績評価」を思いつく人も多いのではないでしょうか。

教員が生徒の成績をつける評価方法としては、絶対評価と相対評価があります。

絶対評価とは、指導目標を一人ひとりの児童生徒がどの程度達成したかを5段階(1〜5)や10段階(1〜10)の数字にします。

10や5は指導目標にすべて達しているということで、いわゆる満点を意味します。

極論でいえば、クラスの全員が満点なら全員に10、5がつきます。

一方、相対評価は学習の結果の高い子どもから並べていき、クラスの人数にあわせて最高の10や5がつく子は何人と決まっていて、必然的に10〜1、5〜1のどれかの数字がつくことになります。

その意味で、相対評価は他者との比較でつく評価になります。

そうなると、どうしても人はは他の人と自分を比べることになります。

他と比べると、全体の中で自分がどこにいるかがはっきりするのです。

しかし、比べても自分の力が変わるわけではありません。

比べて悲しむと自分を失い、比べて喜ぶと人を傷つけるたいう側面が、他者との比較の弊害としてあります。

競争が起こりやすく、平穏な心情が保てなくなる場合も起こります。

人の生き方に当てはまれば、人と比べると何に努力するかという、自分の課題か見えにくくなるのです。

絶対評価の場合は、前は6だったので目標に対して6割だったけど、今回は8がついたから8割まで伸ばすことができた。

人との比較ではなく、自分のがんばりの成果を確かめことができます。

そもそも、人は生きているだけで、その人、その人の価値があり、それは不動のものです。

人と比べる必要はないと、私は年齢を重ねるほどその思いが強くなります。





振り返れば自分の道のりがある

2023年04月24日 07時14分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人はぼんやりと過ごしていることも多いです。

しかし、ある場面では高い集中力をもって取り組むこともあります。

わたしは教育について語り出すと熱が入ってきます。

今なら、教員を志望する学生を指導する授業ではスイッチが入ります。

その授業の教材を作るときには、没頭することも多いです。

おしなべて言うと、人間は何かに没頭しているときこそ、その人がその人らしくあり、いのちを輝かせているのです。

何かに没頭している人は、見方によれば祈るように取り組んでいるように映ることもあります。

「いのり」とは、「生(い)宣(の)り」とも書くこともあります。

つまり、命の宣言なのです。

自分の使命を感じるというのは、「私は生きている」という発信であると考えることができます。

そのような人は輝いているので、その人に魅力を感じるまた別の他者がいるのです。

没頭している人に魅力を感じる人がいる。

それだけでも、自己効力感が高まります。

自分にとってよいものは、いつも自分の中にあります。

それでも、人は生きていくうえで、悩んだり、苦しくなるときがあります。

そんなときは立ちどまり、歩いてきた道をふりかえります。

そこには、時間をかけて歩んできた道のりがあるのです。

それは、誰もが歩いたことのないその人だけの道なのです。


あいさつで関係が開く

2023年04月23日 08時45分00秒 | 教育・子育てあれこれ
あいさつをパソコンで打つと、勝手に変換して「挨拶」となります。

「あいさつ」と「挨拶」。どちらがやわらかな意味をもつかといえば、わたしはひらがなのほうだと思います。

学校ではふつう「あいさつ運動」というように、ひらがな表記します。

でも、初任者の教員が研修報告書文を書くと、パソコンで打つので挨拶と書くことが多いのです。

あいさつ意外にも、できる→出来る、声かけ→声掛けと表すことが多いのです。

わたしは何でも漢字で表記することがいいとは思いません。

もちろん漢字を使うべきなのにひらがなばかりの文章は願い下げですが、ひらがなで表記した方がソフトで柔らかで、読みやすい場合も多いのです。

さて、前置きが長くなりましたが、あいさつについて思うことを書きます。

そもそも挨拶の「挨」には、「お互いに近づく」という意味があります。「拶」には「迫る」という意味があります。

「挨拶」は、ニ字熟語の中でも、「寒冷」や「減少」のように、似た意味な漢字を組む合わせる熟語の一つです。

挨拶には人と人が近づくための動作や言葉がけという意味があるのです。

4月になってから、入社したり入学して、新しい環境に飛び込んだ人も多いでしょう。

初対面の人が多いと、誰もが多かれ少なかれ緊張します。

気心が知れた人がいない人間関係では、なんとなく落ち着かず、居心地よくないことも多いのです。

そんなとき、あいさつをかわすことは、「わたしはあなたの敵対者ではいよ」というメッセージを出すことになります。

出会いがあり、心を開いて、近づくための最初の一歩があいさつである。

そのように思う、新年度の4月の今日この頃です。


多様性を認め人は自己を確立

2023年04月22日 08時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人びとの考え方がいろいろになり、何を大切に思うか価値観がさまざまになってきているのが今の時代です。

置かれている環境や境遇がちがったとしても、旧来の価値観をもつ人も現在です。

たとえば家制度を大切にするとか、先祖を敬うことに価値を見出している人もいます。

私自身は先祖を大切にしたいと思います。

でも、そうでない人もいます。

そこで、人は昔からの価値観やしきたりと自分の思いとの葛藤で、生きにくさを感じることもあるのでしょう。

今の時代は多様性尊重が言われ、人はみんなちがってあたりまえという考え方が主流です。

これは、年齢や性別、職業などが異なる人同士が集まる環境にある人ほど、人はちがってあたりまえと感じるようです。 
 
そのような人は、自分を誰かと比べて焦りを感じたり、落ち込んだりはしないのです。

そういう点では、多様性をあたりまえと思う人は、ある意味で自己を確立していると言えるのだと思います。


雑談のできる職場

2023年04月21日 08時33分00秒 | 教育・子育てあれこれ

昨年度に1ヶ月以上メンタル疾患で休んだ公立学校の教員は、はじめて1万人を越えました。

 

もともと、学校の教員は民間企業に比べ、病休をとる割合が多かったのですが、昨年度(2021年度)は、一昨年度と比較しておよそ15%増えたのでした。

 

さらに、1ヶ月を越える長期療養の教員も増加傾向にあります。

 

学校の教員の場合、「病気休暇」は90日までとることができます。それにくわえ、90日以上の「休職」は今までで最多になりました。

 

公立学校では、過労死ラインが問題となり、現在働き方改革を進め、長時間労働を是正していくことに取り組んでいますが、かえって一部の教員に負担が集中し、メンタルによる休職につながったという見方もできます。

 

メンタルの病気休暇をとったり休職した教員は、年齢層が若くなるほど多くなっています。

 

とくに、20歳代の増え方は顕著です。「なりたかったけど、自分は教師に向いていない」と退職する人もいます。



 

今の学校の現状でいえば、一般的に30代半ばから40代半ばの年齢層(中堅)の教員が少なくなっています。

 

これは、各自治体が今までに採用数を抑えていたため、いまこの年齢の人が少なくなっているのです。

 

ましてベテラン層が退職でいなくなる中、学校の仕事は若い人に集中する傾向があります。

 

学校も組織だから、若い人に集中しないよう組織対応すればいいという意見もあるでしょうが、学校の実状はそうではありません。

 

基本的に、学校の教員は「チーム学校」と言われながらも、教員個人の「独立性」が高い仕事をします。

 

授業へは一人で教室に向かい、一人で30人から40人の子どもを相手にします。それも一人ひとりがちがう多様な子に授業をするのです。


だから、教職はある意味で、「独立性」の高い職種なのです。

 

しかし、だからこそ、職員室へ帰れば弱音を吐いたり、授業のこと、子どものことで相談できる同僚が必要なのです。

 

その意味で、教職は「同僚性」がより求められる仕事でもあるのです。

 

このあたりの教職の特異性をみないと、世間一般の見解では語れない点があるのです。

 

今の学校ではみんなが多忙で、早く帰るという無言の「圧力」がかかり、若い教員の相談に十分耳を傾ける時間もない。

 

そこで、悩みや困難を抱えた若い教員がバーンアウトしてしまう。

 

わたしは、経験上、雑談のもつ効果は大きいと感じています。

誤解をおそれずにいうならば、雑談が行き交う職場は病休者・病気休暇が出にくいとまで思います。

 

直接仕事に関係のない話で、家庭の相談や自分の余暇の話題などが同僚に話せる職場は、コミュニケーションの「潤滑剤」がよくまわります。

 

「自分は一人でない」と感じる職場の「土壌」ができるので、教職のことで困っている同僚のことを気にかけたり、声をかけたりすることが自然と多くなるのです。

 

学校の管理職には、相談のできる職場づくりが今ほど求められているときはないと意識して、学校づくりに取り組んでほしいと思います。


生き残りをかける大学

2023年04月20日 09時40分00秒 | 教育・子育てあれこれ
以前から言われていたことですが、大学全入の時代が現実になろうとしています。

入学者の定員に対する志願者の人数の差がここ数年減少しているのです。

少子化で志願者が減るのと私立大学が定員を増やしているので、差が縮まってきているのです。

もっとも全入時代とはいっても、それは数字上の話であり、実際は規模の大きい「有名大学」への進学希望が集中します。

そこで、小規模大学や地方の大学は学生を確保するのが困難になってくる心配があります。

そのため、いま大学は生き残りをかけて特色をうちだそうとしているのです。

高大連携に力点を置き、大学担当者が高校を訪問して大学の魅力を伝える広報活動を積極的に行っているケースがあります。

また、新学部を増設したり、今ある学部を改編して新しい学部に統合し、さらに交通の便のいいキャンパスに集約するケースなどが散見されます。

就職内定率の高さを「ウリ」にするケースもあります。

そして、大規模な「有名大学」てなくても、結果的に学生をよくみてくれる大学や学生の可能性を伸ばしてくれる大学が、今後頭角を表してくるようになるでしょう。




Education for Sustainable Development. (ESD)

2023年04月19日 07時42分00秒 | 教育・子育てあれこれ

自宅の庭に生える草が最近変わってきました。


今までには見なかった草が生えるようになりました。


夜空が白く曇り、以前のような満天の星を見ることができなくなりました。


年中を通して気温は確かに上がっていると実感します。


地球温暖化は日本でも確実に進行しています。



今回出された国連の気候変動に関する政府間パネル(IPPC)の第6次報告書は、ショッキングな内容です。


人間の活動が地球温暖化を引き起こしていると断定しました。

世界の平均気温は産業革命前より1.1度上昇しており、世界の海面水位は20世紀のはじめと比較して20cm上がっている。

熱波、干ばつ、豪雨という異常気象が起こりやすくなり、複合災害が起きるリスクが高まっていると現状分析をしています。

The window to secure a sustainable future(持続可能な未来を確保する窓)は急速に閉じつつある」と警告しています。

この英語による比喩表現は、訳し方にもよると思いますが、ストレートに私たちの心に突き刺さります。

本当に本腰を入れて対策を打たないと、取り返しがつかないことになります。

希望はあります。

太陽光発電、風力発電、蓄電池にかかるコストはこの10年で大幅に下がってきています。

再生可能エネルギーの導入で、2050年には今よりも温室ガスを半分にまで減らすことができると言われています。

そのためには、日本人も環境保護に対する意識を変えないといけません。

学校でも「持続可能なための開発の教育」(ESD)を進めていくべきです。

待ったなしの状況にあります。



教育は実践なり

2023年04月18日 07時10分00秒 | 教育・子育てあれこれ

子どもの中には、いろいろな子がいます。

 

① クラスの中で、なかなか意思表示をはっきりとしない子がいます。

 

② 人見知りの強い子がいます。

 

③ 忘れ物の多い子がいます。

 

④ 先生にたよって、自分でやらない子がいます。

 

このようないろいろな子がいるクラスを担当した学級担任がいました。

 

おとなによっては、それらを次のように注意する人もいます。

 

①「やりたいのか、やりたくないのか。はっきりしなさい」

 

②「もっと積極的に人とかかわりなさい」

 

③「忘れ物ばかりしていたら、社会に通用しないよ」

 

④「先生ばかりをあてにせず、自分のことは自分でしなくてどうするのだ」

 

それらはすべて「正論」です。また、教師の中にもできていない子を注意しない担任教師をとがめる人もいました。

 

しかし、基本的に子どもは発達途上にあります。そこには「できる」・「できない」の個人差があるのです。

 

できなくても、その生徒をとがめることなく、あたたかく見守ることに徹する学級担任でした。

 

その教師は、周りの先生からは、「○○先生、あの子のもっとできていないことを注意してくださいよ。

甘やかせてばかりいてはよくないですよ」と言われている教師がいました。

 

でも、その先生はじっと子どもを見守り、その先生を慕い、3学期頃には「あの子たち変わったわね。1学期とはちがって、成長したよね」と周りの先生から言われるようになっていました。そして、2・3年生ではしっとりとしたいいクラスになっていました。

 

わたしは思うのですが、何かを育てるのがじょうずな人は、待つことのできる人です。


そして「待つ」ということは、「信じる」ことと同じ意味です。


子どもは、土の中で生きる球根のようなものです。どんな花が咲くかはわからない。

 

だけれども、きっと美しい花が咲くにちがいない。


その開花の時期はわからなくても、きっとそうなると信じて、ちゃんと水をやり、肥料を与え、日に当て、大輪の花か、あるいは小さなかわいい花かと思いを巡らせ「きっと咲く」と信じて見守ることができる人こそ、子どもを成長させる教師です。

 

もちろん、ただ見守るだけではありません。その子への日々の声かけやかかわりを欠かしません。

 

 

子どもは、待ってもらっている時間の中で、その子のペースで内面を耕していきます。


自分の得意なことを知ったり、やりたいことを見つけ、世の中のルールを受け入れ、自分の中の小さな誇りを育てていきます。


待ってもらうことで心を成熟させていくのです。

 

そのことを信じることができるのは、今までの教育実践に裏づけされた本人の確信なのです。

 

変えるべき、変わるべきなのは、実践よりも「正論」(~すべき)はかりを重んじる私たちの考えかたです。


いつしあわせを感じるの?

2023年04月16日 07時19分00秒 | 教育・子育てあれこれ

先日、長女がパートナーと子ども(わたしにとっての孫)を連れて、我が家に里帰りしてきました。次女も合流して、私たち夫婦との6人でひとときを過ごしました。

 

夜に回転寿司に行き、つかの間でしたが、大家族になりました。

 

べつに特別に豪華な料理を食べているわけでもない、高価な旅館やホテルに旅行するわけでもない。

 

それでも、家族がいて孫がいて、仲よくたわいもない会話をするひとときを過ごせる喜びを感じました。

 

 


人生100年時代といわれますが、私たちの人生はいやおうなく長くなる傾向があります。

 

しかしその人生は一日一日の積み重ねから成り立ちます。

 

その日、あるいはその短い時間に、どう考えるか、どう行動するかで人生のありようがきまってくるのでしょう。

 

ささやかな日々の暮らしのなかにかけがえのない喜びを感じることができるなら、人はしあわせを感じます。

 

いまの暮らしがしんどいから、もっとよくなればいいのにというように、これから先がよくなっていくことだけを期待して、それにたよるならば、かけがえのない、いまのしあわせを味わうことができません。

 

私たちがしあわせをいつ感じるべきでしょうか。

 

それは、今です。

 

しあわせとは今、この瞬間に感じるものです

 


保育・教育の王道とは

2023年04月15日 07時04分00秒 | 教育・子育てあれこれ

保育現場では保育士の配置基準を引き下げる声が常に上がっています。

国の定める保育士の配置基準は

保育士一人あたり
0歳児が3人
1歳児・2歳児が6人
3歳児で一挙に増えて20人
4歳児・5歳児が30人
です。

この配置基準では厳しすぎると、引き下げの見直しを求める声は根強く、いま国は検討しています。

大きな事故が起きるのを防ぐためにも配置基準の引き下げが必要なのです。

では、保育士がなんとか一人ひとりの子どもにまで目が届くラインはどの程度なのでしょうか。

現場の求める基準は、絶対的なものではありませんが、一般的に次の数が限界でないかと言われています。

保育士一人あたり
0歳児が2人
1歳児・2歳児が4人
3歳児で15人
4歳児・5歳児が20人
です。

こういった声が上がる一方で、いま保育園はビジネス化の流れが押し寄せています。

つまり効率重視で、現行の配置基準ギリギリのところで、たくさんの子どもを一人で保育できることを「ウリ」にする園が一部で増えてきています。

そうなると、大声で子どもを怒鳴りつけ、大人のいうことをきかせるようなこともおこりえます。

子どもは萎縮しているのに、その保育士は優秀だと評価されることにもなります。

その果ては、最近報道されたように、園児の虐待にいたる弊害も出てきます。

保育は教育はビジネスにはなじまないもので、保育士と子どもの人間関係をもとに、ときには行きつ戻りつつ、子どもの情操を育み、健康的な成長を促し、人への信頼感を高めていく地道な営みです。

それが保育・教育の王道であることを再確認しておきたいのです。