日本では、若い人が政治や社会に働きかけ、現状を変えようと運動したり、活動するのが減ってきて久しくなります。
「18歳意識調査」が2019年に行われました。日本財団が実施したもので、このたびその結果が公表されました。
それによると、
①「自分で国や社会を変えられると思う」
日本は18.3%。インドは83.4%、インドネシア68.2%。日本はいちばん低い。
②「自分の国に解決したい社会課題がある」
日本は46.4%。9つの国の平均は72.7%。これも日本がいちばん低い。
③「社会課題について、家族や友人など周りの人と積極的に議論している」
日本27.2%。 平均は63.9%。これも日本がいちばん低い。
この数値は、いまの中学生をみていても、共通する点があります。
③などは、学校生活のなかで、議論しょうとする生徒はほんとうに少なくなったと思います。
①は、何でもあてがうことの多い日本の家庭や学校では、国や社会を変えようとする子どもの意欲も高まらないのが納得できます。
②は、政治や社会への関心が高くないという意識の低さを表しています。
おそらく、学生が国や政治、社会を変えようと活動した大きな波は、日米安保条約反対で立ち上がった1960年代の「全学連」が最後でないかと、私は考えます。
それ以来、若い人は社会課題に関心が薄く、無関心な人が多くなってきているのが実情でしょう。
とくに最近では、行政がトップダウンで物事を指示してきて、末端の人びとはそれに従うという構図が強くなってきています。
今年でも、新型コロナウイルス感染防止のための全国一斉学校休校、修学旅行の中止、行き先変更、学校行事の中止、簡素化など、一方的に決定事項が出てきて、児童生徒は文句をあまり言わず、それらに従っています。
命にかかわる一大事だから、行政がかじ取りをするのは当然だろうという考えは理解できます。
しかし、納得いかないことがあるのに、もの言わず従う人は賛成しているのと同じです。
たとえ子どもでも、少しぐらい意見を表明する機会があったほうがいいです。
学校でもなにか子どもの発案で、可能な提案を取り入れることもできるはずです。
「子どもの権利条約」では、「子どもは意見を表明することが保障されなければならない」とうたわれています。
子どもは教育を受ける主体であり、客体ではないのです。
子どもは大人から保護される立場にあります。
保護される当事者の主権をぞんざいに扱う社会は発展しにくいのではないでしょうか。