それも似たような報道ばかりで「もうたくさん」と感じました。
もちろんわたしは大谷選手が嫌いではありません。「もうたくさん」と思ったのは、大谷選手でなくメディアの取り上げ方です。
2024年は大谷選手の結婚に始まりました。
元通訳の違法賭博事件
史上初の「50ー50(50本塁打、50盗塁)」達成
さらにワールドシリーズ (NS)制覇と、連日のように報道が続きました。
それも、どのメディアも同じ内容でほかに報道するべきことがないのかといえば、そうでもなかったように感じました。
大谷選手のメディアの異常なほどの取り上げ方は、「オオタニすごい、日本はすごい」を知らせたいという意思の表れでないかと思います。
かつて日本はJapan as No.1として世界で絶賛された自動車産業や電化製品、製造業を中心に経済を誇っていました。『メイド・イン・ジャパン』が世界に誇る自信となっていたのです。
ところが、経済が失速し、デジタル産業では世界の動きに遅れてしまい、自信を失っているのがいまです。
インバウンドが日本文化に惹かれて大挙して押し寄せても、それは観光業など一部の日本人の自信に限られるのです。
オオタニ騒ぎは、世界に認められたいという自信のなさの裏返しとも思えます。
この10年余り、「世界が驚いた」というフレーズが目立ちます。
大谷選手に大騒ぎする人びとも、「オオタニはメイド・イン・ジャパンだ。どうだすごいだろう」と認められたい気持ちがあるのかもしれません。
メディアの態度もなっていないのです。
TV番組では、大谷選手の結婚を番組の最初から20分以上報道しました。
一方、同日パレスチナ紛争はガザで死者が3万人をこえたという節目のときなのに、「死者が3万人をこえました」と番組の最後で伝えるだけでした。
「人のいのちを軽視しています」と言わんばかりでした。
メディアの本来の役割が何であるかを考えたいところです。