猫とともに去りぬ (光文社古典新訳文庫) | |
関口 英子 | |
光文社 |
小説にはシリアスなもの、こっけいなもの、長いもの短いもの、時代小説、SF小説
いろいろあるけれど、一体これは何と呼んだらいいのやら?あとがきには「現代
社会への痛烈なアイロニーを織り込んだ、ユーモアあふれる知的ファンタジー短
編集」とあったけれど、その意味ではロアルド・ダールの作品などもそうです。
この「猫とともに去りぬ」(原題は「機会で作った物語」)はそのダールでさえ常
識的に思えるほど風変わりで、ハチャメチャ、先の展開が全く読めず、バカバカ
しくも、おもしろく、痛烈で、どうしたらこんな発想が生まれるのかと、感心する
ばかりです。14の短いお話からなっていて、イタリアの色々な町が出てきます。
その4番めが「ヴェネツィアを救え、あるいは 魚になるのがいちばんだ」です。
保険会社の営業マン、トーダロ氏が、ある日新聞で「ヴェネツィアは1990年ま
でに、水没する」と東京大学のある教授が言った(作中に日本人や日本の車、
バイク、カメラがよく出てきます)という記事を読み、これは大変と慌てます。
陸地がなくなるなら、魚になれば良い。なんと斬新な発想!子供たちは学校へ
行かなくてよいので大喜び、早速運河に行って水に入り、魚になろうと大奮闘。
水上バスやゴンドラが行き交う運河で、早速魚になったトーダロ氏は人間相
手に船舶保険を売りつけ、子供たちは他の子供たちを魚の仲間に引き入れ、
それを見ていた定年退職した先生が、教育なしで子どもたちをほうっておけ
ないと水に飛び込み先生魚になりと、どんどん魚の人口(魚口)が増え、そう
こうするうちに、上の息子のベーピがあることに気づきました。運河の底にな
にかしらいっぱい溜まっている。お役所が持て余して横着にも捨てた未決書
類の山でした!トーダロ氏が早速市に掛け合って、運河の底をさらうと、水位
はどんどん下がって、バンザイ!ヴェネツィアはついに生き返った!みんな元
の人間にもどって、めでたしめでたし!
異常気象やら何やらで、水位が上がり大弱りだけれど、対策の講じられない
ヴェネツィアに対する、それに杜撰なお役所仕事に対する痛烈な皮肉が込め
られたお話です。今経済危機にあるイタリア、この皮肉とユーモアの効いた
奇想天外な発想ができる国民性で一発逆転の奇策はないものでしょうか?