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ミッドタウン・ガーデンの緑地帯と事実上一体化している「港区立檜町(ひのきちょう)公園」の中を散策していきたいと思います。ガーデンの中を通っている散策道がそのまま檜町公園内へ伸びている構造になっているので、実際に歩いているといつの間にか檜町公園内に入っている感じなのです。
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敷地内の木々が枯れ木状態となっているので、公園内は非常に見晴らしが良かったです。麻布台地の斜面上に形成されている広大な広場の中は、さすがに真冬の時期ですと人々の姿はほとんどありませんでした。
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港区の御殿山地区にそびえ立つアークヒルズなどの高層ビル群を眺めながら散策を続けていきます。
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1990年代の檜町公園は、防衛庁本庁舎の広大な敷地に張り付くように、ひっそりとした小さな公園が造営されている雰囲気でした。そもそも防衛庁というあまり近寄りたくない施設の存在感が大きすぎ、この公園も重苦しい雰囲気に包まれていたのが印象的です。
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再開発工事によって東京ミッドタウンと一体化して造成し直された檜町公園ですが、この通り清々しい雰囲気を持つ都市公園に生まれ変わったのです。
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この場所は江戸時代は長州藩・松平大膳大夫(毛利家)の下屋敷があったところで庭園は「清水園」と呼ばれ、江戸の大名屋敷の中でも名園のひとつとして知られていました。
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東京ミッドタウンや檜町公園を始め、国立新美術館、六本木ヒルズ、青山霊園など、江戸時代の麻布台地のエリアには数多くの大名屋敷が密集していたのです。
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麻布台地の急斜面を利用して、公園内には滝とせせらぎが作られていました。この滝によって流れてきた水は、下流側の「清水園」の池の中へ流れ込んでいきます。
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武家屋敷の周りに檜の木が多かったことから毛利家の屋敷は「檜屋敷」とも呼ばれ、後の「檜町」という地名の由来にもなりました(公園の名もこれに由来します)。
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明治維新後には大名屋敷の建物が全て取り壊され、庭園だけが残ることになります。この辺り一帯は「赤坂檜町」と名づけられ、この長州藩邸跡には陸軍第一師団歩兵第一連隊が置かれました。二・二六事件ではこの第一連隊(と第三連隊)が中心となったのです。
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日本庭園の池を見下ろすことができそうなので、近づいてみましょう。
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透明な水を湛えた状態である日本庭園と、背後には赤坂地区の中低層マンションを中心とした住宅密集地が広がっているのが見えました。
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1945年(昭和20年)の終戦にともない、この地はアメリカの進駐軍に接収され、西側の近衛歩兵第五連隊があった場所(現在、国立新美術館がある)と合わせて「ハーディ・バラックス」となりました。ハーディ・バラックスは米陸軍第一騎兵師団ほかの兵舎として使用されることになります。
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ハーディ・バラックスが接収解除されたのは1959年(昭和34年)のことであり、元歩兵第一連隊後は防衛庁・陸上自衛隊の敷地となります。翌年の1960年(昭和35年)には、それまで霞ヶ関にあった防衛庁本庁舎がここ檜町に移転してきます。
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現在でも東京ミッドタウンに程近い青山霊園に隣接した場所には赤坂プレスレンターや星条旗新聞社、麻布ヘリポートなどの在日米軍基地が未だに残っている状態なのです。
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江戸時代の大名屋敷、明治維新後の陸軍部隊の駐屯地、戦後の在日米軍基地、高度成長時の防衛庁本庁舎と、この場所は当時の日本や世界の政治情勢に振り回され続けてきた歴史があったわけですね。2007年(平成19年)3月の東京ミッドタウンの完成によって、ようやく光の当たる場所として生まれ変わることができたわけです。
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