少し前に見てきた映画の感想です。
映画『カラフル』。
森絵都さんの小説をアニメ映画化した作品。
原作小説は未読でしたが、何度も映画館で劇場予告を見て、興味を持ち、観賞してきました。
主人公の「ぼく」は、死者です。
物語は、死者の世界の入り口から始まります。
死んだ人たちがあの世に旅立とうとする場所。彼岸と此岸の狭間で、「ぼく」は、プラプラという子どもに呼びかけられます。
「おめでとうございます、抽選にあたりました!」
と。
プラプラが言うには、「ぼく」は生前、大きな罪を犯したとのこと。
このままでは、輪廻転生の輪に組み込まれず、「ぼく」の魂は永遠に消滅してしまうとのこと。
けれども、抽選に当たった「ぼく」には、やり直せるチャンスが与えられることになった。このチャンスをうまく生かせば、ちゃんと輪廻転生の輪に組み込んで貰える・・・と。
「面倒くさいからいいです。辞退します」
そう言う「ぼく」でしたが、これは命令なのだ・・・と、「ぼく」をムリヤリ死者の世界から連れ出したプラプラ。
チャンス・・・というのは、もう一度この世で修行をするということでした。
「ぼく」は、「小林真」という自殺したばかりの中学生の体に乗り移ることに。これからは、「小林真」として、一定期間を生きていくことになります。
行ってみれば、肉体のホームステイ。
こうして、再びこの世で生活していく内に、自分の生前の記憶や犯した罪を思い出し、改心することが出来れば、「ぼく」は、再び、輪廻転生の摂理に入れるとのことです。
こうして、生前の記憶を持たない「ぼく」は、「小林真」として、再び、この世に戻ってきました。
けれども、この小林真なる少年。絵が上手い以外は、何の取り柄もないヤツ。
勉強も苦手で、運動も出来ない。友達すらいなくて、どうやら、いじめられっ子だったよう。片思いの女の子は、影で援助交際をしている。
しかも、真の家族は、偽善的で家族にも無関心な父、フラメンコ教室の先生と浮気をしていた母、成績優秀で大学受験のことしか頭にない兄・・・と、「ぼく」にとって、決して快適な環境ではありませんでした。
そんな不満を抱えながら、「ぼく」は、真として生きていくことに・・・。
原作は未読でしたし、実写版も見たことなかったのですが。
冒頭から、最後のオチというか、物語の結末は推理できましたです。
でも、とても切なくて、色々と考えさせられる物語でした。
せっかく、再び、この世に戻ってこられた「ぼく」が、家族に当たり散らしたり、無為に日々を生きていくことには、見ていて、少々苛立ちを感じました。
でも、「ぼく」の気持ちも、凄くよく分かるのですよね。
中学3年という、もう子供でもなく、かといって、完全に自立した大人でもない中途半端な年頃。
いじめられるのも、家族がバラバラなのも、好きな子が援交してるのも、自分の力では、どうすることも出来ないし。
他人が羨ましくもあり、「なんで、自分だけこんな最悪な目に・・・」って思ってしまう。
イライラもする。
手近なところで、母親にトコトン当たる。
「ぼく」の気持ちも分かる気がします。
私が「ぼく」なら、やはり、四面楚歌な孤独な想いに、怒り、悩み、絶望するでしょう。
でも、その一方で。
「ぼく」より、客観的に物事を見ることが出来る、鑑賞者側の私。
だからこそ、分かるのですよね。
「ぼく」は、実は、恵まれた環境にいることに。
彼のことを気にかけてくれてるクラスメイトも居る、実は家族はみんな、彼のことを心配してくれてる。
援交している女の子だって、割り切っているように見えて、本当は自分の中にある矛盾について、「ぼく」にSOSを発していた。それだけ信頼していた。
けれども、一度、自分の殻に閉じこもってしまったら、物事は、自分の主観的側面しか見えないのですよね。
端で見ているともどかしい限りです。
だけど、ほんの少し、周りを見ようとすれば。
「ぼく」にも、見えてくるのですよね。
無関心無感動だと思っていた父親の本音。
浮気をしていたふしだらな女に見えていた、母親の苦悩と反省と愛情。
自己中だと思っていた兄の変化。
自分と友達になりたがっているクラスメイト。
一側面しか見ていなかったら気づけないけど。
人も、物事も、とても多面的であり、カラフルなのですよね、良くも悪くも。
だから、無関心に見えていた父親が、実は、家族のことを深く考えていた人だったり。
嫁姑で悩み続けていた母親。
その所為で浮気に走り、でも、真の自殺未遂後は、反省して、一生懸命手料理を作り続けていたり。
冷たいだけのガリ勉な兄が、弟が息を吹き返した奇跡に感動し、医師を志したり。なんとか、弟との心の距離を近づけようと、一緒に食事をしていたり。
また、援助交際をしていた女生徒も、色んな矛盾に悩んでいたり。
「この人は、この色」だとか「この色でなければいけない」とか・・・そういう決まりはないのですよね。
人間、皆、色々な色、良い色、悪い色、いっぱい持ってて。
それで良いのだと思います。
どれが本当の色なのか・・・とか、考える必要は無いのですよね。
勿論、主人公の「ぼく」も。
ちょっと髪型を変えてみたり、格好いいスニーカーを買ってみたり・・・そんな小さなコトで、クラスメイトから話しかけられたりと、いつでも変わることが出来る。
人間は色々な色を持ち、時に、矛盾を抱えながらも、生きていて。
自分の心がけひとつで、変わることも出来る。
そして、自分は自分の知らないところで、誰かに支えられたり、また、誰かを支えたりしている。
そんなこの世界は、カラフルで美しいんだ。
そう思わせてくれる映画でした。
ただ、やっぱり、イジメに関するシーンや、主人公が母親にトコトン冷たく当たるシーンは、とても心が痛んで、見てられなかったけど。。。。。
イジメも、家庭崩壊も、現代ならではの問題。
この問題を完全に撲滅させることは無理なのでしょうが・・・。
無くなって欲しいです。
こんな時代、生きていくのが辛くなったとき。
人はどうしたら良いのか・・・。
色々と考えてしまいました。
そして、私自身、どうしても、物事を主観的にしか見ない傾向にありますが。
なるべく、多面的に捉え、一側面だけ見て、批判したり、不満を抱いたりするのは良くないなぁと思いました。
映画『カラフル』。
森絵都さんの小説をアニメ映画化した作品。
原作小説は未読でしたが、何度も映画館で劇場予告を見て、興味を持ち、観賞してきました。
主人公の「ぼく」は、死者です。
物語は、死者の世界の入り口から始まります。
死んだ人たちがあの世に旅立とうとする場所。彼岸と此岸の狭間で、「ぼく」は、プラプラという子どもに呼びかけられます。
「おめでとうございます、抽選にあたりました!」
と。
プラプラが言うには、「ぼく」は生前、大きな罪を犯したとのこと。
このままでは、輪廻転生の輪に組み込まれず、「ぼく」の魂は永遠に消滅してしまうとのこと。
けれども、抽選に当たった「ぼく」には、やり直せるチャンスが与えられることになった。このチャンスをうまく生かせば、ちゃんと輪廻転生の輪に組み込んで貰える・・・と。
「面倒くさいからいいです。辞退します」
そう言う「ぼく」でしたが、これは命令なのだ・・・と、「ぼく」をムリヤリ死者の世界から連れ出したプラプラ。
チャンス・・・というのは、もう一度この世で修行をするということでした。
「ぼく」は、「小林真」という自殺したばかりの中学生の体に乗り移ることに。これからは、「小林真」として、一定期間を生きていくことになります。
行ってみれば、肉体のホームステイ。
こうして、再びこの世で生活していく内に、自分の生前の記憶や犯した罪を思い出し、改心することが出来れば、「ぼく」は、再び、輪廻転生の摂理に入れるとのことです。
こうして、生前の記憶を持たない「ぼく」は、「小林真」として、再び、この世に戻ってきました。
けれども、この小林真なる少年。絵が上手い以外は、何の取り柄もないヤツ。
勉強も苦手で、運動も出来ない。友達すらいなくて、どうやら、いじめられっ子だったよう。片思いの女の子は、影で援助交際をしている。
しかも、真の家族は、偽善的で家族にも無関心な父、フラメンコ教室の先生と浮気をしていた母、成績優秀で大学受験のことしか頭にない兄・・・と、「ぼく」にとって、決して快適な環境ではありませんでした。
そんな不満を抱えながら、「ぼく」は、真として生きていくことに・・・。
原作は未読でしたし、実写版も見たことなかったのですが。
冒頭から、最後のオチというか、物語の結末は推理できましたです。
でも、とても切なくて、色々と考えさせられる物語でした。
せっかく、再び、この世に戻ってこられた「ぼく」が、家族に当たり散らしたり、無為に日々を生きていくことには、見ていて、少々苛立ちを感じました。
でも、「ぼく」の気持ちも、凄くよく分かるのですよね。
中学3年という、もう子供でもなく、かといって、完全に自立した大人でもない中途半端な年頃。
いじめられるのも、家族がバラバラなのも、好きな子が援交してるのも、自分の力では、どうすることも出来ないし。
他人が羨ましくもあり、「なんで、自分だけこんな最悪な目に・・・」って思ってしまう。
イライラもする。
手近なところで、母親にトコトン当たる。
「ぼく」の気持ちも分かる気がします。
私が「ぼく」なら、やはり、四面楚歌な孤独な想いに、怒り、悩み、絶望するでしょう。
でも、その一方で。
「ぼく」より、客観的に物事を見ることが出来る、鑑賞者側の私。
だからこそ、分かるのですよね。
「ぼく」は、実は、恵まれた環境にいることに。
彼のことを気にかけてくれてるクラスメイトも居る、実は家族はみんな、彼のことを心配してくれてる。
援交している女の子だって、割り切っているように見えて、本当は自分の中にある矛盾について、「ぼく」にSOSを発していた。それだけ信頼していた。
けれども、一度、自分の殻に閉じこもってしまったら、物事は、自分の主観的側面しか見えないのですよね。
端で見ているともどかしい限りです。
だけど、ほんの少し、周りを見ようとすれば。
「ぼく」にも、見えてくるのですよね。
無関心無感動だと思っていた父親の本音。
浮気をしていたふしだらな女に見えていた、母親の苦悩と反省と愛情。
自己中だと思っていた兄の変化。
自分と友達になりたがっているクラスメイト。
一側面しか見ていなかったら気づけないけど。
人も、物事も、とても多面的であり、カラフルなのですよね、良くも悪くも。
だから、無関心に見えていた父親が、実は、家族のことを深く考えていた人だったり。
嫁姑で悩み続けていた母親。
その所為で浮気に走り、でも、真の自殺未遂後は、反省して、一生懸命手料理を作り続けていたり。
冷たいだけのガリ勉な兄が、弟が息を吹き返した奇跡に感動し、医師を志したり。なんとか、弟との心の距離を近づけようと、一緒に食事をしていたり。
また、援助交際をしていた女生徒も、色んな矛盾に悩んでいたり。
「この人は、この色」だとか「この色でなければいけない」とか・・・そういう決まりはないのですよね。
人間、皆、色々な色、良い色、悪い色、いっぱい持ってて。
それで良いのだと思います。
どれが本当の色なのか・・・とか、考える必要は無いのですよね。
勿論、主人公の「ぼく」も。
ちょっと髪型を変えてみたり、格好いいスニーカーを買ってみたり・・・そんな小さなコトで、クラスメイトから話しかけられたりと、いつでも変わることが出来る。
人間は色々な色を持ち、時に、矛盾を抱えながらも、生きていて。
自分の心がけひとつで、変わることも出来る。
そして、自分は自分の知らないところで、誰かに支えられたり、また、誰かを支えたりしている。
そんなこの世界は、カラフルで美しいんだ。
そう思わせてくれる映画でした。
ただ、やっぱり、イジメに関するシーンや、主人公が母親にトコトン冷たく当たるシーンは、とても心が痛んで、見てられなかったけど。。。。。
イジメも、家庭崩壊も、現代ならではの問題。
この問題を完全に撲滅させることは無理なのでしょうが・・・。
無くなって欲しいです。
こんな時代、生きていくのが辛くなったとき。
人はどうしたら良いのか・・・。
色々と考えてしまいました。
そして、私自身、どうしても、物事を主観的にしか見ない傾向にありますが。
なるべく、多面的に捉え、一側面だけ見て、批判したり、不満を抱いたりするのは良くないなぁと思いました。