懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

嫁に行く、嫁にもらわれる。

2019年04月06日 | 日記

介護施設で高齢女性と若いスタッフが会話している。

高齢女性がお嫁にいっているのかと聞く、若いスタッフは-ええ-と答えて嫁にもらわれましたと答えた。

貰われるとはよく聞くがおかしいと思う。犬や猫やヤギの子供じゃあるまいし貰われるはないだろう。

嫁に行くにしても私のようなサラリーマン家庭の次男三男と結婚するのは家にたいして財産も不動産もない。

嫁にやるほどの家柄でもない。

女性もへりくだって卑下する必要はない。結婚は男女対等である。

嫁にやる嫁も貰うの言葉は男女平等をうたいながら長年浸透している女性軽視の言葉だと思う。

金を持たない者同士が結婚して子供を育て家を建て老後の資金を残して一生を終える。

子供一人に2000万円掛かるといわれている。三人も育て老後も生きられるのは夫婦の努力と節約でもある。嫁の力なしではやっていけない。

 

桜の満開の季節  宮本輝の小説の夜桜を思い出す。

神戸の海の見える高級住宅地に大きな桜のある邸宅がある。初老の女性が一人住む。

夫の浮気で離縁し財産に邸宅をもらう。しかもその後に息子を事故で亡くし悔やむ日々が続く。

寂しいので邸宅の二階を下宿で貸す張り紙をだす。

若い男性が一晩泊めてほしいとお願いにくる。

渋々返事をしたら若い女性を連れてきて泊まる事となった。

物音もせず照明も消され自殺でもされてはと不安がよぎる。

翌日話を聞くと二人は結婚したが貧乏で新婚旅行にもいけず桜の咲く時期に海の見える豪邸で泊まってみたかった。

ずっと夜桜と海を眺めていたという。電気工事で立ち寄っていたので桜の存在はしっていた。

人生に希望を失いかけていた初老の女性は若い夫婦に応援を送るとともに生きる希望が湧いてきた。