懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

五回カレー

2019年04月28日 | 日記

介護施設で私の隣席の男性の話し

奥さんと二人暮らしで歩くのに介助がいる。

奥さんが一回カレーを作ると五回食べるという。

朝はパンでこの時は食べないので三日間掛かって食べる。

わたしの家でも3回は食べるが5回は食べられない。

この人の介護負担は3割である。介護負担は所得に応じる。(負担なし 1割 2割 3割)

所得が高いから三割負担なのだ。3割負担は年収が460万円以上だ。

所得は厚生年金に葬儀屋に土地と建物を貸している。他に銀行に駐車場を貸して奥さんは田んぼを1町二反分持っていて貸しているので米代が入るという。

コンビニに貸している人は月40万円と言っていたが葬儀屋にはどれくらいで貸すのかと聞いたが商売をやっていただけに口が堅い。駐車場の貸し賃も話さない。いつかはポロと言うのを待つとする。

貸賃が毎月40万としても700万から800万の所得はある。

これだけあってもカレーを五回食べる節約ぶりだ。

ケチかと思ったら孫が成人したので五百万円やったという。そんなやり方は後で贈与税がくるよといったが現金で渡したのでわからんだろうという。サラリーマンと違い資産ももっているので死んだら税務署も10年分調べる。

月に一度は外食する子、孫と焼肉にいく若いのがいるので3万-4万は掛かるばあさんが出す。その人は介助がいるので行かず家で一人冷凍ギョーザで夕食だそうだ。

そんな気持ち分かる私も同じだなあと思う。海外旅行も行かず美味しい料理も食べず一生終わるのかな。

子や孫に安易に金は残すべきではないが自分を犠牲にしても子孫のためと思う貧乏根性が抜けない。


懐かしい物 船溜まり

2019年04月28日 | 懐かしい物

撮影場所 北海道釧路市 釧路川河口

昭和48年12月

河口や漁港には船溜まりがあった。それも木造船だ。

今見るとこんな船舶も懐かしい。砂利船や石炭の運搬。荷役の請負で暮らしていた。

河口は堆積物で浅くなり満潮にならないと運航できない。定期的に浚渫が必要だ。

江戸時代などは浚渫が出来ず浅くなると港は別のところに造った。

港は男の肉体労働者の働く場所だった。川の流れのない所は貯木場にもなっていた。海水に浸けておくと虫が付かない。しかし河川の環境を悪くする(水の流れが阻害される木の皮が堆積して水質悪化)で貯木は禁止された。

こんな河口の船溜まりや漁港の風景に着目して撮影しておけばよかった。

他に狭い路地や狭い飲み屋街も撮っておくとよかった。場末の風景は郷愁を感じる。

私は酒を飲まないので飲み屋街にほとんど行った事のない世間知らずで面白みのない人間だ。

会社の同僚が小さな飲み屋で看板まで一人で飲んでいたら あんた女抱いたことあっとね。と聞く無いと言ったら裏の6畳の部屋でおばちゃんが筆おろしをやってくれたと話す。そんな彼も八年前に天国にいった。

こんな話は嫁にも言わず墓場まで持っていったのだろう。

昭和40年初めまではは船上生活者がいた。船の中で一家が寝泊まりして学校にも行っていた。水がなく食事がたいへんだっだろう。

そんな昭和31年ころの大阪の風景を書いたのが宮本輝の泥の川である。

川辺に暮らす貧しい庶民を描いている。舞台は大阪の土佐堀川で泥が堆積して落ちると助からないという泥沼

少年の友達兄弟は船で暮らしている。親からあの子とは遊ぶなと言われていた。

船に遊びに行ったら母親が子供はどこかへ遊びにいけという。船には男が中にいて何か見てはいけない雰囲気だった。

母親はこの船で売春をして生活費を稼いでいた。戦後から10年人々の暮らしは貧しかった。

映画化にもなっている。1981年に名古屋で撮影されている。まだ貯木場があり昭和30年代の光景がのこっていたのだ。