懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺民家  兵庫県波賀町の民家

2014年05月12日 | 茅葺き民家
兵庫県の千種町に入り隣の波賀町に立ち寄り国道29号線で鳥取県に入る。このコースの茅葺民家を探しながら撮影した。
鳥取県では国道53号線へ抜け岡山に入り帰った。

千種町から波賀町に掛けてポッポッと茅葺民家が残っていた。
棟にはカラスオドシが乗っていたが杉の細い丸太が乗っていた。

国道29号線沿線は揖保(いぼ)川に沿っているので揖保の糸(いぼのいと)
を使った流しソーメンの店が何軒もある。
一番上の息子が姫路で働いていた時にウインドサーフィンをやってい時に揖保の糸を生産している人と友達になりそうめんをもらったとひと箱うちに持ってきた。
そうめんの中でも揖保の糸が一番美味しいと思う。
素麺の製造屋は夏は仕事が出来ないので時間があるのでマリンスポーツをする人が多いそうだ。その反面、ウインタースポーツは休みなしで働くので出来ないのだそうだ。

日本の三大素麺は三輪素麺、小豆島素麺、揖保の糸だそうだ。
島原や鴨方、愛媛の五色ソーメン、徳島半田ソーメン、秋田稲庭ソーメンが有名

うどんと冷麦、素麺の違いは太さだけだそうだ。
1.7mm以上はうどん、1.3mmから1.7mmは冷麦 1.3mm以下は素麺だそうだ。




日本茅葺紀行  NO,129 秋田市の茅葺民家

2014年05月11日 | 日本茅葺紀行
両中門の民家で周囲は防雪風のための屋敷林になっている。
新潟、山形、秋田、青森の日本海側の民家は中門造りが多い。
外から入り雪の付いた雨具を脱ぐための土間がある。冷たい風が入らないように廊下に入る前に戸が付いている。
北国での生活の為に発達した民家のようだ。
現在の雪国の民家はテレビで見ていると中門造りは少ない。
車で帰り車庫から家に入るまで雪で濡れる事が少なく必要性が少ないのか。

こんな両中門の民家に出合うのは秋田の撮影旅行の楽しみである。
この民家はまさしく文化財である。
こんな民家に出合える事は民家巡りの冥利につきる。
あと10年ほど前に来ていたらもっと素晴らしい民家があったのにと言われた。
私も東北に本格的に撮影できるようになったのは定年後であった。

懐かしい風景 牛と女性

2014年05月10日 | 懐かしい物
撮影場所 島根県安来市

牛を飼っている茅葺民家
子牛は大人の牛と離して飼っていた。雄の大きな牛を怖がるそうだ。
放してやるとキャベツなどの野菜を全部食べてしまうのでつないでいるそうだ。
早春の頃でフキノトウの佃煮をだしてくれた。藁で包んだ干し柿もだしてくれた。
フキノトウは苦みをうまく抜き風味も残していた。
私もフキノトウ佃に挑戦したが上手く出来ない。
苦みが抜けないものや水にさらしすぎて風味が抜けたものなどだ。
東北の人がフキノトウは雪の下にあるものは苦くないと言っていた。
しかし、岡山も雪は県北は沢山降るが岡山のは大変苦い
フキノトウも北へ行くほど大きくなる。
明らかに岡山のフキノトウとは違う。フキノトウは小ぶりなものほど苦いように思う。

岡山の茅葺民家写真展 -11 山懐に抱かれて その2

2014年05月09日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県玉野市八浜

八浜はかっては児島湾の海辺の集落であったが戦後児島湖は締め切られ淡水湖となった。
昔は海辺の漁村だったが淡水化と共に漁業で生計を立てる者はいなくなった。
そんな集落の山沿いには農家の民家があった。
谷間の開けた土地に田畑がある、そこに茅葺民家の農家が一軒だけあった。
家の庭には収穫したサツマイモを干してあった。
裏の山に登り茅葺民家と集落を俯瞰した。
高いところから見ると集落の全景が見え家々の並びや形成が見える。
新興の住宅が増えるとそれは大きく崩れる。
昭和40年頃まではそんな町並みや集落の形が残ったが今は乱雑に家が建つている。

茅葺民家は下屋も棟も本瓦で葺かれた重厚な造りである。
四国や関西方面で見られる。

茅葺民家 茶畑のある民家

2014年05月08日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県今田町(現在は篠山市)

茶畑の脇に茅葺民家があった。
双方撮れる場所は段々少なくなっている。
静岡や鹿児島のように茶畑は沢山あっても茅葺民家のないところもあるので難しい。
以前は小規模な茶畑が各地にあったと思うが今は大規模茶畑に集約されている。
しかし、写真を撮るには小規模の方が良い。大規模の茶畑は霜除けの換気扇やスブリンクーラーの配管が眼ざわりで風景に懐かしさがなくなる。

奈良県や兵庫の丹波地方には茶畑と茅葺民家が一緒に撮れるところがある。
奈良県は茶の生産が多くあんなに茶畑が多いとは知らなかった。
私は急須で茶を入れると後の茶葉の処理や洗いができないのでほとんど茶は飲まない。
食の西洋化で茶の生産量は昔に比べて大幅に落ちていると思いネットで調べたらほとんど落ち込みがない。
ペットボトルでの販売が多いので需要はあるようだ。


茶畑と茅葺民家のように日本の風景の取り合わせを考えて撮影すべきであったと思う。
池と茅葺、川と茅葺、鯉幟と茅葺、棚田と茅葺、石垣と茅葺などなど
最初に茅葺民家に関する関連項目をリストアップし一覧表で進捗をチェックししながら探索すればよかったと思う



日本茅葺紀行  NO,128 佐賀県鹿島市の茅葺民家

2014年05月07日 | 日本茅葺紀行
鹿島市の長崎本線の線路脇にあった茅葺民家
鉄道と茅葺民家が一緒に撮れるが悲しい事に車椅子の私では撮影する場所がない。
しかも、ここへ入る道は車一台の通れる道である。道路脇にはブロックなどで仕切っているいるので走りにくい。
二度と行きたくない思いで撮影した。
少し登れば有明海の干潟や海が見える。
昔ながらの半農半漁の集落である。

列車を待つには長崎本線なので割と頻繁に走っている。





蒸気機関車 岡山駅の蒸気機関車

2014年05月06日 | 蒸気機関車
撮影場所 岡山駅、倉敷駅

伯備線に蒸気機関車が走っていた頃、D51蒸気機関車の牽引する普通列車の発車まえ
線路に入り真ん中で撮影、今であれば違反物
前面についているデフレクター(除煙板)の下部が切り取られた変形デフ
形から長野工場で造られたので長工デフと呼ばれていた。
マニアックな趣味の人は少しの違いにこだわるものである。
こんな古い客車も今は見られない、別のホームの旧形電車も骨董価値のある電車だ。
私は骨董価値のある列車や建物が少なくなり鉄道の魅力を感じなくなった。


倉敷駅発車


岡山の茅葺民家写真展 -10 山懐に抱かれて その1

2014年05月05日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所  岡山県長船町牛文(現在は瀬戸内市)

集落の形成を見ていると山裾に沿って家々が並んでいる光景を目にする。
道路も当然それに沿って発展している。今のように道路を造る時に直線的ではなく、人が生活するのに便利だったり地形に沿った道として発達している。
生活道路と呼ばれる狭くて曲がりくねった道である。

なぜ山裾に集落が発達したのであろうか、田や畑を宅地にしないように住宅地は山裾の傾斜地を利用した。風除けのため山を背後にした。
昔の生活は燃料の木が得やすかったし清潔な水も得やすかったのではないかと思う。
河口部の洪積平野はいくら土地が広くても暮らすのは不向きだったと思う。
川には満潮の都度、潮水がくるし燃料になる木は生えていないし第一飲料水が得られない。
洪水になれば家も命も失う恐れがあった。

洪積地に住めるようになったのは護岸工事と干拓がおこなわれ用水路が引かれた後である。
私の住んでいるところは江戸時代に干拓されたが水道が引かれたのは昭和30年代末
それまでは用水路の水を沸かして風呂に入っていたので湯船に藻が浮かぶのが厭だったと語っている。

茅葺民家  広島県芸北町の民家

2014年05月04日 | 茅葺き民家
撮影場所 広島県芸北町(現在は北広島町)

広島県の北部の高原の町、今頃訪れると新緑がさわやかであろう。
私が初めて訪れた時は三段峡の紅葉見物と合わせた撮影旅行であった。
夕暮れに少しの時間撮影に当てたようにおもう。
昔ながらの茅葺民家と農村風景が残されていた。
鎮守の森も護岸工事をしていない自然の川も日本の美しい農村風景のひとつであった。
茅葺民家も10軒以上残っていた。
写真の家には赤松の大きな木があった。
庭先にはミズゴケを干してあった。園芸店にでも売るのであろう。
私も元気な頃には水ゴケや山ゴケを採りに行った。
小さな小川をどんどん登れば湿地帯がある。その湿地帯に水ゴケはある。
山の谷間の窪地が湿地帯になっている事が多い。水ゴケも夏場は緑で美しい。
冬は薄い茶色になる。蘭を育てている人は外国からの殺菌している輸入品より生きた水ゴケをほしがる。




日本茅葺紀行  NO,127 埼玉西部の茅葺民家

2014年05月03日 | 日本茅葺紀行
撮影場所  埼玉県小川町


埼玉県にも茅葺民家はあるのであろうが情報量も少なく東京のベッドタウンでは探すとなるとひけてしまう。鉄道の写真も関東はほとんど撮影していない。
田舎者は関東にコンプレックスを持っていて何度も行っているのに撮影することも思いつかなかった。
埼玉の茅葺民家の情報を得て八高線周辺の茅葺民家をさがした。
小川町までくると東京に毎日通うのは厳しいと思う。
我々の住んでいる田舎の風景にほっとする。
民家は寄棟造りである。少し走れば秩父に入る。
秩父には茅葺民家はないと聞いていたので行った事が無い。