懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

戯れ日記 鴨料理レストラン

2014年12月05日 | 日記
宍道湖や中海、琵琶湖には鴨が沢山飛来してくるが不思議と鴨料理店が無い。

この池も沢山鴨が飛来してくる。
皆がパンなどのエサをやるし公園の管理している人が売れない野菜を細かく刻み鴨に与えている。野生のものは落ち穂や水草を食べる。
この池の近くにレストランがある。
常連客には希望すれば鴨料理がでる。
国産の地元の鴨が出ると評判だ。

ある時、警察に鴨が密漁されているとの情報が入る。
深夜に若い男女がレストランの担当者が網で密漁しているのを見たと警察に通報があった。

警察で早速聞き込み調査する事となった。
レストランの担当者に聞いたがやっていないと言い張る。
ただ、ここは野良ネコが捨てられ沢山棲んでいる。
陸に上がり休んでいる鴨が猫に襲われる事がある。
こんな野良ネコに密かにレストランの残飯を与えていた。
その猫のなかのポチとシロとラッシーがよく鴨を捕まえる。
私がカモナ マイハウス(come on a myhouse)を唄うと猫が鴨を家まで持ってくるんですわ。
これを猫の恩返しというんでしょうかね。
鴨を持ってきた猫には褒美にキャットフードをやります。
猫には鴨よりキャットフードが好きですな。時にはジャーキーもやりまっせ。

そんなアホな話は聞けないなと警察官
家宅捜索したが網で密漁をした証拠は見つからず捜査は打ち切りとなる。

それ以来、このレストランで鴨肉が出る事はなくなった。


この話はフィクションです。写真も一切関係ありません。お爺の戯れ日記です。

余談 カモナマイハウスは先日、亡くなった高倉健と結婚していた江利チエミが日本ではカバーしていました。テネシーワルツなどと同時期のアメリカンポップスです。


懐かしい物 福島県喜多方町の店屋

2014年12月05日 | 懐かしい物
山形県米沢市から福島県喜多方町に移動して泊まった。以前の道は峠越えで悪路だったようだ。今はトンネルが出来て短い時間で福島県に入れる。
喜多方に立ち寄ったのは喜多方ラーメンを食べる事であった。
喜多方ラーメンの方は上品なスープだったが私の好みではなかった。
私はどちらか言うとコッテリした豚骨ラーメンが好きである。
食べ物の好みは個人差があり人に押し付けは難しい。

何処で撮ったか書いてなかった。たぶん喜多方の町と思い金万商店で検索したら喜多方にそんな店があるようだ。空箱を積んでいる酒屋だと思われる。
こんな古い店もすくなくなった。

オヤジギャグ その12 消防団

2014年12月04日 | オヤジギャグ
1.消防団

地域の消防団に30年在籍した人が退団した。
功労金を30万円いただいたそうだ。
彼はこの金を全額奥さんにプレゼントした。
自分が持っているとパチンコに使うので奥さんにプレゼントするのが偉い。

退団式は団長に法被(はっぴ)を返還して退団となる。
法被(はっぴ)返還して功労金をもらいこんなのをハッピーエンドというのかもな。

岡山の茅葺民家写真展 - 60   こりゃあ古い  その3

2014年12月04日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県勝山町星山

星山は20戸ばかりの小さな集落だ。星山という1000メートルを少し越える山の麓にある。酪農や狭い田畑で農業で暮らしている。そこに8軒茅葺き民家があった。
日本の名瀑百選に選ばれている神庭の滝の上流部になる
この集落の横を流れる小川に沿って道がある。
これをどんどん下っていたら突然川の流れが消えた、
風景もどこにでもある田舎の風景から前方が開けた風景に変わる。
あの一連の変化をビデオで撮ると面白い。
一瞬川も道も消えるとおもうが道は岩壁から太い三角金具が出ていて吊られている。
滝になるようなところの岩石は堆積岩で脆い岩である。今も崩落が続いているとおもう。

世間から隔絶した集落で何回も通うか1日いて撮影するといい風景が撮れたと思うが私の撮影は気ぜわしい撮影だった。

茅葺き民家 山形県川西町の民家 モノクロ

2014年12月03日 | 茅葺き民家
山形県は茅葺き民家の形のデパートだとおもう。
多種多様な茅葺き民家が存在する。
個性のある茅葺き民家を発見しコレクションするのが楽しみだ。
日本人の性格上、特に田舎はみんなに合わす風潮があり画一的な民家になりそうだが思い思いの民家を造るのにはどんな背景があったのだろうか。川西町のこの地域については土地が広く一反くらいの敷地に家を建てるので増設が可能だ。他の家より大きな家や個性的な家を造る風潮があったのか
個性的な民家に出合うのは発見する喜びであり楽しいものだ。物事を継続して続けられるのは楽しみと感動が不可欠である。
蒸気機関車は用途により形式がかなりある。その形式を撮る事と各形式でも細部を見ると二つ同じものが無い。
前照灯の数やデフレクターの形、製作年代によるむ違い、ナンバープレート、付属部品の違いなど
そんなのを撮って楽しんでいる人もいた。
フィルムカメラの時代だから湯水の如く撮る事はなかった。
しかし、今は撮影枚数を気にする事はない。
蒸気機関車でSLコレクションを出来なかった悔しさもある。
茅葺き民家だけでも茅葺きコレクションをして写真アルバムを見ながら楽しみたいとおもう。


津軽リンゴ

2014年12月02日 | 日記
初めてネットで津軽のリンゴを注文する。
今年の鶴瓶の家族に乾杯で夏木マリが津軽を訪れた。
津軽には茅葺き民家を撮影で何度も足を運んだので買ってみる事にした。
孫や子におくるので15kg買った。4500円だった。輸送費がいるのでこちらで買うのと変わらない。
フジリンゴをたのんだ。フジは完熟すると蜜が入る。蜜がはいったから甘くなることはないそうだ。この前まで木になっていた完熟リンゴである。
完熟リンゴはお尻まで赤いそうだ。黄色だと完熟になっていないそうだ。

フジの名は青森県藤崎町(弘前市の隣)で誕生したことと日本一の山、富士にあやかって付けられた。日本を代表するリンゴだ。
藤崎町を走っているとフジリンゴ発祥の地と大きな看板が出ている。

リンゴはブドウや桃に比べると安い。ブドウは2kgで3000円する。安い果物ははミカンとバナナであろう。子供の頃はバナナが高くて食べられなかった。バナナには強いコンプレックスを持っていて貰った給料で一房買いたらふく食べた記憶がある。一房買うと食べ切れずに部屋中バナナの匂いがしてあれだけほしかったのに嫌気がさしてきた。
昭和39年に農産物が自由化され日本の食生活は豊かになった。子供の頃の貧しさ何であったのか



日本茅葺紀行 NO,177 広島県大和町の民家

2014年12月02日 | 日本茅葺紀行
大和町は広島県の中央部、世羅高原の一部
我々のところから100kmの距離、高速を使うほどの距離でないので一般道で行っていた。
茅葺き民家も残っていたが三原市に編入された頃には茅葺きは撤去されたりトタンを覆われたりで姿をけした。
カメラがデジカメになった頃には茅葺きも減り撮影はすくない。
小屋も茅葺きの物が点在しておだやかな田舎の風景がのこっていた。
平野も多く山間の厳しい地形はすくない。家々も厳しい地形に建つ家は少なかったように思う。

この家の奥さんがウドの新芽をくれた。田植えの頃だったのでウドは伸びていた。しかし新芽の柔らかいところは天ぷらにすると美味しい。ほのかにウドの匂いがして大人の味である。



蒸気機関車 後藤寺駅

2014年12月01日 | 蒸気機関車
撮影場所 福岡県田川市 後藤寺駅

後藤寺は伊田と共に田川炭鉱の石炭輸送で栄えた。
日田英彦山線の途中駅だが後藤寺線の始発駅でもある。田川線も後藤寺まで乗り入れる。
蒸気機関車の走っていた頃は鉄道の利用者も多く通勤通学の客で駅はにぎわっていた。
北九州の駅には独特の匂いと風景があった。薄汚れた家並み蒸気機関車から吐き出される石炭の匂い。
明るい色合いは無かった。建物も電柱もモノクロの世界であった。
あれが昭和の風景だったのであろう。
駅のホームの電柱も木柱に黒いコールタールを含浸させたものである。
建物のほとんどが木造で板張りである。駅の標識も木製である。

今は制御ケーブルや光ファイバーで駅に電柱など必要無くなった。
蝿たたきと呼ばれた電柱群が懐かしい。
9600形の蒸気機関車の貨物が停車する横をC11形の客車が発車する。
デフレクターの付いていない9600形蒸気機関車も味があり好きだ。