懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,180  岡山県阿波村

2014年12月14日 | 日本茅葺紀行
阿波村は現在は津山市

阿波村は1000メートル位の山に囲まれて12月に入ると雪がふる。
大雪の時は1メートルを超える事もある。
この1メートルの大雪の世界から雪のない津山市まで30分、
短時間で別世界に行けるところでもある。
しかし、茅葺きを撮るにはこの程度の雪がよい余り降りすぎるとトタンの屋根も茅葺き民家も変わらなくなる。
茅葺き民家は雪のないシーズン主体的に撮るべきだと思う。
雪の風景は非日常的で好んで撮られるが付録程度でいいとおもう。

この家も老人が一人住まいであったが人が住まなくなって数年して取り壊された。

カラー写真のスキャナンを少し始める。



懐かしい物 木の橋

2014年12月13日 | 懐かしい物
撮影場所 倉敷市吉岡川に架かる橋

倉敷市の南部に吉岡川という河がある。用水路兼排水路が流れている。これが倉敷川に合流する。。ここに昭和50年代には木の橋が三本架かっていた。
この上を車が走っていた。重量制限二トンだったと思う。

三本の木の橋のなかでもこの橋が周りに民家や電柱電線もなく撮りやすかった。
しかし、標準レンズしか持っていなくて撮影が難しい。
この橋の近くに倉敷南高校があり創立期の卒業写真にはこの橋に生徒が並んで撮った写真を図書館で見たことがある。先生も粋な事をするものだと思った。

この吉岡川は本来、葦岡川だがアシは悪しにつながるので吉岡にかえたようだ。
ちなみにこの橋は明渡橋という、私はかって冥途橋とよばれていたのではと想像する。




渋柿

2014年12月12日 | 日記
渋柿をもらってきた。
茅葺きの民家を撮影にいったら縁側に赤くなった渋柿を菓子箱に20個ほど並べてあった。
聞くと熟す頃に鳥に食べられるので渋の残る柿を早めに取って二週間から二十日ほど並べて置き熟れたものから食べていくのが秋の楽しみだとの事だった。私も一個よばれて食べた。


植物もよく考えている種が熟すまでは苦く熟れて甘くなり鳥に種を各地に運んでもらう。
ニガウリも渋柿など鳥と植物が共存共栄の関係をきづいている。

柿はアルコールで渋を抜くより自然に熟すのが甘い。箱に入れて熟を待つ。光に当てると柔らかく透明感が出るとオッケー、食べようと置いてあったら家内に先に食べられる。我家では柿を巡ってサルカニ合戦のバトルが始まるのである。


岡山の茅葺民家写真展 - 62   出合った人々 その2

2014年12月12日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県賀陽町(吉備中央町)

茅葺き民家を撮っていた。地元の座っている女性と話していたら一人増えて二人で話し始めた。そこへ通りすがりの自転車の女性が加わった。
そうなると私のいる事も忘れ話に夢中にになる。
私は路傍の石になりこの光景をバシバシ撮影した。
バシバシと言いながらフィルムカメラ、フィルムの残量を気にしながら撮影。
土塀の茅葺き民家、メワラが屋根に乗っている、

世間話は地域で生きるには欠かせない。対話をしないと助け合いも生まれない。
高齢者の安否確認の手段のひとつでもあるしボケ防止にもなる。

茅葺き民家 福島県伊南村の民家 モノクロ

2014年12月11日 | 茅葺き民家

福島県伊南村は現在は南会津町になっている。
私が福島県を訪れたのは最近で10年前だった。
仕事をしている時は家内と二人で旅行は難しかった。
定年後ゆっくり茅葺き民家を探す旅をしようと考えていたがそんな訳にはいかなくなった。
茅葺き民家の急激な減少と自分身体の問題で定年後まで待てなかった。
南会津地方の茅葺きを求めて下郷町から田島、舘岩、伊奈、南郷から只見を走った。
舘岩はスキー場がありるのでンションが沢山あり泊まるところには困らなかった。
しかし、舘岩で泊まれたのは二回だけで三回目は車椅子で泊まれる郡山のホテルになった。

南会津も初めて行った時は撮影にこまらない程の茅葺き民家があったがわずか10年で随分減ったように思う。舘岩は岡山を早朝にでても一般道を2時間も走るので到着は夕方になる。

曲がり屋の東北の民家に出合えるのは嬉しい。東北の風景のなかに茅葺き民家が存在するのがまたいい。
私は観光地の見学より新しい茅葺き民家を発見した方が感動が遥かに大きい。


日本茅葺紀行 NO,179 神戸市淡河の民家

2014年12月10日 | 日本茅葺紀行

兵庫県や広島県は日帰りで撮影に行ける範囲である。
同じ場所に何度も足を運ぶ、カメラを買い換えたらその都度同じ家を撮影する。
今年は遠出もしないので近くの茅葺きだけを撮影している。
いっそ身体も不自由なのだから止めたら思うが外出もせず家に籠るのも益々ボケる。
時々カメラを持って撮影に行かないと感が鈍る。
気分転換と感を鈍らせないために神戸あたりを撮影してまわる。

過去に撮影した写真を整理して作品作りをするかまだ訪れていないところを訪ね歩くか
来年は何を目標にしたらいいのかと迷いながら年末が来てしまった。




蒸気機関車 日豊線佐土原駅

2014年12月09日 | 蒸気機関車
撮影場所 宮崎県佐土原町

佐土原には機関区の機能も持っている。南延岡と宮崎が90kmあり給水や給炭の必要なケースもあり補給時間停車していた。またここには妻線も分岐していたりでここで給炭をしていたようだ。C57、C61やD51、C56の姿をを見た。

C57の門鉄デフが停車していた。日豊線で撮影していたが雨が降り出し撮影ができなくなり駅に戻った。停車している機関車を三脚を使い撮影した。

旅先で雨に降られるのは心細い。泊まるところも決めておらず雨が降り続けば撮影になせず陰鬱になってくる。

若い頃、宮崎県で働いていた。仕事が終わり宮崎から延岡まで歩いてみた。24時間はかかる。友達と一緒だったが自分だけ眠くて眠くて朝に歩けなくなった。
道は日豊線に沿って走っている。55kmでダウンしたのは情けなかった。ひとりであれば睡眠を取りながら歩けたかもしれない。

岡山の茅葺民家写真展 - 61   出合った人々 その1

2014年12月08日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所  岡山県西粟倉村
岡山の茅葺き民家写真展も最終章になった。あと6回、出合った人々をお送りします。

今回は縁側で遊んでいる子供が二人、、板張りの縁側や基礎部分が懐かしい。
写真展をすると人が入っている写真がみんないいという。
民家も蒸気機関車の写真も住んだり利用するのは人だから人が入らないと生活感がない。
わたしは了解を取って人を入れる事にしている。しかし、観光客などは風景に合わないので障害物としていれない。

こんな子供たちも人口流出の激しい過疎地に留まるのであろうかと思い撮影した。

茅葺き民家 岡山県阿波村の民家 モノクロ

2014年12月07日 | 茅葺き民家
阿波村は現在は津山市に編入された。
岡山県では茅葺き民家は激減した。
現在では人が生活している茅葺き民家は50軒くらいのものか
阿波村には人が生活する民家が残っている。
この民家は一番奥にあり茅葺きで維持されている。
このあたりの民家の苗字は木地師であったのか同じ苗字の家が多い。

最近この家を撮影に行ったら以前と何かちがうなと思っていた。
家には大木が何本かあったのが現在は切られて庭が広くなっている。
椋か欅の大木があったように思う。
大木があると日陰になり落葉が大量に落ちるので樋や庭の掃除が大変になったのか


日本茅葺紀行 NO,178 山形県大石田町の蕎麦屋

2014年12月06日 | 日本茅葺紀行
今回のNHK 鶴瓶の家族に乾杯は山形県大石田町が舞台である。

そば街道は有名だそうだ、私は一軒しか立ち寄っていないので蕎麦の評価はできない。
大蔵村に行く途中に大浦というところに茅葺民家の蕎麦屋がある。
この茅葺き民家はブログなどで投稿されたのを目にする。
太めの蕎麦で素朴な混ざりものない美味しい蕎麦だった。
店には入れなかったので外で酒の空箱に蕎麦を置き食べた。
場所が辺鄙なところなので客は少なかった。食べていたら練馬ナンバーの車が停まった。
蕎麦好きはどこまでも食べに来るのだ。

兜造りの茅葺き民家は何処からか移築したのであろうか