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懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

岡山の茅葺民家 石仏のある民家

2015年10月19日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県旧賀陽町

茅葺民家の前の草むらに石仏や五輪塔があった。
五輪塔からかなり昔に建てられたものであろう。
室町時代以前であろうか。撤去も放置もされず誰のものかもわからず残っていたのであろう。
私は石仏の事など知識がなくまったくわからろない。いまさらわかろうともしない。
灯篭や石仏、祠、地蔵が茅葺民家の近くにあれば信仰の対象物として写真を撮る。

歴史のある集落や地域にはそんな祠や地蔵を多く見かける。


亀田興毅は最後まで卑怯な男だった

2015年10月18日 | 日記
シカゴで行われた河野公平と亀田興毅のスーパーフライ級のタイトルマッチが行われた。
ローブローや頭突きにめよるバッティングで出血の反則行為をやってくると思ったら案の定反則行為をやってきた。
2ラウンドには男の急所に4発、痛さでしゃがみこんだ河野。
亀田は片手をあげてダウンと勝ち誇ったポーズ
アメリカの審判はローブローとみてダウンを取らなかった。
審判の見えないところでアンフェアーなる行為をする。
テレビカメラには亀田の不法行為がしっかりとらえている。
あんな行為は減点してほしかった。

下腹部にパンチをくらうとリズムをくずしたり力が入らないものだ。
それでも河野2回にダウンを奪い攻め続けた。
12回まで休まずパンチを打ち続けたのは大したものだ。
顔の腫れを見ただけでパンチを受けたダメージは明らかだ。
もう少し離れて戦ったらパンチの威力も増し倒せたと思う。

亀田は打たれ弱いと思ったが12回まで必死に戦っていた。


茅葺き民家 島根県旧吉田村菅谷の民家

2015年10月18日 | 茅葺き民家
吉田村は結構の山間地だが菅谷はそこから山に入る。
かってはたたら製鉄で栄えたようだ。
町並みも少し残る。そのなかに茅葺民家があった。
今はたたら製鉄の博物館がある。
かっての集落の賑わいを残すために博物館を建てたのであろうか。現在ではそんな集落の賑わいはかんじられない。


日本茅葺紀行 NO,247 柿のある風景

2015年10月17日 | 日本茅葺紀行
秋の風景といえば柿の赤く実った風景であろう。
青森などはリンゴの実った風景だろうがリンゴのない地域は柿であろう。
木にたわわになった風景や冬まで木に残り鳥の食べ物になる風景は子供の頃から日本人の心に残っている。うちの孫も柿の実とりや干し柿作りを体験させている。
童謡や唱歌とともに日本人の心に刻み込まれた風景ではないか。


農家に柿の木がない家はまずない。家の周りになければ畑の隅や田圃の法面に植えてある。
10月11月は柿と茅葺が撮れるがなかなか行動が起こせない。
葉が落ちて柿の実だけになった風景がいいが11月になっても葉を残し実が見えにくいものやすでに収穫して干し柿になっている家もある。
美山町に11月にいったらすでに収穫している家が多かった。
根気強く何年も挑戦が必要か。




猫寺

2015年10月16日 | 日記
福井県越前市の通称、猫寺の御誕生寺の猫を見に行きました。50匹ほどいるとのことでしたが寒さやエイズで28匹にへっているようです。動画を見ると一杯歩いたり人に抱かれる映像をみます。

行ったときは数匹がうろうろ、
餌の15時30分にはごそごそ集まるそうです。
人は多かった猫の何倍も観光バスもくるそうです。

これだけ猫がいると匂いもします。女性や子供が多いのかと思いきや男性も結構いた。
ずっと猫を抱いている男性は毎週きているとか
癒しを求めてきているのでしょうね。

福井県は蕎麦畑がずっと続きます。蕎麦のおいしいところもあるのでしょうね。
丸岡の千古の家 坪川家にいきました。石段が三弾あり入るのを諦めていたら男性二人で車椅子を上げてくれました。感謝いたします。ここの蕎麦は500円でシンプルなな蕎麦ですがおいしかった。家内も合格点
家の管理や店をやっている奥さんは嫁にいくまで22年間この家で生活したそうです。.








千古の家

昭和の遺物たち  その5 軽便 井笠鉄道 笠岡駅

2015年10月16日 | 昭和の遺物たち写真展

井笠鉄道は山陽本線笠岡駅から井原を結んでいた。
笠岡駅で停まるとそのまま山陽本線の上りホームに入れた。改札口がなかったように思う。
跨線橋の上から山陽線と井笠鉄道が並ぶ風景を撮った。線路の幅や車両の大きさを見るために撮影する。
この写真を見て玄海の停車しているところにC62型蒸気機関車が停車している写真が資料館に展示してあったという。
山陽線が電化前の昭和35年頃の話であう。
現在の風景も大きく変わらないという南北をつなぐ跨線橋道路が出来スーパーができたくらいのものだと言っていた。

昔の写真があればそれを話題にできるし懐かしく記憶がよみがえる事もある。
写真展をして一番楽しいのはそんな話が聞けることです。
会場であれだけ話をしているのにまた夜に電話をくれる人もある。
急行玄海は名古屋-博多を結ぶ急行で山陽新幹線開業で岡山と博多をむすんでいた。
山陽新幹線の全線開通で廃止になる。475系の交直両用の電車が運用された。








私の写真が本に掲載されました。

2015年10月15日 | 日記
NHK朝ドラの「あさが来た」の主人公の広岡浅子の本(主婦の友社発行 現在発売中)に私の写真が三枚掲載されました。

炭鉱事業もやっていたようで石炭列車やボタ山の写真をさがしていたようです。
私のブログの写真を見て連絡してきたようです。
蒸気機関車のブームの頃の写真で私で無くても沢山のの人が撮っていたと思います。




岡山の茅葺民家 松のある民家

2015年10月15日 | 茅葺き民家
古い茅葺民家には松や杉の大木やケヤキなどの高木を植えている家が珍しくない。
巨木になるまで家の歴史があるということであろう。
また大木が育つだけの敷地が広いのであろう。
大木を植えるのは家のシンボルの意味もあったのか。一本松や五本松を植えて目印やシンボル
にしたのであろう。高い建物がなかったのでよく目立ったと思う。
しかし、松は松枯れで切り倒された家も多い。
家も大木も長い時間が掛かっている。
生垣や庭の立派な家はカラーで記録すべきであった。
風雪にさらされ耐えて残った風景は素晴らしい。
文化財でなければ個人の民家は保護されず消えていく。
そんな風景はコツコツと愛好者がカメラで保存するのだ。


茅葺き民家 佐賀県川副町の民家

2015年10月14日 | 茅葺き民家
川副町の茅葺民家は漏斗(じょうご)造りが多い。漏斗の形のケッタイナな構造である。
中央に雨が集まり天井裏から樋が壁を貫通して外に排水される。
茅葺き民家ならではの傑作構造だ。
クド造りは沢山あるは漏斗造りはこの一帯限定なので撮っておきたい。

各地の茅葺き民家の形状を撮影するのも楽しみだ。
次はあの形状をとろうと楽しみと目標ができる。
趣味は楽しいのが一番、次々と行くところ目標が湧き上がるのが継続の秘訣。

民家を求めて山の中、家々の並ぶ町の中。
私も初期の頃はモノクロしか残っていない。デジカメも初期の頃は画素数が低い。
高画質のデジカメでもう一度撮り直したいがなかなか機会がない。

写真展をしてもカラーでやってくれと言われる。モノクロではカラーに勝てない。
残り少なくなっていく茅葺民家も計画的に再訪して撮りなおしたい。
この歳でこの身体ではウジウジしていてはすぐに一年が過ぎる。
決めたらすぐ行動を起こすフットワークの軽さがいるなあ。


日本茅葺紀行 NO,246 大分県耶馬渓町

2015年10月13日 | 日本茅葺紀行
九州に入り高速道路の小倉南インターから大分県に一般道を南下する。
生活道路ももあり一向に進まない。今は東九州自動車道がほとんど出来ているので随分早く行けるようになった。
中津から耶馬渓町に入る。頼山陽が紅葉の名勝地とたたえ耶馬渓。

感想は余り大した事がない。青の洞門の逸話で誇張されたのであろう。
現代人は車で高山や山間地に紅葉見物に行っているので少々のものでは感動しない。

それと温かい地方と寒いところでは植生が違う
九州の紅葉より東北の紅葉である。

私の旅は茅葺き民家探しの旅である。茅葺に出会えば嬉しい。
耶馬渓町に二軒茅葺民家があった。これから日田市に向かい細い道を走った。

田に組まれた石垣、丸い石だ。河原でコツコツ拾ってきて積んだのであろうか.