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懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

数え歌

2018年09月22日 | 日記
介護施設での会話
だれかれと花を持って来てくれる。
その花を肴に談義が始まる。

今日は木槿(ムクゲ)の八重の花が挿してあった。
家内の友達に二重や八重の花が好きな人がいる。
私は椿でもサツキでも二重や八重は嫌いだ。
シンプルな一重が好きだ。
家内はその人からよく植物を貰う。
私は家内の友達の名前を知らないのでその人を八重子さんと呼んでいたと話した。
これが雑談の種火となった。

一人の人が子供の頃の数え歌で イチジク.ニンジン.山椒にシイタケの六番目がムクゲでなかったかなと言い出した。
あれは野菜や果物なので花は違うと思うとなった。
私は小学2年生の頃に先生から数え歌を教わったように思う。
野菜の名前を覚えさせるための数え歌だったかと思う。

私が教わったのは
イチジク.ニンニク.山椒にシイタケ、ゴボウに椋茸(ムクダケ)、七草、山いも、クワイに唐辛子だった。私の習ったのは香辛料が多く馴染みのない野菜が多い。

ネットで調べると全国各地で野菜が違うがこの数え歌はある。
代表的なのは
イチジク.ニンジン.山椒にシイタケ.ゴボウにムカゴ.七草.白菜(初茸 ハッタケ).キューリに冬瓜(唐辛子)

こんなのは初めて聞いたという人もいた。自分たちの知っている数え歌は一番初めは一宮だという。
私はこの数え歌は知らない。
ネットで調べると小説 不如帰(ほととぎす) で不治の病の結核を患った浪子の祈願の数え歌のようだ。

一番はじめは一の宮
二は日光東照宮
三は讃岐の金比羅さん 
四は信濃の善光寺
五つ出雲の大社(おおやしろ)
六つ村々鎮守様
七つ成田の不動様
八つ八幡の八幡宮
九つ高野の弘法さん
十は東京招魂社(注:現在の靖国神社)

これだけ心願かけたなら
浪子の病も治るだろう
ごうごうごうと鳴る汽車は
武男と浪子の別列車
二度と逢えない汽車の窓
鳴いて血を吐くほととぎす

茅葺民家 塀のある家 ない家

2018年09月22日 | 茅葺き民家


撮影場所 上.兵庫県篠山市 下.京都府旧美山町、

篠山市の民家 家の周りを塀で囲まれている。これだけの塀をするのは大金がかかる。
兵庫県あたりは裕福なのだろうこんな家が多い。
檜の豪華な家を建て漆喰の塀で囲まれ石造りの庭園と門のある家を建てるのは田舎ではステータスであったと思う。

土塀や漆喰や板塀の民家はこれからは姿を消していくだろう。
生垣の民家も記録として残して置きたい民家だ。

都市近郊の家は塀に囲まれているが田舎にいくと塀のない無い家が多い。
京都の美山町までいくと塀も作らない家が多い。
東北では塀のない家が多い。
土地の広いアメリカなどの庶民の家はあまり塀は見かけない。
金持ちの家は防犯のため塀やフェンスで囲っている。


手前味噌

2018年09月20日 | 日記
介護施設で90歳超えの女性と話をしていた。
10歳ほど年下の友達がいて自分で車を運転して物を持ってきてくれる。
6月は紫蘇ジュースの材料を持ってきてくれて家で作ってくれた。
この前は味噌を作って一キロ持ってきてくれた。この暑さではカビが生えるので冷蔵庫にいれてあるが邪魔になって仕方がない。
家は息子夫婦孫と同居していて料理は嫁が作る。
以前にも味噌はもらったが嫁は好みの味噌がありその味噌しか使わない。
味噌づくりは三人で大量に作ったようだ。
それをみんに配って歩くのが好きな世話焼き婆さんなんだろう。
まだ元気で車も運転でき行動的なんだろう。

貰ってばかりでいけないのでそれに見合うお返しもしなくてはならない。
遊びに来てくれるのは嬉しいが歩くのも不自由な年寄りは面倒くさいと私に言った。
お返しを自分で買いにも行けず家族に頼む事にもなる。

寿司や赤飯を作っては配るオバサンがいる。
他人が作った物を食べない人もいるので世話焼きも考えものだ。

このオバアチャンたちは味噌を配ってあんたの作った味噌は手作りでやっぱり味が違う。何でも作れるのだ感心するわと言って貰いたいのであろう。

この味噌の使い道はどうすればいいだろうかと周りにいた人に聞いてきた。
鰆やサバの味噌漬けや大根.人参.ゴボウやキューリの味噌漬けだろうかという事になった。

介護施設に慰問で歌声グループや演奏で来ることがあるが慰問に来た人が生き甲斐をもらって帰る事もある。聞かされる者も精一杯の拍手をして聞きたくもない歌をきかされる。you tubeのカラオケや演奏を聞かされてるようなものだ。

日本茅葺紀行 NO,470 秋の風景

2018年09月20日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 広島県熊野町

7月の西日本豪雨でも熊野町では土砂崩れがあり被害者がでた。
今も茅葺民家は残っていると思うが数も少なくなり茅葺民家の撮影だけでは惜しいようにおもう。観光、温泉、釣りなどと抱き合わせたドライブでないと勿体ない。

ススキと背高泡立草が咲いている。10月中半の風景であろう。
嫌われ者のセイタカアワダチソウもみようでは美しいものだ。
今の人は彼岸花でも撮りに大勢が訪れる。
これはフィルムネガをスキャナーで電子化した映像だ。
しかし現在のデジカメの画像にははるかに及ばない。
茅葺民家が残っている間に高画質の影像を残したいと思う。


鱧(はも)

2018年09月18日 | 日記
家内から携帯に電話があった。
スーパーで大きな鱧が380円で安いのだがどんな料理があると聞いてきた。
いつもはすまし汁にして食べるが80センチの大物なので料理が分からないと聞いてきた。
湯引きか天ぷらか蒲焼にしたらと言った。
自分は湯引きは欲しくない。

鱧は夏の京都ではほとんどの家庭で食べられるという。
高級魚と書かれているが庶民が買える値段で売っているので高級魚と思った事はない。
紀伊水道や豊後水道でよく捕れる。
紀伊水道や大阪湾のものが京都にいくのか
徳島県の小松島港へ行くと鱧の天ぷらが一匹分が350円で売っている。
自分が子供の頃は大衆魚だったのかよくたべさせられた。
淡白な味のため好きでなかった。
大人になり高齢化して好んで食べるようになった。

鱧は関東から西で捕れる。小骨が多く骨切りをしないといけないので関東の人は余り食べないそうだ。小骨があるコノシロは関東の人もにぎり寿司にしてよく食べるのに
この前、ネットで2メートル30センチの大きな鱧が山陰で捕れたと載っていた。
小松島港などは1メートル以上の鱧は出荷しないそうだ。
骨切りしても骨が太くて食感が悪いし喉に掛かるのか

京都へ旅行する人は料理店で鱧を食べるようだ一品が1000円から2000円だそうだ。
うちは料理屋の味ではないが天ぷら.蒲焼.すまし汁で消費税込みで400円だった。


ハモのテンプラ

私の昭和鉄道遺産 その83 姫路駅のC57型

2018年09月18日 | 私の昭和鉄道遺産
夕暮れの姫路駅 C57型牽引の普通列車が停車していた。
山陽新幹線開通前の駅の風景である。
新幹線の姫路駅から西は通過する列車が270km/hから300km/hにスピードアップするので外人に人気がある駅なのだ。
you tubeに外人が姫路駅で新幹線の速さに歓声をあげる光景が投稿されている。子供や若い女性ものが人気ありオッサンじゃ見たくないね。

夕方の通勤通学客を乗せて播但線を和田山に向かうのか
気動車は前照灯を点けている。
これを撮影して普通列車で岡山まで2時間半掛けて帰ったのであろう。
駅のホームの立ち食いそばを食べた。

鉄道の写真を撮るのに各地でグルメなど食べた記憶も残っていない。
暗くなった夜汽車は感傷的になる。仕事や社会人としての自信も誇りも無かった。
これからどう生きるのか家庭を持ってどう生きるのかのビジョンもなかったように思う。
若い頃の頃の事は至らなさばかりでおもいだしたくなかった。
自信がなければ人生の先輩に話しを聞くなり本を読むなりをすればよかったがそれもしなかった。

熱中して打ち込めるものを持つ、人生に役に立つことや体験を日記に継続して記録する。
凡人の人生は小さな成功体験の積み重ねかと思う。

この岩なんじゃ

2018年09月17日 | 日記
紀伊半島を走っていた。半島を走る時は右回りがいい。
左回りだと海が見にくい。山か山の側壁ばかり見て走ることになる。
紀伊半島なら三重県から和歌山県に走るのがよい。
能登半島なら石川県側から富山県県に向かって走る。

紀伊半島を三重県から和歌山県にはいったところに面白い岩があったので撮影する。
まだフィルムカメラの頃だった。
海から30メートル位い上った国道を走っていた。
どう見ても海底の石が隆起したのだろうと思った。

山陰海岸にもこんな岩があった。素潜りでサザエやアワビを獲っていた。
こんな窪みにアワビが入っていた。貝のサイズと窪みが同じですっぽりと入っていた。
アワビ獲りのヘラが入らず何回か息継ぎをして捕った事がある。

こんな岩はなんだろうと長年疑問に思っていた。
半年くらい前にNHKの日曜朝の15分番組のさわやか自然百景を見ていた。(2018.3.25再放送)
私は登山や野山の散策が出来ないのでこんな番組で行った気になっている。
高知県の足摺岬の先の龍串海岸をやっていた。
そこでここの岩とそっくりの風景がでてきた。
海底の堆積物が固まった砂岩で柔らかいところが波で浸食され出来たと説明があった。

四国と紀伊半島の地層はよく似ている。山の高さも2000メートルには足りない。
山の険しさや脆い岩、堆積岩が一緒に隆起したように思う。

ブラタモリにしても岩石や地形がよく出てくる。
日本は堆積物と火山でできているといわれている。
各地に行った時は崖や岩を見たらデジカメで撮影してコレクションすると楽しい。
フィルムカメラでは岩など撮ろうと思わなかった。

龍串海岸

懐かしい物  古い町並みと中学生

2018年09月17日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県玉野市八浜

自転車の女子中学生と走っている中学生
どこまで走るのか、自転車を押して一緒に歩いて帰ればいいのにと思う。
こんな古い町並みにも子供はいるのだ。
自転車の女の子のカバンはカバーをかけてゴムバンドで固定している。
物を大切に親がしっかり教えているのだろう。こんなところにも親の教育が見える。
男の子はそのままゴムバンドを掛けるだろう。
本瓦葺きの古い民家が残る。屋根がたわんでいる。
本瓦は重いので垂木が持たないのであろう。垂木を取り換える時期にきているのか

阪神淡路地震は直下型だったので基礎をアンカーボルトで止めてなくて淡路島の古い民家はことごとく倒壊した。
北海道の地震は強度の割に民家の倒壊は熊本に比べて少ないと言われている。
北海道はトタン屋根が多く瓦屋根はほとんどない。
屋根が軽く被害が少なかったと書いてある。
冬場の雪の1メーターも降った時だったら被害は酷くなったであろう。

茅葺き民家 懐かしさのある民家

2018年09月16日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県旧吉田村

春の夕暮れ山間地に茅葺き民家、付近に民家は見えない。
山間地の一軒家である。懐かしい風景だなあと思う。柿の木がある。秋には柿の実が沢山なるのだろう。
かってこの地はタタラ製鉄の盛んな地であった。
茅葺き民家もあったがもう消えてないであろう。

人もどれくらい住んでいるかわからない。
ガソリンと高速代を使ってまで確認に行きたくない。
自分の記憶の中にだけ残る風景だ。

歩けなくなり何を撮ったいいいか分からない。
健康ならば日本中の神社仏閣を見て歩きたかった。

日本茅葺紀行 NO,469 秋の美山町

2018年09月15日 | 日本茅葺紀行
秋の光景を求めてカメラを持ち出掛けたい。
彼岸の頃にはヒガンバナも咲きはじめ10月になればススキも穂をだす。
コスモスも各地で咲き始め11月になれば柿も色づく晩秋になれば紅葉だ。

秋を求めて撮影しないといけない。茅葺き民家も年々減っていく。
身体が不自由だからと躊躇していては来年チャンスがあるか分らない。

欲しい物を食べて行きたいところへ行く。
まだ行きたい所や撮り残した風景は沢山あるのに歯がゆい思いだ。

山際の秋の光線に当たる茅葺き民家の屋根、今年は雨が多く屋根の苔の緑が美しい。
死ぬまで残された日本の風景を追い続ける。