懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

春の風景

2019年03月14日 | 日記

少し春めいてきて出掛ける気になった。

ひな祭りで備前市の宇佐八幡宮の62段階段にお雛さんを並べるのを見に行く。

家内は以前から見に行きたいと言っていたが一人で行くのは気が進まないようだ。枯れ木も山の賑わいで話相手についていく。

年寄って粗大ごみのような男の役割は話を聞いてやる相談に乗ってやる事ぐらいだ。

神社の階段だけでなく家々歩行者天国の道路にもひな人形を置いてある。

子供の女の子は貸衣装で着物に着替え参拝にきている。貸衣装が500円 着なくなった着物を寄付してもらったのであろう。

子供は着物を着せると可愛いものだ。

雛も着物も寄付なのであろう。地域起こしで寂しい田舎も賑やかになる。

駐車場がないのにと思ったがスーパーや銀行 公共施設が協力してバックアップしている。

狛犬は岡山県備前焼が多い備前市で本場だけに備前焼きだ。天保時代の狛犬だ。

 

河津桜が満開になった。岡山市阿部池  毎年全国でこの桜は増えている。

染井吉野の咲くまで待てないのであろう。弁当を食べている人は少ない。

 


日本茅葺紀行 NO,495 ポツンと一軒家

2019年03月14日 | 日本茅葺紀行

昼間にポツンと一軒家をやっていたので録画したのを見ていた。最近は見る人が多く視聴率が17パーセントと日曜のゴールデンタイムで一番高くなった。なんであんな山の中の生活に関心があるのだろう。

多くの人はやりたくてもやれない現実がある、その人に代わってやってくれる。先祖が切り開いた土地を守る抜く精神と日本人としての誇りを感じる。

録画は以前に放送されたものであろう。見ていない放送もたくさんある。

最初の民家はダムの建設で準水没地域に指定され立ち退いた地域の別荘だった。水没していないので別荘にして野菜をつくっている。自宅は山形市で野菜作りに休日に通っている。

建設したダムが白川ダム その別荘の名前が飯豊(いいで)山荘と書いてある。

この番組で場所は個人情報や盗難被害のため市町村名は出さない。それでも調べてきて訪れる人がいるそうだが

白川ダムと飯豊山荘で山形県飯豊町であるのはすぐに分かった。茅葺民家を探しに何度か来たことがある。

私は新潟側から来るので国道から白川ダム沿いにくるのが近道である。ダム建設で二車線の道路が付いている。

昭和46年にダムが完成 立ち退き住民のため集落や各民家を撮った写真が載っているアルバムを各家に渡される。

田舎の民家はほとんど茅葺である、あんな時代に戻りたい。私は昭和47年3月にこの近くの米坂線に来ているが雪のシーズンだった事もあり関心も薄く茅葺に気付いていない。

ポツンと一軒家なら人が住む茅葺民家があると地元の人が案内してくれる。

今までの番組で初めて自分の知っている民家がでてきた。この民家は絵を描いたり写真を撮る人には有名でよく知られている。

二年前に訪れた時は絵を描く人が五人がキャンバスを立て描いていた。

 

 

 

 

 

 

 

ポット


私の昭和鉄道遺産 そのNO,94 倉敷駅風景

2019年03月12日 | 私の昭和鉄道遺産

変哲もない駅の風景

自分の人生もほとんどがこんな平凡な日々であったのだろう。

祭りや行事、結婚式のハレの風景の写真は数多く残るが日常 ケの風景は残らない。

動いて現地に行かないと撮れない。人生はそんな行動の集積であろう。動画、写真や絵、随筆、漫画の記録に残す事か

昭和.45年 終戦から25年

前時代の機関車の蒸気機関車はいるが人々の暮らしは豊かになっていた。

これから15年が日本の華の時代であった。

しかしネット社会や電子機器の発達がこんなに進化するはおもわなかった。


せーの

2019年03月11日 | 日記

病院の若い女性看護師や介護施設で若い女性が力仕事の時の掛け声がせーのである。

15年前に若い女性の看護師にベッドに移される時にせーのの合言葉に時代が変わったと思った。 

私の中にはせーのは肉体労働の男の言葉である。

はしたなくも女性の使う言葉ではなかった。

40年前には女性は決してつかわなかった。使っても「いちにのさんで」あったように思う。

せーのの語源は諸説あるようだ。チコちゃんに調べてもらうのが一番かな

せーのが広く使われるようになっそたのは加山雄三の出たテレビでヨットの帆をあげる時の掛け声がせーので広く使われるようになったようだ。

雇用機会均等法で男も女もなくなった。言葉も変わるわ。


懐かしい物  地蔵のある風景

2019年03月11日 | 懐かしい物

撮影場所 京都府旧美山町

地蔵は子供の守り尊として路傍や寺院に数多く今も残る。

全国各地に形を変えた石仏が存在する。

それに癒しを求めて尋ね歩く人や写真を撮る人がいる。若い女性で地蔵に着せる服を作り着せ替えている人もいる。

東京も沢山の地蔵があり寺院を訪れては作った着物を着せていた。地蔵に対して愛着も湧くのであろう。

信仰心とインスタ映えを狙った一面もあるようだ。自分の作った着物をみんなにSNSを通じて見てもらうものである。

全国の五百羅漢やタンカンサーや道祖神を追いかけている人もする。馬頭観音や六地蔵ばかり撮っている人もいる。

何かにテーマを持って追い求めて人の話しは面白い。全国数歩いているので出会いも多い。

一日中パソコンを見ている老人を地蔵さんというのだそうだ。固まってじっとしていからだそうだ。


茅葺民家  京都府旧園部町の民家

2019年03月10日 | 茅葺き民家

園部町は兵庫県の篠山から美山町へ一般道で行くときによく走った。

茅葺民家も点々と残っていたがそれも数軒になった。今は高速道路が整備さこの道を使うことはすくない。

このあたりの風景は丹波地方の面影を残し好きであったが茅葺が消え農村風景も消えてどこの田舎と変わらなくなった。

高画質のデジカメで茅葺民家の映像を残したいが茅葺の数がへり今更撮りにいく気にもなれない。

自分のやるぺきことは過去に撮影した画像を使いPowerPointやアルバムにまとめる事かとおもう。

写真展のまとめのような項目でアルバムを残しておけば息子なども見る気になるかもしれない。HDに一式渡されても大事にしないだろう。

歳をとってもやることや整理する事は沢山あるのだ。

 


日本茅葺紀行 NO,494 広島県熊野町の民家

2019年03月09日 | 日本茅葺紀行

熊野町の茅葺民家もよく見ると瓦は痛み玄関脇の草も生えていて人は住んでいないようだ。

若い世代は茅葺民家など嫌い住もうとしない。別の土地に新しい家を建てる。

茅を刈るなど面倒な事はしない。親が亡くなくなれば維持するものもいなくなる。

茅葺民家は益々維持が難しい。茅葺民家も撮りに行くのも何度も撮影に行ったところが多くなった。何度も同じ場所では感動も薄い。

テーマを持ってやるには新しい発見や出会いやモチベーションの上がる存在が必要だ。私には今はそれがない。

他人の茅葺民家の写真展や本や人との会話があれば刺激になるかもしれない。

 


介護施設での会話

2019年03月09日 | 日記

介護施設に通う人は健康な老人からみれば頭がボケているか身体的に障害のある人間として役に立たないクズばかりと思うだろう。

わたしのような動けない者は廃用症候群と呼ばれている。人間は病院や介護施設に通えば改善がみられると期待するが良くなる人もいるがほとんどは老化とともに悪化する。

厚生年金をもらっている人は介護に週に3回通えば3.5万はかかるしリース代も一万円に夫婦の医療費も2万はかかる。歩ける人は経費節約のため自分で努力してみる事だ。

自分も介護に通い身体的な向上は期待していない。人と会話しては楽しく過ごせばよい。男で一人で一日家にいると何も誰とも話さないのでロレツが回らなくなった。嚥下体操を毎日やり次第によくなった。

介護施設など行ってもボケている人など相手にしても何も面白くないと健康な人はおもうだろう。

私の場合は外出もできないので車で送迎してくれて介護施設での会話でも貴重だ。結論から言うとどんな環境のなかでも人間は得るものがある。

介護施設も9割の人は会話に支障がないのが分かった。

得られるもの

1.来ている人は自分より大先輩が多い。老後の年金生活の先駆者であり実の声が聞き出せる。少ない年金でどんな工夫をしているかわかる。人生も残り少なくなると聞きにくい生活費や資産や男女のもつれ話しも聞ける。

生活費や資産状況から本に書いてあるのと実体の違いが分かる。 都会と地方の違い

本には資産は毎年目減りするのでこれだけの貯金かがいると書いているが自宅で生活する人は90歳まで目減りしなかったという人が多い。減らない工夫をしているのだ。

その人がどんな職につきどんな人生だったかを聞く 年金は6.5万だがアパートを48室所有 介護施設に土地を50万円で貸している人もいる。(土地の所有は93歳の女性  アパートの管理や金の管理は息子がやっている) 

田畑持ちが多く年金は少ないがアパートや駐車場の収入はある、年金の額だけで生活レベルを判断できない。

2.送迎の時に各家に立ち寄る。屋敷の大きさ 家族の送り迎いの有無 家族に尊敬されているかがわかる。

3.介護施設は年寄ばかりと思うのは大間違い スタッフは総じて若い。

スタッフの出身地 趣味 家族構成を聞く 聞きもしないのにバツイチであるのを隠さず話してくれる。女性が離婚するときは旦那のすべてが嫌になり別れたい一心だった。私も要注意だ嫁がすべていやになっていつ捨てられるかわからないな。

若いスタフッフを下らん親父ギャグで笑わせるのも楽しみの一つ

ジジイたちは歴史や地図、漢字は強い若いスタッフに頼られることもある。

 

介護施設での会話例 ここだけの話 その1.

90歳代の女性の話し

女性の旦那の甥がひょろと来た。旦那の弟の子で仕事が長続きせず遊びと酒で蔵のある大きな家も手放す事となった。 妻子とも別れて一人暮らしだ。金の無心にきたのか最初にきつく金はないと断る。旦那も弟も死んで30年になるが頼る親戚もなく来たのであろう。

上にあげると帰らず夕食を食べて帰るに違いない。疫病神がきたものだと思った。玄関で話を聞く。どんな仕事をしているのかと聞いた。コンビナートのある企業の社員食堂で働いている。パートの女性と二人で50人の昼食と夜勤の人の食事をつくっている。調理師の資格を持っていたので雇ってくれた。長年働いているとパートの女性と親しくなった。

自宅に招かれたので夕食を食べた。旦那は5年前に亡くなり毎朝夕方に線香をあげて般若心経をあげるという。部屋は線香の煙の臭いが染みついている。

そんな話を聞かせるので抹香臭い話きは止めにしないか、聞いていて面白くない腹が立つ。

人間死んだら夫婦もそこで終わりこれから30年生きないといけないのに死んだ旦那の事ばかりではこれからどう生きるのか。甥はワシの前では二度と抹香臭い話はやめてほしいとパートの女性に言った。結局その日は深夜まで話し込みひょんな事で男女の関係になった。

女性は甥に女ができて良かったなあと言ったら叔母さん聞いてくれる。それから頻繁に家に遊びに来いという。この前の夜などセックスを三度も催促され女は魔物じゃなという。あんたも三回応じたのかのう。もう歳だしダメダメとひとしきり話をして帰った。

ここでC級川柳

  1. 抹香が香水になる六十路(むそじ)後家
  2. お経読む声もいつしかヨガリ声・・・最近は艶っぽいお経になったなあ 色即是空

下世話な話になった。人の会話や雑談で失敗話 欲の張った話 運の無い人の話し 男女のもつれ話を引き出すことだ。お笑い芸能人や小説家はこんなネタを雑談の中から拾うのだろう。


蒸気機関車 函館本線D51型発車

2019年03月07日 | 蒸気機関車

撮影場所 北海道 函館本線 小沢駅

D51型が客車を牽引して発車している。

給水塔や給水ホースが写っている。

蒸気機関車時代の消えた設備である。

レンガ積みの給水塔は自分としては鉄道遺産である。撮っている時は存在に気付いていない。

給水ホースは鉄道ファンの人はスポートsportという。sが付けはスポーツである。

可動するホースからスポートと呼ばれるのか

マニアの世界には専門用語が多い、隠語もある。それが分からないと話に入れない。

鉄道用語も難しい辞典まである。中学生の鉄道ファンは鉄道用語は覚えているのに教科書は覚えなられない。


懐かしい物 椎茸のホダ木

2019年03月06日 | 懐かしい物

撮影場所 島根県旧吉田村

椎茸の栽培は今も盛んにやっていて懐かしい風景ではない。

杉林の下にホダ木を沢山並べている。懐かしいといえば茅葺民家とホダ木の風景が無くなった事である。

自分の家でも椎茸栽培をしたことがある。定年後に田舎暮らしをするための体験だった。

近くで寒冷紗で覆い椎茸の生産農家に見学にいった。そこはホダ木をブロックごとに水につけて一年中生産をしていた。

水に浸すと二週間後に椎茸が発生して収穫する。自然栽培だと春と秋しか発生しない。自然栽培のものは肉厚で濃厚な味だ。

どんな木を使うのかミズナラが作りやすいと教えてくれた。ミズナラがわからない。買えば簡単に手に入るがそれでは面白くない。木の勉強のために山間地を走り回り山の伐採をしているところで交渉してトランク一杯タダでもらって帰った。

調べてみると椎茸はドングリのなる木ならば何でもできる。少年マガジンを濡らして菌を植えれば発生するそうだ。