中学を卒業してすぐの頃、父と乗っていた乗り合いバスが4~5m下の増水した川に転落をした
梅雨時らしくないかなり激しい雨で普段は自転車通学の子供達も乗っていて立ち客も押し合う位の満員のバスは回転する様に転落した、
奇跡的なタイミングで増水した水がクッションとなり大けがを負ったのは数人でその中では父の脳挫傷が一番重症だった
当時はボンネットバスで全面ガラスは2枚の平面ガラスだったがそのせいか転落した時は割れていなかった
自分と一級上の先輩で思い切り蹴り割り、崖側になって乗降口は使えないので同級生が非常口を開けて全員を社外に出した頃川はバスの床近くまで増水していた、もし後30分遅れたら水死が出ていたろう、
そしてもし増水していなかったら川床は岩である、多分多くの犠牲者が出ていただろう、奇跡的な不幸中の幸いだった
最後に残った自分と先輩が確認したら顔を残して水没した父が居た、急いで引き出して対岸の竹藪に寝かして置いて村に一つだけあった公衆電話まで走ってゆき当時浜松に居た下の姉に連絡を取った
その時の後遺症だと思うが1年半と少しして父は脳出血でそのまま他界した、今でいうクモ膜下出血の再発だろうが当時は退院して一年以上たっての死亡は後遺症としては認められなかった
若しかしたら考えも廻らなかったので静岡鉄道バスに連絡もしなかったのかもしれない、
姉は父の付き添いの為に病院に詰めていてその時隣のベッドに居た義兄となる男性に口説かれて結婚をし、体の調子が悪くなっていた父と同居をしていたのだが高血圧と脳挫傷の影響で医師から強く止められていた酒を毎日泥酔するまで呑んで帰る日々を続けて再発し5日目に亡くなった
姉は「自業自得でどれだけ娘に迷惑をかけたのか」と言っていたのだが
自分が会社を駄目にして行き違いで結婚していた娘と同居をするようになって(親父は自殺を選んだんじゃないのか)と思うようになった
上の姉にこんな事を事を話したら「私もそうだと思うよ」と言っていたので強ち考え過ぎと言う事でもなかったんだろう
今は自死と言う表現も多いが父の場合は「自ら死を選んだ」のではなく「自らを殺した」のだろう、自分自身を恨んで
子供にとっての親として、世間一般の親として、赤貧から成功をして時代に翻弄されるように貧労生活になった唯の人間として伊奈清一の生涯はエンディングを迎えた、
末っ子の定めとして親類縁者が次々エンディングを迎えて何時か解らないが自分にもやって来る
自分が死ぬことはさして苦にはならない、恐らく誰もが通過儀礼としてちょっとした生活変化の一部で済む
ただ一度も一人で生活をした事のなかった女房は悲しむだろうと思う、その為にはどうしても自分が看取らなければならないだろうと思う
「お母さんは一人になったら大変だからお父さんは先に死んでは駄目だ、お父さんは一人でも大丈夫」と子供は言うが「人を血も涙もない冷酷人間みたいに言うなよ、俺だって暫くは泣いて暮らす」と思うぞ
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