梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

猫のウィンク

2014-03-28 12:34:29 | 雑記
ふと浮かんだ言葉だが、こいつでなんか書けないかなと考えてもそう上手い事が書ける訳もない、仕方ないので取りあえず猫の話を書いてみる、
猫好きの方々が面白いHPやブログを上げているのでマニアックな物は無理だから子供の頃の記憶を辿ってみた
未だ幼いころと言っても多分小学校の低学年頃、親父が何処からら子猫を貰って来た、三毛猫だった気がするが定かではない、未だ小さな子猫だったが乳離れはしていたと思う、
名前は定番の「タマ」、たしかその頃お袋は居なかったと覚えている、
お袋は小学校3年生の時に乳癌で左の乳房を完全に削除した為に家に居なかったのでその時期ではなかったかと思う、
親父は近くの竹製品の加工工場に勤めていて木工旋盤で竹のジョッキや花瓶なんかを作っていたので竹の硬い部分を綺麗な球体に削ってこの猫の玩具にと2つ持って帰って来た、
これをタマの前に転がすともの凄い勢いで追いかけて行き前足で押さえるのだが爪を立てると硬いせいでまた勢いよく転がってゆく、これを又追いかけて行き又弾き飛ばして追いかける、これを疲れるまで続けるのを見ながら晩酌をやっていた、
冬になると寝ている私の処に来て布団に入れろと催促をする、片側を持ち上げてやるとするすると入り込んで来てお腹のあたりで丸まってねる、その頃未だ家にいた姉と私の布団に入りこむのだが親父の布団には入らない、これには理由が有って最初の頃は親父の布団にも入っていたのだが有る時親父が思い切りタマの鼻っ先に放屁したらしい、
「タマの奴、大急ぎで布団から顔を出すと深呼吸してやがる」と親父が鼻にしわを寄せてその時のタマの表情と動きをしたので皆で大笑いをしたのだがその後は親父の布団に入る事は無くなった、
田舎の風呂は木の風呂桶で洗い場らしい物は無い、今考えると実に汚いがその頃はそれが当たり前だった、他の家も大抵木のへそ釜で何件か五右衛門風呂の家も有った、
有る日風呂に浸かっていたらタマが顔を出した、こっちを見て「ニャーン」と言うので何の気なしに「おいで」と言ったら本当に勢いをつけて踏み台でジャンプして飛び込んで来た、無論そのまま湯の中に頭からドブンである、これは私も驚いたが当のタマはもっと驚いただろう、何しろ猫は水が苦手である、必死で犬かきならぬ猫か木をするのを拾い上げて親父を大声で呼ぶ、濡れ鼠ならぬ濡れ猫である、これは実にみじめな格好だが此方も裸の処で焦りまくったタマが必死で駆け上がったの胸は傷だらけだ、
親父は大笑いしながらタオルで拭いていたがドジな奴だった、いつ頃から居なくなった覚えていないが猫は死が近くなると何処かに行ってしまうと言う言い伝え通り何時の間にかタマは居なくなった、