梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

どうしたものか、

2014-03-13 18:40:45 | 雑記
私には二人の姉がいる、歳は少し離れていて下が5歳上で上は8歳上だ、
この二人はあまり仲が良くない、と言うよりかなり険悪である、私はと言えば暫くは両方とも有る程度仲良くやっていたのだが最近は下の姉とは殆どやり取りがない、
私は子供の頃姉たちと生活した記憶が余りない、昭和30年代の貧乏な田舎の家では当然の様に中学を降りると就職してしまう、上の姉は小学校に上がった時に鷲津の紡績工場に女工として出て行った、その後何年かは盆暮れには帰って来た事を覚えている、
しかし元々持病が有った上にその頃の紡績工場は環境が悪く肺結核になる事が多かった、何年位其処にいたのか知らないが結局水商売になり父親と上手くゆかず家には寄り付かなくなった、下の姉も3年後に就職したが此方も結核になって暫く天竜荘と言うサナトリュームに半年位居てやがて水商売になった、
ちょうどその頃母親が乳癌から肺に転移して無くなってしまい中学に入ったばかりの自分は父親と二人の生活をしていた、近くに仕事がないから仕方ないが結局兄弟での思い出と言う物は自分がyははり中卒で働き出してからの記憶だけである、
下の姉は17歳で母親、22歳で父親を亡くした、今なら交通事故の後遺症になるはずだが当時は事故から1年を過ぎて脳溢血で倒れ6日間寝たままで逝ってしまったのだが父親の交通事故の時隣のベッドにいた男性と結婚し父親が無くなる1年間は同居していたのだがこの連れあいもその6年後に同じ脳溢血で他界してしまった、
本人は腎臓と肝臓に障害を抱えて子供を2人育てると言う生活になったのだがその頃から
「自分は非常に不幸な生い立ちで理不尽に苦しい生活をしている」と言う考え方が「だから他の人は私を助けるのが当たり前だ」」と言う考え方になり、その頃から上の姉とトラブルが絶えなくなったらしい、
当時自分は一人身で結婚をする気もなかったので下の姉を母子寮から引き取って一緒に生活していたのだが持病が悪化して入院しなければならなくなり未だ20代前半の私では手にあまり施設に入れていたのだが退院したら子供を連れて浜松に戻って行った、
しかしその性格と言うか考え方が災いし職場を転々とし、その上子供たちも離れてしまったらしい、その頃私は縁が有って今の女房と一緒になったのだが姉は私が一人身の時と同じような対応を求めて来るのでついつい疎遠になってしまった、
今私は66歳、下の姉は71歳になるはずだ、気にはなるのだが上の姉が「声を掛けたら又昔の様な行動になるから」と言うのでそのまま過ぎている、実際問題自分の頭のハエも追えない状況ではどうにもならない、子供も上の子は今年で51歳になる筈だ、(子供がいるんだから)と言い訳をしながらこのまま会わないで他界されたら後味の悪い事になるなと思うのだが、どうしたものか