梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

いい映画を観たい

2015-10-20 17:25:30 | 雑記
何年も映画を見ていない、映画館に行ったのは30代が最後だろう、21歳から30歳まで東宝映画の関連会社にいたので東宝系の映画館は全て無料で見られた、そのせい出でこの時代の映画はほとんど見た、それでも日比谷映画街は東宝の経営だったのでこの間に掛った映画は全部只で見ていたが松竹系の洋画に観たいものがかかるのでこちらは有料で観に行った、「ウェストサイドストーリー」や「アラモ」は此方だ、少し前だが「エクソシスト」もそうだったな、子供の頃から映画は好きだったがこの仕事に着いてから病膏肓と言う状況になって行った訳だった、
子供のころに見たのは殆んど村の映画会だったので東映・東宝・大映・日活・松竹と言った邦画である、流石に無声映画の記憶はないが殆んどはモノクロで最初にカラー映画を見たのは浜松の映画館だった、確か「国際座」と言う名前だったと思う、
掛川市内には3つの映画館があって日活系が「掛川会館」東宝・大映・松竹系が「中央座」東映系が覚えていないが「掛川座と言う名前だった気がする、
洋画はほとんどかからず見るには浜松に行く必要があった、ちょうどそのころ70mmと言う大スクリーンの映画が始まって掛川市内の映画館ではスクリーンが狭くて効果が出ない、当時はまだソ連だった国策映画会社だったがアメリカ映画が大きくなって来て対抗上いくつか作っていた、興行的に作成したものでは無いせいか情緒的な素晴らしい映像だったがストーリーはほとんど覚えていない、題名は確か「戦場」だったと思うが森の中をゆったりなれる川に浮かんだボートの画面が印象的に覚えている、その後東宝系で「「カラマーゾフの兄弟」がかかった事があった気がする、
浜松で観たのは「ナバロンの要塞」だった、モノクロだがこれが最初の洋画だった、掛川の映画館で初めて見たのは「雪崩」と言う映画で二人の姉についていったのだがまったくストーリーは覚えていない、覚えているのは看板の文字が「雪(なだれ)崩」と書かれていてそのまま読んで姉に大笑いされたことくらいだ、その頃家は貧しく金を出して見る映画は働き出した姉が連れて行ってくれた事と当時子供だけの入場が禁止されていたせいもあって見たのは子供向けではなかったがたいてい三本立てと言うやつでアタマとつなぎにニュースと短編の漫画があった、これを見たくて連れて行ってもらうのだがずっといるわけだから本篇も見ていた、恋愛よりミステリーが多かった気がする、「恐怖の2時間」(時間は少々あやふやだが)と言う作品が映画の進行時間と実際の進行時間が合せてあった、確か地下で事故にあって脱出するまでの話だったと思うが真っ暗になって小さな火がついてからの数人の男女の話だった気がする、
中学になると作品によっては入場可になって堂々と制服で観に行けた、
東映の時代劇が多かったが東宝映画の「社長シリーズ」大映の「駅前シリーズ」が面白く新しくなる度に通ったが小遣いが少ないので山百合の根だったり、鰻を売ったり、竹箒の枝を集めたりして稼いだが他に村に一軒だけある万屋の店先に映画のポスターが貼り出されるのだがその裏に無料券が1~2枚ついていて(ビラ裏券と言っていた)店の子供の面倒をみる事で毎回せしめていたのがこれが一番多かった、この店の主人夫婦は全く映画に関心が無いので修学以下の子供と遊んであげると必ずくれた、もっとも村の子供達も東映以外の映画には興味がないのでそれもスムーズに手に入る理由でもあった、
掛川市内には今帰って見ると一軒もなかったような気がするが見落としかもしれない、
ある時期から映画に行かなくなったがテレビの影響とも言えない、ハリウッド映画が大掛かりのパニック映画に移行した後はまるでおとぎ話の焼き直しになってしまい昔からのファンには足を向ける気にもならなくなった事が大きい、
邦画はさらにつまらなくなった、脚本がどうにもならない様だ、最近はほとんどが漫画かテレビドラマの焼き直しだ、まあ古い人間の言い分だからそれが本流なのかもしれないが映画業界の惨状を見るとあながち間違いではなさそうだ