何年か前横浜の野毛山動物園に行ったとき保育園児と思われる子供と一緒になった事がある、爬虫類館と言うコーナーにガラスの容器で色んな蛇が展示されていた
定温動物の蛇はほとんど動くことはないので蛇を知らない子供達にはどこにいるのかわからない様だったので「ほら、あそこにいるよ」と教えてあげた、
湿った岩の陰にとぐろを巻いて首だけ伸ばしている、「あっいたいた!」と歓声を上げたので「怖くないの?」と聞いたら「怖くないよ」と言う、
“何で“と言うような顔でこちらを見るので「怖くないんだ?」と聞いたら「怖くないよ」と言われた、
考えてみれば蛇と言う生き物に全く接していないし身の周りにもいない、小さくておとなしい生き物だから怖いと言いう感覚は生まれないのかもしれない、
足元をそれこそ蛇行して進み、鎌首を持ち上げて舌チロチロと動かすと言う様な事は見ていないが我々世代は周りの大人たちが恐怖し嫌うからその感覚が刷り込まれてしまったのかもしれない、
毒蛇以外は恐らく何の害も無い生き物である、見た目も白紙状態で見たら特に気持ちが悪い訳では無いのかもしれないな、
“蛇蝎のごとく嫌われる“と言う言葉がある、蛇蝎の蛇は蛇で蛇蠍とも書くので蠍はサソリだろうが日本ではほとんどいない筈だから中国当たりの慣用句なんだろう、
西洋の新聞などは政治家を動物に例えるのは常套だが日本ではあまり見ない、あったとしても可愛いデフォルメになっているのだがどうも私には今回の総理大臣は“蛇”のイメージがある、
イブに林檎を食べさせた創世記の蛇と言ったら一番似合いそうな気がする、
蛇蠍とまではいかないが滑っとした印象はつかみどころがなく何を考えているのかわからない
何を考えているのか明確ではないがどちらにしても我々庶民にとってろくでもない企みを考えていて追及されてものらりくらり、回答に詰まれば「その質問に回答する必要はない」
「今までに回答した」とそれこそ「蛙の面に小便」だが蛙どころでは無い、蛇の冷たい視線は質問記者を威嚇し無視をする
ロシア対アメリカは白熊とキングコングに書かれるが安倍総理はそのままだったが今度の総理はどう云うキャラクターとキャプションが付くやら
こんな事を書くのは大変失礼だし引用が正しいかと言えばそれはちょっとと言う事になるだろうがまあ”独り言“なのでご容赦を願おう
定温動物の蛇はほとんど動くことはないので蛇を知らない子供達にはどこにいるのかわからない様だったので「ほら、あそこにいるよ」と教えてあげた、
湿った岩の陰にとぐろを巻いて首だけ伸ばしている、「あっいたいた!」と歓声を上げたので「怖くないの?」と聞いたら「怖くないよ」と言う、
“何で“と言うような顔でこちらを見るので「怖くないんだ?」と聞いたら「怖くないよ」と言われた、
考えてみれば蛇と言う生き物に全く接していないし身の周りにもいない、小さくておとなしい生き物だから怖いと言いう感覚は生まれないのかもしれない、
足元をそれこそ蛇行して進み、鎌首を持ち上げて舌チロチロと動かすと言う様な事は見ていないが我々世代は周りの大人たちが恐怖し嫌うからその感覚が刷り込まれてしまったのかもしれない、
毒蛇以外は恐らく何の害も無い生き物である、見た目も白紙状態で見たら特に気持ちが悪い訳では無いのかもしれないな、
“蛇蝎のごとく嫌われる“と言う言葉がある、蛇蝎の蛇は蛇で蛇蠍とも書くので蠍はサソリだろうが日本ではほとんどいない筈だから中国当たりの慣用句なんだろう、
西洋の新聞などは政治家を動物に例えるのは常套だが日本ではあまり見ない、あったとしても可愛いデフォルメになっているのだがどうも私には今回の総理大臣は“蛇”のイメージがある、
イブに林檎を食べさせた創世記の蛇と言ったら一番似合いそうな気がする、
蛇蠍とまではいかないが滑っとした印象はつかみどころがなく何を考えているのかわからない
何を考えているのか明確ではないがどちらにしても我々庶民にとってろくでもない企みを考えていて追及されてものらりくらり、回答に詰まれば「その質問に回答する必要はない」
「今までに回答した」とそれこそ「蛙の面に小便」だが蛙どころでは無い、蛇の冷たい視線は質問記者を威嚇し無視をする
ロシア対アメリカは白熊とキングコングに書かれるが安倍総理はそのままだったが今度の総理はどう云うキャラクターとキャプションが付くやら
こんな事を書くのは大変失礼だし引用が正しいかと言えばそれはちょっとと言う事になるだろうがまあ”独り言“なのでご容赦を願おう