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梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

自助・共助・公助は逆だ

2020-09-17 09:30:05 | 雑記
菅総理の所信表明演説で「自助、共助、公助の順番で、」と言っていたがこの意味は「この責任でやってもらいたい」と言う意味合いがかなり強く感じる
しかし憲法では
日本国民の三大権利として
生存権(健康で文化的な最低限度の生活を営む権利)
教育を受ける権利(教育を受ける権利)
参政権(政治に参加する権利)
があり、それは全て“責任”ではなく“権利”ある、責任を個人がまず引き受けてそれが不可能なら周りが引き受け、それでも難しかったら国が保証するというのは憲法とは逆だ、
今この三大権利がすべて侵されている事は多くの資料情報ではっきりしている、貧困世帯は先進国と言われる中では最高の二桁台の割合であり、教育を受ける権利は等しくある訳では無く所得が少ない国民には実質的には得られていない、
それどころか(健康で文化的な最低限の生活)すら営めていない世帯が多くある、
参政権と言っても小選挙区制のせいで政治に参加しているのは組織票を持っている組織と議席を得た政党政治家とそこにスクラムを組んでいる既得権者である官僚組織と支える経済界に特化されている事は言うまでもあるまい、
安倍総理が「総理の責任を持って遂行する」と言ったことがあった、「憲法改変」に対する回答だったと思うが“責任”は後でとるもので彼が言っているのは「総理大臣の権利を行使する」と言っているのだ、
責任の順序は菅・安倍(自民党)の考えるのは上記の通りであり、権利の順番は“政府→共同体(自治体か?)→国民”と言っている、
政府は国民の代表でありその責任を負う、責任を負う為の実行権利を任せられているのだから結果に対して責任は取らなければならない、
安倍総理は森学園問題の時に「自分でも妻でも名前が出たら総理も議員もやめる」と大見えを切ったが次々と証拠が出たら隠蔽、改竄を繰り返しその言葉はなかったが如き態度で終始し、結局どうにもならなくなったら「腹が痛い!」とさっさと逃げで仕舞った訳で、「総理大臣の責任」はどこに行ったのだ、
「改憲の話ではない」が今までその権利を議席数の論理で横車を押し続けた事に“説明”の責任と言う程度の事にすら全く回答せず辞職と言う逃亡をし、その「安倍政権の仕上げ」を掲げて成立した菅政権は責任をすり替えてスタートした、
早期の解散総選挙を期待し、国民の審判がそちらに向かってくれることを切に願うだけだ


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