梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

プライド

2011-06-21 18:49:15 | 雑記
思い返してみれば確かに自尊心とか誇りと言う物は「どう見られているかと言う部分もかなりのファクターを占める、
偉そうに「自らに恥じぬ」とか言っても「あいつはそんな風に俺を見ていたのか」とか「随分な見方をされた物だ」とか思う事が有るわけだからその部分から言えば確かに「うぬぼれ」とか「思い上がりだ」とか言われてもあながち的外れでは無いのかも知れない、
だが「自分はそんなつもりではない」とか「自分の行き方には自信がある」と言うのはやはり自己確立の為には必要な気がする、其れが「思い上がりだ、うぬぼれやがってそんなに立派な人間ではないだろう」と思われたとして、「そうか、俺はその程度の人間か」と思うより「いや、俺には譲れない線がある」と思って生きる方が自分は好きだしそれでいいと思っている。
ずっと昔未だ悪友達が殆ど独身の頃一番若い友人に子供が出来た、
暫くした時の酔った場で「本当に金がなくなった時、誰かが渋谷の交差点で脱糞したら100万やると言ったら俺はするぞ」といった事がある、残りの奴らは未だ結婚もしていないから全員が反対だった、
「金が欲しくても其れは出来ないな、する事事体よりそんな事をいう野郎が居たら絶対ぶっ飛ばす」と言う意見が殆どった、
この時彼は「子供に飯が食わせられるならプライドなんか要ら無い」と言っていたがこの時の彼の言った事はどう考えてもうぬぼれ」でも「思い上がり」でもない、此れを出来ないと言う我々はうぬぼれていると言われたら釈然としない、
その彼から半年位前に電話が掛かって来て「たまには飲もう」と言って来たのだが自分が調子が悪く「今、それど頃の懐具合ではないからな」と言ったら「その位は俺が持つよ」と言われたので
「悪いな、飯なら奢られるけど奢られると承知で飲む酒は苦手だから」と断ったのだが彼はその時
「悪い、プライドを傷つけてしまった様だ」と電話を切った、自分としては振舞い酒なら良いが最初から全部向こう持ちの酒は昔から本当に苦手なのだ、飲んでいて最後に「今日は俺が持つよ」と言った話しは喜んで奢って貰うが最初から向こう持ちだとどうもすわりが悪い、
しかし別に此れはプライドだとは思わなかったのだが、向うが受け取った感じは恐らく英和辞典のプライドだったのではないかと此方が感じた返事だった、
「思い上がるなよ」と言われた気がした、電話はその後全く来ないが此れはやはり自分の「思い上がり」でその時感じたのは僻みだったのだろうか、まあ2~3年は掛かってこない事はざらだから気にしていないのかもしれないが

ここ2~3年増えたアガパンサスだが地味な花であまり好みではない



紫陽花は今が盛り



歩いていたら馥郁とした香りは梔子だ


男のプライド

2011-06-20 09:53:06 | 雑記
gooのランキングで傷つきやすい男たちと言う記事の中に「PRIDE]を国語辞典で引くと「誇り、自尊心」と出るが英和辞典で見ると「うぬぼれ、思い上がり」と出ると見た、そうだとすると自分が使っていた「プライド」と言う言葉はかなり違う意味になってしまう、
試しに同じ事をして見たら確かに英和では「うぬぼれ、思い上がり」と出る、別に「誇り」も併記されているが扱いはかなり下のほうだから味方によっては此方は特殊な使い方にも見える、
ためし「自尊心」を和英辞典で引いてみるとこちらには「PRIDE」が真っ先に出る、用法には「self respect」と「PRIDE」と両方出て来る、
どうやらこの記事を書いた方は一方だけを引いたのかそれとも「男の下らないプライド」と言う言葉と意識したのかも知れない、女性と若者はどちらかと言うと「プライドが高い奴」と言う用法で使う事が多いので英和辞典の言葉に合致する意味合いになるが「うぬぼれ」とか「思い上がり」と言う言葉はマイナーなイメージが多い、両方共「実力以上に」と言うニュアンスだからだ、しかし誇りや自尊心は「能力」とは関係は無い、自らに課した生き方の様な物である、誇りが傷つくと言うのは他人からどう見られたかではなく、「自分に恥じない」と言う事が大事なのだ、其れが他人から見て馬鹿げていると言われても譲れない自分の行き方、アイデンティティと表現してもいいだろう、
だから「お前がそう考えるのは思い上がりだ、うぬぼれるな」と言われる様な筋合いの物ではない筈である、そのランキングの一番に出ていた「所得が少ない」と言われるのがプライドを傷つけると言うのは私には理解出来ないのだが、
確かに「俺はもっと高額の給料を貰って当然だ」と言うのはプライドではなく「うぬぼれ、思い上がり」だろう、金の為に詐欺まがいの事を平気でする事は出来ない、たとえ高給でも人を食い物には出来ないと安月給でもその仕事を続けると言うのが「自尊心」である、若い異性にはかっこ悪いといわれても「自分はこの仕事を極め良い仕事をする」と言うのが「誇り」と言うものだろう、昔の西部劇に「誇り高き男」と言う映画が有った、原題は「The porud noes」となっている、此れを見る限り「英和辞典」の訳し方が若干偏っているような気がする、
因みに2位以降も生き方とは全く関係なく体力や年齢に関することが羅列されているが生きる事にポリシーを持って生きる事がっ重要だと思いたい

高校野球の連帯責任

2011-06-19 10:19:47 | 雑記
仙台育英高校の野球部員が被災地で窃盗で捕まったと言う事件が有った、この事件その物はあまりに情けなく卑劣で許せない事だ、ATM荒らしも一億を超えると言う、これが世界に評価された同じ国民だと思うと情けないでは済ませない事は間違いない。
しかし、此の事件で「仙台育英は即時行動を停止した」と言う記事も書かれていた、高校野球では必ずこう言う結果になる、たしかに一緒に行動して居る内から子の様な不祥事を出すのは恥じ入ると言うのは解るが一方で一生懸命今まで頑張ってきている選手達にはあまりに厳しい処置だろうと思う、高校野球の名門校は多くの少年たちが集ってくる、その選手たちは恐らく小学校からずっと殆どの時間を野球に費やして来た事だろう、プロを目指す選手で無くとも甲子園は憧れである、其処にやっと手が届くと言う時に他の生徒が起こした不祥事で断たれてしまうと言うのはあまりに残酷では無いか、特に3年生は夏の甲子園は二度と来ないのである、このチャンスを掴んだ選手の殆どはおそらく10年前後この時を目指して過ごして来た筈だろう、大人とは違う永さの10年間で有る、其れを「同じ学校の生徒が不祥事を」と言う事で取り上げるのはあまりに重すぎる。
此の事で当事者が負う罰も法的な罰の比では無い、出られなくなった選手の怨嗟は一生続き、その家族、生徒の家族からも責めをずっと負う事になる、無論自業自得では有るがその「罪と罰」は誰も幸せにはしない、この罰の重さが生徒達の生活規範に大きな抑止効果がが有ると言うのは今まで何度も繰り返されている事を考えればそれ程の物ではないだろう、何らかの謝罪は必要だがそれは生徒では無く学校や教師に有る筈だ、震災被災者の為にも仙台育英高校の夏の甲子園出場を心から願う、

名を残したいのなら

2011-06-18 09:28:41 | 雑記
都知事が又オリンピック招致に意欲を見せている、自分はオリンピックの招聘には反対だから当選した時から此れは心配していた、どれだけの都民が賛成しているのか、「震災の復興モニュメントとして」と言う様な事を言っているらしいがオリンピックを日本で行う事と災害復興の関係はこじ付けとしても無理がある、
前回のプレゼンテーションだけでも5億と言う大金を使っている、今其の金が有ったらどれだけの復興援助が出来るのか、仮に招聘が出来たら又その準備で多くの出費は避けられない、被災した人々が半月にわたるスポーツイベントに元気つけられるとはとても思えない、
この事によって喜ぶのは一部の建築関係者とマスコミの一部だろうが建築業界も今は復興の為に大きな需要が発生する、無論次に決定しても12年も先の事だから其れなりに有りがたいかもしれないが此の輩以外一体どの程度の日本人がオリンピック招聘開催に期待していると言うのか、
前回落選した一番大きな理由は「国内にオリンピック招致のコンセンサスが見られない」と言う事だったはずだ、
今大事な事は国政が機能しない中、地方自治体が将来に向けてどう言うビジョンを出せるかという事だろう、特に東京は国家の中枢が集中している場所であり人口も就業形態で言えば3割近くが生活をしている、今回の被災を教訓に首都機能の分散移転を考えるかバックアップ可能な形にする事を真剣に考える必要があるだろう、現都知事は前任の時に「とんでもない!」と発言していたがこの災害で少しは考えを改めた事を期待する、この決断こそオリンピック招致などよりずっと後世に名を残してくれる

やはり、核エネルギーからは撤退した方が良い

2011-06-17 18:52:27 | 雑記
原発廃止に政府は「コストが上がる」事と「それでも不足する」と言う二つの理由を挙げて「電力計画は変更しない」と言っている様だがこの2つの理由それぞれに疑問がある、
先ず「コストが上がる」と言う事だが今数字に出ているのはあくまで原料としての価格だけだ、
原子炉自体のイニシャルコストもかなり火力発電より高額になるがそれよりランニングコストの方だ、
単純に安全の為の維持管理は火力水力の比ではない、常勤している人数を比べても解る。そしてもう1つのランニングコスト、
地方交付税だ、補助金という名前かも知れないがこの金は税金から出ているので此れは電力コストには計上されていない筈だ、
補助金或いは交付税が如何に大きいかは原発誘致の自治体が「原発停止したら補助金はどうなる、死活問題だ」と反応した事で充分わかるだろう。
そして全く解決していない問題のコスト、使用済み燃料の処理問題だ、将来的に処理をする為に「二兆円」に余る準備金があると言う、しかも堂処理するかも決まっていないから更に増える可能性も大きい。
これらのコストは当然火力・水力には要らない。火力はCO2の問題が有るがこの「使用済み燃料処理費」程の金額を掛けなくとも処理が可能だろう、最近「CO2を効率よく吸収し固定する」と言う物が出来て来ている、科学はどんどん進化するの、
今は高コストだが大量生産になれば大きくコストが下がるのは産業の特性だ。
そしてもう1つ大きな問題は果たして「今消費している電気エネルギーが本当に必要なのか」と言う事だ、
今回の震災で未だ暑い夏が来ていないとはいえ震災直後は25%近くも消費は抑えられた、
街のイルミネーションはかなり落ちているがそれで生活がし難くなったと言う話しは聞かない、
電車の本数も未だ震災前のレベルには戻っていないが駅のホームが人で溢れる事も無い、使い古された言い方だが足元を見て今までの生活から少しゆっくりと生活する事で政府が試算する様な電気需要は不用になるのではないだろうか、
「電気はこれからも需要が増え続ける、だから原発は必要だ」と言う理論は誰の代弁者が語っているのか、「与党は経済界の代弁者だ」と自民党に言っていた筈の現政権だが正しく今の理論は経済界の理論に見える、
野党の自民党がそう言うのは55年も言って来たのだから当然と言えば当然だがそんな理論をまたぞろ繰り返しているなら自民が返り咲く事は先ず無いだろう、
今国民は天災と人災の被害に苦しんでいる、仮に原発事故が「想定外の天災」によって引き起こされたとしても「今度の災害以上は起こらない」とどうして言えるのか、想定は今までの経験則で作られている、しかし将来は過去の繰り返しではない、
それは「史上最悪の災害」と言う言葉に如実に表れている、常に「史上最悪」は起こり得るのだ