梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

戦争哀歌

2014-06-20 17:28:52 | 雑記

戦友と言う歌が有る、小学校5年生の夏林間学校と言う2泊の合宿が有った、年齢から数えると昭和33年の筈だ、生憎初日は記録的な集中豪雨に見舞われて予定していたキャンプファイヤーが出来ず合宿所の中で引率のPTAも交えて何かしようと言う事になった

悪天候で電気は止まったのでアセチレンガス灯を点けて順番に歌を歌おうと言う事になった時友人の一人がこの「戦友」を歌いだした、我々の親は大抵戦争の経験者だから家や野良で口ずさむことや寄合で歌う事が有るので子供の多くはこの歌を知っていた、

しかし長いこの歌をPTAが引き取って歌いだすと誰からともなく涙を流し始め子供達もその雰囲気に引き込まれて涙した記憶が有る、

此の歌詞の内容を理解するに従ってあの時に大人達の涙が理解できるようになった、親達は多かれ少なかれ此の歌詞につながる記憶があるのだろう、

「此処は御国を何百里離れて遠き満州の赤い夕日に照らされて友は野末の石の下・・」と言う場面も多くの人達も見ただろう、

「思えば去年船出して、御国が見えなくなった時玄界灘で手を握り名を名乗ったが始め・・」と言うのが赤紙一枚で戦地に出された庶民の常だったのだろう、御国が戦争を決めて、決めた連中ではなく普通の生活をしていた人々が呼び出され銃を持たされて「敵を殺してこい」と言われる、「御国の為だ」と言うが命令はその御国を何百里も離れた処に命を的に銃を持って行かされる、

人の土地に銃を持って出かければその土地の人達は「御国の為に」銃を持つ、しかし此方から銃を持ってゆかなければ彼等も銃などもつまい、普通の人達が人を殺す技術と武器を持たされて殺人に向かう、そして遠い外地で生涯を絶たれる、

「行燈の陰で父母たちが・・」と言う歌詞に友の死を悼む心情が切実に表わされている

最大の親不幸は親より先に逝く事だと言われるが国はそれを強制した、あの時代日清・日露戦争に勝ってしまった事が正常の判断力を奪っただろう、戦力=国力ではない、過剰な戦力は国家を誤らせる、当時清国もロシアも内政に大きな障碍を抱えていた、植民地政策が末期を迎えていたと言う条件もあった、それらは時代の過渡期に起きた隙までしかなかった、経済的な国力は国土資源をみても勝てる訳もない戦争だった、そしてその通りの結果になった、今なぜ又同じ轍を踏もうとするのか、安倍政権の考えが理解しがたいのは国内だけではないと言う、

しかし、この状況で韓国政府は何を考えているんだろう?今竹島付近で軍事訓練などやれば安倍政権の右傾化に利するだけだと思わないのだろうか、当然あれを自衛力強化の理由にするだろう事は容易に想像できる、


子守唄の思い出

2014-06-19 11:06:59 | 雑記

何かの拍子にふと浮かんだフレーズが頭から離れない事が有る、大抵昔の歌詞の事が多い、

数日前からずっと繰り返されているのは「ゆりかごの歌をカナリヤが歌うよ、ねんねこねんねこねんねこよ」と言う奴だが此の歌詞に落ち着くまで妙な言葉で繰り返していた、(もっともこの歌詞も本当に正しいか若干不安ではある)

最初は「ゆりかごの歌を野ネズミが・・・」だったがなんか変だ、野ネズミ??ネズミの訳が無いだろう、きっと木鼠の間違いだろう、木鼠なら栗鼠だからな、と勝手に納得していた、しかし何か未だおかしい、仕事中だったり歩いていたりするとふとまた浮かぶ、流れの淀みに浮いた木の葉みたいに同じところをくるくると回ったり、消えたと思ったらまた浮かんできたりする、一時はこれで納得したのだが今朝電車から降りて事務所に向かう途中に(あれはカナリアだった)と思いだした、なんとなく子供の頃音楽の教科書にゆりかごと鳥かごの画が書いてあった様な記憶が有る、そのまま「ゆりかごの歌」ったのかそれとも何とかの子守唄だったのか思い出せない、

私は子守唄と言うのが聴くのも歌うのも好きである、母親が生まれたばかりの子供に歌って聞かせる為のせいか本当に優しいメロディーである、

学校でならったのは外国の物だった気がする、モーツアルト、シューベルト、ブラームスだったか?歌詞はあまり覚えていないがやはりメロディーは優しい曲だ、

日本の子守唄は学校でと言うより親が口ずさんで居たのを覚えた様な気がする、お袋が良く歌っていたのは「ねんねんころりよ、」だったが五木の子守唄も良く歌っていた、これは私が物心付いてから歌っていたので本来の子守唄の用途で歌っていたのではなくお袋がすきだったのだろう、大人になる段階で覚えた子守唄は中国地方の子守唄と竹田の子守唄だが日本の子守唄は妙に哀愁が有る、これは五木の子守唄の歌詞を聴けばなんとなく解る、

貧しい農家の女の子は口減らしの為に仕事として他人の子守りをする事が多かったのだろう、五木の子守唄は家から離れて子守り奉公に出ている子供の歌だ、子供をあやすのに我が身の苦労を込めて歌ったのか、悲しい歌詞である、

この歌をヘレンメリルが歌っていたのを見つけた、ニューヨークの溜息と言われた歌手の歌は説明に有る様に歌詞の意味を理解して歌っていたのだろう、子守唄と言うよりバラードになっていた、最近と言っても既に2~30年位前になるがグラシェラスサーナが歌っているのを見つけたが彼女の歌も素晴らしかった、先日TVで見たが流石に歳を取った、

彼女が日本の曲をカバーしているのだが申し訳ないが彼女の歌の方がオリジナルより数段素晴らしいと思うのは私だけだろうか

 


税金は持っている法人・個人にしなければ

2014-06-18 18:47:16 | 雑記

法人税率の引き下げを今国会に提出する、消費増税とセットだ、単純に並べてみれば法人の払って居た税金を国民が代わりに負担すると言う構図になる、法人税は経常黒字に掛る税金だ、儲かっている企業が税金を納める、儲からない企業は納めない、と言うより経常利益が赤だったら納める税金は借金になる、それを外形課税と言う課税法で「借りても払え」と言う、事業などやめた方がマシだ、大手優良企業はずっと経常黒字である、無論中には赤字のg企業もあるが基本的に超大手と言う企業はずっと黒字だ、残った利益から一定の額を納税しても何億と言う金が内部留保と言う名前で残る、法人税率はこの経常利益の何%を納めるかと言う事だから「税率が高いから国際競争力が低い」と言うのは当たらない、営業利収入からコストを差し引いた残りに掛る税率だから国際競争力を維持しても利益が引くっくなっても其処から税金を払うのだから「儲け、内部留保」が少なくなると言うだけの事だ、しかし中小零細企業の殆どはかなり厳しい利益率で経営している、一度黒字になっても翌年赤字になればそのマイナス利益から納税をしなければならない、会社の業績が良かったからと従業員に賞与を多くしたら翌年は業績が下がった、と言っても前年度の黒字分の税金は払わなければならない、それでも「赤字」だったら税金は発生しないので何とか借金をしてでも継続できるのだが今度の「外形課税」では利益とは関係なく会社規模に応じて税金を納めなければならない、課税された国税に応じて地方税が発生する、国税と地方税を合わせれば利益の50%近くになる、税理士から納税額を貰う度に「もう少し低くならないものか」と心から思う、決算が赤字なら或いは黒字幅が低ければ何とかやって行けると言う企業は多いだろう、借入を返済するとそれは利益に含まれる、借金を返す為に頑張って居るとしても返済額には税金が掛るのである、社員の給料は経費だから出来るだけ社員の給料を上げて利益を圧縮する、しかしこれからは利益が無くても法人税が掛ってっ来るとなれば経費を下げなければ成り立たない、会社のコストは殆どが人件費だ、 いわゆるブラック企業などと言う形態の会社はこうして作られてくる、超大手と言う会社には経常利益が兆を超える企業も垣間見えて来た、経常利益が1千億なら350億の法人税だと言う事らしいが残った純利益は650億もある、しかし経常利益が100万の会社が15%の法人税を納めたら残りは85万円だ、100万の利益の中には銀行借り入れの返済分が入っている、月8万の返済をしていたら実質金は残らない、 日本の国内生産力はこの中小零細企業が支えている、同時に国民の75%近くの個人経済も支えている、経済界の言う「海外シフトが競争力を削ぐ」と言うのはこの部分を無視した企業論理による、個人資産の80%、企業資産の85%が一桁の企業と個人に集まっている、しかし国家予算の半分以上を国民全体で、企業全体で支えると言うのは無理のある構造で必ず破綻する、今回の政策はそれを是正するどころか加速する事になるだろう


青年団の事

2014-06-16 18:12:22 | 雑記
私の育ったころ、青年団と言うのが有った、年齢はどの位からか覚えていないのだが多分義務教育を終える頃からだった気がする、どの位の年齢になると外れたのかも覚えていないが若しかしたら結婚をする事が退団の要件だったかもしれない、
冬の火の用心や祭りの準備、後始末などは青年団の仕事だった、しかし重要なのは仕事そのものより子供から大人への教育機関の様な役割を果たしている事だった、
中学を卒業する少し前から青年団の寄合に参加するようになる、呼ばれると自分が大人へ一歩踏み込んだような興奮を覚えたものだった、青年団の中では親の地位や家の格は全く関係なく誰がリーダーに相応しいかだけが基準だった、勉強が出来るとか運動神経が優れているからだけでは駄目で総合的なリーダーシップが自然と評価された、
青年団の中に関しては大人達は踏み込む事は無く村にどう関わるかだけを評価される、評価と言うよりその責任を問われていた、
青年団の寄合は夜である、今でこそ公民館と言う様な施設が有るが昔はそんな物は無く大抵村の寺が、村によっては若者小屋と言う様なものがあり、夜半の寄合は子供たちにとってあこがれであった、考えると子供から大人に移行する重要な事柄は青年団と言う処で身に付けた気がする、団の中で年齢に合わせて役割を任せその責任も負わせる、
年相応に認め、順繰りに席を渡してゆく、仕事や役割だけでなく性の知識も異性の話もそこで身に付ける事が出来た、
あの青年団は今でも機能しているのだろうか?現代ではおそらく機能できないだろう、あまりに情報が氾濫し、性に関しても順序も抑制もなく流れ込んでいる様な気がする、本人達はそれが当たり前になっているが我々世代からすると非常に不幸な境遇に置かれている様な気がしてならない、
今情報を遮断しろと言うのは無理だろうが青年団の様な組織と言うかシステムが今の子供達を真の意味で救うのではないかと言う様な気がする

せめてニュース位はもう少し流してほしい物だ

2014-06-15 13:22:38 | 雑記
ワールドカップが始まったらどのチャンネルもサッカーばかりだ、民放は仕方ないにしても国営放送はもう少し一般視聴者の事も考えられないのだろうか、
朝起きてスイッチを入れると実況中継をやっている、6時のニュースも僅か15分で天気予報とダイジェストだけである、それ程たいしたニュースも無かったのかもしれないがサッカーに興味の無い我々にしてみると「何処に廻しても、何時かけても」サッカーばかりで見る物が無い、NHKはオリンピック時もそうだがやたらにスポーチに力が入っている、
申し訳ないが我々夫婦はスポーツにはあまり関心が無い、民放はどこかが面白い番組を作ると全局右にならえだ、同じ様な顔触れで同じ様な内容の無い番組だけ、しかも余の不景気が影響して時間の2割くらいは宣伝時間だ、仕方ないのでNHKを見ているのだが我が家ではNHKのドラマはすこぶる評判が悪い、構成が独りよがりだし長編の小説を無理やり1年間に纏めてしまう、使う役者も今売れていると言う役者を無理やりはめ込む、
昔は役者に関してはそうでもなかったが最近はかなりひどい、だからドラマはほとんど見ない、特に大河ドラマと朝帯と言う奴は見る気がしない、朝帯は基本方針があるんだろう不幸な生い立ちか下積みの女性が成功すると言うだけの話でそれも此処から何人かの新人が巣立ったのでそれなりに視聴者は居るんだろう、無くなった母が欠かさず見ていたので目に入っていたのだが内容は同じだしセットも妙にチャチである、ライティングも極端に暗いか表の画だし(これは大河ドラマも同じだ)登場人物の構成もほぼいつも同じ、
スポーツに戻す、私は小さな会社をやっている、独立する前から技術営業をやっていたので客と話す機会が多い、営業ではスポーツの話題はツールとして必要である、但し特定の贔屓が有ってはならないが相手に合わせて贔屓チーム(或いは選手)を出す必要がある、
その為に興味は無くとも知識として新聞や雑誌、スポーツニュースは頭に入れておく、しかしそれは飽くまで「営業ツール」である、永くこの業界に居ると互いにこの話題はそう簡単には出さない、相手もその事を十分に理解しているのだ、中にはワールドカップの為に会社を休んだりするらしいが少なくとも私の客先にはそんなコアな人はいない、恐らくいたとしても仕事上ではおくびにも出さない、ちょっとした間が空いたときに愛の手に入れる程度である、少なくとも一般的なニュースや通常放送を棚上げしてもサッカーやフィギュアスケートや世界陸上を見たいと言う様な人には有った事もない
もしその位好きならBSでもCSでも或いは有給を取って遠征でもすればよい、コアの人達の為の店も都内には幾つもある、多分大抵の人達は「そこまでしてはね」と言う連中ではないかと思う、だからと言って通常番組も通常ニュースも犠牲にしてまでスポーツ放送をする事は有るまい、終わるまで本当に腹立たしい日が続く