戦友と言う歌が有る、小学校5年生の夏林間学校と言う2泊の合宿が有った、年齢から数えると昭和33年の筈だ、生憎初日は記録的な集中豪雨に見舞われて予定していたキャンプファイヤーが出来ず合宿所の中で引率のPTAも交えて何かしようと言う事になった
悪天候で電気は止まったのでアセチレンガス灯を点けて順番に歌を歌おうと言う事になった時友人の一人がこの「戦友」を歌いだした、我々の親は大抵戦争の経験者だから家や野良で口ずさむことや寄合で歌う事が有るので子供の多くはこの歌を知っていた、
しかし長いこの歌をPTAが引き取って歌いだすと誰からともなく涙を流し始め子供達もその雰囲気に引き込まれて涙した記憶が有る、
此の歌詞の内容を理解するに従ってあの時に大人達の涙が理解できるようになった、親達は多かれ少なかれ此の歌詞につながる記憶があるのだろう、
「此処は御国を何百里離れて遠き満州の赤い夕日に照らされて友は野末の石の下・・」と言う場面も多くの人達も見ただろう、
「思えば去年船出して、御国が見えなくなった時玄界灘で手を握り名を名乗ったが始め・・」と言うのが赤紙一枚で戦地に出された庶民の常だったのだろう、御国が戦争を決めて、決めた連中ではなく普通の生活をしていた人々が呼び出され銃を持たされて「敵を殺してこい」と言われる、「御国の為だ」と言うが命令はその御国を何百里も離れた処に命を的に銃を持って行かされる、
人の土地に銃を持って出かければその土地の人達は「御国の為に」銃を持つ、しかし此方から銃を持ってゆかなければ彼等も銃などもつまい、普通の人達が人を殺す技術と武器を持たされて殺人に向かう、そして遠い外地で生涯を絶たれる、
「行燈の陰で父母たちが・・」と言う歌詞に友の死を悼む心情が切実に表わされている
最大の親不幸は親より先に逝く事だと言われるが国はそれを強制した、あの時代日清・日露戦争に勝ってしまった事が正常の判断力を奪っただろう、戦力=国力ではない、過剰な戦力は国家を誤らせる、当時清国もロシアも内政に大きな障碍を抱えていた、植民地政策が末期を迎えていたと言う条件もあった、それらは時代の過渡期に起きた隙までしかなかった、経済的な国力は国土資源をみても勝てる訳もない戦争だった、そしてその通りの結果になった、今なぜ又同じ轍を踏もうとするのか、安倍政権の考えが理解しがたいのは国内だけではないと言う、
しかし、この状況で韓国政府は何を考えているんだろう?今竹島付近で軍事訓練などやれば安倍政権の右傾化に利するだけだと思わないのだろうか、当然あれを自衛力強化の理由にするだろう事は容易に想像できる、