梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

オレンジリリーとクロホウシ

2021-05-22 12:24:05 | 雑記
中々体重が落ちない
毎朝3km程度あるくのも日課になったのだが未だダメだ
1日平均は6kmくらい歩いているのだが弱ったもんだ
毎日同じ道なのでさして目新しい花は無いが名前の知らない物を映してくる
Googleレンズと言うソフトを試してみる



これはオレンジリリーと言う花らしい、鬼百合かと思ったが少し違う



クロホウシと出て来た、
歩道の植え込みに隠れる様に置かれた鉢植えの観葉植物(と言っていいのか?と花ではないので)
花キャベツと言うのもあったがこれはシダ類か
時期的に紫陽花がアチコチに色づき始めて来た
紫陽花もきれいに見える部分は花ではないのだが咲くと言う表現に相応しい
原種は日本でシーボルトがヨーロッパに持ち帰り今のような鮮やかな物になったらしい
しかし私は未だに林道の脇にさく玉紫陽花も捨てがたい
紫陽花は雨が似合うが今年は長梅雨らしい、未だ5月だと言うのに東海地方まで梅雨に入ったそうだが
関東もこの1週間の天気は梅雨だと言われても仕方ないような天気だな
コロナで滅入っている所に梅雨も長いとはさらに気が滅入る
IOCが「東京オリンピックは緊急事態でもやる」と言ったそうだが自分の国だったら同じことを言うんだろうか
これで爆発感染が出たら、医療崩壊になってパニックになったらIOCはどう責任を取ると言うのか
日本と都はそうなった時どうするつもりなのか
医療専門家が「自殺行為だ」と言っているのに学識者外が「大丈夫だ」と言う事がおかしな話だが今回は「大丈夫でなくともやる」と言う
何の権利があると言うのか、そして何の意味があると言うのか
未来と言う距離ではなく明日の話だ、やめてくれよ

遠州弁、”おぞい”と”つび”は古語の様だ

2021-05-21 11:44:33 | 雑記
悍ましいと言う文字を読めますか、と言うSNSが有った
「おぞましい」と読むことは知っていたが念の為答えを見たら合っていたが元は「おぞい」と言う読み方がだったとなっていた
これを見たて思い出した、まったく忘れていたが子供の頃田舎の遠州地方ではこの”おぞい”と言う言い方は普通に使っていた
遠州弁は言葉の最初と次の音のあいだに”ん”を入れる事が多いのでこれも”おんぞい”と言う事が多い、
意味合いは”ボロイ”に近いか、これは駄目だな、と言う様な場面で使う
品物を見てちょっと酷いなと言う様なときに「おぞいじゃん!」の様に使う
身に着けるものが惨めだと「おんぞい!」と使ったりする
東京に来たら全く使わなかったので忘れていたが古語だとは思わなかった
遠州は古来京から東国に行く古街道だったので古の言葉が残っている、
今昔物語集35に「東の方に行く者、蕪をとつぎて子を生みし語」と言うのがあってそこのは

 何れの國郡とは知らで一つの郷を通りける程に、
 俄に淫欲盛に発(おこ)りて、女の事の物に狂ふが
 如くに思(おぼ)えければ、心を静めがたくて思ひ
 わづらひける程に、大路の邊に有りける垣の内に、
 青菜といふ物いと高く盛に生ひしげりたり。
 十月ばかりの事なれば、蕪の根大きにして有りけり。
 此の男忽ちに馬より下りて、其の垣の内に入りて、
 蕪の根の大きなるを一つ引きて取りて、それを彫りて、
 その穴を娶(とつ)ぎて淫をなしてけり。さて即ち垣の内
 に投げ入れて過ぎにけり。

と言うのがある、
この中で女性器の事を「開」と書いて{つび}と呼んでいる、
お知っている人は知っているがこの地方では女性器を「つんび」あるいは「つんびい」と呼ぶ、女の子はおを付けて「おつんび」と言う、
女性器に関しては日本各地でかなりいろんな言い方をする、
関東地方の放送禁止用語はマスコミが発達するまでは地方語であり我々のこども時代はこの言葉を聞いてもべつに卑猥には感じない
しかし「おつんび」は大衆の前で口にすることは憚られる言葉である、
ぼぼ、へっぺ、まんじゅう、やち、琉球語ではホーミーだ、
若い時乗っていたのは日産のホーミーだった、親しい友人の奥方が沖縄生まれで笑いながら教えてくれた、
どこの呼び名でも女性器の呼び名は行為そのものをさす事が多い様だ、男性器の名称は略全国共通だが行為そのものを指すことは無い、
男の性欲の強さの成せる技か、
しかし、現代は売春婦ならぬ女性が買う売春夫もいるしホストに大金を落とし借金まですると言う、世も様々だね
因みに今昔物語の結末はこの蕪を食べた処女が身篭って子供を産み数年後都に帰る男がそれを知ってその娘をめとってこの地に暮らしたと言う
しかし男の性欲は昔から手を焼く様だ、まさしく「厄介棒」だ


吾唯足知,餓鬼道界には無縁の話だ

2021-05-19 10:53:45 | 雑記
格差社会だと言われて久しい、
富の偏在は著しく7%低度の超富裕層が社会全体の資産を90%近く保有していると言う、
新自由経済主義は資産形成増大が全てに優先し「それが本来の自由である」と言って憚らない、
確かにそれは努力と才能の賜物だと言える、いわば勝者の権利褒章でもある、
しかしそれは努力した本人だけでは済まないで新たに生まれて来た生命にとっては最初から大変な格差ステージに放り出されたことになる、
生まれて育ってゆく環境は憲法に謳われている通り等しくなければならない
せめて学業年齢終了までは同じ境遇でなければ「本来の自由の保証」とは言えないのではないだろうか、
働けるだけ働けば生きる事に必要な資金は社会が負担する、これを究極にして行けば社会主義、コミューンに行き着くのだろうが社会主義が成り立たないのは近代史が証明している、人間はそんなに高尚には出来ていないのだろう、
「欲望を満たすには二つの方法がある、物を得るか、欲を捨てるかだ」と言う、
吾唯足知、吾唯足るを知る、よく蹲に彫られている言葉だ、
仏教の六道の中、人間界から天上界に足を踏み入れる菩薩道の入口、悟りである
世の人達が皆この境地になれば平等に助け合って暮らす世界になるのかと言えばおそらくそうではなく文化社会は衰退してゆくだろう、
文化の進化はやはり人間の欲望が原動力になっている、
科学の発達は如何に効率よく経済を回すかという事からだろうし、科学の発展に一番寄与しているのはやはり戦争の武器だ、
如何に効率よく相手を殺すか、戦力を奪うかだが戦争の原因は殆ど経済的な欲望だ
菩薩界と対極にあるのは地獄界の手前、餓鬼界だがこの世界ではいくら食べても飢餓が治まらない苦界である、
古代ローマの退廃期には飽食暴飲を繰り返し、胃がいっぱいになると全て吐き出して又食べ続けると言う、
果たして彼らは幸せだったのか?吐き出すためのへらまで用意して恐らく涙を流して嘔吐し又食卓に向かってしまわなければならないと言うのはまさしく“餓鬼”そのものであり、地獄だった事だろう、
小さな国家の年間予算を超える資産を個人保有しそれでも未だ増やさないと不安になると言う彼等もそれはそれで地獄なんだろうがその為に通貨を買い集め、売り浴びせて小国家の経済を混乱に陥れる禿鷹ファンドは餓鬼道であると同時に地獄の邏卒でもある、
地獄の邏卒なら「閻魔様に地獄に落とされる」事もあるまい、何しろ其処の住民なんだから、
人間の殆どは人間界でもがいて生きるしかないのかもしれないが餓鬼が大手を振って居られるのはやはり納得がいかない

昭和の子供の話とヤングケアラー

2021-05-18 13:17:29 | 雑記
又、紫陽花の季節がやって来た、今年の梅雨はずいぶん早かった、




待ち遠しい梅雨明けだがここ数年猛暑が続く、早く入梅したぶん早く梅雨明けが来て延々と9月いっぱいの猛暑なんかはごめん被りたいがじめじめの長いのも嫌だしな、



これは欄の一種か、
「ヤングケアラー」中学生の約17人に1人 国 初の実態調査
中学生以下で家庭で家事や介護などを日常的に行っている子供たちをこういうらしい、
中には毎日4時間以上の家事等を行っている子供もいるらしい
遊ぶことはもとより勉強の時間すら削られる事が殆どだと言う
社会の格差が大きくかつ広範囲になっていると言う証左だろう、
義務教育時期に十分な教育を受けられなければ社会に出てからのハンディは更に格差の幅を広げてしまう
憲法に保障された「人は等しく幸福を追求する権利を有する」と言われても貧困は間違いなく「人は平等に生まれて」来ない、
ヤングケアラーと言われる子供達の多くは家事であり兄弟の世話が含まれている
年老いた親や曾祖父曾祖母の介護も増えているがこれが平均寿命が延びた弊害か、
昭和の時代、都会は知らないが田舎の農村ではこんな事は当たり前だった、
農繁期休みと言うものがあった、田植え休み、稲刈り休み、静岡では茶摘み休みもあって子供は当たり前に労働力だった、
農家では長男が全財産を相続し、下の兄弟はその労働力であり経済共同体になるか都会に出て別世帯をい営む、
相続法での相続者が均等に分けると言う事は農業の基本、スケールメリットと季節集中型の労働力形態には合わない、
一説に「たわけ者」は「田を分けることの愚かさ」を示していると言う様に「でんばた」は分ければ効率が落ちて衰退する、
税制も農地は相続税を課していないのもそういう理由によるのだろう、
小学校の頃から学校が終われば家事をするのは子供の役目で下の子供を見るのは当然だった、
これは昭和の漫画を見れば都会でも当たり前だった様だ、
家の事を全くしないで済む子供と言うのは殆ど居なかったし居たとしても稀有の存在で浮いた存在だった、
だが今の子供達の事となるとやはり「何処か社会の歪」の犠牲者と言う印象がある、
我々団塊の世代では農家の次男坊以下は集団就職で都会に押し出され金の卵と言われ、低劣な条件で働いてきた、
しかし頑張ればそれなりに生活は向上し、学歴は無くとも手に職をつけて独立して会社を興す人も多かった、
今の大田区や北区の工場地帯の工場主はそういう人たちが多い、
高度成長期と言う時代のおかげで真面目に地道に努力すれば地道ながら結果は得られる時代だった、
しかし、今では大学まででても正規就業者にもなれず、学歴と言うパスポートを手に入れるには相当な経済力が必要であり、パスポートの無い人は次のステージには乗る事すらできない、
そして「苦学」をする時間さえ家事介護に奪われてしまう
今流行語になっている「上級国民と下級国民」では90%の下級国民の資産と残りの上級国民の資産が同じだと言う、
しかし税金は個人単位で圧し掛かる、「割合だから同じ」ではない、年収が最低生活を維持できない人間にとってそこから10%と言う事は餓死すら意味する
ヤングケアラーの将来は「負のスパイラル」でしか彼等をケアする事は大切だがそれは対症療法でしかあるまい、
根本的に社会を見据えた国家を変革しなければ恐らく貧困のケアは鼬ごっこ、表面化する感に多くの犠牲を出し続ける、

単焦点のレンズを手に入れた

2021-05-16 12:22:14 | ぶらり
α6000の単焦点が安かったので手に入れてみた、
F1.2の70mm、フィルムカメラ35mmならポートレート用だがミラーレスだと標準扱いだった
明るいので今はやりのボケを楽しむレンズと言う事だが被写界深度を浅くすると眼鏡が合わないのでややピンが取れない
じつはデジカメの特徴を生かしてハイコントラストモノクロームで街の画像が欲しかったのだが横渚のどぶ板横丁はイメージが違った
JRの横須賀駅は軍港のめのまえだったのでそのまま桟橋に降りたら目の前にイージス艦が停泊していた
カメラの設定をしていたら同年配の男性が話しかけt来た、
イージス艦の艦名を教えてくれて更に「今日は珍しく4艦いるね」と言われて潜水艦の存在に初めて気が付いた
どうやら同好の士と思われたらしいが自分はあまり興味あない、モードを通常に戻してちょうど祭りをやっていた薔薇に向ける

港を背景に何枚か写す

黄色の柔らかそうな花に寄ってみた、ピントに自信が無いので絞りを22にしておく、因みにこのレンズはマニュアルフォーカスである

芝生広場を取り囲むように臙脂の薔薇が植わっている
翌々日会社に向かったらいつも通る路地に薄緑の薔薇がプランターに咲いていたので失敬して映してきた

此方も2枚はアウトフォーカスになったがこのカメラは基本的にAFなので近すぎたのかもしれない
横須賀で有ったご同輩と昨日帰宅時にバス停で話しかけて来たご同輩が奇しくも二人とも「私と同じようにもう働いていない年金生活ですよね」と言われたのだが
私の服装は作業着である、特に帰宅時ではバッグと買物荷物を持っていたのにも関わらず「いや働いていますよ」と言ったら少々不愉快そうな表情をされてしまった
まあ73歳にもなったが糖尿のおかげで体重も下げトレーニングで腹回りもそこそこ締めたがやはり歳は歳か、