こちらも伊賀上野城。桜、たくさんあって、これは ほとんど白に近い清楚な桜でしたね。 ↓
ある番組で、ふと、五木ひろしの『♪誰にも ふるさとが ある~♪』という歌を聴きました。とても良い歌だと思った。
ただ、「私のふるさとって、どこかしら…?」と思いました。
私は家の都合で、何度も引っ越した。
兵庫県の同じ市の中で、家族で何度も何度も。
自分の生まれた家を知らない。知っているのは「〇〇町の家」という名前だけ。
4~5番目あたりの家の光景は、記憶があるけど、おぼろげ。そのどちらなのかは…。
その後、父は奮闘してやっと家を建ててくれた。あこがれのマイホーム。
なのに、
父の転勤のため、それは2年で終わってしまった。
そして、東京の狭いアパートにひしめき合って暮らすことになりました。
10代の多感な時代、8年間。それぞれの敷布団の端を重ねないと敷けなかった。
そんな生活でしたが、母は生活力を発揮し、工夫を重ねてくれました。
たった2つの部屋を、少しでも広く使おうと、家具を移動して何度も模様替え。
部屋の上部。天井までの空間に棚をぐるりと取り付けて、ギッシリと物を納め、目隠しにきれいなカーテンを下げた。(全てミシンで縫って)
ある夏には、猫の額ほどの庭にテーブルを出し、蚊帳を吊って、勉強できるようにしてくれましたね。
私のふるさとって、どこ??って時々思うんですが、
母は、私たち子どものことを愛してくれて、今いる ‘ここ’ を 心のふるさとにしようと努力してくれたのかな、って思ったりします。
いや、それとも単に、好きで 趣味的なものだったかも?
その後、横浜に越して、子どもたちは それぞれ独立。
母を見送って この家を見渡すと 随所に、母らしいチョットした工夫が見られるんです――。
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