michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

私のふるさとって、どこ?

2024-05-06 15:21:14 | つぶやき

こちらも伊賀上野城。桜、たくさんあって、これは ほとんど白に近い清楚な桜でしたね。 ↓

 

ある番組で、ふと、五木ひろしの『♪誰にも ふるさとが ある~♪』という歌を聴きました。とても良い歌だと思った。

ただ、「私のふるさとって、どこかしら…?」と思いました。

 

私は家の都合で、何度も引っ越した。

兵庫県の同じ市の中で、家族で何度も何度も。

自分の生まれた家を知らない。知っているのは「〇〇町の家」という名前だけ。

4~5番目あたりの家の光景は、記憶があるけど、おぼろげ。そのどちらなのかは…。

 

その後、父は奮闘してやっと家を建ててくれた。あこがれのマイホーム。

なのに、

父の転勤のため、それは2年で終わってしまった。

そして、東京の狭いアパートにひしめき合って暮らすことになりました。

 

10代の多感な時代、8年間。それぞれの敷布団の端を重ねないと敷けなかった。

そんな生活でしたが、母は生活力を発揮し、工夫を重ねてくれました。

たった2つの部屋を、少しでも広く使おうと、家具を移動して何度も模様替え。

部屋の上部。天井までの空間に棚をぐるりと取り付けて、ギッシリと物を納め、目隠しにきれいなカーテンを下げた。(全てミシンで縫って)

ある夏には、猫の額ほどの庭にテーブルを出し、蚊帳を吊って、勉強できるようにしてくれましたね。

 

私のふるさとって、どこ??って時々思うんですが、

母は、私たち子どものことを愛してくれて、今いる ‘ここ’ を 心のふるさとにしようと努力してくれたのかな、って思ったりします。

いや、それとも単に、好きで 趣味的なものだったかも?

 

その後、横浜に越して、子どもたちは それぞれ独立。

母を見送って この家を見渡すと 随所に、母らしいチョットした工夫が見られるんです――。

 

 

 

 

 


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