富樫雅彦per氏の訃報が届いた。67歳、早過ぎる天才の訃報。
「あなたはどんな音楽をやっているの?」初めて富樫さんのお宅にお邪魔したときに言われた言葉。
「はい、ビーバップなどを勉強しています。」緊張しながら答えると
「何故今頃ビーバップなの?俺たちの時代はビーバップは新しい音楽だった。だからこそみんな必死に勉強して追いかけたんだよ。ジャズって常に新しい事をやるものなのだから・・・。」
「・・・・。」
そのときはまだ私は若干24歳。彼の言葉がなければ今のような形で演奏していなかったに違いない。当時、富樫さんは増上寺の地下コンサートでスティーブ・レイシーや林栄一、高柳g氏らと毎月のようにフリーデュオ・ライブを行っていた。
「フリースタイルで演奏するとき、なにか決めごとはあるのですか?」
まだまだ駆け出しの私は素朴な疑問を投げかけた。嫌な顔ひとつせず「そうだね、あるとすれば時計を見る事くらいかな。」
何時に終わろう、という決まりだけ作って演奏していたのだ。
「自分のやりたい音楽って一体何だろう?」それ以後、自問自答の日々が続いた。オリジナルも沢山手がけるようになった。人の真似をしたって世界の音楽家たちと出会えないぞ。ヨーロッパのミュージシャン達と出会い、招待されたのもフリー音楽を演奏するようになったお陰だ。
「悲しい事があったってニコニコしながらドラムを叩く。それが突然嫌になっちゃったんだよ。その点、フリーは気持ちのままに表現できるでしょ。」
彼の言葉をいつも思い出し、私も自分に正直に音楽と向かい合って行こうと思う。天国でスティーブ・レイシーと再会しているのかしらん。心からご冥福をお祈りいたします。
「あなたはどんな音楽をやっているの?」初めて富樫さんのお宅にお邪魔したときに言われた言葉。
「はい、ビーバップなどを勉強しています。」緊張しながら答えると
「何故今頃ビーバップなの?俺たちの時代はビーバップは新しい音楽だった。だからこそみんな必死に勉強して追いかけたんだよ。ジャズって常に新しい事をやるものなのだから・・・。」
「・・・・。」
そのときはまだ私は若干24歳。彼の言葉がなければ今のような形で演奏していなかったに違いない。当時、富樫さんは増上寺の地下コンサートでスティーブ・レイシーや林栄一、高柳g氏らと毎月のようにフリーデュオ・ライブを行っていた。
「フリースタイルで演奏するとき、なにか決めごとはあるのですか?」
まだまだ駆け出しの私は素朴な疑問を投げかけた。嫌な顔ひとつせず「そうだね、あるとすれば時計を見る事くらいかな。」
何時に終わろう、という決まりだけ作って演奏していたのだ。
「自分のやりたい音楽って一体何だろう?」それ以後、自問自答の日々が続いた。オリジナルも沢山手がけるようになった。人の真似をしたって世界の音楽家たちと出会えないぞ。ヨーロッパのミュージシャン達と出会い、招待されたのもフリー音楽を演奏するようになったお陰だ。
「悲しい事があったってニコニコしながらドラムを叩く。それが突然嫌になっちゃったんだよ。その点、フリーは気持ちのままに表現できるでしょ。」
彼の言葉をいつも思い出し、私も自分に正直に音楽と向かい合って行こうと思う。天国でスティーブ・レイシーと再会しているのかしらん。心からご冥福をお祈りいたします。