minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

Wood stock / ミルロード編

2009年09月18日 | 
昼近くまでよく眠った。「そろそろ起きたら?」マサさんと朝から釣りに出かけ戻ってきた利樹に起こされる。成果は1ヒットだったらしいけど・・・。そして息子はマサさんが思いのほか強いので将棋にはまっている。負けたのが相当悔しいのだろう。



昨日のバーベキューの残りや魚の残りを薫製にしたものをちゃちゃっと料理し、みそ汁、ごはん。ありがたや~。食後、みんなでグランドゴルフへ車で向かう。ところが・・・Sorry, We are closed.という看板。平日で夏休みも終わったので閉めてるんだ。残念、一生に一度くらいゴルフコースを回ってみたかったナ。

いよいよ、今度はもう一人の友人Yちゃんの別荘へ移動。みんなWood stock にも別荘を持っていていいな~。貧乏ミュージシャンには一生無理かな?マドンナくらい売れれば、世界中に別荘を持てるのになあ。果てしない妄想・・・。



夕暮れが美しい。Yちゃんの家はマンハッタン寄りのWood stockにある。小高い丘がゴルフコースのように芝が敷き詰められ、なんだ、ここにさっさと来ていればゴルフもできたのにw、と後悔。小さなお城のようなところだ。

アメリカンな(というかウェスタン?)バルコニーでYちゃんが待っていた。きゃあ、久しぶり~~。やっと来れたね!と再会を喜び合う。ドアを開けるといきなり食卓の横には録音マイク、ギター、ピアノ、とスタジオが台所の手前にで~んと構えている。トマスの形見のコンガが2本。スタンウェイのアップライトホンキートンク。

13年前に彼女たちの家がまだミッドタウンにあった頃、お世話になって[Double Rainbow]を制作した。あのときも、Yちゃんの家が体育館のように広い家で、そこでリハーサルをさせてもらったなあ。その時パネ君が弾いたピアノだ・・・。

オーブン兼用の暖炉で火が焚かれ、その中にフィレ肉を突っ込んでジュウジュウ。暖炉でバーベキューは初めてだったけど、めちゃめちゃ美味しい~~~。幸せ~~~。舌鼓をうち、外を見ると・・・満天の星空。これよ、これよ。私はこれを望んでいたのよ~~~とみんなで芝生まで行き、宝石をちりばめたような空を見上げる。天の川の美しさに見とれつつ、流れ星を1つ見つけて大満足。Yちゃん、本当にパラダイスだね。



Wood stock / キャッツキル編

2009年09月18日 | 
我が家には20年前に遊んだWoodstockの写真が大事にとってある。男たち3人がお尻丸出しで川へ降りて行くところの写真。そして震えて石の上にいるもの、足だけ水に入れてひえっとなっているもの、氷水の中で泳ぐもの。ここに写真を載せられないのが残念だ。映倫のせいで(嘘)。満点の星空の中、広大なキャッツキルでのワイルドキャンプだったけど、一生忘れられない素晴らしい想い出。



チャイナタウンで鶏をまるごと1羽(もちろん羽はない)買い込んで、鍋に水を入れてぐつぐつと4、5時間煮込む。塩だけで食べるのだが、これが最高に美味しかった。流れ星も雨のように降って来た。ああ、もう一度ここに来たい!!

20年経ったのに、ちっとも昔と変わらぬ童心を持つ、漂流画家マサさん。彼は遂にここに別荘を買ってしまった。5年前。しかし今は訳あって売りに出している・・・


リス、超可愛い!

「もう次に来た頃にはこの家は売っちゃってますから、最後に遊びに行きましょうよ。」

自然が大好きな息子は大喜び。まささんの友人が車を貸してくれて、朝9時にマンハっタンを後にした。

落ち葉拾いをしながら三角ベースで遊び、途中の農家で買ったトマトと野生クレソン、ブルーチーズのパスタを作って軽く昼食。さあ、火の準備にとりかかろう!

火が最高潮に達した頃、バーベキューが始まった。あたりはもう暗くなってきた。

途中の高速から見る景色があまりに広大で鹿、りすも見つけて「凄い、凄い」と感動していた息子が
マサさんの別荘に到着して川べりでたき火を始めた途端、

「なんだか、尾瀬にいるみたい。」
息子の中で大好きな「尾瀬=Wood stock」になった。そっか、尾瀬は日本のウッドストックだったのか。黄色と青と白の犬のような顔をしたタンクローリーが時々通らなければねw。

大きな大きなハマグリ、肉、かます、とうもろこし、さきほど採りに行った大量のクレソンをニンニクと塩で炒めたもの、おにぎり・・・みんなみんなチャイナタウンでまささんが買って来てくれたのだ。私たちの為に。ワイルドなマサさんがとっても格好よかった。



『友達って本当に宝物だよね。私たちが残してあげられるものは、素敵な友人たちを紹介してあげる事だけだけど。」とつぶやくと深く深くうなずく息子であった・・・。


スーパーパラダイス!

2009年09月15日 | 家族の日常
朝から天気が良く、ついふらふらと散歩に出かけた。あ、こんなところにスーパーマーケット!どれどれ、どのくらいの物価かな?などとつい普段の主婦の癖でスーパーの鮮度、品揃え、値段をチェックしてしまう。私にとって、スーパーマーケットは子供にとってのトイザラスやディズニーランドのように魅惑的なワンダーランドなのだ!New Yorkに限らず、徳山でも、愛知でも、そう言えば、韓国でも大型スーパーに行きまくったなあ。

到着した日にお米を買いに、チャイナタウンの中国人スーパーへ行き、チーズとハムを求めリトルイタリーの小さなスーパーに行き、St.Marks マーケっトを見つけ、さらにMちゃんから教えてもらった日本食が充実したスーパーにも行った。私の散歩は・・・ただのスーパーめぐりじゃん。スーパー評論家と喚んで欲しい(嘘)。

といってもE10th streetよりアップタウンにはまだ行ってないのだけど、物価はダウンタウンに行くほど安い感じ。日本食はだいたい日本の3倍。100円ショップで売っているようなものとか、納豆が3パックで$3.99くらいだから、普段3パック78円で買う主婦には「ひえ~、高っ!!」と思ってしまうが、帰りのエレベーターで一緒になった親子が「金のくちばしが出るかな~?」とチョコボールを大切に開けて、5歳くらいの男の子が口の中にポンと放り込んでお母さんも!ってやっている姿を見て「ああ、親子でほんの少しの贅沢を楽しんでいるんだなあ。」とほのぼのした気分になった・・・。

そんなスーパー評論家が見つけた、素敵なスーパーがハウストンストリートと1stAve.の交差する角に!!垢抜けた店内、新鮮な野菜。ちょっと紀伊国屋のように値段は安くはないけど、これでもか!という品揃え。嬉しくて目の前がくらくらしてきた。本当はSOHOまで足を運ぶつもりがこのスーパーで釘付け。ワンダーランドに迷い込んだかの如く、あっという間に時間が過ぎて行く・・・。



これ全部塩!あまりに嬉しくて写真撮ってたら量り売りのギリシャ系の兄ちゃんに「写真だめ!」と注意された・・・とほほ(恥)。

チーズ好きの息子の為に、いろいろなチーズが小さく量り売りされていて、いろいろ選んだり、塩フェチの私としては気が変になるくらい、塩コーナーが充実。チベットの塩、ギリシャ、イタリア、フランス、黒海、と世界の天然塩が量り売り。あああああ。

ピーナッツのロースト、シュガーがまぶされたロースト、塩入りアーモンド、塩なしオイル付けアーモンドとずらっと並んでいて(下写真)、機械のスイッチを押すとそれらがペーストになり、好きなだけプラスチック容器に詰め込む。きゃああ、楽し~。

フレッシュピーナッツバターがドロドロッと出て来る。


息子の迎えの時間が来たので慌てて外へ出て、SOHOはあきらめ家へ戻る事に。東京なら絶対歩かない距離をマンハッタンだとついつい歩いてしまうから不思議。でもおかしいな、なんだか懐かしい匂いが・・・。あれ、急に中国人街になってきたぞ?と思ったら、昔住んでいた「Eldridge St.」じゃん!!あれ、あっちにはキャナル・ストリートが!!!

方向をすっかり逆に来てしまい慌てて戻る。余計にまたまた歩かされ、足が棒になってきた。それでもスーパー巡りは楽しいからやめられまへんわ。


NY 時そば事件

2009年09月14日 | 
アメリカの紙幣はご存知のように同じ大きさ、同じ色、似たようなデザインで1ドル,5ドル,10ドル,20ドル、100ドルってあるから本当に解りにくい。

昔、利樹がチャイナタウンで雨が降って来て1ドルの折りたたみ傘を路上で売っている兄ちゃんから買った・・・。5分くらい歩いて財布を見ると、なけなしの100ドル札がなくなっている。あ、1ドルと100ドルを間違えて渡してしまった!!と気がついて傘売りのお兄ちゃんのところへ戻ると・・・跡形もなく、お兄ちゃんはドロン。1日分の稼ぎ以上をゲットしちゃったんだもの、店じまいは当たり前か。泣く泣くあきらめた事があった。

昨日も近所のデリに行くと、インド系のお兄ちゃんがレジにいた。

「オレンジジュースいくら?」
「5ドル」
「え~、高いなあ。どうしよう。」
「25セントおまけしてやるよ。」
「じゃあ、買おうかなあ。」

財布から20ドル札を出したつもりだった。兄ちゃんはお札をさっと取り上げ、レジから釣り銭$15,75を渡して来た。なんか、あってるのかな~?とぼーっとお金を見てお兄ちゃんの顔を見ると、お兄ちゃんは
「Oh,sorry,sorry.」
と言いながら$20札を2枚さらにくれた。そう、私の渡したのは$50だったのだ。ったく、油断もすきもあったもんじゃない。気がつかなければそのままぼったくろうとしたな!!ごまかそうとして、隣にいた可愛いサクラちゃんに「可愛いね~。」なんて話しかけているぜ!ぷんぷん(怒)。

なんだかな~、と憤然としながら店を出てよく考えてみると・・・どうやら私ったら$10も多く貰って来ていた。ぼったくったのは私だった・・・(汗)。計算が弱いといろんな事が起こる・・・[New York デリ/時そば事件]。くれぐれもご注意を!(って私に?)


This is New York!!!

2009年09月14日 | 
ほとんど2,3時間眠ったくらいでぼーっとした頭をなんとかせねば、とシャワーを浴びる。あ~あ、今日はやっとよい天気になったのに、一日中家で約束が・・・(涙)。

フェローンと史朗くんとのリハーサル。フェロちゃんちゃんと時間通りに来るかなあ?不安がよぎったがなんとほぼ時間通り。史朗君もグッドタイミングで現れ、さっそく音合わせ。1曲終わると「パチパチパチ」と窓の外から拍手が・・・・。

「Wow! This is New York!!!」

このアパートはコインランドリー店の隣。私たちの部屋はストリートに面した1階だから、ストリートを歩く人たち、立ち止まって携帯で話しだす人の声がまるでテレビのスイッチが入っているのか?と勘違いしてしまうほどよく聴こえて来る。当然私たちの音も丸聞こえなんだろうなあ。文句も出ずに拍手してくれる通行人、やはり楽しい街だ。



夕方はニュージャージーからわざわざ私たちを食事に誘ってくれた、ボーカルのMIYUKI's Familyとセントマークスにあるビビンバのお店へ。すっかり美味しくご馳走になりましたああああ。

今日はみんなにご馳走になってばかりの一日。ああああ、幸せ~~~。そして明日からいよいよ息子も到着するのだ。パルピタンテ~~~!!!


興奮さめやらず・・・

2009年09月13日 | 
窓の外はうっすらと明るい。すでに朝の7時半になろうとしているのにまだ眠れない・・・・・。

The Stoneのライブは大盛況でした。ステージの後ろにも椅子が並び、前後から聴かれるというすごい状況(嬉し涙)。ドラムのSteveご夫妻、Nick、マサさん、etc..友人たちとの再会。美人コーディネーター(キュレータと喚ぶそうですが)の、ののチャン本当にお疲れさま、そしてありがとう!

お陰で、萎れかけていたミュージシャン魂にまたまた火がつきましたw。17年前にライブハウスで、セントラルパークで地下鉄で演奏した時の興奮がまた蘇る。音楽の原点に戻れる、そんなライブだった。

また、この日の為に(定村さんのバイオリン用に)用意したトシキのオリジナルがうまくいったので本人も大満足。「このトリオの為に書いてよかった~。」たった一度のリハーサルだったのに、流石だなあ。あ、ちなみにこのトリオ、10月に国立No Trunksでもやりますので興味ある方はぜひいらしてくださいね。

やっぱりNYは刺激的な場所。演奏したらそれだけ面白い反応が沢山返ってくる。真剣に聴いてくれているのがこちらにもびんびん伝わってきて本当に心地いい。

「トーキョーノPit Innでも2回聴イタコトアリマス。コノマエモサンジャックで梅津サントヤッテマシタネ。」という、日本ジャズ通のアメリカ人。アケタとかDOLPHYとかにもよく行くらしい。ひえ~、お金持ちジャズファンにはとうてい見えなかったけど、何者だろう???

「3ヶ月前にNYに住みだしたんですが、それからほぼ毎日2本ライブ観て来たけど、今日が一番素晴らしいライブでした。」
って言いに来てくれた日本人ドラマーの優しい一言に感動。

スペイン系の美人お姉ちゃんたちも大喜び。あ~、お客さんが沢山聴きに来て下さるって本当にありがたい事だなあ。エネルギーをありがとう!!アンコールではののちゃんにお礼を込めて「白夜」を演奏。

スティーブたちと

終了後は、長年の友人、画家のまささんと東京のMAUのライブに良く来てくれていたドラマーの卵の貝ちゃんとチャイナタウンへ繰り出す。すでに夜中の1時を回っていたけど、みんなで真夜中のお散歩。「ここは刑事コジャックのいたところ、ここは新しい美術館、ここは中国人が集う公園、そしてここがツインタワーに飛行機が突っ込んだ時の映像で有名な郵便局・・・」

そう、マサさんの家からはツインタワーは目と鼻の先。あの事件のときに真っ先に心配になってマサさんに電話したのだった。
「あのときはあまりに近過ぎてよくわからなかったんですよ。日本から沢山電話がかかってきて、そっちの情報のほうが詳しかったりしてね(苦笑)。」大変だったんだろうなあ。マサさんは多くを語らないけど。

NYに30年以上住んでいる、主のようなマサさんにキャナルで一番安くて美味しい中華に連れて行ってもらって乾杯。たらふく食べて一人8ドルなり。

「凄い、これからマサさんの事はキャナラー、って呼ばせていただきます。」
「なんですか、それ?」
「え、キャナルストリートに詳しい人の事。NYではそう喚ばないの?」
「聴いた事ないよ~、チャイナタウナーとかねw。あっはっは。」

さらにマサさんの家へ。アパートの急な階段を3階まで上ってドアを開けるといきなり絵の具と猫のにおい。ああ、懐かしいなあ。青春が蘇ったような、Happyな気分で話し込んでしまったら、朝になっていた。ああ、眠らなくちゃ、明日もハードな一日になりそうな予感・・・・。


枝雀さんではありませんw

霧雨のマンハッタン

2009年09月12日 | 
昨日は夜の10時にふらふらになってベッドインしたのだが、やはり3時,6時、と目を覚ます。

今日は9/11の日だから、テレビをつけてみたがあまりに早すぎて(!)それらしきニュースもやっていない。黙祷を勝手にして、また寝る。ちょうど寝ている間にテレビでもいろんな関連のニュースなどが流れていたそうだけど・・・全く気がつかなかった。

眠る為には本が必要な私。すでにもう1冊読んでしまったので、3冊持って来ただけじゃ足りなかったなあ。と思っていたら利樹がiphoneにお笑いラジオ番組をダウンロードしてきて、落語、爆笑問題、くりーむしちゅーのトークなどをアパートでかけるもんだから、ここはどこ?日本かしらん?ってなかんじでうつらうつらと子守唄代わりに太田光の声を聞きながらまた9時まで一眠り。朝10時に息子とSkypeで話をする。その後、友人たちからもWelcome to New York!!とSkypeやメールでメッセージが届きご挨拶。無料テレビ電話なんて・・・本当に便利になったなあ。

気がつくと外は霧雨。昼食と買い出しのためにチャイナタウンまで散歩。雨が降っても時々吹くビル風が強くて傘がなんにも意味ないな~、と飛ばされそうになりながら必死に歩いていると、すれ違うニューヨーカーたちはほとんど傘も持たずに歩いているではないか。濡れてもへっちゃらなのか???

「髪の毛の質が日本人とは違うんですよ。彼らはずぶぬれでも部屋に入ってぶるぶるってやるとすぐ乾いちゃうんだから。」って本当か?まるで犬じゃんw。

ああ、懐かしのCanal Street (チャイナタウン)。この近くのロウアーイースト/Eldridge st.に3ヶ月住んだ事もあり、その頃行きつけだった大好きなベトナム料理やへと向かったが・・・・あれれ?おかしいなあ、この辺だったけど・・・。チャイナタウンがすっかり様変わりしている。

昔は中国人たちのお惣菜や中華まんじゅうの屋台で溢れかえっていた道路がなんだかすっきりしている。どこまで増殖するのだろうか?と不気味でもあった、中国系の魚屋とか中華料理店の数も激減。それに反し、中華街に押され気味だったリトルイタリーがところ狭しと屋台のオンパレード。なんだかお祭り状態になっていた。10年経つとこんなにも変わるのか。しかも私の大好きな10ドルあればたらふく食べられる美味しいベトナム料理店も跡形もなかった・・・(涙)。

リトルイタリーの活気ある屋台、ソーセージが美味しそう!

アパートに戻って、隣のコインランドリーで洗濯ものを機械に放り込んでいると、バイオリンの定村君が「さちさ~ん!」ってやってきた。わ~、いらっしゃい、久しぶり!!!と再会を抱擁しながら喜び合いたかったのに、私ったらただの洗濯女・・・格好悪~~。

それにしてもNew Yorkのアパートの住民はみんな音楽に大して大らかだなあ。3人で3時間みっちりリハーサルをしても何にも苦情がこなかったもの。もちろん、私の音量はとても控えめでしたけどw。



8時から明日私たちの演奏する「The Stone」でネッド(私に循環呼吸を教えてくれた師匠)たちのライブがあるので、下見に行く事に。

Stoneの入り口で

ここに文字が書いてあるだけ!!

The Stoneはジョン・ゾーンのお店でNew Yorkで一番ハードコアなジャズをやる店。昔Knitting Factoryという店がジャズの先端を行く店だったのだが、今は若者向けの売れ線路線に変わってしまい、この店がNew Yorkのアバンギャルドシーンを背負っているかのような場所になっているようだ。知る人ぞ知る。だって、店の前に看板もなにもなく、ドアにちっちゃく[the stone]って書いてあるだけ。それなのに入り口のドアを押すと満員。店内は酒も食事もなく熱心な音楽ファンたちが真剣なまなざしで食い入るようにネッドたち(今日はイクエ・モリさんとチェロの白人青年とのトリオだった)の演奏を見つめていた。恐るべし、New Yorkのジャズファン。隣でJet Rugのせいで利樹は爆睡していたけどw。

明日もこのくらいお客様が入ってくれれば嬉しいなあ・・・アウェイな私たちがどれだけコアなファンに受け入れてもらえるのか、不安と期待でいっぱいになる。神様~~~、お願いだからお客様が沢山入りますように!!!と祈らずにはいられないDeepなDeepな霧雨のマンハッタン/ 2日目でありました。

ネッド・ローゼンバーグ(horn)と

睡魔と戦いながら・・・

2009年09月11日 | 
あれれ?成田ってこんなに荷物チェックが甘かったっけ?前は預ける荷物にも検査が必要だったような???今回は何もチェックされず、しかも超過料金すらとられずにすんなりと通れ超ラッキー。誰だ?昨年から1人あたりの荷物重量制限が23kになりましたって言った奴は?(旅行代理店のお兄ちゃんだった。)

さて、12時間のフライト。飛行機の中は退屈で退屈で・・・ああああああ、ならね~や~、と「あくび指南」の若旦那のようにあくびばかりしていた。なのに冷房が効きすぎて寒くて眠れやしない。映画は面白そうなものがひとつもない上に英語,ドイツ語,フランス語ときた日にゃあ観る気もしない。ネット麻雀があればなあ・・・。仕方ないので持参したたかのてるこ氏の「淀川でバタフライ」を一冊まるまる読んでしまった。フィリピン人の賢そうな男の子が静かに眠っている隣で、電気つけて本読んでくすくす笑ったり、ゲームをやっている私って・・・(反省)。

しかし、たかのてるこさんって私と同じにおいがする、と思っていたら・・・エスカレーターとエレベータの区別がつかず、階段のやつ、と言ってみたり、東西がわからずに毎回天才バカボンの「西から上ったお日様が 東へしず~む~」という歌を歌って逆さまだから・・・と確認するところなんぞ、全く私と同じじゃん。同じような人間がこの世の中には沢山いるんだなあ。(って2人しかまだ知らないが)。この人「たいふういっか」って台風ファミリーの事だと思っていた・・・って違ったのね~~~(汗)???何年も生き恥さらし続けて来たんだと思うと嫌になる。

JFKに着陸した頃からトイレに行きたいムードだったのだが「シートベルトをまだそのまましていてください。」と厳しいスッチーのチェックで行きそびれ、入国審査がやっと終わって荷物受け取り場所へ行ったら、カートが5ドルもするのオ???なんて驚いているうちに、さっさと飛行場カート担当係の空港職員(黒人)のおっちゃんが「これに荷物を全部のっけな。そして俺についてこい。」とさっさと荷物をカートに入れてタクシー乗り場まで持って行ってしまう。5ドルを彼に渡し、次はタクシー乗り場。あれよ、あれよ、という間に「荷物多いからミニバンサイズがいいね。」と親切な係員のお兄ちゃんがミニバンを止めて荷物を積み込んでくれちゃった。

おおお、なんて素早いんだ。黒人のタクシーの運ちゃんも一刻を争うがごとく「Where?Where?」と聞いてくる。なんてせっかちな奴らだろう、と日本ではせっかちの代表のような私もびっくり。そしてゴーカートのように、渋滞の中を縫うように走るイエローキャブ。その間中ずっと誰かと携帯で話している。その間もずっとトイレを我慢しながら冷や汗たらたら・・・気持ちも悪くなってきた。ビニール袋持ってくるんだったなあ・・・。

「飛行場に到着したらアパートの鍵もって行きますからお電話くださいね。」と言われていたアパートオーナーにも電話かける暇もなく・・・。利樹は「電話借りるのに、コンビニに寄ってもらおうか?」ってここはハイウェイだし、それは無理ってもんでしょう。

「Excuse me? あなたのその携帯貸してくれません?アパートのオーナーに電話しなくちゃならないの。だめかしら?」

とせっぱつまった声で言うと黒人運ちゃんは「ああ、いいよ。」とあっさり貸してくれた。めちゃめちゃな英語もしっかり通じたのね。なんだかたかのさんの本読んだあとなので、すっかり彼女のパワーが乗り移っちゃったようだ(苦笑)。利樹は隣でただただ呆気にとられていたけど。もちろん、運ちゃんにはよけいにチップをはずみました。

アパートも天井が高くて台所までついていて、しかも隣にはコインランドリー。なんて便利な場所なんだ!!家の目の前がゴミ箱のせいか、茶羽ゴキブリも沢山でてきそうだけど(すでに2匹殺した)それ以外は文句なしの住処ですw。


ああ、眠いよ~。でも今寝るとサイクルがめちゃくちゃになるし、ダンキンドーナツでも食べて起きていよう。襲いかかる睡魔と戦いながらNY初日の夜は更けて行くのであります。
いきなり美しいマンハっタンの夕焼けがお出迎え。

フリージャズの巨匠たち

2009年09月08日 | ライブとミュージシャンたち
NY行きの準備が遅々としてはかどらない。あれもこれも行ったらこうする、という希望も山のようにあるのだが・・・。

そんな中、ラシッド・アリdrさんが先月亡くなったという。全然知らなかったなあ。とても残念・・・。

一緒に[You don't know what love is]をNYの小さなカフェで演奏した時の事は今でも鮮明に覚えている。(上記写真)テーマを吹き出した途端、後ろからジャーンってシンバルで私を包むように叩きだしたラシッド・・・。ぞくぞくぞく~~~って嬉しくて背筋に震えが来た、あの感動は忘れられない。とても優しい方だった。心からご冥福をお祈りします。

そして、もう一つ悲しい知らせが。Billy Bangさんがのどと肺の癌で非常によくない状態だそうだ。何年か前に来日したときに共演させて頂いたのだが、とても優しく楽しいおじさんだった。お茶目な人柄そのままの彼のオリジナルを沢山演奏させてもらった。

リハーサルで「ピッチは442にしてください。」って言ったら「おお、俺にピッチを指定したのはお前だけだ!(笑)」って言いながらちゃんと442にしてくれたっけ。Billyさん、早く元気になってまた素敵な曲を一緒に演奏させてください。


いよっ半世紀!

2009年09月06日 | ライブとミュージシャンたち
とうとう半世紀という大台にのった永田利樹、昨日は沢山の出演者の方々、そしてお祝いに駆けつけて下さった皆様に本当に感謝いたします。楽しかった~~~。本人も大役を果たし、大満足の一夜でした(写真でもわかるように、かなり泥酔状態)。

Photo by津田

「五目ごはんのような美味しいライブをありがとう。」

そんなファンからの声も届いておりますが、なんといっても4人のウッドベースという演奏はなかなか見れません。ほとんどぶっつけ本番だったにも関わらず、永田利樹の難しい曲を一生懸命演奏したベーシストたちに感動。ウッドベースという扱いつらい楽器をよくあそこまで・・・。

息子にとってもアドリブをとるのが生まれて初めて。しかもノンブレスでエンディングという荒技を披露。観客が一瞬し~~~~ん。あれ?ここでもう少し湧いてくれるはずだったのにw。みんな『何がおこったのかな?ダイジョウブ?』と心配になったようです。まだまだ修行中ですがこれからも暖かく見守ってやってくださいませ。

最後にNaked Mauでギニアから戻った高木&ミカちゃんと一緒に怒濤のリズムの中でべろべろの永田利樹と私が暴れ回る。いやあ、リズムって面白いですね。最後に私もサンバンをたたかせていただきました。ギニア恐るべし。


そのままKPTMちゃんと生徒たちが我が家へなだれ込み、朝までサッカーゲーム&麻雀大会。ふうううう。息子がボロ勝ち。そのままほとんど寝ないで日曜だというのに部活動へ行った息子。偉いぞ。それでこそ真の高校生だ!?

本澤as4
チェロテロ
R太、今年も司会&歌をありがとう!