ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

10月の県教研大会 授業者からのレポートです

2013-12-02 12:38:16 | 対話型鑑賞
10月25日に島根県教育研究大会 浜田大会が開催されました。その報告を以前に行いましたが、会員である授業者からの報告を掲載します。
「美術通信」という通信を生徒向けに発信してされているようで、授業後の思いが綴られています。生徒の感想も載せられているので、そのまま掲載します。

美術科通信                  H25.10

3-1の皆さんありがとう!!
 10月25日金曜日の研究発表会ではお疲れ様でした。私もとても緊張していましたが、皆さんとO先生のおかげさまで、素晴らしい授業になりました。
 この発表は、私が一中へきたときから私に課せられた使命でした。しかし、研究会のための授業はしたくないと思っていました。みんなのためにできることをやればよいと思っていました。正直、あなたたちが自分の一年後がみえなくていい加減な生活を過ごした頃は、どうしたら美術の授業が楽しくなるだろうかと悩んだ時期もありました。ですが、美術の授業を他の学年でする気持ちは全くありませんでした。あなたたちの「友達思いの優しさ」「失敗してもきちんと話を聴く素直さ」「豊かな感じる力」を信じていたからです。 そして、当日も期待通りの素晴らしい姿を見せてくれました。
◎じっくり作品を見て意見を付箋紙に書く姿。
 たくさんの先生方が、「いろいろ感じてそれを意見としてたくさん書けますね。」と褒めてくださいました。体調が悪くなった人もいましたが最後までよく授業に参加しました。
◎全体で集まった時、すばやく移動できました。
 みんなのやる気が伝わってきました。素晴らしくて、心の中で感謝していました。
◎全体で話合いをしたときに、友達の意見をよく聴いていました。
 友達の意見から、「それについてどう思う?」「付け加えなどありませんか?」友達の意見を聴かなければ答えられないこともしっかり考え答えてくれました。友達を大切にしている姿をみてもらうことができました。
◎疑問に思っていたことを、そのままにせず出してくれました。
 後半、M君が「(立っている人の)目がおかしい。(不自然だ)」と言ってくれたおかげで、もう一度立つ人の表情について考えることができました。彼は、7月の授業(クリスティーナの世界)の時も、「足が痛いと言っとる。」とつぶやいていました。素晴らしい感性をしています。彼の発言で、この作者の思いへもう一度みんなが深く気持ちを寄せることができました。そこからがすごかったです。「悲しい表情」「戦争の跡から失ったものが大きくて悲しい」「戦争で物も家族も失って何かを求めている」「ふるさとの田舎を出発するからふるさとを眺めている」「戦争の爪あとが残る中、平和を求めている」この最後には、余りにすごくてどう言ってよいのか言葉を探しきれませんでした。この時に、みんなのすばらしさを素直に褒めればよかったと後悔しています。
 たくさんの先生方が、どの生徒も一生けんめいがんばっていましたね。素晴らしい生徒さんがたくさんですね。美術で最も大事な感性を見失っていませんね。と褒めてくださいました。
 私も、たくさんの作品を皆さんと観て(心で観ようとすること)きてよかったと思いました。そして、あなたたち自身、一つの作品でいろいろなメッセージを感じ、読み取る力を育ててきたということです。あなたたちの感じ読み取ったことは、自分の心をゆり動かす力となります。そして、その意見を発言することは、社会をよりよく変えていく力になるのです。
 だから、美術や音楽(芸術)は必要なのです。政治や宗教とは違った視点で、一個人が社会への提言をしているのです。私たちは、そんな力を9年間の義務教育で育ててきたのです。 
 私にとっても、たくさんのことを学ばせてもらいました。みんなとあと半年一緒に学んでいきますが、一生忘れることのない3年間です。
 みなさん、O先生、本当に、たくさんのエネルギーと思いやりをありがとう。

『立てる像』1942年 作者 松本俊介 をみんなで観て・・・。
(表記は生徒の記述のままを掲載しています。)
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○戦争の後で、何もなくなった。途方にくれている自分。足下の地面を暗くして、戦争の爆弾で焦げた感を出した。木が枯れていたり、地面に赤いところがあったり、汚れていたりするから、結構大きな戦争があったんだと思う。『戦争の跡』

○自分の心の中を表している。周りのはい景がくらくて薄汚れているのは、戦争で追った心の傷を表していて、遠くを見つめているのは、戦争で家族を失い、その家族のことを思い出しているから。作者は、家族がいないさみしさをこの自画像に描いた。天国にいる家族にがんばるよと言う思いを込めて描いた。

○戦後の昭和で家族を亡くして、お金もない田舎の男の子が道路に立っている。お金がないため靴もなく寒い季節の中、サンダルを履いている。制服を着ているので、だいたい高校生ぐらいではないかと思う。この少年は、家族を亡くして、一人で生きていくしかなくてとても悲しくて、さみしいのではないか。

○悲しい自分 高校を卒業して、どこかえたびたつから思い出の街での写真をとった。

○戦争で焼けて変わってしまって自分の街を眺め、喪失感にひたっている。自分の姿を描こうとしたのではないか。また、この人はもうすぐ学校を卒業するか何かで自分の街を離れるのではないかと思う。だから、変わってしまった街をみて、明るかった頃の街の雰囲気を思い出し、同時に自分の街を離れるさみしさ。(もしかしたら不安)を感じている自分を表そうとしたのだと思う。

○何かを探し求めるような自分を表そうとした。家族や物を失い、自分が一人になった悲しさを表そうとした。戦争の悲惨さを表そうとした。

○戦争とかで壊れた街を自分が直そうと思っている、勇敢な感じを表そうとした。
戦争とかで壊れた街をどうやって直せば、いいのか分からずに困っている自分を表そうとした。自分の故郷から旅立つ前に、眺めて街に感謝している感じを表そうとした。

○さみしい気持ちやつらい気持ちをみんなに知ってほしかった。いつまでもこの街を大切していたい。街がなくなりそうで、こわい。自分がまだ生きていることを見てほしい。

○ひさんな町を背景にすることによって、自分が経験したこととか、じぶんが見た物が心に残っているような感じがする。だから、見た物や体験したことを大切にする人だと思った。

○戦争え家などの自分の大切なものがなくなってしまい、絶望的な様子。戦争の悲惨さを表情で表していて、戦争のない平和を求めている。家や家族を失い、平和の大切さを改めて分かったこと。

○もう二度と戦争をして欲しくないという感じの様子。戦争がなく平和を願っている感じ。

○こどく。

○戦争の被害にあい、いろんな物を失ったが、自分自身は見失うまいと強く自分に言いつけている瞬間だと思う。遠くの焼けてボロボロであろう景色を見て、たとえその場所を通しつらい気分になろうとも、決して目的を見失うことがないようにと静かにたたずんですべてを思い返し、思い描いている様子。

○町の色や暗さや人物の表情を見てここに、何か起こったんじゃないかということを見ている人に伝えようとしてこの絵を描いたのかなと思った。遠近法を使っていて、男の子を強調して表していると思った。色が暗い感じなのは、この町が焼け焦げている色なのかと思った。なので、戦争の気がして、その悲しさなどを書いているのかと思った。

○自分いがいの人に暗く悲しい思いをしてもらいたくなかった。昔の自分をいろいろな人に、昔に自分が体験したことをしってもらいたかった。

※ この考えの基となる気づきや根拠は、全体での対話型鑑賞の前に4人の小グループで、「聞こえる音」「見えたこと」「気付いたこと・考えたこと」という三項目について意見を伝え合う場を設けている中で発表したり、また、全体での対話型鑑賞を終えた後、「表したかった自分を表現するために工夫している点」をワークシートの中で書いている。

11月29日付で、日本文教出版から京都造形芸術大学とのコラボレーションで「みる・考える・話す・聴く」の鑑賞資料が発刊されました。美術科担当の先生方のお手元にもそのうち届くと思います。その中でも松本竣介の「立てる像」の実践の一部が掲載されています。ご覧になってください。この作品は中学三年生の進路決定を控える時期に鑑賞するととても深い読み取りができます。竣介の静かだけれど、熱い想いが子どもたちの心を打つのだと思います。中学校の先生方は、ぜひ、この作品で鑑賞の授業を行ってみてください。感動すること間違いない!!です。私も明日、期末テストの終わった3年生3クラス、実践予定です。どんな話を聞かせてくれるのか、とても楽しみです。
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