冬の日本海のうねる波・波・波・・・
久しぶりのブログ更新です。
山口の研究会の後
11月29日(金)(株)日本文教出版より「みる・考える・話す・聴く」の教科書資料集発刊
11月30日(土)広島大学付属東雲小・中学校教育研究会に参加
12月3日(火)出雲市中部ブロック造形部会 授業公開 開催 鑑賞作品 松本竣介「立てる像」
12月8日(日)京都造形芸術大学 ACOPに向けてのオーディション参観
並びに「みる・考える・話す・聴く」の教科書資料集発刊に伴う3月開催のセミナーMTG
12月10日(火)神門幼稚園にて「お話の会」開催 鑑賞作品 三沢厚彦「ライオン」
以上の活動を行ってきました。
週末の13日(金)には益田で来年度の中国造形教育研究大会にあわせての「学び研」のMTGがあります。
また、21日(土)には年内最終の「みるみるの会」を浜田市世界こども美術館で開催する予定です。
こうして慌ただしく年の瀬を迎えることになりそうです。
では、今回は画像はないのですが、本校で実践した、松本竣介の「立てる像」の報告を行いたいと思います。
前回のブログでの報告も浜田での県教研の実践で、作品も同じもの、対象学年も3年生でした。授業形態や生徒、ナビも異なると、発言内容も違ってくるので、その違いも感じ取ってもらうのもよいかと思います。今回の報告は、常体で記述します。
私はこの鑑賞を行うときには、同じ日に同じ学年で総てのクラスを対象に実践することにしている。12月3日は授業公開を5時間目に計画していたので、5時間目のクラスを2組で、午前中に1組、2組で行った。クラスが違うと発言内容が異なる。出てくる話題の順番も違う。読み取りにも違いが出る。しかし、時間をかけていくとおおよそ「戦中か戦後」で、「空襲で焼き払われた街を見ている」という意見が大半を占め、握りしめた手を見て「何かを決意している」が、眼に力なく「呆然としている」という相反する読み取りが生まれ、生徒の間にも葛藤が生じる。
今回はタイミングをはかってこの男性は「耳が聴こえない」という情報を与えた。VTSでは作品タイトルや作家名、その他作品にまつわる情報を与えないこととしているが、ACOPではその対応を変化させ、情報を与えることでさらに作品の読み取りが深まるのであれば、タイミングを見計らって積極的に情報を与える方向にシフトしている。そのやりとりの現場に立ち会う中で、情報を与えることに価値があると私も認めたので、私の鑑賞でも、情報を与える方向で進めている。
「耳が聴こえない」という情報を手にした生徒たちは、一瞬、波を打ったように静まりかえる。そして彼の境遇について様々に思いを巡らせる。中学3年生になった生徒たちは、「耳が聴こえない」若者は戦争に行かれないことを知っている。戦争に行かれないことは、この当時の若者にとって幸運ではなく、不幸であることも知っている。また、耳が聴こえない状況で戦争のただ中にいることはどんなに恐ろしいことであるかも想像できる。生徒たちの中に様々な思いが渦巻く・・・。対話が終わり、語り合いの後、その思いをワークシートに静かに、熱く綴っていくシャーペンの音が教室に響き渡る・・・。
生徒の記述については次回に掲載しようと思う。
今回の実践で、確実だったことは、情報を与えた方が、読み取りが深まると言うことである。
また、最後に、この絵を描いた作家「松本竣介」は松江の松本家に婿養子となり、松江の寺に眠っていることをから「島根ゆかりの作家」であることも伝えた。生徒は作品と作家により親近感を持ったようであった。昨春生誕100周年記念展が県立美術館で開催されたことも伝えると、TVのCMで流れていたことを思い出した生徒も多数いた。パネルに入れたその回顧展のポスターを教室前面に掲げると、授業が終わった後に人だかりができた。それほどに、生徒の心に残る「名作」であると、私は思う・・・。
どうか、中学生を教えている美術の先生方、3年生の2学期にこの作品を生徒と一緒にみて、語り合って欲しいと思います。生徒たちの忘れられない1枚となるはずです。そして、その語り合いは先生方の心の財産になることだと思います。
久しぶりのブログ更新です。
山口の研究会の後
11月29日(金)(株)日本文教出版より「みる・考える・話す・聴く」の教科書資料集発刊
11月30日(土)広島大学付属東雲小・中学校教育研究会に参加
12月3日(火)出雲市中部ブロック造形部会 授業公開 開催 鑑賞作品 松本竣介「立てる像」
12月8日(日)京都造形芸術大学 ACOPに向けてのオーディション参観
並びに「みる・考える・話す・聴く」の教科書資料集発刊に伴う3月開催のセミナーMTG
12月10日(火)神門幼稚園にて「お話の会」開催 鑑賞作品 三沢厚彦「ライオン」
以上の活動を行ってきました。
週末の13日(金)には益田で来年度の中国造形教育研究大会にあわせての「学び研」のMTGがあります。
また、21日(土)には年内最終の「みるみるの会」を浜田市世界こども美術館で開催する予定です。
こうして慌ただしく年の瀬を迎えることになりそうです。
では、今回は画像はないのですが、本校で実践した、松本竣介の「立てる像」の報告を行いたいと思います。
前回のブログでの報告も浜田での県教研の実践で、作品も同じもの、対象学年も3年生でした。授業形態や生徒、ナビも異なると、発言内容も違ってくるので、その違いも感じ取ってもらうのもよいかと思います。今回の報告は、常体で記述します。
私はこの鑑賞を行うときには、同じ日に同じ学年で総てのクラスを対象に実践することにしている。12月3日は授業公開を5時間目に計画していたので、5時間目のクラスを2組で、午前中に1組、2組で行った。クラスが違うと発言内容が異なる。出てくる話題の順番も違う。読み取りにも違いが出る。しかし、時間をかけていくとおおよそ「戦中か戦後」で、「空襲で焼き払われた街を見ている」という意見が大半を占め、握りしめた手を見て「何かを決意している」が、眼に力なく「呆然としている」という相反する読み取りが生まれ、生徒の間にも葛藤が生じる。
今回はタイミングをはかってこの男性は「耳が聴こえない」という情報を与えた。VTSでは作品タイトルや作家名、その他作品にまつわる情報を与えないこととしているが、ACOPではその対応を変化させ、情報を与えることでさらに作品の読み取りが深まるのであれば、タイミングを見計らって積極的に情報を与える方向にシフトしている。そのやりとりの現場に立ち会う中で、情報を与えることに価値があると私も認めたので、私の鑑賞でも、情報を与える方向で進めている。
「耳が聴こえない」という情報を手にした生徒たちは、一瞬、波を打ったように静まりかえる。そして彼の境遇について様々に思いを巡らせる。中学3年生になった生徒たちは、「耳が聴こえない」若者は戦争に行かれないことを知っている。戦争に行かれないことは、この当時の若者にとって幸運ではなく、不幸であることも知っている。また、耳が聴こえない状況で戦争のただ中にいることはどんなに恐ろしいことであるかも想像できる。生徒たちの中に様々な思いが渦巻く・・・。対話が終わり、語り合いの後、その思いをワークシートに静かに、熱く綴っていくシャーペンの音が教室に響き渡る・・・。
生徒の記述については次回に掲載しようと思う。
今回の実践で、確実だったことは、情報を与えた方が、読み取りが深まると言うことである。
また、最後に、この絵を描いた作家「松本竣介」は松江の松本家に婿養子となり、松江の寺に眠っていることをから「島根ゆかりの作家」であることも伝えた。生徒は作品と作家により親近感を持ったようであった。昨春生誕100周年記念展が県立美術館で開催されたことも伝えると、TVのCMで流れていたことを思い出した生徒も多数いた。パネルに入れたその回顧展のポスターを教室前面に掲げると、授業が終わった後に人だかりができた。それほどに、生徒の心に残る「名作」であると、私は思う・・・。
どうか、中学生を教えている美術の先生方、3年生の2学期にこの作品を生徒と一緒にみて、語り合って欲しいと思います。生徒たちの忘れられない1枚となるはずです。そして、その語り合いは先生方の心の財産になることだと思います。