ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

みるみるとじっくり見てみる展最終回の対話型鑑賞会の報告です!!

2016-03-11 21:24:49 | 対話型鑑賞


みるみるとじっくり見てみる?第5回目(最終回)
ナビゲーター:春日美由紀
鑑賞者:一般男性3名(うち2名は益田市小学校教員と山口市小学校教員)
    一般女性1名
みるみるメンバー4名 合計8名
鑑賞作品:ファッションプレート(画像左側の作品)

ファッションプレートが5作品並べて展示してあるうちの右から2作品目を鑑賞した。
作品は中央に女性が5名群像のように配され、周囲には幾何学的な模様が描かれている。女性群の向かって左側には花台に載せられた花瓶に丸い形の花と思われるものと右側には背もたれのあるベンチのような椅子が置かれている。

じっくりと作品を鑑賞した後に、初参加の男性が口火を切られた。
「奥の丸い目玉が男性で、手前の白黒のぎざぎざが牙で、ここにいる女性を狙っている。」という過激な発言で始まった。
それを受けて年配の男性が「赤いドレスの女の人はかなり取り込まれているように思う。」と発言された。
目玉であることや牙が女性を狙っているという発言はやや突飛な感がぬぐえなかったが、否定せず、発言の中にあった「女性たち」について注目してもらうように「女性と思ったのはどこからですか?」とか「女性は何人いますか?」と中央の女性に話題が向くようにした。
また、鑑賞者から「ファッションプレートって何ですか?」という問いがあった。これは鑑賞会の最初にこの企画展の主担当の学芸員が「ファッションプレートの作品です。」と紹介したことに対する疑問であったので、みるみるメンバーで学芸員である廣田さんに説明をしていただいた。その中で「洋服のみならず、ライフスタイルまでも提案するようなものであった。」と話されたのでそのようなことにも気付けたり確認できるとよいと感じながら対話を続けていけるとよいと感じていた。
また、作品の周囲に活字があることに気づかれ、1924、20、作者と思われる方のサイン、特に1924の数字が1924年で大正時代であることを発言された。が、日本の大正時代であっても、この作品が制作されたのは日本ではない、外国であるという発言があったので「どこの国だと思うか?」と質問をした。明確な回答はなかったが、ヨーロッパかアメリカなどの西洋ではないかという意見で皆が納得した。
また、女性の服のデザインが直線的なこと、背景の描かれ方も直線や曲線を多用したものなので「アールデコ」の影響を受けているという発言があった。その時「アールデコって?」という質問があり、鑑賞者に知っている方はいないか確認したが、自信をもって語れる方は学芸員のほかにいなかったので、ナビの方から「アールヌーヴォーの、アールヌーヴォーは自然をテーマに装飾的なデザインをしたのですが、その後を受けて自然を廃し直線や曲線などの幾何学的なデザインを多用したものがアールデコです。」と簡単に説明を行い、理解を促した。
そして、視点が中央の女性群から隣にある花台や椅子に移っていった。この花台や椅子の話題がなかなか出てこなかったので、鑑賞者の興味は中心の女性群とその背後にある目玉のような曲線にしか無いのかと感じていたが、この作品を読み解くには花台やベンチの存在も重要であると考えていた。それは、廣田さんが「ライフスタイルまで提案している」と発言したことにも関係している。私としては、ここはブティックか何かで、このお店の売りの服装をした女性が5人いて、もしかしたらハウスマヌカンかもしれない、そこにはおしゃれな花台やフラワーベース、ベンチもあり、「服だけでなく生活に必要なものまで売っているのではないか。」と言った鑑賞者の発言を求めていた。しかし、ナビが必要以上に解釈を誘導するのは好ましくない。鑑賞者の中から「花を活けている花瓶のようなものが載っている台と椅子?の間の狭いところに女の人たちが立っていて窮屈な気がする。」という発言が出たことはとても重要だった。
花が活けられていると思われるもの、それが載っているものについて確認をし、椅子?と発言したものについて、本当に椅子と思うかと再度訊ねた。「椅子」とみるのか、それは私には一人掛けの椅子ではなく複数人が座れるベンチのようにみえていたので、「一人掛けか?複数人座れるのか?」を確認した。そうすると「一人で座る椅子ではない。」と答えたので、「どこからそう思うのか?」と確認した。「座面が奥に延びているように見えるので、複数人座れると思う。」と答えてくださったので「ベンチのようなタイプですかね?」と問い直したところ「そうですね。ベンチです。」と納得された。
そして、「花台とベンチの間の狭いところにこの女性たちが立っていて窮屈だと言われましたが、そのことについて、何か意見のある方、いらっしゃいませんか?」と、鑑賞者の意見を尊重し、その見解について他者の意見を求めた。そうすると「確かに窮屈な感じがするが、生活する場ではないので、これはこれでよいのではないか。」という発言が出た。「生活する場ではないということは、どういうことですかね?」とさらに質問を重ねた。その時「これが家(自宅)だったら、なんだかくつろげない気がする。よそいきな感じがする。」という発言が出た。(この時、すでに40分を経過していた。このファッションプレート1枚で40分もトークをしているのだ。話は尽きないようだが、そろそろ終わりにしなくては・・・。しかし、自然な形で終末を迎える工夫が大事・・・。ということで)ここで、ナビである私は、ファッションの秘めている進歩性や非日常性とこの発言を繋げて、人々がファッションに対して憧れを抱くのはその提案の斬新さ(進歩性)と日常から脱却したい(非日常)という願望であり、そこに魅力があるのではないかと、鑑賞者の発言を繋いでいくと、そういう解釈が形成できるのではないかと考え、これで締めくくろうと考えた。
そこで「おもしろい意見ですね。ここに表されている世界は日常的ではない。つまり、非日常的である。と、そういうことですかね?それは、つまりファッションそのものではないかと思います。皆さんのご意見をきかせていただいて、ファッションはその時においては、非日常的であると思われるものを衣装やライフスタイルとして提案することで、観るものに感動を与えるものと言うことができるのではないでしょうか。」と締めくくったつもりだったのだが、最後にどうしても発言したい方がいらっしゃって、その最後の発言で終わりを迎えた。

この後の鑑賞会の振り返りでは、小品ながら40分以上のRICHな対話ができたと会員からの評価を受けた。
今回は「みるみるとじっくり見てみる?」展の対話型鑑賞会の最終回で、展示された作品の多くを鑑賞し終わっている状況で、作品選定するのにやや困難を感じていたので、山口から遠路はるばる2度目の参加となった津室さんに選んでいただいた。私にとっても情報が少なく、どんな発言が出るのか予想しにくい難度の高い作品となった。しかし、こういう作品の方がナビを行うときの緊張感が増し、鑑賞者の発言を聴き取ろうとする力が上がるように思う。また、情報や予備知識がない分、常に作品に戻るしかないので、作品をよりよくみようとする姿勢が上がるように思う。ナビが作品をよりみようとすることはすなわち、鑑賞者にもよりみることを促すことにつながると思う。やはり、作品をよくみて、作品から離れ過ぎず、作品に戻りながら対話を重ねていくと作品を深く味わうことができるように思う。
また、鑑賞者の発言をパラフレーズするのがうまいと言ってもらうのだが、これは鑑賞者の発言の一言一言を聴き取るのではなく、大枠、全体で言わんとすることを汲み取ろうとする姿勢で聴いているかということになるのではないかと思う。鑑賞者の発言を「あなたの言いたいことは何?伝えたいと思っていることは何?」という思いで耳を傾けられているかということではないかと思う。その感度をどれだけ上げられるかが、ナビのスキルにつながっていくと思う。しかし、一朝一夕にできるものではないとも思う。やはり経験に勝るものはない・・・。実践あるのみではないか?
しかし、今回の作品は本当に小品であったが、鑑賞者の発言が絶えることがなく、また、素直な発言が多く、気取りのない親和的な雰囲気の中で鑑賞できたことが何より心地よく、RICHな対話が展開できたということに感謝したい。
コメント
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