12月3日、京都造形芸術大学 ACOP オーディションに参加させていただきました!
今回は愛媛県美術館の鈴木さん、みるみるの春日さん、金谷さん、房野、の4人です。
近年、師走に入ってすぐの週末、ACOPオーディションに行くことを楽しみにしています。この時期は京都造形芸術大学のアートプロデュース学科の必修科目としてACOP(Art Communication Project)の「鑑賞会」が行われます。この鑑賞会のナビゲーターとなるには、オーディションを通過しなくてはなりません。鑑賞者という「お客様」を「リッチな対話」でおもてなしをし、満足させられるだけのスキルを身につけていることがオーディション合格につながります。
これは大学生にとってはかなりのハードルです(大学生のみならず、ナビゲーターを務めるとなると、もちろん私たちにとっても)。皆、子どもの頃からゲストとしてサービスを享受することには慣れていても、ホストとしてサービスする側の経験はあまりないですから。芸術をはじめ、様々な知識はもとより、語彙力、他者理解力、礼儀、などなど高度なコミュニケーション能力が問われるのです。私たちが教室に入って、学生さんたちに紹介をしていただくそばから「こちらが立って挨拶してんのに、なんや、座ったままで!そんなんやから上手くいかへんねん!」と、さっそく学科長の福のり子先生の𠮟咤が飛び、慌てて立つ大学生。う~む…なるほど。
7~8名の学生さんたちを鑑賞者に、ナビゲーターが画像を前に対話型鑑賞を行います。飛び入りの私たちも一緒に鑑賞者に混ぜてもらいました。何度か通ううちに、おなじみの作品も多いのですが、毎回同じ対話の流れになることはなく、いつも新鮮な驚きに出会えます。房野は鈴木さんと一緒に、あるグループに参加しましたが、今回は特にエドゥアール・マネの作品について興味深い対話を共有することができました。
マネ作「オランピア」1863年
19世紀パリでは生身の女性の裸体を描くことはタブーであり、女性のヌードといえば「女神」でなければならない。この作品、女神のステレオタイプともいえるポーズなのに、ここで描かれているのはパリの娼婦。花を捧げ持つのはキューピッドではなく黒人の召使、従順や貞節の比喩でもある犬ではなく、魔女の使い魔でもある黒猫、と、当時のアカデミックな風潮に真っ向から挑戦しているかのようです。当時は物議を醸し、攻撃の対象にもなったとか。だから、展示場所を人の手の届かない高さに移したとのナビのインフォメーションがありました。そこで「美術館では、神仏を描いた作品は必ず人が見上げるような高さに展示します。」と学芸員ならではの鈴木さんの発言。皆から蔑まれた娼婦の絵が、大衆を見下ろすように掲げられ、それを鑑賞者は見上げることになるとは、なんという皮肉!痛快!この作品の魅力をさらに知ることができました。
マネ作「フォリー・ベルジェールのバー」1882年
同じくマネの19世紀パリの大衆社会を描いた作品。最初に鑑賞者の男性が「二重の大きな瞳でぷっくりした唇、柔らかそうで大きな胸、ウエストがキュッとくびれていてとても魅力的…。でも、話しかけても答えてくれそうにはない感じ」と異性としての魅力を感じたけれど、彼女の気持ちはここにあらず…というコメントをしました。思えば、これがこの鑑賞会の全てを語っていたようにも感じます。この女性の後ろは大きな鏡で、彼女の後ろに広がっていると思っていたショーや観衆は、実はこちら側にあるものだとわかったとたん、「そうか!」とこの女性が置かれた状況(酒瓶と同じように並べられ、娼婦としても扱われる)や(鏡の中という)虚像の中のパリの狂乱、この女性を見る男性の視線、を一気に感じました。そして作品を見る私たちもその大衆の一人なのだと。視点が入れ替わるたびに、既成概念が崩されるような快感があり、もっと見ていたい、もっと対話したい、とあとを引く作品でした。
悩みながらナビをしている大学生の姿はそのまま自分に重なりました。頭を抱えて固まっている大学生の心のうちは、私がナビをするときにも感じる感情そのままです。実際に自分がやっていてうまくいかないときには、それを客観視する余裕なんて吹っ飛んでしまいますから。鑑賞者のコメントが理解できず、冷や汗をかき、「どうにかしなきゃ!」といい言葉を探そうと沈黙すれば、それがまたプレッシャーになって…。
鑑賞会後のミーティングで、「そんな時は、もう一度鑑賞者に返して、納得できるまで説明をしてもらう。」「みんなが共通理解しながら進んでいるか、常によく鑑賞者をみること。」など、自分ではみとれなかった部分を教え合います。この作業を通して、“人はどうしても自分中心に物事を把握しがちで、自分を客観視することは難しい”ということを自覚することができます。これは、わかっているつもりでも、年齢を重ねても、払拭しがたい本能のようなものでしょうか。「みる 考える 話す きく」は作品に対してと同様に、鑑賞者に対しても言えることなんですね!私自身、それを再認識することができたオーディションでした。
今年も笑顔で私たちを迎えてくださった、福先生をはじめ、スタッフの皆さま、本当にありがとうございました!たくさんの学びをいただきました。来年8月には<島根県 隠岐の島>に福先生をお招きして、対話型鑑賞についてご指導いただく予定です。今後もどうぞよろしくお願いいたします!
みるみるの会は、12月17日の月例会で2016年の活動納めをしました。
参加してくださった皆さま、ありがとうございました。
2017年は1月8日(日)14:00~益田市の島根県立石見美術館での「みるみると見てみる?」で活動をスタートします。
みるみるメンバーと一緒に2017年の鑑賞初めをしませんか?
今回は愛媛県美術館の鈴木さん、みるみるの春日さん、金谷さん、房野、の4人です。
近年、師走に入ってすぐの週末、ACOPオーディションに行くことを楽しみにしています。この時期は京都造形芸術大学のアートプロデュース学科の必修科目としてACOP(Art Communication Project)の「鑑賞会」が行われます。この鑑賞会のナビゲーターとなるには、オーディションを通過しなくてはなりません。鑑賞者という「お客様」を「リッチな対話」でおもてなしをし、満足させられるだけのスキルを身につけていることがオーディション合格につながります。
これは大学生にとってはかなりのハードルです(大学生のみならず、ナビゲーターを務めるとなると、もちろん私たちにとっても)。皆、子どもの頃からゲストとしてサービスを享受することには慣れていても、ホストとしてサービスする側の経験はあまりないですから。芸術をはじめ、様々な知識はもとより、語彙力、他者理解力、礼儀、などなど高度なコミュニケーション能力が問われるのです。私たちが教室に入って、学生さんたちに紹介をしていただくそばから「こちらが立って挨拶してんのに、なんや、座ったままで!そんなんやから上手くいかへんねん!」と、さっそく学科長の福のり子先生の𠮟咤が飛び、慌てて立つ大学生。う~む…なるほど。
7~8名の学生さんたちを鑑賞者に、ナビゲーターが画像を前に対話型鑑賞を行います。飛び入りの私たちも一緒に鑑賞者に混ぜてもらいました。何度か通ううちに、おなじみの作品も多いのですが、毎回同じ対話の流れになることはなく、いつも新鮮な驚きに出会えます。房野は鈴木さんと一緒に、あるグループに参加しましたが、今回は特にエドゥアール・マネの作品について興味深い対話を共有することができました。
マネ作「オランピア」1863年
19世紀パリでは生身の女性の裸体を描くことはタブーであり、女性のヌードといえば「女神」でなければならない。この作品、女神のステレオタイプともいえるポーズなのに、ここで描かれているのはパリの娼婦。花を捧げ持つのはキューピッドではなく黒人の召使、従順や貞節の比喩でもある犬ではなく、魔女の使い魔でもある黒猫、と、当時のアカデミックな風潮に真っ向から挑戦しているかのようです。当時は物議を醸し、攻撃の対象にもなったとか。だから、展示場所を人の手の届かない高さに移したとのナビのインフォメーションがありました。そこで「美術館では、神仏を描いた作品は必ず人が見上げるような高さに展示します。」と学芸員ならではの鈴木さんの発言。皆から蔑まれた娼婦の絵が、大衆を見下ろすように掲げられ、それを鑑賞者は見上げることになるとは、なんという皮肉!痛快!この作品の魅力をさらに知ることができました。
マネ作「フォリー・ベルジェールのバー」1882年
同じくマネの19世紀パリの大衆社会を描いた作品。最初に鑑賞者の男性が「二重の大きな瞳でぷっくりした唇、柔らかそうで大きな胸、ウエストがキュッとくびれていてとても魅力的…。でも、話しかけても答えてくれそうにはない感じ」と異性としての魅力を感じたけれど、彼女の気持ちはここにあらず…というコメントをしました。思えば、これがこの鑑賞会の全てを語っていたようにも感じます。この女性の後ろは大きな鏡で、彼女の後ろに広がっていると思っていたショーや観衆は、実はこちら側にあるものだとわかったとたん、「そうか!」とこの女性が置かれた状況(酒瓶と同じように並べられ、娼婦としても扱われる)や(鏡の中という)虚像の中のパリの狂乱、この女性を見る男性の視線、を一気に感じました。そして作品を見る私たちもその大衆の一人なのだと。視点が入れ替わるたびに、既成概念が崩されるような快感があり、もっと見ていたい、もっと対話したい、とあとを引く作品でした。
悩みながらナビをしている大学生の姿はそのまま自分に重なりました。頭を抱えて固まっている大学生の心のうちは、私がナビをするときにも感じる感情そのままです。実際に自分がやっていてうまくいかないときには、それを客観視する余裕なんて吹っ飛んでしまいますから。鑑賞者のコメントが理解できず、冷や汗をかき、「どうにかしなきゃ!」といい言葉を探そうと沈黙すれば、それがまたプレッシャーになって…。
鑑賞会後のミーティングで、「そんな時は、もう一度鑑賞者に返して、納得できるまで説明をしてもらう。」「みんなが共通理解しながら進んでいるか、常によく鑑賞者をみること。」など、自分ではみとれなかった部分を教え合います。この作業を通して、“人はどうしても自分中心に物事を把握しがちで、自分を客観視することは難しい”ということを自覚することができます。これは、わかっているつもりでも、年齢を重ねても、払拭しがたい本能のようなものでしょうか。「みる 考える 話す きく」は作品に対してと同様に、鑑賞者に対しても言えることなんですね!私自身、それを再認識することができたオーディションでした。
今年も笑顔で私たちを迎えてくださった、福先生をはじめ、スタッフの皆さま、本当にありがとうございました!たくさんの学びをいただきました。来年8月には<島根県 隠岐の島>に福先生をお招きして、対話型鑑賞についてご指導いただく予定です。今後もどうぞよろしくお願いいたします!
みるみるの会は、12月17日の月例会で2016年の活動納めをしました。
参加してくださった皆さま、ありがとうございました。
2017年は1月8日(日)14:00~益田市の島根県立石見美術館での「みるみると見てみる?」で活動をスタートします。
みるみるメンバーと一緒に2017年の鑑賞初めをしませんか?