末吉宮は15世紀半ばに熊野三社を勧請して設立され、明治以前まで琉球八社の一つとして信奉された由緒ある神社で、もともとの社殿は沖縄戦で焼けるまで国宝に指定されていたらしい。かなり立派だった往時を偲ばせるように、宮社への道の脇には数多くの石碑や御嶽(拝所)が残り、今でも拝みの対象となっている雰囲気を残している。
下りは足元が慎重になるほどの急な坂道を登ると展望が開け、立派な石段とその上の拝殿、さらにアーチ上の石段でつながれた本殿がある。今に残るこれらの建物は本土復帰の1972年に、残っていた資材と礎石を使って復元したらしい。
私が行ったときは、ちょうど石段の上の拝殿の前におばあがちょこんと座って、うーとーとー(拝み)している。傍に座っている娘らしきおばちゃんは、階段下の私たちも一応は気になるようだが、拝み中のおばあをとめるでもなく傍らに寄り添っている。この石段の下から首里城や新都心方向を一望する景色はなかなか圧巻。しかし、ふと目をやると、拝所のすぐ脇に、目を疑うほどのゴミが捨てられている。これはある意味ものすごいギャップというか、罰当たりというか。。。
ともかく、那覇の住宅地の真ん中で、深い緑と歴史と文化が味わえるなかなか素晴らしい末吉公園。
なかなか侮れません。
下りは足元が慎重になるほどの急な坂道を登ると展望が開け、立派な石段とその上の拝殿、さらにアーチ上の石段でつながれた本殿がある。今に残るこれらの建物は本土復帰の1972年に、残っていた資材と礎石を使って復元したらしい。
私が行ったときは、ちょうど石段の上の拝殿の前におばあがちょこんと座って、うーとーとー(拝み)している。傍に座っている娘らしきおばちゃんは、階段下の私たちも一応は気になるようだが、拝み中のおばあをとめるでもなく傍らに寄り添っている。この石段の下から首里城や新都心方向を一望する景色はなかなか圧巻。しかし、ふと目をやると、拝所のすぐ脇に、目を疑うほどのゴミが捨てられている。これはある意味ものすごいギャップというか、罰当たりというか。。。
ともかく、那覇の住宅地の真ん中で、深い緑と歴史と文化が味わえるなかなか素晴らしい末吉公園。
なかなか侮れません。