Olive☆。.:*:・'゜

つれづれなるままに・・・雑感を

オーストリア紀行:ザルツブルク

2013-05-29 21:22:23 | 旅日記
3か月あまり間が開いてしまいましたが、昨年10月に行ったオーストリア旅行の続きを
綴っていきます。参加したツアーの日程はこんな感じでした。⇒2/16の記事

Fuerstフュルスト(2012-10-30の記事)
モーツァルト・クーゲルンの食べ比べ(2012-10-31の記事

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周辺の岩塩鉱から産出される塩の取引で繁栄したザルツブルグ。
中世の時代、司教区管轄地だった町、モーツアルトやカラヤンが生まれた町、
夏には「ザルツブルグ音楽祭」が開催される音楽の都、個人的には映画
「サウンド・オブ・ミュージック」の世界に浸れる場所といったところでしょうか。

宿泊したホテル、クラウンプラザ ホテルが新市街のミラベル宮殿から割と近いところにあって、
ミラベル庭園を通り抜けて世界遺産の旧市街観光へとてくてく歩きました。

左側の写真、ペガサスの泉と手前の階段はマリアと子供たちが「ドレミの歌」を
歌うシーンで出てきた場所だったかと思います。


遠く丘の上に見えるのは
ホーエンザルツブルグ城塞。
色とりどりの花に彫像とまさに
ミラベル(美しい眺め)の庭園でした。
庭園を抜けて、歩行者専用のマカルト橋に向かって歩いていくと橋の手前、右手にはカラヤンの生家が。





タクトを振る立像が小さく見えます。

ザルツァッハ川
川の向こうには町のシンボル、ホーエンザルツブルグ城塞がそびえ立っているのが見えます。
ザルツは「塩」、ブルクは「砦」の意味だそうです。
愛妾のためにアルテナウ城(後のミラベル宮殿)を造った大司教ヴォルフ・ディートリヒ・フォン・
ライテナウ。絶大な権力を持っていて独裁政治を推し進めていましたが、のちに製塩権を巡って
バイエルン公マクシミリアンと争い敗れて、ホーエンザルツブルク城塞の地下牢獄に幽閉され
生涯を閉じます。







モーツアルトの生家。
この建物の4階で誕生し、モーツアルトは17歳に
なるまでここで暮らしていたそうです。
家族の肖像画やモーツアルト直筆の楽譜、幼少時代に
使っていたヴァイオリンなどが展示されていました。











祝祭劇場
ザルツブルク音楽祭の会場)
大ホール、小ホール、フェルゼンライトシューレの3つのホールで構成されています。
フェルゼンライトシューレは岩壁に面した乗馬学校跡のコンサートホールで背後にある
メンヒスベルクの丘の岩を削って造られています。「サウンド・オブ・ミュージック」で
トラップ一家がエーデルワイスを歌った音楽祭会場として出てきます。
 
ザンクト・ペーター教会の墓地

映画ではマリアのいた修道院(ノンベルク修道院)に
逃げ込みますが、ナチスに追われたトラップ一家が
隠れた墓地のシーンの場所です。
ノンベルク修道院は旧市街の外れにあります。
映画のラスト、山越えのシーンは印象的なのですが、
見るたびにザルツブルグの向こうってドイツ?と
思ってしまうのでした。実際はどういうルートで
脱出したのかな。

←墓地の近くにある教会の水車。

ザルツブルク大聖堂の内部









洗礼盤は14世紀につくられたもの
モーツァルトもこの洗礼盤を使った
そうです。

レジデンツ広場

看板の美しいゲトライデ通り





コメント
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