緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

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4時間ルール 「茶是常識」

2021年03月24日 | 茶道
遅まきながら、最近、茶道には4時間のルールがあることを知りました。
正確には、茶事は4時間を目途に行うということです。

茶事というのは、本来の正式な茶会のことです。
私も一度だけ経験しました。⇒ここ

茶事はお料理をいただいたり、濃茶と薄茶をいただいたり、結構色んなことをします。
それに掛かる時間が4時間程度ということらしいです。

そこから敷衍させて、人の家に招かれた場合、滞在時間は4時間を目途に帰るべしということみたいです。
もちろん、行った先で何かの作業があるような場合は別です。

私がそれを知ったのはたまたま家にあった本「百の手すさび」で、です。
この本、他のお茶関係の本と一緒に紐でくくられて家のベランダに置かれていました。
紙資源のゴミの日に出すためです。
本は4、5冊ありました。その内の2冊。

正確にいうと、この本は滋賀県にある美術館、ミホミュージアムで行われた展覧会のカタログです。

私の兄はミホミュージアム友の会の会員で、展示が変わるごとにカタログが送られてきます。
そのカタログが毎回分厚くて重いし邪魔なので一括して捨てようと思ったらしいのです。
チラと見て、お茶関係の本だと分かったので私が貰いました。

カタログと言うとつまらなさそうですが、実際には出展された茶杓の写真だけでなく、色々論考も掲載されていて、読んでも面白いものでした。

その内の一つ、コラムに書かれていたのが「茶是常識」でした。


このコラムの内容は要約すると、益田鈍翁が茶の湯に出会って、そこから生活態度を学んだというようなこと。
この益田鈍翁というのは、本名は益田孝、三井財閥の基礎を築いた実業家で、同時に高名な数寄者、つまり茶の湯好きな人です。
(2019年京都国立博物館で展覧会があった佐竹本三十六歌仙絵巻を、1919年に37分割する音頭を取った人としても有名)

彼は1848年に生まれて1938年(昭和13年)に91歳で亡くなっています。
当時としては長生きだったのですが、元々は体の弱い人だったらしいのです。
その彼が30代で茶道と出会い、生活態度を茶の湯の決まりに則って健康を維持したらしいのです。

その一つが一汁三菜の食生活。
そもそも彼は茶事以外の会食の場には行かなかったようです。
茶の湯は禅の教えが基礎にあるので、食事もとても質素なものなんです。
それが良かったと彼は言っているわけです。

ただ、実際の茶事の懐石は質素とは言えないように私には思えます。
基本となっている一汁三菜自体、結構おかずが多いと思います。(そこに香の物はカウントしないのが通例)
栄養バランスも良くて現代でも推奨ものです。

私が子供の頃の家の食事は、言葉の正しい意味で質素で、量に不足はないものの、汁物がないことも多く、ご飯+二菜くらいでした。
それを考えると贅沢なのです。

まして明治大正の頃の財界人が催す茶事の懐石は、亭主のおもてなしの気持ちの表れか、フランス料理風にアレンジしたもの等工夫が凝らされていたみたいです。
はっきり言って物凄く贅沢なものだったでしょう。

ただ、さすがに茶事では、一つ一つの料理の量も上品に抑えられて、あっさりとしていた筈です。
彼は財界人でしたので、酒宴にでも招かれればご馳走攻めだったと思います。
彼はお酒は飲めなかったので食べる一方になり、それは避けたのだと思います。

ちなみに茶事ではお酒も出ますが、料理にはお酒の肴の意味はなく、だから最初からご飯も出てきます。
茶事の料理はあくまでお茶を美味しく飲むためのものなんです。
やたらめったらお酒を飲まないだけでも健康には良い筈です。

もう一つ、『これは 』と私が思ったのが冒頭の4時間ルールです。
茶事とは関係なく、長っ尻というのか、人の家によばれて、なかなか帰らない人がいます。
5時間でも10時間でも、それこそ日が暮れても、寝ないでも、人の家でおしゃべりしたい人というのがいるのです。

招いた方は「帰って下さい」とは言えません。(内心、二度と招くもんかとは思いますが)
そこで、滞在は4時間と決めていたなら、招く方も招かれた方も本当に助かります。
それを常識とするということらしいです。

そういうわけかどうか、益田鈍翁は「茶是常識」という言葉を好んだみたいです。
実際それが心身に優しかったのだと思います。
正直、人との長時間の交流が苦手の私にも大賛成の常識です。
よんだりよばれたりの人との交流は、ご馳走と同じで、4時間程度の短時間だからこそ意味があると思うのです。

ところが益田鈍翁のエピソードを読んでいると、常識的とは思えないことも書かれています。
若かりし頃、彼がまだ茶道に興味がなかった頃の話です。

知人の家に行くと、羊羹が置いてあったそうです。
甘い物に目がなかった彼はそれを食べる為に近くにあった茶杓で羊羹を切り、パクついていたそうです。
それを見つけた知人の茶道の師匠から大目玉を食らったという話です。

幾ら甘い物が好きだからといって、知人の家の羊羹を許可なく勝手に食べるかなって思います。
しかも茶杓で切るって・・・・💦
後に大茶人と呼ばれることになる益田鈍翁らしいお話です。

茶人に好まれるという侘助の花です。



断捨離寸前にデビュー

2020年11月26日 | 茶道
昔、むかーし、亡くなった母が人から貰ったらしい茶碗が一つ、食器置き場に置いてありました。
大きさも微妙に大きいし、一つだけだし、何に使うもんやら分かりませんでした。
たまに紅白なますのような酢の物を作って入れたでしょうか。

でももう何年も使わないし、邪魔になるし、捨てようと思って出してみました。
それではたと気がついたのです。
これは抹茶碗だと。
抹茶を点てるお椀じゃないかと。


模様の入り方など、どう見ても抹茶碗です。
茶道を習い始めて3年、私もようやく抹茶碗が抹茶碗だと分かるようになったのか(笑)。
20年近く、正体が分からなかったとは、いやはや、情けない話です。

この話を先生宅のお茶のお稽古の時に話したところ、先輩が「それ、公民館のお稽古の時に持ってきて」というので、その次の公民館のお稽古時に持っていきました。
(私は隔週で公民館と先生宅の稽古に月計4回通っています。)

かくして、断捨離寸前のお茶碗が多くの人前に晴れてデビューしたのです。
「安物の茶碗ですけど」と謙遜して言うと、いつも辛辣な物言いの先輩の一人は「そうやね、上から見たら真円やわ。大量生産品やね」と。
『言うか、それを!!』
でも一つ勉強、口造り(口をつける部分)が真円だと機械で作った大量生産品だと考えてよい。

離れた場所で聞いていると、この茶碗について皆が色々と言ってました。
「こんな茶碗あった?」という問いには誰かが「みどりさんの家の蔵出しの茶碗です」と答えています。
私の家、蔵なんてあったっけ。

先生も遠くから目ざとく見つけて「あの茶碗は初めて見る」と。
そしてじっくり見ると「あんまり使っていない茶碗やな。こなれていない。今の時期には丁度いいわ」とか。
こんな茶碗でも使いこむとこなれるのかしら。

無事にデビューもすみ、今では家の食器棚に飾ってたまにお茶を点ててます。




茶道具と断捨離

2020年10月18日 | 茶道
パソコンを修理に出しているのでスマホからの投稿です。

お茶の先生宅のお稽古での話題ですが、お茶をやってた人がなくなって、お茶道具の価値が分からないまま、道具類が安く売られたり廃棄されたりしているといった話になりました。

それで、ふと思い出したことがありました。
去年の事です。
シニアの為の健康講座の同じ班の人と話していて、何かの話から私が最近お茶を習い始めたことをいうと、なくなった祖母のお茶道具が家にあって、良かったらもらってくれないかと言われたのです。

私は要らないと断りました。
家の中に今以上に物を増やしたくなかったからです。

その話をすると、先生曰く「もらって下さい」と。
先輩も「すぐ電話して」と。
私は思わず『えぇーっ‼️』

私、思わず「もらっても家の中に置く場所がありません」と抗弁しました。
すると先生「一戸建てなんでしょ。片付けて置く場所作れない?」
先輩もまた「公民館のお稽古で使えるじゃない。喜んでいただきますよ」

私、更に焦って「そんな簡単にはいかないです。車で貰いにいかないといけないし。私、運転できないし」
すると別の先輩が「車は私が出します。」

私、なぜか集中砲火浴びてるみたいな……。😥
何がなんでも私に茶道具を貰わそうとしてるよな。

こんなコロナの状態で人の家に行こうとは思わないし、そもそも私が茶道具貰ったって見る目がないから価値も、多分用途も分からないし、本当に仕方ないと言い切るしかありませんでした。

先生にしても、何十年も茶道やっている先輩にしても、価値あるものかもしれない茶道具がみすみす無駄になるのが耐え難かったのかもしれません。
私も全く興味がなかったわけではないですが・・・・。

断捨離は確かに必要なのですが、それで価値あるものがゴミとして処分されているのも事実です。
茶道具はその代表格かもしれないです。


これはその日のお花。
通常、茶室のお花はシンプルです。
でも10月、中置きのお点前の頃は、あるだけのお花を沢山な感じで活けるのだそうです。
私が分かったのは、ヒオウギ・フジバカマ・ヤブラン・エノコログサ・ホトトギスでした。



蝉に結ぶ

2020年08月09日 | 茶道
蝉に結ぶといっても、さすがに私も還暦を過ぎていますので、蝉に紐を結んで飛ばして遊ぶ話ではありません。

お茶の先生宅でのお稽古で、セミがどうとかという話になり、何のことか分からなかったのですが、教えてもらったのが袱紗(ふくさ)を蝉に結ぶやり方。

袱紗というのはお茶を点てる人が帯の左に挟んでいる朱色の布のこと。
それで棗や茶杓を拭くのですが。

夏場、平水指という口の広い大きめの水指を使う時、普通の水指の場合のように水次やかんで水指に水を注ぐということがないようです。
でも、4,5人お稽古した後だと、水が少なくなって、水次やかんで水を注ぐことになり、その時に水指の蓋の上に置いておくのが蝉結びした袱紗なんだそうです。

これです。

蝉に見えるでしょうか。
家に帰って、相当に練習して結びました。
ひょっとしたら結び方を間違っているかもしれません。

茶道では、夏は夏らしくなので、平水指も江戸切子というガラス製。
そこに水が張られているのでやはり涼し気です。
蓋置の方は薩摩切子で、いつも対にして使っているとのこと。
お茶碗も平茶碗という絵柄も涼し気なもの。
外ではしきりと油蝉が鳴いていて、そんな中で蝉結びです。

一種贅沢な遊びの世界かもしれません。
でも茶室の中は戦国時代以前から謀議密議が諮られる場でもありました。
この日も謀議密議というほどではありませんが、誰かが吉村知事の話をしました。
最初に断わっておくと、先生を含め、その場の人は皆さん吉村知事推しです。
東京周辺の人みたいに、今回のことで小躍りして喜んではいません。

で、吉村知事の話をした人曰く「吉村知事はイソジンが新型コロナウィルスの予防になるなんて言っていませんでした」と。
そうなんです。
私も会見はテレビで見てましたが、「予防になる」とも「さあ皆さんイソジンでうがいしましょう」的な、闇雲に使用を勧めるようなことも言っていませんでした。

私が理解できた限りでも、とても限定された使用の仕方だったのです。
でもメディアもネットも彼が「予防になる」と言ったことが既定の事実みたいな報道の仕方。
人気のある吉村知事をここで叩いておかなくては、という思惑がミエミエ。

ネットはともかくメディアが、公共の電波使って言ってもいないことを言ったように扱うのはどうなのか。
当初の会見も誤解されるように編集されて、何度も流されて。
相手が誰であれ、事実と異なることを言い立てて叩いたりすることは醜悪です。

ただ、別の一人の女性は、会見が始まってすぐに、イソジンを買いに走ったそうです。
会見を最後まで見ることもなく、「私が日本で一番早く買いに行っている」と思いながら(笑)。
でもその時すでに売り切れだったそうです。
その時以前に会見は放映されていたようです。

実は私も会見が始まって30秒くらいは『こんなこと言ったらイソジンが売り切れになるのでは?』と思ったのです。
でも会見を最後まで見ていたら買いにいくなんて思いもよりませんでした。
買いに走った人は会見を最後まで見ていなかったか、もしくは会見の内容を理解できなかったのではないでしょうか。

論語に「民はよらしむべし。知らしむべからず」というのがあります。
吉村知事はフルオープンで何でも言いたいみたいですが最低限のことも理解できない人はいます。

どんな研究がなされていて、どの程度の進捗状況なのか、私だって知りたいです。
お茶の先生は「何にも言ってくれないより何でも言ってくれる方がいい」と言ってましたが、どのタイミングで言うかはやはり難しそうです。


今やる? おもやい

2020年02月29日 | 茶道
“おもやい”という言葉、初めて知りました。
“おもあい”とも言うそうです。
漢字では思相とか催合。もやい綱などのもやいが語源とか。
意味は二人以上の者が一緒に仕事をすること。共同作業とか。
そして茶道では・・・。

この間、公民館の茶道教室でお稽古してきました。
さすがに、お茶のお稽古まで中止ではないんです。
準備の時、水屋で茶器にお抹茶を詰める仕事を言いつかりました。

薄茶用の抹茶を詰める器は色々あるらしいのですが、この日は棗と吹雪を使いました。
で、棗二つと吹雪一つを用意しました。
途中、「濃茶の準備はいいの?」と誰かに聞かれたのですが「今はコロナが流行っているし濃茶はいいんじゃないですか」と答えました。
濃茶は複数の人が一つの茶碗で飲み回しますから。

私が用意した茶器は特に何も言われませんでした。
そしてお稽古が始まり半ばを過ぎた頃「おもやいでやりましょう」ということになりました。
私は、『“おもやい”って何?』 状態。
お聞きしたその時の話では、要するに時間短縮のために、薄茶を点てる時に二人分を一つの茶碗で一緒に点てることなんだそうです。
濃茶ではもちろんやりません。最初から一つの茶碗で複数人分点てていますから。

おもやいでは、最初に頂いた人は濃茶の場合と同じように懐紙で飲み口を拭き清めます。
そして次の人が同じ茶碗で頂くのです。
『なるほど』とは思いましたが、でも、よりによって今やることかしらとも思いました。
1年半、そこで稽古しましたが、おもやいは初めてだつたのです。

前に通っていた流派が異なる教室では、サーズの時は濃茶は禁止されていたと聞いていました。
でもこちらの教室では、前回は濃茶のお稽古しましたし、今回はおもやい。
流派によって危機感が全然違うということなんでしょうか。

点てられたお薄は菌が死ぬほど熱いとも思えません。
私は一人目でしたが、次の人は私を信頼して飲むしかないです。

危機管理意識は人によってまちまちなので何とも言えません。
その時も新型コロナウイルスについては話題にはなりましたが「騒ぎ過ぎ」の一言で、誰も全然気にしていない様子、別のイベントに連れだって行くような話さえしていました。
電車に乗っていくような不要不急のイベントは、さすがに私はパスしました。




通っていたシニアの為の健康と医療の講座は、3月いっぱいまでの予定だったのですが、一斉休校の政府の要請に準じて休校の連絡がきました。
準備していた修了に伴う行事も全てキャンセルで、もう行くことはありません。
また会えると思っていた人達と合えなくなったわけで、なんだか人間関係が突然断ち切られたようで寂しいです。

それにしても、場所や人によって異なるこの温度差はちょっと不思議です。