緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

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車内販売

2021年03月01日 | 思い出
新聞を読んでいたら、鉄道での車内販売の廃止が続いているという記事。
なにも車内で販売しなくても駅で買えるし、その上コロナもあるしということらしいです。
ただ新幹線ではやってるみたい。

実は私、学生時代に新幹線で車内販売のアルバイトしていました。
もう何十年も前の話、私が“鬼も十八”だった頃のことです。
当時、新幹線は東京と岡山の間を走っていました。
色んなことがありましたが、もう時効なので書いてみます。

友達に夏休みのバイトを誘われ、それが新幹線の車内販売だったのです。
ところが友達は二日で辞めました。
理由は仕事がハードだったから。
一日ではなく二日で辞めたのはシフトの都合上、必ず二日は働かなくてはならなかったから。

私の友達だけではなく、学生アルバイトはどんどん辞めていきました。
たいていの学生は、友達と誘い合って一緒に働き始めるのですが、夏休みが終わる頃まで残っていた学生はほとんど一人で働いていました。
最後の方になると、数の減った知らないバイト同士で顔見知りになって、それなりに楽しかったのです。

体力のない私が続けられたのは、二日働いたら一日休むようにシフトを組んだから。
それだとあまり疲れなかったのです。
働いている二日の内の一日は必ず会社の宿舎で泊りました。
翌朝、早くの新幹線に乗るためです。

そんなにしんどい職場だったのかと言われると、確かにハードでしたが、今時のブラックな職場に比べたら楽だったように思います。
重労働ではあったけれど、どこか緩かったのです。
何より、バイト代が良かった。

アルバイトの場合、車内販売といってもワゴンでの販売は任せられていませんでした。
手にお弁当やらお土産を持って「お弁当はいかがですか、〇〇弁当に××弁当はいかがですか」と言いつつ、車内を端から端まで売り歩いていたのです。

淹れたコーヒーも売るワゴン販売は必ず社員の人でした。
だもんで、よくお客さんから「コーヒー持ってきてくれる?」と言われましたが、もちろん持っていくことはなく、内心『ここは喫茶店じゃない』と毒づきつつ、丁寧にお断りしてました。
お客さんは、販売員が一杯のコーヒーの為に、どこにいるか分からないワゴンを探して長い車内を往復するサービスが現実に可能か、分かっていなかったみたいです。

最近は新幹線に乗っても車内販売はあまり来ないような気がします。
だから、一度買いそびれるとそのまま買えなかったり。
でも私が働いていた頃はそうじゃなかったのです。
次から次へ、色んな商品を持って何往復も売りに歩きました。
当然、疲れるのです。

それと計算。
当時は電卓がなかった時代でした。
だからすべて暗算でした。

「〇×弁当3個と△△弁当1個、それとジュース2本とビール、あっ、ジュース1本やめてお茶ね」などと言われて、その都度、掛けたり足したり引いたり、頭の中で暗算しなくてはなりませんでした。
今同じことやれと言われてもできないような気がします。

恥もいっぱいかきました。
お土産に草加せんべいがあったのですが、私は「クサカせんべい」だと思って大声で「クサカせんべいいかがですか」と売り歩いてました。

グリーン車で、買ってもらったお弁当を座席脇の引き出し式のテーブルに乗せるのに、間違えて吸い殻入れを引っぱってしまって、力余って吸い殻入れごと床にぶちまけてしまったり・・・(◎_◎;)

ちょっと悪いことも。
ある時、アイスクリームを売り歩いている男の子のバイトに「アイスクリーム食べよう」と言われ、デッキで二人で食しました。
仕事中にそれはないし、男の子はアイス代を払った様子もなく・・・。
でも可愛いもんだったとも言えます。

今から考えるとそれはちょっとヤバかったのでは?と思うことも。
私がアイスクリームを売り歩いている時、車掌さんに呼ばれてなぜか運転室の中へ。
運転士さんは私の分のアイスクリームも買ってくれて二人でお話しながら食べました。
販売員の女の子を運転室に入れるのは職務規定違反じゃないかと思いますが、運転士さんは販売員の女の子がどういう子なのか知りたかったみたいです。

運転士さん、私がバイトだと知るとちょっとびっくりしてました。
販売会社の社員だと思っていたみたいです。
運転士さんは自分がなぜ新幹線の運転士になったかみたいな話をし、私の父の職業を聞いたり。
運転室を出ると外にいた車掌さんが「どうだった?」と声をかけると、運転士さんは「うちの娘とまったくおんなじ」って言ってましたっけ。

その他、ごきぶり事件やらバイトの下痢ピー事件など、書くに書けないことも。
当時は日本の高度経済成長期、車内販売も当然のように売って売って売りまくれでしたが、一方でユルユルだったのです。

私にも若い頃があったというお話でした。