最近、ほとんど出掛けず、コロナ疲れか鬱っぽいです。
実際にはコロナは関係ないのかもしれません。
私は5年連用日記を書いていて、今4年目なのですが、この頃は前年も前前年も鬱っぽいと書いていますので、季節的なものなのかもしれません。
新聞記事でもイヤーな気分のするものを目にしてしまいます。
これです。⇒ ここ
このような相談自体、「そういうこともあるかな」で特に嫌な気分になるものではないです。
問題は有料会員でないとネットでは読めない回答のほうです。
回答は、友人は相談者の力量や性格を知っていて、相談者に恥をかかせたくなくて代表に推挙しなかった。それこそ友情だ。今からでも遅くはない。友人のように人に尊敬されている方の、せめて立居振舞でも真似て勉強したらどうか、というものでした。
私はシニアカレッジに通っていたことがあり、そこでは全員に何かしらの役職が振り当てられます。
なかには重責と思える役職もありますが、皆さん、一応社会人としての経験がある方ばかりです。
不幸にしてジャンケンで負けて重大な役職についた人でも、役職が果たせないということは(認知症になりかかっているとか、そもそも全くやる気がないとか、際立って偏狭な性格というのでない限り)ないのです。
相談者は中間管理職として長年働いてきており、当然、OB会の代表ていどでできないということはないでしょう。
つまり、回答者の「力量がない」という指摘はあてはまりません。
(この点では作家である回答者の知見に疑問を持たざるをえません。)
考えられるのは、現役時代の役職の低さからOB会の代表にふさわしくないと見なされたことくらいです。
それもまた、下らないと言えば下らないことですが。
回答者はなぜ相談者の力量や人格まで貶めるようなことを書いたのか。
会って話でもしない限り、相談者の力量も人格も分からない筈です。
相談者はあの回答に随分傷ついただろうなと思いました
むろん、ここで友情に見返りを期待してはいけないという指摘もあると思います。
相談者は友情について大きな勘違いをしているのではないかということです。
ただそこでの相談者の悩みとは、見返りが得られなかったことではなく、友人が自分のことなんかまったく眼中になかったことの衝撃だったでしょう。
よく似た相談として、「発言小町」という、やはり読売新聞のネットの掲示板の相談がありました。
こちらは50代の女性で、高校時代からの友人との関係についてでした。
トピ主は友人からよくランチなどに誘われ、その度に友人を自分の運転する車に乗せて出掛けていたそうです。
そして、まだコロナが問題になる以前のこと、二人で観劇に行き、その時、行きしは二人で電車に乗ったのだそうですが、帰りには友人の夫が車で迎えに来ていたそうです。
みぞれ交じりの雨が降る寒い日だったそうです。
友人はさっさと車に乗ると「じゃあね」と言ってトピ主を置いて帰ったそうです。
友人と自分の家はそんなに離れてはおらず、自分の夫が運転する車に二人で乗ったこともあったという関係です。
その後ラインで、その日別れてから夫婦でどこかに行く予定でもあったのかと聞いたところ、予定はなく、そのまま家に帰ったそうです。
以来、友人はなぜ一言「乗って行かない」と声を掛けてくれなかったかとモヤモヤしているという相談でした。
この相談には掲示板ということもあり、たくさんの返答がありました。
いつも車を出しているという自分のやっている事の見返りを相手に期待するのがそもそも間違いというのも複数ありました。
自分の好意や親切に相手の見返りを求めてはいけないという考えです。
コロナ前の出来事ということから、1年もそんなことでグジグジと悩んでいるのかという、そのことに呆れる指摘もありました。
それ以外には、友人の夫が自分の車に家族以外の人を乗せるのを嫌がっているのではないかとか、友人は天然な性格で、気が利かず、トピ主を乗せることを思いつかなかったのではないかというような意見です。
一番多い答えは、その友人は非常識な人だから今後の付き合いを変えたらいいというものです。
夫が嫌がるというのはありそうです。
でも、もしそうなら私だったら、その後、ラインかメールで、乗せなかったことを「ごめんね、夫が嫌がるの」と言って謝り、一回のランチ代くらい奢ると思います。
気の利かない性格という点ではトピ主が否定していて、友人は賢明で人望もある人だそうです。
あれこれ考えると、やはりこちらも、友人は普段は都合よくトピ主を利用しているけれど、肝心な時にはまるで眼中になかったというのが正解みたいです。
50代の女性は、沢山の返答を読んで、自分のモヤモヤした感情は長年の友情を失った寂寥感ではなかったかと書き、その友人との付き合い方を考え直すとしていました。
70代の男性と50代の女性に共通するのは、共にそれまで相手をリスペクトしてきたということかもしれません。
世渡り上手で人望がある人、結果、いつもリーダー格として遇される人には誰しも憧れてしまいますが、そんな人が必ずしも人格者というわけではなく、権威主義的で計算高い場合もあることは心得ておかなくてはならないと思います。
若い頃からの友情が、相手の自分に対する思いを知ることで失ってしまうことは、輝かしい青春の記憶が汚されたようで、とても辛いことだと思います。
私にも苦い経験があります。
70代の男性が回答を気にせず、余生を前向きに生きられることを祈ります。
実際にはコロナは関係ないのかもしれません。
私は5年連用日記を書いていて、今4年目なのですが、この頃は前年も前前年も鬱っぽいと書いていますので、季節的なものなのかもしれません。
新聞記事でもイヤーな気分のするものを目にしてしまいます。
これです。⇒ ここ
このような相談自体、「そういうこともあるかな」で特に嫌な気分になるものではないです。
問題は有料会員でないとネットでは読めない回答のほうです。
回答は、友人は相談者の力量や性格を知っていて、相談者に恥をかかせたくなくて代表に推挙しなかった。それこそ友情だ。今からでも遅くはない。友人のように人に尊敬されている方の、せめて立居振舞でも真似て勉強したらどうか、というものでした。
私はシニアカレッジに通っていたことがあり、そこでは全員に何かしらの役職が振り当てられます。
なかには重責と思える役職もありますが、皆さん、一応社会人としての経験がある方ばかりです。
不幸にしてジャンケンで負けて重大な役職についた人でも、役職が果たせないということは(認知症になりかかっているとか、そもそも全くやる気がないとか、際立って偏狭な性格というのでない限り)ないのです。
相談者は中間管理職として長年働いてきており、当然、OB会の代表ていどでできないということはないでしょう。
つまり、回答者の「力量がない」という指摘はあてはまりません。
(この点では作家である回答者の知見に疑問を持たざるをえません。)
考えられるのは、現役時代の役職の低さからOB会の代表にふさわしくないと見なされたことくらいです。
それもまた、下らないと言えば下らないことですが。
回答者はなぜ相談者の力量や人格まで貶めるようなことを書いたのか。
会って話でもしない限り、相談者の力量も人格も分からない筈です。
相談者はあの回答に随分傷ついただろうなと思いました
むろん、ここで友情に見返りを期待してはいけないという指摘もあると思います。
相談者は友情について大きな勘違いをしているのではないかということです。
ただそこでの相談者の悩みとは、見返りが得られなかったことではなく、友人が自分のことなんかまったく眼中になかったことの衝撃だったでしょう。
よく似た相談として、「発言小町」という、やはり読売新聞のネットの掲示板の相談がありました。
こちらは50代の女性で、高校時代からの友人との関係についてでした。
トピ主は友人からよくランチなどに誘われ、その度に友人を自分の運転する車に乗せて出掛けていたそうです。
そして、まだコロナが問題になる以前のこと、二人で観劇に行き、その時、行きしは二人で電車に乗ったのだそうですが、帰りには友人の夫が車で迎えに来ていたそうです。
みぞれ交じりの雨が降る寒い日だったそうです。
友人はさっさと車に乗ると「じゃあね」と言ってトピ主を置いて帰ったそうです。
友人と自分の家はそんなに離れてはおらず、自分の夫が運転する車に二人で乗ったこともあったという関係です。
その後ラインで、その日別れてから夫婦でどこかに行く予定でもあったのかと聞いたところ、予定はなく、そのまま家に帰ったそうです。
以来、友人はなぜ一言「乗って行かない」と声を掛けてくれなかったかとモヤモヤしているという相談でした。
この相談には掲示板ということもあり、たくさんの返答がありました。
いつも車を出しているという自分のやっている事の見返りを相手に期待するのがそもそも間違いというのも複数ありました。
自分の好意や親切に相手の見返りを求めてはいけないという考えです。
コロナ前の出来事ということから、1年もそんなことでグジグジと悩んでいるのかという、そのことに呆れる指摘もありました。
それ以外には、友人の夫が自分の車に家族以外の人を乗せるのを嫌がっているのではないかとか、友人は天然な性格で、気が利かず、トピ主を乗せることを思いつかなかったのではないかというような意見です。
一番多い答えは、その友人は非常識な人だから今後の付き合いを変えたらいいというものです。
夫が嫌がるというのはありそうです。
でも、もしそうなら私だったら、その後、ラインかメールで、乗せなかったことを「ごめんね、夫が嫌がるの」と言って謝り、一回のランチ代くらい奢ると思います。
気の利かない性格という点ではトピ主が否定していて、友人は賢明で人望もある人だそうです。
あれこれ考えると、やはりこちらも、友人は普段は都合よくトピ主を利用しているけれど、肝心な時にはまるで眼中になかったというのが正解みたいです。
50代の女性は、沢山の返答を読んで、自分のモヤモヤした感情は長年の友情を失った寂寥感ではなかったかと書き、その友人との付き合い方を考え直すとしていました。
70代の男性と50代の女性に共通するのは、共にそれまで相手をリスペクトしてきたということかもしれません。
世渡り上手で人望がある人、結果、いつもリーダー格として遇される人には誰しも憧れてしまいますが、そんな人が必ずしも人格者というわけではなく、権威主義的で計算高い場合もあることは心得ておかなくてはならないと思います。
若い頃からの友情が、相手の自分に対する思いを知ることで失ってしまうことは、輝かしい青春の記憶が汚されたようで、とても辛いことだと思います。
私にも苦い経験があります。
70代の男性が回答を気にせず、余生を前向きに生きられることを祈ります。
私は恋愛結婚でなかったから 冷めてるのかもしれないけど、何度失望しただろうと思います(苦笑)
コロナ禍のせいか?季節のせいか? 生活環境のせいか?
鬱っぽい自分を振り払いたくて散歩に出たり雑草を抜いてみたりと身体を動かしてます。
最近はそれさえ億劫です。
お日様に当たらないと益々鬱っぽくなります
友情は難しいです。
見返りは求めないにしても貸し借りは無しにしとかないとね。
最近、ブロ友さんで夫さんと喧嘩したというのがちょくちょくあります。
喧嘩が増えるのもコロナのストレスでしょうか。
あたしも義理の兄との関係は向こうはともかくあたしにとっては甚大なストレス。だけどそういう人にも嫁と子供も2人いて(た)、離婚したけどまたお付き合いしてる人がいるので、蓼食う虫も好き好きのようです。
友は疎遠にできるけど、親族はそこまで自由じゃないから、友人とのことでよかったね、って今のあたしなら思っちゃうな
相談者もさることながら、この回答者はいったい!?と思いました。
恥ずかしながら私め、人間関係・コミュニケーションが専門。また、
カウンセリングも臨床40年近く。地元紙(福井新聞・他)の人生相談
・教育相談欄の回答者も務めさせて頂きました。
何故、このような人が回答者にって?(人間の良し悪しとは別物ですが)
思うことしきりでした。それから、全ての相談内容が必ずしもリアルでは
ないこともあります。ある意味、新聞ですから「読み物」でもある訳です。
私は常に自分の回答が相談者は元より、読者の人達が読んでどのように感じる
だろうかと思いながら、当時、Faxで出稿していました。また機会を得て
このようなことも拙ブログにupしてみたいです。
つい、私事を連ねて失礼致しました。どうぞご寛容に。今宵はこれにて。
ブログ世界からも 感じることは あります
。
人生相談 読みません
同じように 回答者のコメントに共感できないことが 多いです
「相談せん方が 良かった」って感じることも しばしば
二つ目の件に関しては わたしも 今正に感じていることです
近所に住んでいる50年来の友人
なんか ??って感じることが 多いのです
メールが来て 結局 私が 電話しなければならないような状況が いつも。
ランチ (所詮 ガストくらいですから良いけどね)でも 会計の時彼女が モタモタするから 「ええよ、ええよ、 今回払っとくから」ってことになる
後で わたしって 「お人よしだなぁ」って
でも 先日 親戚とややこしいことになっているって 言って来た時に
つっけんどんな返答になってしまって
今 複雑な心境です
こないだの件、そういう回答だったのですね。
まぁ厳しめの回答ではありますが、
そんなことでグチグチ悩むな。しっかりせい!終わり。
というわけにもいかないだろうし。
自分が思うほど相手は自分のことを思っていてくれなかった、
なんてこと、いくらでもありますよ。
それでいちいち衝撃受けてたら生きていけない。
その程度にしか思われてなかったのか、しゃあないな~
で、気持ちを切り替えたほうがいいと私は思いますけどね。
二人の相談者の場合、友人から迷惑を被ったというようなことではなく、自分が友人にポジティブに入れ込み過ぎていたことが原因なので、それだけ心理的にドーンとくるものがあったのでしょうね。
入れ込みすぎるのも善し悪しです。
それだと見方もずいぶん異なると思います。
正直私なんかは、友人に50年も楽しい夢を見させてもらったんだから、それでいいんじゃないかと思うんですけどね。
友人も、さすが世渡り上手の人たらしです。
(どんな人だったのか知りませんが(^^;)
新聞の人生相談が読み手を意識した読み物であるということ、なるほどと思いました。
美輪明宏や上野千鶴子が回答者の朝日新聞の人生相談、そのズバズバぶりが評判ですが、的は射ていると思うのです。
読売新聞の件の回答者は、ああいうのを真似たかったのかもしれないと思いました。
でも的が外れていたらどうしようもないです。
読者は(少なくとも私は)不快でした。
色んな人の考え方がうかがえるから。
ネットの「発言小町」も同じ理由で好きです。
しまそだちさんの50年来のご友人、大丈夫ですか?
認知症になりかかっているということはないですか?
会計でモタモタするなんて、それっぽいです。
特に青春の日々に、共にキラキラ輝く時を刻んだ間柄だと、あれもみんな嘘だったのかになってしまいます。
別に嘘じゃないんですけどね。
相手がどんどん大人になっただけですよ。
それと、男女差というのもあると思います。
女性は恋愛においても切り替えが早くて断ち切り方も徹底していると言われますね。
それにひきかえ男性は、いつまでもグジグジと未練たらたら。
おそらく友情においても同じなんだと思います。
それにしても読売新聞、回答者の質が低すぎです。