茶道のお稽古、5月から風炉になりました。
風炉は夏秋用の釜を掛ける茶道具の一つです。
冬春は床の一部を四角く切って釜を掛ける炉になります。
左の釜を掛けている炉が風炉です。
茶道で、一つの茶碗で複数の人が回して飲む濃茶のお稽古、コロナで長い間行われませんでした。
濃茶を点てる場合も各服点(かくふくだて)と呼ばれる、一人一人に別の茶碗で点てるやり方が行われてきました。
それで、「濃茶の作法を忘れそう」なんてことも言われてました。
ですが、6月に入ってからは濃茶の稽古も復活。
先日のお稽古では、マスクをしている人は一人もいませんでした。
どうやら茶道の本部の方でもコロナ仕様は止めたようです。
同時にあちこちのお茶会も復活。
私は茶道を習い始めて早いもので足かけ5年目。
濃茶は習い始めてすぐにコロナですから点て方も覚えていません。
久しぶりに点てた濃茶ですが、一服のお茶を皆であーでもない、こーでもないと言い合うことになりました。
濃茶はそれこそ一味同心です。
でも一味同心という言葉は茶道で使われる禅語ではないみたいです。
意味は単純に「同じ心になって力を合わせること。また,その人々」です。
そういえば、高校生の頃、歴史の先生から聞いたことがあります。
昔、鎌倉・室町時代? お茶を栽培しても、茶葉の良い部分は年貢や税の形で取られてしまい、当の農民達は不味いお茶しか飲めないこともあったそうです。
寄りあいなどで皆で不味いお茶を飲んでいて、なぜ自分達が作った美味しいお茶がすべて持って行かれるのか、なぜ税の取りたてがそれほど過酷なのか、このままでは一揆するしかないというような話になり、皆で立ち上がって一揆を起こしたんだそうです。
それが一味同心のそもそもの意味だったそうです。
別に濃茶みたいな上等なお茶を飲みまわしていたわけではなかったのです。
それでは決して禅語的な有難い話でも、ホンワカした話でもないですね。
面白いなと思うのは、その一味同心という言葉がその後二つに分割され、悪いことをするのに集まった集団が一味、悪事を正すための集団が同心になったこと。
取り締まる方と取り締まられる方と、見事に分かれてしまった。
これは今の日本の社会を考えるにも視点として役立つ発想じゃないかと。
というのも、なぜか今、少しでも表立って政治的・社会的な活動をするとネガティブなレッテルが貼られたりするから。
当然の権利であるデモに行っても、ひどい中傷を受けたりする。
要するにお上(権力)には逆らうなという風潮がある事。
特に若い人達にその傾向が大きい。
昔、一揆に立ち上がった農民達は、間違った政治を正す、悪い為政者にはそれなりに実力行使に出なければ改まらないという思いがあったと思う。
でも為政者の側から見れば一揆を起こす農民達こそ秩序を乱す悪い奴だったわけで。(要するに一味)
どちらも一理あるとしても、今、極々真面目で平和的な政治的・社会的な活動でも、あたかも愚かなこと悪いことでもあるかのように叩いている人達は、完全に後者の側の視点しかないみたいです。(ツィッターはそういうので溢れかえっている)
snsの世界は異常ですが、私が世の中を見ていても40代以下の世代にはそういう傾向(批判精神の封殺)を強く感じます。
私の考えでは、それでは社会のダイナミズムが発動しようがなく、結果的に日本の社会の衰退を引き起こしていると思います。
なぜそうなったかについては、私ごときに分かろう筈もないですが、何年か前に読んだこの文春の記事に納得しました。
濃茶で一味同心から、話は大きく飛んでしまいましたが、老婆心ながら、40代以下の保守的な若い人達にはもっと本を読み、知識を身に付けてほしいものです。
豊かな日本の未来を望むなら、です。
風炉は夏秋用の釜を掛ける茶道具の一つです。
冬春は床の一部を四角く切って釜を掛ける炉になります。
左の釜を掛けている炉が風炉です。
茶道で、一つの茶碗で複数の人が回して飲む濃茶のお稽古、コロナで長い間行われませんでした。
濃茶を点てる場合も各服点(かくふくだて)と呼ばれる、一人一人に別の茶碗で点てるやり方が行われてきました。
それで、「濃茶の作法を忘れそう」なんてことも言われてました。
ですが、6月に入ってからは濃茶の稽古も復活。
先日のお稽古では、マスクをしている人は一人もいませんでした。
どうやら茶道の本部の方でもコロナ仕様は止めたようです。
同時にあちこちのお茶会も復活。
私は茶道を習い始めて早いもので足かけ5年目。
濃茶は習い始めてすぐにコロナですから点て方も覚えていません。
久しぶりに点てた濃茶ですが、一服のお茶を皆であーでもない、こーでもないと言い合うことになりました。
濃茶はそれこそ一味同心です。
でも一味同心という言葉は茶道で使われる禅語ではないみたいです。
意味は単純に「同じ心になって力を合わせること。また,その人々」です。
そういえば、高校生の頃、歴史の先生から聞いたことがあります。
昔、鎌倉・室町時代? お茶を栽培しても、茶葉の良い部分は年貢や税の形で取られてしまい、当の農民達は不味いお茶しか飲めないこともあったそうです。
寄りあいなどで皆で不味いお茶を飲んでいて、なぜ自分達が作った美味しいお茶がすべて持って行かれるのか、なぜ税の取りたてがそれほど過酷なのか、このままでは一揆するしかないというような話になり、皆で立ち上がって一揆を起こしたんだそうです。
それが一味同心のそもそもの意味だったそうです。
別に濃茶みたいな上等なお茶を飲みまわしていたわけではなかったのです。
それでは決して禅語的な有難い話でも、ホンワカした話でもないですね。
面白いなと思うのは、その一味同心という言葉がその後二つに分割され、悪いことをするのに集まった集団が一味、悪事を正すための集団が同心になったこと。
取り締まる方と取り締まられる方と、見事に分かれてしまった。
これは今の日本の社会を考えるにも視点として役立つ発想じゃないかと。
というのも、なぜか今、少しでも表立って政治的・社会的な活動をするとネガティブなレッテルが貼られたりするから。
当然の権利であるデモに行っても、ひどい中傷を受けたりする。
要するにお上(権力)には逆らうなという風潮がある事。
特に若い人達にその傾向が大きい。
昔、一揆に立ち上がった農民達は、間違った政治を正す、悪い為政者にはそれなりに実力行使に出なければ改まらないという思いがあったと思う。
でも為政者の側から見れば一揆を起こす農民達こそ秩序を乱す悪い奴だったわけで。(要するに一味)
どちらも一理あるとしても、今、極々真面目で平和的な政治的・社会的な活動でも、あたかも愚かなこと悪いことでもあるかのように叩いている人達は、完全に後者の側の視点しかないみたいです。(ツィッターはそういうので溢れかえっている)
snsの世界は異常ですが、私が世の中を見ていても40代以下の世代にはそういう傾向(批判精神の封殺)を強く感じます。
私の考えでは、それでは社会のダイナミズムが発動しようがなく、結果的に日本の社会の衰退を引き起こしていると思います。
なぜそうなったかについては、私ごときに分かろう筈もないですが、何年か前に読んだこの文春の記事に納得しました。
濃茶で一味同心から、話は大きく飛んでしまいましたが、老婆心ながら、40代以下の保守的な若い人達にはもっと本を読み、知識を身に付けてほしいものです。
豊かな日本の未来を望むなら、です。
風炉先、棚には今出来には無き風格・風情があります。
みどりさんのお点前を一服所望したいです。
今宵これにて。
写真は茶道の先生宅の茶室のものです。
先生ご自慢の茶室です。
先日は皆で冬春用の襖を外し、葦戸に入れ替えました。
お道具類も先生が調えられた物。
センスと共に風格があります。
色々とお話を聞き、勉強させてもらってます。
私もいつかyo-サン様にお茶を点てさせていただきたいです。
政治に対する不満を投票やデモで意思表示することはなくても、違法で高リスクな高額アルバイトで現状打破をしようとはする。
明るい未来が待ってる気が全くしません。
内田樹先生の分析、腹落ちしすぎる。。。
意外とお金に困っているわけでもないらしい。
単にお金や権力の下僕に過ぎなかったりする。
お上が公共財の私物化を平気でやって、それでもお咎めなしの国ですから、倫理観を持ちようもないのかも。
内田先生、神戸で合気道の道場を開いてます。
現状の分析だけでなく、打開策も示しているところが現実的で面白いです。
どうぞ どうぞと勧められるまま お茶(煎茶)を頂いたら 夜眠れなかったことが
一味と同心 なるほど
面白いですね
島でも一揆は あったと聞きます
お茶が きっかけじゃなかったけど
ウチのメンバーでも 若い人は 新聞は 読まない TVニュースは 見ないらしいです
闇バイトの怖さ 知らないと違うかしら?って 言うてたところです
煎茶道だったのでしょうか。
玉露の、結構良いお茶が飲めます。
お茶で眠れないのは最初の内だけで、段々体が慣れてきますよ。
闇バイトだけでなく、女性ならパパ活で稼いだり。
普通の家庭の子で、親がそれを知ってショックを受けるそうですね。
日本の社会全体が目先の利益で動いていますもんね。
若者だけを責められない。